第42話 五芒の星
流れ星のように降ってくるライツ。今度は避けることなく、洋介は待ち構える。
「ととっ」
彼の両腕は、何とかライツを抱きとめることに成功した。
勢いよくライツが飛び込んできたものだから支えられるか不安だった。右足はついに膝を曲げることはできなくなっているし、左足の裏も地面についている感覚がない。
それでも、何とか彼女を支えることができたのはライツの人間の感覚からすれば異常な軽さ故だった。質量的には、頭の上に乗っていた時とそんなに変わらないのではないかと洋介は思う。
――ほれ、握手。
ふいに、洋介は桔梗の手に触れた時を思い出す。その、あまりの冷たさにギョッとした。血が通っていない、生きていることを感じさせない手。改めて彼女と自分の違いを思い知った。
ライツの軽さも、人間と遠い存在であることの証拠なのだろうと洋介は寂しさを覚える。
「……ふう」
ただそれと同時に、こんなに近くで感じるライツの吐息が自分と同じ生きている存在なのだと洋介に実感させてくれるのだ。
(ライツがこんなに疲れてるのに僕は何を考えてるんだ)
小さく溜息をつくと洋介は少し視線を下げた。ライツの細い、金色の髪が鼻をくすぐる。
ポンポン、と彼女の頭を叩くと洋介は心の底から労った。
「よく頑張ったね」
「へへへ」
ライツは嬉しそうに顔を綻ばせている。
「さて、と」
洋介は再び視線を空中に向ける。視認できる位置に、カーラがいた。何かをしようとしているようには感じられない。ただ、こちらを注視し、備えているように見えた。
(だろうね)
洋介はカーラが追ってこないことを確信に近い水準で予測していた。
地上で準備を進めながら、洋介は空にいる彼女達の様子を観察していた。今のカーラは、ライツに自分から攻撃をしかけてこようとはしない。それは考え抜いた末の戦法で、事実ライツは追い詰められているように見えた。
成功体験があるから、おそらくカーラは積極策に移行することを渋るだろう。そして、自分と対峙したカーラが明らかに戸惑っていることも洋介は知っている。
こんな状況に、考えなしに飛び込んでくるほどカーラは愚直ではない。
(正直、脳筋な感じでこられた方が怖いけど)
この状態で襲ってこられると洋介には為す術がない。それを知ってか知らずか、カーラは距離を保ったまま動かない。
おそらくカーラが立ち止まっているのは、ほんの少しの時間。洋介がやろうとしていることに気づいたら、すぐに邪魔をしてくる。
でも、そのほんのちょっとで十分だ。
必要だったのは、ライツの力の残滓。そして、ライツ本人に触れていることだ。結局、洋介単体で術の行使は不可能で、ライツの体を借りて奇跡を起こすことになる。
――わしの袖を千切ってな。ほれ、もうちょっと近う寄れ。
幼い頃、この術を教えてくれた桔梗も、実は一から十までずっと手助けしてくれていた。自転車に乗れない子どものために、ずっと後ろから押しててくれていたようなものだ。
それが洋介には少し不満で、彼女達との距離を感じてしまい不本意だった。自転車なら、いつしか補助輪が外れて共に走れるようになるだろう。
しかし、これに関しては努力ですぐに補えるものではない。人は、長い月日の間に彼女達の存在を忘れ、自らが持っていた彼女達との繋がりも無くしてしまっている。
洋介の体も例外ではなく、少しだけライツ達と運命が交差しただけなのだ。
それでも、今は側にいる。少しでも手助けができる。例え、結果的に置いていかれたとしても、まだ自転車に乗ることを諦める時期ではない。
いつしか、洋介の鼓動は別の意味で高鳴っていた。
(さぁ、本番といこうか)
カーラ以外にも不安はあった。
準備は滞りなく。あとは、己の心に従うだけ。その心が、大人しくしていてくれるかが不確定だった。
しかし、洋介自身が驚くほどに彼の心中は落ち着いている。澄み切った思考には、次にするべきことが鮮明に浮かび上がってくる。
胸から伝わってくる、ライツの息吹。彼女の存在が、洋介の暴れまわっていた心を鎮めてくれていた。
これなら大丈夫だ。
洋介は内から溢れ出る自信に胸を張って、思い浮かんだフレーズを口にする。
「私は歌う、この世界の有り様を」
かつて、人間達が精霊魔術と呼んでいたもの。それが妖精族の使う術の正体だ。
術式の完成には、自分の意思を外界に示さなければいけない。妖精族は精神と世界との間に隔たりが少ない。だから、思い描いたものをすぐに形にすることができる。
彼女達の、意思に満ちた一言によって。
人間ではそうはいかない。人の肉体は強固な壁となって、世界と精神を分け隔てている。精神が世界から影響を受けることは少ない分、世界に精神が影響を与えることも苦手としているのだ。
だから、人は精霊魔術を使う時に『扱いやすい小さな世界』を自分で用意した。その中であれば、人は心を外に表現することができたのだ。想いを言葉に、詠唱に変えて、徐々に世界を作り上げていった。
妖精達のように短い言葉で、とはいかないが、遠い昔には成功した人間が多くいたのだ。
人の歴史には残らなかったが、術の行使に成功した者達は魔術師と呼ばれた。磨き上げた技術で妖精達に近づいていた。
その技法も、今は失われてしまっているが。
「火は猛り、水は流るる」
洋介達を円で囲うようにライツの杖の残骸が五つ、地中に埋め込まれていた。
そのうちの一つが赤く輝き出す。それぞれを結ぶように掘られた溝の一本に、その赤い光が流れ込む。その赤が次の頂点に届いた時、光が青に変わった。
「土は富み、木は生い茂る」
青い光が大地を走り、紫に。紫も地上に線を描いた後に緑に変化する。
「金は文明を築く礎となる」
最後に一本。黄色の線が最初の赤に繋がった時、グランドに埋められた五つの欠片が全てつながっていた。
赤、青、紫、緑、黄の五色が徐々に混ざり合いライツの羽根のような虹色に変わっていく。
描かれたのは五芒星、洋介にとっては数学の授業でお世話になったことしか思い出せない図形だ。万国共通の魔除けであり、容易に世界の成り立ちを表現できる方法として利用されていた。
(あとは、一番単純に『星』を表現できるしね)
洋介はぐったりとして動かないライツを、より強く抱き寄せた。洋介が用意したもの、それは全て彼女に向けた意志だ。それを再確認するために、洋介はライツの熱を感じ取ろうとする。
「私は願う、穏やかな気が満ちることを」
カーラが洋介のしようとしていることに気づいたのか。術を使おうと、準備を始めた様子が見える。
もう、遅い。洋介が最後の一言を口にする前に、彼女にできることはない。
桔梗は人間そのものを愛していたが、人間が作り出した文化には興味がなさげであった。そんな彼女だから、今まで生きてきた中で術を使っていた人間のことも、なかなか思い出さない。
そんな状態で出てきたのが、この五芒星だ。なぜ、これを覚えていたのか聞いてみたら桔梗はニヒヒと笑って答えてくれた。
――わしの名が使われておったからの。
「私が描くは『桔梗紋』。ここに、私が望む世界を創り出すっ!」
最後の結び。その一言が洋介の口から唱えられた時、『桔梗紋』は真価を発揮する。ライツの髪色のごとく、金色に輝き出した紋章はカーラの用意した暗い結界を光溢れる世界へと塗り替えていく。
「……おっ」
その金色の光は、中央にいるライツの羽根を目がけて集っていった。




