第34話 闇に届く輝き
カーラの認識から外れた校舎裏。ライツに強引に腕を引っ張られ、引きずられるように洋介はここまで来た。
もう大丈夫だろう、そんな算段をしたライツは洋介の腕を離す。
「うわっ」
急にそんなことをされても反応できない洋介は力に振り回される。倒れないようにしよう、そう思っても慣性が働き、前へ前へ。その場に留まる努力も虚しく、洋介はそのまま地面に体を打ちつけてしまった。
「あ」
自分の行動から生まれた予想外の結果を見て、ライツは絶句する。
「ごめん、洋介。大丈夫?」
ライツのか細い声が洋介の耳元で聞こえる。ライツは洋介の頭の近くにしゃがみ込んでいた。その瞳は洋介への心配でどんよりと曇っている。
「うん、何とか。ここに芝生があって良かったよ」
その声色だけでライツの心中を察した洋介は、できるかぎり明るい声で返答した。
実際、洋介の体に痛みはない。勢いは良かったが、地面の柔らかさが受け止めてくれたようだ。
「なんか、おかしいなぁ」
ライツが首を傾げる。見た目が大人びている分、とても幼稚に見える仕草であった。
ライツはまだ大きくなった体をうまく扱えないのか、力加減がおかしかった。常に全力全開の彼女ではあるが、他者への思いやりが欠けた行動をしたことはない。
単純に成長が急すぎて自身に対する情報が足りていないから、ライツは色々と予測ができていないのだ。
加えて、洋介という存在に対してのライツの認識にも問題があった。
昨日まで、物理的にも精神的にも大きな存在であった洋介。そんな彼が、脆弱で未熟な人間だということをライツは想像できていない。
そう。洋介は脆くて、弱い。
本人も慣れてしまって忘れていたが、あくまでも平和な時代に生きる15歳の少年なのだ。ただ、立ち位置が幻想に近かっただけの。
(ん……?)
だから、この緊急事態に心と体が悲鳴をあげてしまうのも仕方のないことなのだ。
「あ、あれ?」
立ち上がろうとした洋介の視界が歪む。頭の中を殴られるような衝撃に襲われる。
ドクン、と心臓が大きく鼓動し、まるで飛び出てきてしまいそうで思わず右手で支えた。その掌が、トクトクトクと絶え間ない血流を感じ取る。
(マジか。ナニ、コレ)
暑くもないのに汗が吹き出してくる。洋介は制御しきれない自身の変調に戸惑っていた。
今日一日の出来事は、洋介の許容量を確実に超えていた。死への恐怖、幼い頃に想像したら怖くなってきて泣いてしまった。そんなものが現実として、目の前に鎮座し続けた小一時間。
それだけではない。上空からの落下。自分ではどうしようもできない状況で、あの世が手招きしていた。それが、ついさっきのことなのだ。
ライツの登場に安堵した結果、気力で耐えていた洋介の脳が疲労に負けてしまった。生き残るために押し込めていた負の感情が、一気に溢れ出てくる。
息が苦しい。あれ、呼吸ってどうやるんだっけ。そんな当たり前のことが分からなくなるくらい、洋介の脳は次々と浮かび上がってくる記憶の復活に打ちのめされていく。
(ああ、止めて。思い出したくない)
そんな洋介にとどめの一撃を浴びせたのは、カーラから流れ込んできた絶望だ。自身が体験したかのようなリアルさに、今更ながら吐き気を覚える。
共感なんて、できるわけがない。
もし、同じ状況に陥ったら。
洋介は、己の命を絶つ選択をするだろう。怨恨を抱いたまま、生きていられるほどに洋介は強くない。自身を焦がすような炎を内に抱いたまま、戦い続ける覚悟をすることはできない。
同情なんて、おこがましい。
気持ちが分かる。そんなことは言っちゃいけない。
自分はあくまでも仲間はずれにされたに過ぎない。あれほど人間が悪意を持てることを洋介は知らない。ねっとりと、身動きがとれないほどに絡みついてくる。実際、思い出すだけで気持ちが悪い。
それでも、それでも。
何とかしてあげたいと思ってしまうのは――。
ある思いに至って、洋介の気分の悪さが若干緩和される。彼は、下に向けていた視線をゆっくりと上げた。
「あっ」
声が漏れる。
そこには、真っ直ぐに洋介を見つめる瑠璃色の瞳があった。
ライツが、多少の不安が混じってはいるが、それでも力強い視線を洋介に向けている。その目が浄化でもしてるかのように、じわっと嫌な感覚が洋介の体から抜けていく。
どれだけ、この瞳に助けられただろうか。
洋介は彼女との出会いを思い出す。
彼女には常に自分が強く見えるように洋介は振る舞ってきた。故郷から離れて、心細いであろうライツの支えになりたかった。それは紛れもない本心だ。
でも、本当のことを言えば、ライツを見るだけで何度か昔のいじめを思い出して狂おしいほどに胸が痛む時があったのだ。
実はライツは自分の作り上げた幻なのではないか、と洋介は考える時があった。結局自分が見ている虚構に過ぎないのならライツの存在を無視してしまおうか、と囁いてくる自分が洋介の中にあった。
その度に、ライツの真っ直ぐに向けてくる視線が心の闇から洋介を引きずり出した。その純粋な気持ちは洋介の中にはない。それは、ライツという存在を眩しいほどに輝かせる。
暗い感情が生まれたとしても、ライツを見てると小さなことだと思えた。そもそも、そんな風に過去に囚われている自分自身が、とてもちっぽけなものに洋介は感じるようになった。
そして、いつしか。
洋介は過去の自分に対して、大丈夫だと、自分は間違っていなかったんだと、自信を持って笑えるようになっていたのだ。
(そんな目をしてたら、また頼りたくなっちゃうじゃないか)
ライツの瞳は語りかける。自分になにかできることはないか、と。
ようやく軽くなった心のままに、洋介はライツに笑いかけるのであった。




