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獅子の国と迷子の妖精~宰相に捨てられた息子がたどり着いたのは、亡国の隠れ家カフェでした~【第一巻完/続き準備中】  作者: 相野端摘
宰相に捨てられた息子がたどり着いたのは、亡国の隠れ家カフェでした

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孤独な彷徨

 意識が、ゆっくりと浮上してくる。

 ルーカスが最初に感じたのは、全身を苛む鈍い痛みであった。

 次いで、鼻をつく焦げ付いた鉄のような、不快な匂い。そして肌を刺す、ガラスの破片のようにひどく冷たく、乾いた空気。

 ルーカスはうめき声と共に、ゆっくりと目を開いた。


「……ここは」

 そこはルーカスが知っている、屋敷のどこでもなかった。

 天と地の区別が曖昧だ。重力が、まるで気まぐれを起こしたかのように、ある場所では重く、ある場所では奇妙に軽い。少し離れた空間では、ありし日のファビウス邸の、壮麗なシャンデリアが、床と平行に、横倒しのまま浮かんでいた。

 彼が先ほどまでいた歪んだ廊下など、まだ可愛らしいものだったと思えるほどの、完全な混沌。悪夢のさらにその底。

 ルーカスは、自らが置かれた状況を、ゆっくりと思い出していく。

 助けようとしたノエルからの、理不尽な裏切り。

 そして暗く冷たい、空間の裂け目へと突き落とされた、あの瞬間の無力感。

 静かな憤りが、心の底から湧き上がってくる。

 だが、それに浸っている暇はなかった。

 ルーカスは、砕けた瓦礫の上で痛む身体を無理やり起こすと、再び立ち上がった。

 このままこんな場所で朽ち果てるわけには、いかない。


 ルーカスは、再び歩き始めた。

 たとえあの愚かな子供たちに裏切られた後であろうと、ルーカスの根底にある良心は、潰えてはいなかったのだ。

 まだ、この悪夢の家のどこかに、生き残っている人がいるかもしれない。罪のない、ただ巻き込まれただけのメイドや庭師たちが。

 ルーカスは、わずかに残された元の屋敷の構造――歪んだ窓枠の配置や、半分溶けかかった壁の飾り板の模様――それらを唯一の道標として、再び出口を探しながら、生存者の気配にも意識を張り巡らせて彷徨い始めた。


 どれほどの時間が経っただろうか。

 疲労と痛みで意識が朦朧としかけた、その時だった。

 崩れ落ちた壁のその向こう側から、聞き覚えのある声がした。

 冷静でよく通り、そして、決して感情を乱すことのないあの声が。


「――落ち着け! 慌てず、私の後に続け!」


(……兄上!?)

 ルーカスは、はっと顔を上げた。

 瓦礫の山の隙間からルーカスは見た。

 そこにいたのは、紛れもなくルーカスの兄、サイラス・ファビウスであった。

 彼の衣服は埃にまみれ、その美しい顔には幾筋かの擦り傷がついている。だが、その瞳に宿る光は、平時と少しも変わらない、氷のような冷静さを保っていた。

 サイラスは、怯えて動けなくなっている数人の侍女たちをまとめ、まるで嵐の中の船を導く熟練の船長のように、的確な指示を飛ばしている。

「次の崩落が来る前に、あのアーチを潜り抜けるぞ! 足元に気をつけろ、空間が不安定だ!」

 サイラスの姿は、ルーカスがこれまでに抱いてきた、「冷酷なだけの兄」というイメージとは、全く違うものであった。

 それは、絶望的な状況下にあって人々を導く、頼もしい指揮官そのものの姿であったのだ。


 ルーカスは、兄の無事な姿を見つけ、心からの安堵の息をついた。

 ――合流しなければ。

 そう、頭では分かっている。

 だがルーカスの足は、まるで地面に縫い付けられたかのように動かなかった。

 本当に、兄を信じていいのか?


 ルーカスの脳裏を、兄サイラスの、これまでの不可解な行動の数々が駆け巡る。


 ルーカスが呪いを解いて戻った時、サイラスはただ事務的に、ルーカスに翌日の出仕を命じただけだった。ルーカスの身体を気遣うでもなく、閣下の非道に異を唱えるでもなく。

 閣下の書斎で、サイラスははっきりとこう言ったのだ。『父上の御心に背く者は、私がこの手で排除しましょう』と。あの時のサイラスは、紛れもなく閣下の忠実な駒そのものではなかったか。

 広場の混乱の中、サイラスの指揮する騎士隊は、まるでルーカスを守るかのように動いた。あれは、本当にただの偶然だったのだろうか。

 『しばらくは、王城と屋敷の往復に留めておけ』。あの警告は。ルーカスの身を案じてのものだったのか。それとも、ルーカスの自由を縛るための冷酷な命令だったのか。


 信じたい。

 だが、信じられない。

 この土壇場で、ノエルのように、僕を切り捨てるのではないか。

 疑念が黒い霧のように、ルーカスの心を覆っていく。


 だが、その霧を、サイラス自身の声が再び切り裂いた。

「立てるか? ……無理はするな。私が肩を貸そう」

 サイラスは、瓦礫で足を挫き座り込んでしまった若いメイドに、静かにそう言うと自らの肩を差し出したのだ。

 その、あまりにも自然な、弱者を庇護する行動。

 それは、冷酷なだけの人間には決して真似のできない振る舞いであった。


(……今は、信じるしかない)

 一人でこの悪夢の中を彷徨い続けるよりも、生存率が高いのは、どちらか。

 答えは明らかであった。

 個人的な感情は、今はこの胸の奥底に、一旦沈めるべきだ。

 生き延びるために。

 そして、この悪夢を終わらせるために。

 ルーカスは意を決した。

 サイラスたちが通り過ぎていった、不安定な瓦礫の道。それを慎重に見極め、同じ轍を踏まぬよう、注意深くその後を追う。


 やがて少し開けた、かつては食料庫であっただろう場所に、サイラスの一行がたどり着いた。サイラスはそこで一度、生存者たちの疲労を回復させるためか、小休止の指示を出した。

 好機であった。

 ルーカスはごくりと息を呑むと、瓦礫の陰からその姿を現した。

 そして、震えそうになる声を必死に抑え込み、その名を呼んだ。


「――兄上……!」

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