語られる悲劇
ルーカスの痛みを伴った告白を受け、店の空気は重く沈んでいた。
だが、その沈黙は決して、彼を拒絶するものではなかった。むしろ、彼の背負ってきたものの重さを、ここにいる全員が共有しようとしているかのような、静かで、温かい沈黙。
カウンターの上でルーカスの頬を慰めるように叩いていたレオンが、ふと顔を上げ、ジェラールをじっと見つめた。「にゃおん」という一声は、まるで「伝えてやれ」と、静かに、しかし厳かに告げているかのようであった。
それを受けたジェラールは、一度目を伏せて深く息を吸うと、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……レオン様が君を認め、我々に話せとお命じになったようだ。ルーカス君、君が本当に真実を知る覚悟があるのなら、今度は我々が話す番だ」
ジェラールは、磨いていたカップを静かにカウンターに置くと、まるで教師が生徒に問いかけるかのように、ルーカスに尋ねた。
「君は、そもそも『国』とは、何によって成り立っていると思うかね?」
「国、ですか……? 国王陛下がいて、法があり、民がいて……」
「それも間違いではない。だが、もっと根源的な話だ」
ジェラールは静かに首を横に振る。「この世において国とは、人知を超えた『守護存在』の庇護を受けた、人間の集団のことを指す。そして、その国の民を代表して守護存在と対話し、その偉大なる力を借りる役目を持つ一族を、人々は『王家』と呼ぶのだ」
それは、ルーカスが初めて聞く、この世界の基本的な理であった。
「このレーベダイド王国の守護存在が『有翼の獅子』様であるように、全ての国には、それぞれの守護存在がいる。そして、その守護の形もまた、様々だ」
「では」とジェラールは続けた。
「今、この国で繁栄の礎となっている『妖精憑き』は、元々どこの国のものか、知っているかな?」
「はい。十四年前に、我が国が戦で勝利し、亡ぼした隣国から戦利品として持ち帰ったものだと……」
「その通り」
ジェラールは静かに頷く。だが、その瞳には、深い、深い怒りの色が宿っていた。
「レーベダイドが十四年前、『新たな力を手に入れる』という名目で、隣国――シルヴァ王国に戦いを挑んだのは事実だ。そして、国王は高らかに宣言したそうだな。『我が国は、シルヴァ王国に正々堂々戦いを挑み、ほぼ損害なく勝利した』と」
それは、ルーカスも国の歴史として教えられてきた、輝かしい勝利の記録。
「―――大嘘だ」
ジェラールの口から吐き出された言葉は、静かだが、鋼のような硬さと、煮えたぎる溶岩のような熱を帯びていた。
「正々堂々だと? 笑わせるな! あれは、歴史上最も卑劣で、最も唾棄すべき『騙し討ち』だったのだ!」
その言葉の持つ凄まじい憎悪に、ルーカスは息を呑んだ。
ジェラールは、まるで十四年前の光景をその目に焼き付けているかのように、遠い目をして語り始める。
「シルヴァ王国の守護存在は、『妖精女王』。そして、かの国が絶対の価値として掲げていた国是は、『信頼』と『約束』だった」
「信頼……と、約束……」
「そうだ。彼らは、たとえ他国の者であっても、一度交わした言葉を、その関係性を、何よりも重んじる民だった。だからこそ……賓客として招かれていたレーベダイドの貴族たちが、シルヴァの人々を一方的に虐殺した時も……彼らは最後の瞬間まで、何が起きているのかすら、理解できなかったのだ」
信頼を踏みにじられた、あまりにも惨い悲劇。
レーベダイドが誇る「正々堂々」という国是が、いかに虚しい偽りであったかを、ルーカスは思い知らされた。
「……ルーカスさん」
それまで黙って聞いていたリネットが、静かに口を開いた。普段の明るさは影を潜め、その顔には、亡国の民としての、静かな哀しみが浮かんでいる。
「妖精憑きはね、不思議な力を持つ『便利な道具』なんかじゃないの」
彼女は、まるで苦しむ我が子を思う母親のような、優しい声で語り始めた。
「妖精憑きっていうのはね、シルヴァの民が心を込めて作った美しい工芸品に、妖精女王様の眷属の妖精たちが『ここが好き!』って、自分の意思で住み着いてくれた、お家なの」
「家……?」
「うん。持ち主がその品を大切にすれば、妖精たちは喜んで力を貸してくれる。持ち主との『信頼』の証。それがね、妖精憑きの本当の姿なの」
妖精憑きは、意思を持つ存在。その言葉は、ルーカスの常識を、根底から覆した。
「だからね……十四年前、レーベダイドが妖精憑きを奪ったっていうのは、妖精たちにとっては、もっと酷いことだったんだよ」
リネットの声が、哀しみに震える。
「彼らはね、何の罪もないのに、住んでいる家ごと、知らない国に連れ去られたの。……それは、ただの『誘拐』だよ」
――誘拐。その言葉の、暴力的な響き。
「そして、この国では、意思も心もない、ただの便利な道具として酷使されてる……。そんな酷い扱いに耐えきれなくなった妖精たちが悲鳴を上げているの。それこそが、『暴走』の正体なんだよ」
その言葉を証明するかのように、ジェラールが懐から、そっと『刹那の懐中時計』を取り出した。蓋は修復され、表面の傷も丹念に磨き上げられている。
「ご覧」
彼はそう言うと、自らのティーカップを、わざとカタン、と傾けた。琥珀色のお茶が、ソーサーの上に広がる。彼は時計をそのそばに置くと、優しく囁いた。
「さあ、お嬢さん。ほんの少しだけ、君の力を見せておくれ」
応えるように、懐中時計が、ふわりと柔らかな光を放った。
すると、ソーサーにこぼれていたお茶が、まるで時間を巻き戻すかのように、静かにスルスルスル……と、一滴残らずカップの中へと吸い込まれていったのだ。
「えっ……!?」
驚きに目を見開くルーカスに、ジェラールは時計をしまいながら静かに告げた。
「この子の本来の力は、持ち主のほんの少しの失敗を、やり直させてくれる……ただ、それだけの、優しくささやかな力だ」
「……そういうことだ」
それまで黙って壁に寄りかかっていたカイが、腕を組んだまま、低い声で言った。
「俺たちは、あの時亡ぼされた、シルヴァの生き残りだ」
亡国の生き残り。その言葉には、不思議と悲壮感はなかった。むしろ、揺るぎない覚悟と、誇りさえ感じられる。
「俺たちの目的は、レーベダイドへの復讐じゃねえ。この国で虐げられてる妖精たちを保護して、いつか、本当の故郷であるシルヴァへ返すこと。それが、俺たちの戦いだ」
「そのために」と、リネットが言葉を継ぐ。「私にはね、いつも『ティティ様』っていう妖精さんがついててくれるの。今は姿を隠してるけど。だから私はね、暴走した妖精さんたちの心を、少しだけ慰めてあげることができるの」
全てが、繋がった。
なぜ、この店にだけ妖精憑きの知識があるのか。なぜ、リネットだけが暴走を止められるのか。
この隠れ家カフェは、亡国の生き残りの隠れ家だったのだ。
父が、国が、とんでもない大罪の上に、偽りの繁栄を築いていたという事実。繁栄派も伝統派も、苦しむ妖精たちの声を聞こうともしない。
妖精たちの痛みに寄り添おうとしているのは、この世界で、この小さなカフェにいる人々だけなのだ。
ルーカスの胸の奥で、何かが、カチリと音を立ててはまった。
それは、これまで感じたことのない、熱い感情の奔流だった。
虐げられている名もなき者たちのために、自分も戦いたい。
彼は、真っ直ぐにリネットたち三人の顔を見つめると、はっきりと、そして力強く、こう言った。
「僕も……何か、手伝えませんでしょうか?」




