第13話 海辺に想う
バスを降りた洋介を視認すると、優香は一目散に駆け足で近寄った。
「澤田くん、ゴメンね。わざわざ、こんなところまで来てもらって」
大きな荷物があったら持とうかと優香は思っていたが、洋介はかなりの軽装だ。肩にかける鞄が一つ、そして手荷物が一つだ。
「だから、気にしないでって。僕が来たいから来たんだから」
洋介は肩にかけた鞄を持ち直し、優香に笑いかけた。バスから降りる人間は洋介だけだったから、その様を運転手が見送った後にすぐバスは動き出す。
「でも、遠かったでしょ?」
エンジンの音で聞こえづらかったが、優香がとにかく気を使っていることが洋介には分かる。だから、いつも以上に緩く洋介は答えた。
「いや、感覚的にはそんなにでもなかったよ。ずっと座っていたんだけど、椅子が良かったからかな。疲れもあんまりない」
洋介が思い返すのは昨晩のこと。彼の母は洋介の行きたい場所を聞いてすぐに、驚くべき早さで準備を整えてくれた。息子から見ても「何でそこまで」と思うほどの気の配りようで、洋介に残された憂いは何一つなかった。
行きは電車の切符の予約まで。帰りは時間の融通が効くように指定席は購入していない。だが、時間毎の乗り換え案をいくつか書き出してくれている。
――もし、用事が終わらなかったら外泊してもいいからね。はい、これ。宿泊できそうなとこ。
そして、いざという時のタクシー代までくれるとは、洋介も思わなかった。
母からすれば、洋介が出かけたいと言い出し、その用意をすることが嬉しくてしかたなかったのだ。彼はこの年齢になるまで、五月の連休に遠出をしたことがなかった。両親ともに祝日が忙しくなる職種についていたからだ。
洋介は一切気にしていなかったし、それが普通だと思っていたのだが、母としてはずっと申し訳なく思っていたのだろう。
正直、時間的には一番短かった最後の路線バスが一番疲れたほどだ。そこまでは観光地が近いこともあり、そして連休の中日ということもあり、比較的スムーズに来れた。
自分一人では難しかった。母には感謝しかない、と洋介は思う。
そんなバスの排気音が遠ざかると、かわりに波の音が聞こえてくる。風も穏やかに洋介を迎えてくれた。
(爺さん家とは違うけど、やっぱりこういう感じのほうが好きだな)
洋介と優香だけ時間が動いているかのように、緩やかな時間感覚が周囲に広がっていた。
(あれ、井上さん。急に静かになったな)
洋介はきょろきょろと動かしていた視線を再び優香に向ける。彼女の視線は洋介の右手に注がれていた。
「ああ、これ?」
洋介は小型の買い物カゴを握っていた。確かに、客観的に見ればよそ行きの服装をしている洋介が簡素な作りのカゴを持っているのは、とても不釣り合いだ。
カゴの隙間から見える中身がタオルなのが、さらに違和感を増大させている。
「急遽用意したから、買った時は意識してなかったんだけど、これ持ち歩いてるのってやっぱり恥ずかしいよね。まぁ、手で抱えて運ぶのよりはいいかなと思って開き直ってたんだけど」
洋介はそれを優香に差し出す。彼女はその中を覗き込んだ。
「わぁ」
その途端に優香の顔がほころぶ。ああ、この顔は見たことあるなと洋介は懐かしく思った。
「……すぅ」
カゴの中では、ライツが厚手のタオルに包まれて静かな寝息をたてていた。時折、ぎゅっとその小さな手で生地を握りしめるのが大変愛らしい。優香の目は、ライツの様に釘付けになっている。
「こいつ、電車が初めてだったもんで興奮しすぎてさ。僕が乗っている間、ずっと飛び回ってて……エネルギー切れたみたい」
もぞもぞと動いているライツを洋介は呆れ顔で見下ろしている。旅の本番を前に熱を出す子どもがいるが、まさしく今のライツのように前日で力尽きてしまっているのだろう。それでは本末転倒だ。
(井上さんに会いたがってたのになぁ)
キラキラとした目で話すライツを思い出して、洋介は空を見上げていた。
「もう少ししたら起きると思うから、まだ寝かせておいてもいいかなと想うんだけど」
洋介は視線を戻す。
「どうしようか、井上さん……って」
「はぁ」
優香は先程から目を丸々と見開いて動いていない。
「聞いてないね、これは」
こうなると、優香はしばらく頭が働かないのを洋介は知っている。諦めて、時間が経つのを待つことにした。
その後、しばらく待ってはいたもののライツは起きず。
「ご、ゴメンね。ずっと立ったままで。町を案内するわ」
ライツの寝姿を十分に堪能したのか、慌てた様子を隠すことなく次の行動に移る優香。洋介を案内しようとしている人が比較的多い町に行くには、少しだけ歩かなければいけない。
「さすがに泳いでいる人はいないね」
洋介は海側を見て歩いている。時々白波が混ざっている綺麗な青が、どこまででも広がっていた。遠くには漁船の姿も見える。
「海開きもまだ先だけど、七月になっても地元の人くらいしか遊んでいないわよ。観光地として整備されていなくて海水浴場に指定されていないから。泳ぐとしても自己責任よ」
洋介が海に興味を示していたからだろう。優香の言い方は釘を刺すようなものであった。
「別に泳ぎたいわけじゃないよ」と洋介は首を振る。単純に、久しぶりに海を見た感想を洋介は述べだだけだった。
優香もそこまで強い口調で注意したわけではないので、すぐに言葉の調子が戻る。
「私も泳いだことはないのよ。さっきも言ったけど、泳ぐ時は自己責任だから……そう、子どもは親が一緒にいないと危ないでしょう?」
そんな優香の言い回しから洋介は察した。こんな綺麗な海を前にして、優香も泳ぎたいと思ったことはあったのだと。
そして、その度に親がここまで来れないのだから我慢してきたのだということも洋介は分かってしまった。
「なんで澤田くん、そんな顔をしているの? もしかして、車酔いでもしたかしら」
苦しそうな表情に変わった洋介の体調を優香は案じた。
「ううん、何でもない」
洋介はこれ以上、この話題を続けないようにしようと思った。
道を曲がれば、山で隠れていた家々が並んでいる場所に入っていった。小さな店がいくつか営業している。
(コンビニ、風の店だな。アレ)
そのうちの一つは見た目はよく見る感じの店構えだったが、中を覗くとご年配の女性が一人。地元で採れた野菜や日用品が並んでいて、何の店か分からない。
その雑多感だけは本家コンビニエンスストアを凌いでいた。
「お店は小さいけれど、色々と揃っているのよ」
洋介が気になっている様子だったので、優香が解説を加える。
「夕方の五時には閉まってるから気をつけないとね。でも、おばあさんを呼んだら中に入れてもらえるわ」
「便利なのか、不便なのか、分かんないね。それ」
どうやら、店の主人は優香の顔なじみらしい。ここまで小ぢんまりとしていたら、時々来る優香ですら家族のように感じる人も多いのかもしれないなと洋介は思った。
さきほど空き家も見つけた。こんなにいいところなのに寂れてしまっていることを洋介は残念に思っていた。
(ん~、でも実際に暮らすとなると苦労が多そうだな。店一つで、そんな感じなんだから)
洋介も知らず知らずのうちに、現代社会の便利な部分に慣れてしまっている。もし、時間があるのなら、優香の母にどんな暮らしをしているのか聞いてみたいと洋介は考えていた。
そんな風に、田舎の景色に思いを馳せていたからだろう。肝心の本題を洋介は忘れていた。
「そういえば、リィルって子はいないんだね」
「今、一人でロォルちゃんを探しに行ってるの。しばらくしたら家に戻るって言ってたから、私達も向かっていけば会えるわよ」
優香も説明し忘れていたことなので、リィルが不在な理由を話すのが早口になっていた。
(ん。 そうなると、井上母に先に会うわけか?)
洋介は先程、機会があれば、と考えていた事態が訪れる可能性が直近にあることに気づいて急に緊張しだした。別にどうということはないのだが、なぜか洋介の肩に力が入っている。
(まてまて、僕は何を話すつもりだ)
頭を駆け巡った挨拶の言葉に一つ、明らかにおかしいものが混ざっていたので洋介は首を振って自身を否定した。
そんな時。
「あ、ねぇさん」
山の中から、家の隙間をぬって白い影が二人の前に飛び出してきた。




