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MONEY MAGAZINE  作者: 哲太
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9/21

第二章 超一流俳優犬と私     PART2


取材当日の朝を迎え、さくらはポン太君に会うべくバスに揺られていた。


夏休み前の試験期間だからなのか、

まだ昼過ぎだと言うのに車内には学生の姿が目立っていた。


一重に学生という言葉で彼等を一括りにしてしまうのには無理があるが、

それでも共通している部分が少なくとも一つはあった。


それは、何れの学生も携帯電話を持っている、と言うことだ。


この狭いバスの中だけでも、

かぶりつく様に携帯電話を凝視している者、

友人と話しながらも携帯電話を動かす手を止めない者、

スマフォとガラケーを器用に両手で操っている者、

様々なスタイルで携帯電話と向き合っているのが分かる。


だが、これは別に学生に限ったことではない。


もしかすると、

今の日本社会の心臓と言っても過言ではないほどに

重要なファクターとしての役割を担っているのが携帯電話なのかもしれない。


その大きな理由として、

無線通信で何処にいても世界中の人と繋がれることがいえる。


もう、携帯電話でメールだけをしていた時代は既に古いのだ。


しかも、それは一定額の料金を払うだけで、

ほとんど無料のような形で使用できると着ている。


さくらが中学生の時は、

メールの文字数が少し増えるだけでその通信料が高くなったものだが、

その心配ももう無い。


ここまでの進化を遂げたのは、

各技術者の努力の賜物であり、

その恩恵受けて今の生活があることを

さくらを含めた現代の若者は理解する必要があるのだろう。


しかし、この科学の進歩の裏側にはその弊害もつきものなのだ。


例えば、倫理的な問題が起こりやすくなったことが考えられる。


その一つとして、

相手がメッセージを確認したかどうかを

送信者も把握出来るようになったことで、

「既読スルー」と呼ばれる、用件を確認したのに返信をしていない行為が

相手の機嫌を損ね、後々いじめに発展したという問題は最近よく聞く話である。


携帯電話だけでなく科学が発展しすぎることで、

人間の能力を超えたロボットの開発に雇用の削減など、

便利すぎる技術が必ずしも私達の生活を良くするわけではないことも、

進化し続ける社会の中で考える必要があるということだ。


まぁ、何事にも加減と言うものが大事なのだろうが、

とりあえず今は自分の通行を邪魔するであろう、

男子学生のあの巨大エナメルバックがどかされることだけを

さくらは願っていた。


ほどなくして、バスは目的地に到着した。


さくらの願いもむなしく、

案の定降りる際に邪魔になったあのバックを

こっそり踏んづけてやったこと以外は、

ここまで予定通りに来ることが出来ていた。


このまま取材のほうも滞りなく消化することが出来れば、

久しぶりに会社に顔を出さずに直帰できそうなのだ。


全くの仕事嫌いではないさくらであっても、

上司の目を気にせず一日を終えられるのは気分がいいものである。


所定のバス停を降りた後、

大きな噴水がある公園を通り抜けると直ぐ目の前が

テレビ局の入り口に辿り着けることをさくらは事前に調べていた。


その公園では、もうすぐ毎年夏休み恒例のお祭りが開催されることもあってか、幾つもの建て掛けのテントが既に準備されており、

業者らしき人達がその間をすり抜けるように忙しく働いている。


さくらは出来るだけ彼らの作業の邪魔をしないように、

少し大回りをして公園を抜けた後、

無事にテレビ局の入り口へと辿り着くことが出来た。


テレビ局に入った後は、

まず入館証を貰うために受付へ行かなければならない。


だが何処に行ったらいいか迷う暇もなく、

入ってすぐ右に曲がった所にそれと思しき横長のカウンターがあり、

そこには清楚感漂う制服を着た女性が二名ほど座っていた。


さくらが近付いて行くと、

彼女達の一人が先に

「おはようございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」

と声を掛けてきたので、さくらも挨拶を返した。


「おはようございます。

 片桐出版の矢作さくらと申します。

 今日は、雑誌の取材で俳優のポン太君のお話を伺いしたく、

 お邪魔致しました」


「かしこまりました、ポン太様ですね。少々お待ち下さい」


そう言って彼女は、どこかに確認の内線をかけ始めた。


さくらはそれを待っている間、

本当は局内がどうなっているか見回りたい衝動に駆られていたが、

あまり人前でキョロキョロするのは失礼に値するため

その気持ちをグッと堪えて真っ直ぐ前だけを向いていた。


幸いなことに、

直ぐ確認が取れたことが微かにさくらの耳に届く彼女と電話の向こうにいる

誰かの会話によって分かった。


そして、彼女は受話器をそっと置いた後、改めてさくらの方に向き直った。


「お待たせ致しました。

 それではこちらの入館証を首から下げてご入館頂けますでしょうか?」


そう言って、

彼女は『来賓様用⑭』と書かれた黄色い紐付きのICカードを取り出した。


おそらく今日はさくらが十四人目の客と言うことなのだろう。


「あちらにございますゲートに、この入館証をかざしてからお入り下さい。

 また、只今ポン太様は七階のBスタジオにて撮影中ですので、

 どうぞお向かいのエレベーターをご利用下さいませ」


「ありがとうございます」


さくらは軽く頭を下げて、彼女が出してくれたカードを手に取った。


「行ってらっしゃいませ」


最後はもう一人の受付嬢も一緒に頭を下げて見送ってくれたので、

さくらも彼女達に頭を下げてから、エレベーターへと足を向けた。


さくらは彼女等に言われた様にすることで、

ゲートを潜り抜けて難なくエレベーターの前まで来ることが出来た。


また、そこで上に昇ろうとボタンを押すと、

どうやらエレベーターは既に一階で待機してくれていたらしく、

直ぐにそのドアは開いたのだった。


中に入り、「七」と「閉」のボタンを押した後、

さくらはゆっくり壁際にもたれかかった。


楽な姿勢をとりつつ右手に巻いた腕時計に目をやると、

まだ約束の時間までには大分余裕があることが分かった。


空いた時間の分だけ、

ポン太君の仕事っぷりを見学させて貰うつもりである。


取材として見る事はもちろん、

自分とは異なる職場環境に触れることで、

個人的にも参考になることがあればいいなとさくらは期待していたのだ。


やがてエレベーターは止り、

扉が開いた先には真っ直ぐに長い通路が続いているのがさくらの目に入った。


片側の全面が窓ガラスで覆われており、

そこから外の景色を眺めることで

長い通路を歩いている最中も暇を感じることは無さそうだった。


それにしても、

ここまで誰ともすれ違っていないのはこの階で何か番組の収録中なのか、

それともたまたま人通りが少ない時間帯なのか、

何れにしても少し不思議だな、とさくらは通路を歩きながら考えていた。


だが、部外者であるさくらにその答えが出せるわけもない。


それはさくら自身が良く分かっていたので、

すぐに考えるのを止めて窓から見える景色に意識が向いてしまった。


ほどなく歩いていくと、前方が二手に分かれているのが見えてきた。


左手側には「控え室七〇一~七一九」と書かれたプレートが、

そして右手側に「スタジオB」と書かれたプレートがあったので、

どちらに行けばいいのかは明白であった。


さくらは右に曲がると、

直ぐ先に「スタジオB」と上部に書かれた大扉があることが確認出来た。


ここで間違いないだろう。


さくらはそう思い、扉に手をかけたところでピタッと動きを止めた。


それは、ここまで来てようやく

「自分はスタジオに勝手に入っていいのだろうか?」

という疑問に思い至ったからであった。


ポン太君とその関係者に取材のアポをとっているのは間違いないのだが、

テレビ局の人にもそれが伝わっている保障はなかったのだ。


いや、むしろ収録と関係の無い雑誌の取材なんて、

向こうにとっては知ったことではないのではなかろうかと思えてくる。


だが、受付の人はどこかに確認を取ってくれたし、

現場の人間もその後の取材の存在くらいは

認識してくれているのかもしれないし―。


そんなことを考えながら扉の前で固まっていると、

その扉にさくらと異なる一つの影が背後から重なった。


「あの、どうかされましたか?」


その声にハッと驚いたさくらが急いで振り返ると、

目の前に眼鏡をかけた細身の青年がこちらを伺っていた。


「スタッフの方ではないようですが……」


眼鏡の青年はさくらがぶら下げた入館証を見ながら言った。


彼の目線に吊られる形でさくらは自分の入館証を見た後、

それと比べるように男が下げているカードを見た。


そして、そこで自分が掛けている物と彼の物とでは、

使っている紐の色が違っていることに気付いた。


どうやら、彼はこの色の違いでさくらのことを部外者と察したらしい。


さくらは不審者と間違われぬように、口早に説明を始めた。


「ごめんなさい。私は片桐出版の矢作と申します。

 俳優のポン太君の取材で伺ったのですが、

 撮影中にこちらの扉から入っていいものか分からなかったものでして……」


怪訝そうな目でこちらを見ていたその青年は、

ポン太君の名前が出てきたことで幾分安心したらしく、小さく息を吐いた。


「ああ、記者の方だったのですね。

 カメラはマイクを通した音声以外を拾いにくいようにしていますので、

 静かに扉を開けて頂ければ中に入っても構いませんよ」


そう言って、青年はさくらの前に出て、扉をゆっくり開けた。


扉の先は照明が落とされて暗かったのだが、

意外と奥行きがある空間であることを、さくらは肌で感じることが出来た。


また、奥に進むほど人口密度が上がっており、

さらにその先を幾つものライトが照らしているようだった。


人が多くてさくらの目では確認出来ないが、

きっとその先にポン太君がいるのだろう。


「こちらへどうぞ」


そう言って青年が促したのは、比較的人が少ない壁際だった。


「では、僕はこれで」


彼はさくらに軽く頭を下げた後、

前のほうで腕組みをしているプロデューサーらしき人物の元へと歩いていった。


さくらが中に入った際に、

何人かの人間はチラッと目を向けてきたが、

直ぐにまたカメラの先へと視線を戻していった。


そこからさくらが見た四・五十分間は、まさに死闘だった。


監督だけでなく、各スタッフが状況確認を逐一確認し、

何度も同じシーンを撮影するのは当たり前、

さらには至る所から怒号のような言葉が行き交っていたのである。


実際に映像として使われるであろう何倍もの時間を使って

製作に取り掛かる彼等の姿に、プロの情熱を感じざるを得なかったのだ。


それに、さくらが見ているほんのわずかな時間だけでもこれなのである。


朝から見学させて貰っていたら、

見ているだけでもスタミナを持たせる自信が、さくらにはなかった。


「OK!確認します!」


監督のこの何度となく繰り返されている大きな掛け声が、

再び響いた。


そして監督を囲むかのように、

何人かのスタッフもモニターに釘付けとなってなにやら話し込んでいる。


と、そこでようやくさくらの目にポン太君の姿がはっきりと映った。


目の前に人が多すぎて、撮影風景画よく見えなかったこともあるが、

それよりもさくらがスタッフの動きばかりに目を奪われていたことが

原因なのかもしれない。


ポン太君は、スタッフの傍でジッと静かに次の指示を待っていた。


さくらは彼のその落ち着いた様子を見ながら、

これがもし我が愛犬だったら

一分とて待つことは出来ないだろうなと何だか気恥ずかしさを感じていた。


「はーい!OKです!」


監督が再び大きな声を上げた。


そして、その言葉を皮切りに、再び室内の至る所から会話が始まった。


しかし、彼らの顔にはさっきまでの緊張感はなく、

誰もが安堵感に包まれた表情をしていた。


どうやら撮影は終わったらしい。

やがて前方のカメラも片付けられ始め、それに追随するかのように

他の機材もどんどん解体されていく。


しかし、この穏やかな雰囲気に全く参加しない女性が一人いた。


その女性は大きなハット、

そしてサングラスをかけるという派手な風貌だったため、

年齢は予想しずらかったのだが、

深く椅子に腰を下ろして足を組む姿には、

どことなく貫禄めいたものが感じられた。


人だかりから離れて異彩を放つその姿には、

実はさくらも収録中から気になっていた。


しばらくして、片付けも大方終わりかけたというところだろうか。


一人の男性スタッフが例の女性の下へと近付いて行った。


彼は彼女の傍ですっと腰を下ろし、

何やら話しかけているようだったが女性の方の口は全く開いていなかった。


しばらくその状態が続いた後、女性はおもむろに腰を上げた。


そして、おとなしく座っていたポン太君の元へと歩み寄り、

今度はリードを握っていた別のスタッフと言葉を交わし始めた。


程なくして彼女はスタッフからリードを受け取り、

その場を去って行った。


彼女達がスタジオの扉を開けたところで、

さくらはようやくハッと我に返った。


なんと現場の雰囲気に飲まれて、

ポン太君の取材に来たという

今日ここに来た本分をすっかり忘れていたのである。


さくらが急いで彼女を追いかけようと思った時には、その姿はもうなかった。


どうしたものかと、さくらがその場から動けずにいると、

その視界にこの部屋に促してくれたさっきの眼鏡の青年が

機材をいそいそとアタックケースにしまっているのが目に入った。


……助かった。


きっと彼なら彼女達の行く先を知っているだろうと思い、

さくらは人混みを掻き分けるように彼の傍へと近付いていった。


「すみません。少しよろしいでしょうか?」


彼は動かしている手を止めて、さくらに顔を向けた。


「ああ、さっきの」


「お仕事中のところ、度々申し訳ありません。

 撮影は終わったようですが、ポン太君がどこに向かったのか

 ご存じないでしょうか?」


さくらの言葉を聞いて、

ポン太君がさっきまでいた場所をチラッと見てそこにもう居ないことを

確認してからその青年は口を開いた。


「多分楽屋に戻ったんじゃないでしょうか?」


「楽屋、ですか?」


「ええ、撮影も終わったし、部屋で休んでいるのだと思いますよ」


「ああ、なるほど!ありがとうございます、行ってみます」


さくらは彼に頭を下げ、足早に出口へと向かった。


実のところ、

スタジオ収録を終えた役者がそのまま直帰することはほとんどなく、

大抵は荷物を取りに行くためや服を着替えるために

一旦楽屋へと戻るのだが、

収録現場自体が初めてだったさくらがそのことを知らなかっただけなのだ。


何はともあれ、ポン太君の居場所が無事に分かった。


そして、さくらは楽屋の場所は聞かなくてもここに来る途中に

「控え室」プレートを見たことを覚えていたので、

間違わずに辿り付ける自信があったのだ。


また、撮影現場に来たことが無かったさくらでも、

テレビ局の控え室には利用者の名前が記載されたた紙が貼られていることが

多いことは知っていたので、

仮に控え室が複数あったとしても、

とりあえずポン太君の部屋の近くまで行ってしまえば大丈夫だろうと

タカをくくっていたのだ。


スタジオの扉を開くと、

今度は暗い部屋に長く居た反動で通路の照明が必要以上に眩しく

さくらの目には感じられたのだが、

今はそれどころではなかった。


さくらは照明の光を隠すように手の平をこめかみにかざしながら、

ひたすら来た道を真っ直ぐ戻っていった。


すると、スタジオに行く際に見た別れ道を示すプレートを直ぐに確認出来た。


ここを左に曲がれば、今度は来る時に使用したエレベーターへと続くので、

そこは曲がらずに真っ直ぐ進み、お目当ての控え室を目指して行った。


やがて、さくらの予想通り幾つもの控え室が並んでいるのが見えてきた。


そして各部屋には、やはり「○○様」と書かれた

使用者を示す紙が貼られてあった。


中には何も貼られていない部屋もあったが、

恐らくそれらは今日使用する予定が無い部屋なのだろう。


そして、さくらは一つの部屋の前で足を止めた。


一度深呼吸して乱れた息を整えた後、

さくらは「ポン太様」と書かれた紙が貼られたその部屋をノックした。


「はい?」


直ぐに女性の声が返ってきた。


「お休み中のところ申し訳ありません。

 私、片桐出版の矢作さくらと申します。

 本日お願いさせて頂いておりました、

 『ホームタウン』の取材の件でお伺いさせて頂きました」


さくらがそう答えた後、

今度は若干の間を置いてから「どうぞ」という声が聞こえてきた。


「失礼致します」


扉を開けると、

そこには耳をピンと立ててこちらを警戒するシェパードと、

鏡に顔を向けてまつ毛の手入れをする女性が座っていた。


さくらは、迷わず女性の元へと近付いた。


「始めまして。矢作さくらと申します」


さくらは改めて挨拶をし、

名刺を彼女の傍のテーブルに置くために腰を下ろした。


「お忙しい中、取材をお受け頂きまして誠にありがとうございます。

 ご面倒をお掛け致しますが、何卒よろしくお願い致します」


さくらが深く頭を下げると、

彼女はようやく鏡から目を離して名刺を手に取った。


「ああ、そういえばそんな話もあったわね。

 片桐出版?聞いたこと無いわ。疲れているから、手短にね」


彼女は興味が無い様子で直ぐに名刺をテーブルに戻し、

今まで使っていた化粧道具をカバンに戻していった。


その素っ気ない態度に内心ムッときたさくらだったが、

その程度のことで心を乱されるわけにもいかない。


さくらは意識的に笑顔を作りつつ、口を開いた。


「ありがとうございます。

 それにしても、ポン太君は本当に賢いワンちゃんですよね。

 先ほどの収録もそうですし、

 ドラマを拝見した際にもあまりの迫真の演技に

 目頭が熱くなってしまいました。実は私も―」


「ちょっと!おべんちゃらはやめてちょうだい!短くしてって言ったでしょ!  こっちは朝から収録で疲れているのよ」


彼女の突然の怒号に、さくらは面食った。


さっきまで熱心に手入れしていた成果なのだろうか、

必要以上に黒味が盛られたまつげが、

一層その迫力を際立てていたせいもあるのかもしれない。


正直、「あんたは椅子に座っていただけだろ!」とこちらも

応戦することが出来ればどれほど楽だろうか、

と内心悔しい気持ちはあったが、

さくらはその気持ちを口に溜まった唾と一緒に飲み込んだ。


「失礼致しました。

 では、早速ではございますがインタビューを始めさせて頂きます」


さくらは言いながら、カバンの中からメモ帳とボイスレコーダーを取り出した。


「インタビューをさせて頂く際、

 記録用にボイスレコーダーを使用しても構いませんでしょうか?」


「……好きにしなさいよ」


彼女も冷静さを取り戻したのか、

声音に先ほどまでの荒々しさが薄れていた。


「ありがとうございます」


さくらはボイスレコーダーのスイッチを入れてから手帳を開いた。


「先ほども申し上げました通り、

 ポン太君の活躍には目を見張るものがあります。

 芸能界に進出しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?」


さくらの言葉を聞いて、彼女は顔をポン太君に向けた。


「私は元々あの子に興味なんて無かったわ。

 飼うきっかけも、

 自分の犬が子供を生み過ぎたっていう知り合いから

 嫌々譲り受けただけだったし。でも、夫は随分と溺愛していてね。

 それはもう熱心に世話を焼いたり、躾なんかも率先してつけていたわ」


彼女はポン太君を見ていた目をそっと閉じ、

何かを思い出している様子で言葉を続けた。


「ある時、夫が家庭犬の競技大会にあの子を出場させるって言い出したのよ。

 私は恥をかくだけだから止めろ、って言ったのだけど聞かなくてね。

 まぁ、出る犬みんな素人の小さな大会だったし、

 大したこと無いだろうと思って結局は放置したの。

 そしたら、その大会を見ていた今の芸能事務所の人間の目に

 この子の姿が止まって……。そこからは、言わなくても分かるでしょ?」


「そうだったのですね」


つまり、その大会を見ていた芸能関係者にスカウトされ、

言われるがままにデビューしたと思ったら、

そこからトントン拍子で事が進んだということなのだろう。


犬に限らず、

一つのブレイクをきっかにスターへの階段を駆け上がっていったというのは、

人間の俳優でも聞くことがある話だった。


「全く冗談じゃないわよ。

 大人しく家で飼われている分には大目に見ていてあげたのに、

 ここまで出しゃばってくるなんて。

 こんなに忙しくなられたら、

 自分の仕事をしている夫にその面倒が見られるわけも無く、

 結局あたしが付き添わないといけない羽目になっているじゃない。

 ホントに、いい迷惑だわ!」


彼女は喋りながら、自分の横に置いてあったカバンをごそごそと探り始めた。


やがてそこから煙草の箱を取り出すと、

一本抜き取って口に咥えた後、それに火を点けた。


「今では我が家で一番の稼ぎ頭って言うのだから、

 端から見たらとんだお笑い草よ。

 近所の人からも「旦那さんはまだ働いてらっしゃるのですか?

 ポン太君があれだけ活躍されているのに大変ねぇ」なんて

 嫌味も言われるのだから、私の肩身が狭いったらありゃしないよ」


そこまで言ったところで、

彼女再び煙草に口をつけ仰々しく煙を吐いて見せた。


その姿を見ているだけでも、

彼女の苛立ちがさくらにも伝わってきそうではあったのだが、

だからといって質問の手を緩めるわけにもいかない。


「でも旦那様はポン太君の活躍の喜んでいらっしゃるのでは無いですか?」


どうやらこの言葉は彼女の地雷を踏んだらしく、

さくらに向かって彼女はギロリと鋭い目線をぶつけてきた。


「ええ!それはもう!やれこの子は天才だとか、

 やれ自分の躾が良かったからだとか、

 まるで自分が有名人になったかのように大喜びよ」


そう言いながら彼女は煙草を持っていない方の腕で

ドンっとテーブルを叩き付け、不快感を爆発させた。


よっぽど夫の態度が気に食わないのだろうか、

それは次第に彼女の歯軋りまで聞こえてきそうな勢いだった。


しかし、次の瞬間、急に彼女の顔つきが緩んだ。


「子育てだってしたことないくせに、何が躾よ」


そう言う彼女の表情は呆れている、と言うよりは何だか悲しい感じであった。


「失礼ですが、お二人の間にお子さんは……?」

「いないわ。お互い四十過ぎてからの結婚だったし、

 始めからそういう気は無かったしね。あなたは今いくつなのよ?」


「私ですか?私は今年で二十七になります」


「そう、思ったより若いのね。

 子供が欲しいのなら、出来るだけ早く相手を見つけたほうがいいわよ」


「思ったより」という言葉がなんとなくさくらの心に引っ掛かったのだが、

これは彼女なりのアドバイスの仕方なのかもしれないので、

その気持ちだけはありがたく貰うべきなのだろう。


また、結婚と言う事に関しては、

以前にも天野と語り合ったことがあったことを思い出していた。


さくらとて、結婚願望が無い訳では無い。


だが、今がその時とはどうしても思えないと言うのが、

正直な感想だったのだ。


さくらがそんな回想に耽っていることにもちろん気付かない彼女は、

尚もグイグイと質問攻めし始めた。


「で、どんな男がタイプなの?」


「いえ、私はまだそこまで結婚や子供に対して深く考えたことが無くって」


「何を言っているの!そんなんだから最近の若い女は乗り遅れるのよ。

 私もそうだったから分かるのだけど、

 ここぞって時に押しが弱い女は生き残れないのよ。

 それとも何?人に話を聞いておいて自分の事は全然話さないつもり?」


「そんなつもりは……。

 そ、そうですね、

 とりあえず今の自分の仕事に理解を示してくれる人がいいですかね」


変に機嫌を損ねられても困るため、

さくらは何とか言葉を捻り出した。


それを見た彼女は何が可笑しいのかニヤニヤ笑みを浮かべ始めた。


「確かに女を家に囲みたがる男は多いからねぇ。

 でも、雑誌記者って忙しそうだから、それも難しいのかもしれないわよ」


「はは、色々考えてみます。

 ところで、ポン太君の躍進は予想外だったというお話でしたが、

 この世界に入ってから一番苦労したことは何でしょうか?」


さくらは何とか話をポン太君のものに戻そうと、

やや無理矢理気味に話の方向転換を図った。


「困ったこと?そうねぇ、やっぱり中々休みが取れないことかしら。

一度ドラマの出演が決まってしまえば、

番宣で朝のニュース番組から夜のバラエティ番組まで

一日中テレビ局に縛られることも多いわ。

それに、ドラマのロケ地として遠方まで

移動しなきゃならないことも多いしねぇ」


「なるほど。

 人気ということは、つまりそれだけ忙しいことの表れなのですね。

 その疲れを 軽減するために工夫なさっていることなどはあるのですか?」


「やっぱり、移動中にしっかり休息をとることよね。

 だから、このアイマスクを常に持ち歩いて、

 何時でも寝られるようにしているわ」


そう言って彼女は自慢気に鞄からアイマスクを取り出した


さくらとしては、そろそろポン太君の話を聞きたかったのだが……。


しかし、

その後も彼女は終始このような感じで

自分に関する話ばかりを聞かせてくれるだけで、

なかなかポン太君のことは聞かせてくれなかった。


結局、取材の途中、様子を伺いに来たスタッフが部屋に入ってきたところで

今日の取材はお開きとなってしまった。


さくらは帰り際、

それまでずっとおとなしく寝そべって待っていてくれた

ポン太君の傍に近付き、

彼の頭を撫でつつ、

とりあえず一つだけ気になっていたことを彼に質問してみることにした。


「ところで、君のご主人の名前はなんていうのだい?」





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