第21話 後悔先に立たず
優香はまるで睨むように、リィルを見下ろしている。
「は、はい」
リィルは全体的に丸っこいフォルムを、傍目から見ても分かる程度にピンと真っ直ぐ上に伸ばした。優香の迫力に緊張しているようで、もし人型であったなら額に汗をかいていただろう。
(……井上さん、何か思いついたのかな?)
洋介は、優香が本領発揮するとこんな感じで威圧的になることを知っているから呑気なものである。しかも、自分に視線が向けられていないのだから楽な気分で様子を観察している。
しかし、初めて目の当たりにするリィルは、何か怒られるのではないかと気が気でない。少しだけ、体を震わせている。
「あなたのその姿、もしかしてそっちの方が標準ってことはないのかしら?」
「へ、いや、オレは結構気合入れないとこの姿になれないし、移動するだけで疲れるから滅多にしないよ」
確かに、足も手も短く動くのは難がありそうだなと洋介は思った。でも、泳ぐ時は楽そうな体だけどなと同時に思う。しかし、後半の考えはすぐにリィル自身が否定する
「泳ぐ時だって、元の姿の方が楽。こっち、腕、こんだけしか動かないもん」
洋介は興味深そうに聞いていたが、優香はリィルの返事に「そう」とだけ相槌を打って、また考え出す。
一発で答えまで辿り着くことはできなかった。しかし、まだ優香にも質問の弾数は残っている。今度の問いこそ、核心まで繋がっている。優香はそう信じて、同じような調子でリィルに問いただした。
「今、オレは、って言ったわよね。それなら、ロォルちゃんは? もしかして……、鳥の姿から戻れないなんて歪なことになっているんじゃないのかしら?」
「あっ」
リィルは息を呑む。
「え、そうなの? そうなると前提から話が変わってくるでしょ」
そこまで聞いて、ようやく洋介も優香が考えていることがどんなことなのか、想像することができた。
「だって、僕達、ロォルは他の人には見えないって思ってて、でも、もしかしたら見える人がいるのかもって考えてたんだから」
先程、リィルの今の姿は子どもに視認されていた。それがもし、ロォルも同様だとすると、妖精の見える見えないは全く関係なくなってくる。そして、第三者が関わってくる可能性も、「もしかしたら」なんてレベルで考えてはいけないほどに、とてつもなく大きくなってくる。
「あ~、ごめん。オレにとっては当たり前過ぎて言い忘れてた」
リィルも自分の失態に気づいて短い腕で頭をかこうとしている。全く届いていないのだが、反省している様子は伝わってきた。
「昔、ロォルが子どもだった頃に海に落としちゃったことがあってさ。ロォル、その時から泳げなくなったし……、化身が解けなくなってしまったんだ。オレのいないところでそれを克服してなかったら、今もこんな見た目のまんまだと思う」
リィルは自分の腕を広げて、現在の自分の姿を優香に確認させようとしている。どう見たって、泳ぐのに特化した体を持つ海鳥だ。
リィルは思い出す。
泳ぎ方を知らないロォルを崖から突き落としてしまったことと、その時からずっと背負っている後悔を。リィルの生涯で一番の失態といったら、それだ。
リィルは。「我が子を千尋の谷に突き落とす」を地で行く母にしてもらった方法でしか、ロォルに教えてあげることができなかった。それが、タイミングや相手の成長度合いで実施する時期を、教える側が見定めなければいけないということを知ったのは、もう少しリィルが成長してからである。
(言い訳みたいにしたくないけど、教えてもらおうと思っても、かぁさんはもういなかったしさ)
リィルは父との間に生まれた実子であるが、ロォルは命尽きかけていた母のいわば複製品だ。もちろん、別の個体であるが、その体に流れる力は彼女の母と同一である。
ちなみに、リィルの母はいつのまにか姿を消していた。死に際を見せない、というのは氷妖精の美学だとは聞いていたが、さすがに唐突すぎて当時のリィルは憤ったものだ。
結果、泳げなくなったは、元に戻れなくなったはで、一人で生活するのが厳しくなったロォルをリィルは責任とって共に生きることを決めて今日まで至るのである。
(それなのに、ロォルを見失うは、ねぇさん達には迷惑かけっぱなしだは、本当にオレって……)
リィルがそんな風に、自身の未熟さを歯がゆく思っている頃と時を同じくして。
「そう、それなら、ロォルちゃんは海鳥の姿のままで、リィルくんと同じ場所に打ち上げられていたって考えてもよさそうね」
リィルの話を聞いた優香は、怒るのでもなく、呆れるのでもなく、ただ冷静に今後のことを思案していた。
「それなら、地元の人に話を聞いてみましょうか」
「なるほど。これだけ珍しい姿なんだから、誰か見てるだろうし」
洋介も優香の意見に賛同する。それに、もし自分なら今のリィルのような鳥を見つけたらどうするか、容易に想像できた。
(うん、絶対に専門家呼ぶ。こんなのが倒れてるの海で見つけたら、僕が触ったらいけないような気がするもの)
表情は分かりづらいが、こちらをポカンと見上げているリィルを見て、自分の意見の正しさを再確認する。放置は絶対にしないが、相手は妖精族ではない。自分よりも適任がいれば、それに頼ろうとするだろう。
そんな洋介の考えは、優香も同様に持っているようだ。
「そう。だから、おそらく保護してもらえているわ。でも、この辺りに、動物病院なんてあったかしら……それも聞いてみましょう」
(なんなんだろうなぁ、この人達は)
着々と次の行動の計画を立てる二人を、リィルは複雑な心境で見つめている。
なぜ、この人達は自分達に利点のないことを、ここまで親身になって関わってくれるのか。改めて考えると、その理由がリィルには分からなかった。
そんな感じで固まっているリィルの眼の前に、ライツがふわふわと寄ってきてにっこりと笑う。
「行こっ、リィル」
その笑顔で、リィルの中で色々ともやもやしていた気分が吹っ飛んだ。
「そうだな、ロォルを探さないと」
反省するのも、謝るのも、感謝するのも、全てがちゃんとうまくまとまってからだ。今は、後悔して立ち止まっている時ではない。
意思をしっかり持って、一歩踏み出そうとして――。
「リィルくん、元の姿に戻ってもらえないかしら?」
リィルは自分が化身しているのを完全に忘れていて優香に止められてしまう。確かに、このままでは別の騒ぎを起こしてしまう。
慌ててリィルは、元の位置に戻る。
「忘れてた、忘れてた。えいっ!」
リィルが擬態を解こうと力を込める。すると。
「痛い痛いっ、リィル、頼むから周り見てっ!」
先程は遠かったが、今度は至近距離だ。リィルの発する氷の粒、その全ての直撃をくらってしまった洋介の非難の声が路地裏に響いていた。




