第26話 噂を売る者
自動車が通れる程度に舗装されているとはいえ、もともとが山道だから傾斜は急だった。
(平地に場所がないからって、わざわざこんな山の中に作らなくても良かったのに)
研究施設として廃れてしまったのは、そのせいではないだろうかと優香は考えている。
大隅の言っていた、固有種の見つかった島に直接作れないとしても、海の近くに作ればよかったではないか。とはいえ、古くから人が住んでいる場所以外は平地がないこの土地では、購入できる土地もなかなか見つからない。
結果、こんな山中に研究者を閉じ込めることになってしまったのだ。新しい刺激を得ようにも、都市から離れたここでは情報を得ることも難しい。それでは、本当に真に迫る研究をすることはできないのだ。
(私だって、考え事をする時は別の景色を見たいと思う)
ここでは、周囲全てが緑だ。青を見ようと思うと、今、優香が登っている道をわざわざ降らなければいけない。結果、こんなところでは息が詰まって良い成果は生まれないなんてことになる。
(本当にダメだったかは知らないけれど、少なくとも今の仕事の方が向いている土地よね)
今、目的の建物は野生動物の保護のために使われていると聞く。それならば、周りが自然な状態の方が都合がいい。現代は道路も整備されているから、自動車での移動も楽だ。
施設について聞こえてくる話を聞くと、現在は精力的に活動しているようだ。十分に優香は頷けた。
(まだ遠いみたい)
向かう目的がはっきりしている時の優香の足は速い。焦って走り出すことはないが、上り坂だったとしても彼女の足は速度を落とさない。見事な健脚ぶりである。
そんな彼女は、時々立ち止まって後ろの様子を確認している。そして、ずっと黙っていたが、さすがに一度声をかけようと思って口を開いた。
「大丈夫、澤田くん」
「へ、へーきへーき。そのままのペースで行ってください」
洋介は変な敬語を使っている。彼は何とか誤魔化そうとしている。しかし、見た目から疲労しているのは明らかだった。
様子のおかしい洋介の頭から離れて、ライツは彼の周囲を飛び回っている。
「大丈夫?」
彼女の瑠璃色の目は、人の内面の感情を少しだが読み取ることができる。だから、ごまかせないと知っていながらも、洋介は「へーきだって」と強がっていた。
(あー、みっともない。最近、運動できてないからなぁ)
高校の課題に追われる日々で、受験と平行して行っていた洋介の体力づくりもほとんど白紙に戻っていた。
「にぃさん、下を向くより上向いた方が足が動くぜ」
リィルがこっそりと耳打ちしてくる。洋介が息を荒くしていながらも、虚勢を張っていることに気づいているので、優香に聞こえない声で話してきているのだ。
「ありがと。そうする」
釈然としない気持ちもあるが、洋介はその好意を甘んじて受け入れることにする。
優香には聞こえないようにしてくれるリィルから、彼の配慮が伝わってくるのだ。ちっぽけではあるが、しっかりと存在する洋介の尊厳を、リィルは尊重しようとしてくれている。
ただ、だからこそ洋介の心には情けなさが膨らんでくるのだ。
(さすがに井上さんがあれだけスイスイと登っているのに、弱音は吐けないよな。せめて、歩く速度は落とさせないようにしないと)
疲れは見せるのは仕方ない。それは、見せたくないと思っていも隠しきれないほどに大きくなってしまった。
しかし、そのせいで優香が自分を気にして歩くのを遅くする、ということはあってはならない。それは洋介の中にある、ささいな意地だった。
(帰ったら、ランニングから始めようかな。……とりあえずは今は登りきらないと)
洋介は、ふぅふぅと息を吐きながら、リィルに言われた通りに視線をあげた。優香がチラッと洋介を見たようだが、すぐに前を向いた。とりあえず、優香に必要以上の気を使わせていない事実に洋介は安心する。
元来、洋介は活発さからは遠い性格で体を動かすこともそれほど好きではなかった。
洋介が運動に目覚めたきっかけ、それはある日、支えようと思った相手の重量に耐えきれずに一緒に潰れてしまったことだ。
そのときの相手は別に巨漢というわけではない。どちらかといえば、細身の女の子だ。そんな相手を支えきることのできない自身の細腕を洋介は恥じた。
別に男だからどうだとか、女だからどうだとか、そんな凝り固まった考えは洋介にはない。そう、単純に洋介が強くありたいと憧れているだけなのだ。
こんな醜態をさらしていては、道は遠いが。
しかしながら、洋介の意地にも限界がある。さすがに止まってしまいそうだと洋介が観念しかけた頃。
「あら、あれかしら?」
それらしき建物が目に入った優香が洋介に声をかけた。
「ああ、それっぽい」
洋介は心の底から明るい声を出していた。
鬱蒼としている森が、そこだけは切り開かれていた。木々による緑の壁がうすくなったところに、無機質な白を見ることができる。飾り気のないその見た目は、もと研究施設だったことを語っていた。
町の動物病院と違って、人を寄せ付ける雰囲気がない。それだけ重厚な空気をまとっていた。
(思ったより大きいしね)
その建物自体の存在感が、洋介を威圧してくる。正直に言えば、あまり近寄りたくなかった。
「ちょっと様子を見てみましょうか」
しかし、優香の足が止まらない。
(勇気あるなぁ)
そうなると、洋介も進まざるを得なくなるのだ。
駐車場が見えてくる。怪我や病気の動物を連れてくるために出動することもあるのか、業務用の大きい車が並んでいる。
「あら、人がいるわ」
その駐車場から、何やら言い争っている声が聞こえてくる。それはもちろん、優香や静香のような感情的なものではなく事務的なものだ。それでも、両者の間にある剣呑な感じは伝わってきた。
「……あまり、今、声をかけるのは得策ではないわね」
優香達は敷地に入らずに壁に隠れ、入口前にいる彼等とは少し離れた位置で様子を伺っている。
「ですから、何度も申し上げたとおり関係者以外は立入禁止となっております」
毅然とした態度で、招かれざる客を追い払おうとしているのは白衣を着た女性だ。頬の皺が年齢を感じさせるが、その体からは芯が通った強さを感じ取ることができた。
「そこを何とか。写真を一枚、二枚撮るだけで結構なので」
対する男性は、どこか軽薄な口調で女性に詰め寄っている。もう一人、居心地が悪そうにしている男性がいるが、彼は口を開かない。首からかけたカメラをいじっているかと思えば、話をしている男性に合わせて頭を下げていた。
「取材のお礼も、いくらか包むことができますから」
男性が愛想笑いで交渉するも、女性は首を縦に振らない。
「こちらは、半ば公的な機関なので寄付以外の現金受取は拒否をしています」
丁寧ではあるが、頑なな意思を感じる拒絶であった。
その後も彼等は、しばらく言葉を交わしていた。しかし、話はずっと平行線である。
「それでは、気が変わりましたら名刺の番号にお電話を」
男性達が諦めたようで、踵を返して優香達の方にやってくる。
優香はさっと懐から携帯電話を取り出して、道を検索するふりをする。
「ねぇ、この道で本当に合っているのかしら?」
優香は、そっと洋介に近寄ってくる。洋介はその距離に緊張するも、優香が「道に迷った男女」の演技をしていることを察して、言葉を続けた。
「あれ、おかしいな。こっちだと思ったんだけど」
優香の流れるような仕草と言葉に比べると、洋介の芝居にはとてつもない違和感があった。すばらしき大根役者である。
「ハハハッ」
普段の洋介の口からは出てこない高音域の台詞が面白かったのか、ライツはお腹を抱えて宙で笑い転げている。
(人の気も知らないで、こいつは)
もし状況が許せば、洋介はライツの頭を握りしめていたことだろう。
「先輩、ホントにこんなところにいいネタあるんですか?」
「何となくだけどな。金の臭いがするんだよ」
洋介の下手な芝居には気づかずに、男二人は通り過ぎていった。駐車場に入らずに、路上駐車をしていた車に乗り込むと彼等はそのまま去っていった。
新聞記者、というよりはゴシップ誌に芸能人の写真を売り込むような人間なのだろう。洋介はそう感じ取ったが、優香も少なからず彼等の会話を聞いて嫌な気分になっていた。
「……取材とか言っていたけれど、あんまり気持ちのよくない記事を書きそうな人達ね」
「どうかん」
あまり知らない人を悪く言うのはよくないと分かっているが、洋介達は同様の思いをもって自動車のいなくなった方を見つめていた。




