第15話 達人の域
「にぃさん、ちょっと耳を貸して」
「だから、何なんだよ。いったい」
「いいから、いいから。こっちこっち」
洋介の態度は相変わらず不機嫌なものである。それとは対象的に、リィルはにこやかに洋介を手招きしている。洋介はそんな笑顔にすら裏を考えてしまって、苛立ちをつのらせていた。
彼にそんな顔をさせる要因が、何となくではあるが推測できているリィルは開口一番に言い放った。
「にぃさんってさ、ゆうかの番なの?」
「ぶっ」
思いもよらなかった、リィルの生々しい単語に洋介は思わず吹き出した。
「番って……おまえなぁ」
その生物的で、かつ俗物的な響きのある単語に洋介の負の感情は一気にふっ飛ばされた。洋介にも思うところがあるものだから、リィルの言葉はしっかりと突き刺さる。
ただ、リィルが思っていた反応とは洋介のそれは違っていたのだろう。リィルは意外そうに首を傾げた。
「ありゃ、違った? ん~、じゃあ一方的に狙ってるのか。まだ、これからなのか。ゆうかの方も満更じゃないとおもうんだけどなぁ」
ふむふむと頷いているリィルを見て、洋介は全力で後頭部を叩きそうになった。あとちょっとのところでこらえると、大きく息を吐いてリィルに向き直る。
「急に何だよ。何だって、そんな話になるんだ?」
洋介が苦手な方面に話を持っていこうとするリィルを制しようとするも、洋介には止められない。
「だって、にぃさん。オレを初っ端から警戒してたろ。それってさ、オレがこんななりでも大人だってこと、見抜いてたからじゃないの? なかなかそんなやついないから新鮮でさぁ。基本的に、いっつも幼子扱いで、それが悪いってわけじゃないんだけど人間って見た目に引きずられるからさ」
そもそも、洋介の読み通り、リィルには人生経験という側面で洋介は敵いっこないのだ。
「それはそうだけど……僕はおまえが井上さんを騙してるんじゃないかって気になっただけだよ。それが何で、番がどうのこうのって話になるんだって言ってるんだ」
話の入り方が予想外だったので、洋介は言いにくそうに、しかし、はっきりとした口調でリィルの推測を肯定した。
(やっぱり、こいつ。僕なんかより、ずっと大人だよな)
まず最初に洋介が違和感を感じたのは、彼の口から出てくる言葉だ。
見た目や表情は子どもらしく、そして話す内容も見た目相応に思えるのだが、その言葉の端々に余裕が感じられる。どことなく、優香がリィルに上の方から見下されているように感じたのだ。優香が幼い子を相手にするように世話を焼くものだから、余計にその異質な感じが強調されていた。
「いや、だってさ。昔、嫁さんをオレに盗られると思って睨んできた男とにぃさんがそっくりだったから」
今、こうして話してみて洋介ははっきりと分かった。実年齢はもちろんだが、リィルは精神年齢でも洋介よりずいぶんと年上だ。
「盗られるって、おまえ何したんだよ」
リィルの一言は、幾分か下がっていた洋介のリィルに対しての警戒度が上昇させた。発言のタイミングを間違えてしまったリィルは舌打ちをする。
「いや、オレは何もしてないんだよ? その女の人が勝手に、オレを番相手に恋人として紹介しやがったせいで話がこじれにこじれて。彼女とは数回しか会ったことないってのに。そもそも、その人、オレを玩具かなんかだと勘違いしてたみたいだから、そっから全力で逃げ出したんだって」
必死に話をするリィルから嘘は感じられない。それどころか、それが本当だとしたらかなり気の毒な話だと洋介は思う。
「ああ、そっか。ゆうかを騙してるってそういうこと」
今度はなぜか一人で納得しだしたリィル。
「そういうことって、どういうことさ」
口を尖らせる洋介に、リィルは「にひひ」とあまりその整った顔には似合わない笑顔を見せていた。
「安心しなって。オレは、オレのことを対等に見てくれる人しか相手にしないから。ゆうかは恩人で、事態が解決したら恩を返さなくちゃいけない人だけど、それだけだから」
リィルは真っ直ぐに洋介を見つめる。その視線は、彼が時折見せる大人っぽさの片鱗だった。
「ゆうかと一晩一緒の部屋にいたけど何にもなかったって。ほら、あの人、オレのことペットか何かだと思ってるんだよ」
しかし、すぐに悪戯っぽい瞳に変わってしまう。これが、洋介がいまいちリィルの本心を読み取れない原因だった。
「それはさ、ちょっと、そんな風に言っちゃうと、井上さんに悪いんじゃないかなぁと思うんだけど、どうだろ?」
洋介の言葉は歯切れが悪い。
リィルに対する不信感が増大したきっかけ。それが、洋介がリィルが成人しているのでは疑惑を抱いた後に、リィルが昨日、優香と同じ部屋にいたという事実を思い出したことであった。
そのせいもあって、自分の醜いところをリィルに突っつかれたような気分に洋介はなったのだ。
「違う、違う。ゆうかのせいじゃなくて、オレのせい。オレがどんな風に見られるのかは仕方ない部分も多いから。オレは生まれてからずっとこうで、別に演技してるわけじゃない。子どもに見られるのも当たり前……まぁ、でも、ゆうかも意識足りてないところあるから、にぃさんは苦労するよ、きっと」
「だから、何で僕の話になるの?」
完全に主導権を握られた洋介はうまく反論が思いつかない。
そもそもが基本的に受け身の洋介だ。リィルに対しての警戒心が薄れてしまったら、最早やられっぱなしのサンドバック状態である。
「ああ、あとさ。オレは別に精神に働きかける術とか持ってないから。あっても、使わないから。口説く時は己の力だけでやんないと意味ないからさぁ」
ケラケラと笑っているリィルは本当に子どもっぽいが、話している内容は恋愛上級者のそれだ。そのギャップに洋介は頭痛を感じる。慣れていくしかないのだろうなと思うと、さらにずっしりと頭が重くなった。
「その点、最初から対等に見てくれるにぃさんは理想的なんだけど、おしいなぁ。にぃさんが女か、オレが男でもいけたら良かったんだけど」
「それ、褒めてるの?」
褒めてる、褒めてると嬉しそうに笑うリィル。
こうして、不本意な形ではあったものの、リィルに対しての疑念は晴れた洋介であった。




