第18話:街道のデッドロック
深い、深い眠りから私を引きずり出したのは、心地よい馬車の揺れではなく、耳の奥を突き刺すような「嫌な音」だった。
――キィィィィィィィィィィン!
それは、理屈抜きに「ここにいてはいけない」と感じさせる不吉な音。空気が震え、何かが無理やりこじ開けられるような感覚。
「……ッ!? 全員、伏せろ!」
向かい側に座っていたガラムが叫び、私とアルノを床へ押し倒した。その直後、頑丈な馬車の屋根が、まるで紙のようにベリベリと引き裂かれた。
目の前に広がったのは、真っ青な空。そして、そこに立っているはずのない位置に、ふわりと浮いている男――ゼノスだ。
「……見つけたぞ。世界の美しさを汚す『余計な書き込み』め」
間違いない。あの河原で、無数の石を降らせて私とアルノを消そうとした、あの正体不明の男だ。
「ガラムさん、アルノを連れて後ろへ!」
私が叫ぶより早く、ゼノスが指をパチンと鳴らした。馬車は激しく横に転がり、私たちは草原へと放り出された。
「……がはっ、テラ! アルノ! 無事か!」
すぐ後ろの荷馬車から、バルトが砂埃の中で剣を抜いて飛び出してきた。
「またお前か……! この子たちには指一本触れさせんぞ!」
「剣か。この世界の理に敗れ、淘汰された遺物め」
ゼノスが冷ややかに笑う。
かつてこの世界では「絶対追尾・絶対防御」の魔法が確立されたことで、剣士という存在は、この世界の仕様から削除された職能として扱われ、歴史の表舞台から消し去られた。魔法という完璧な理の前では、鋼の刃など届くはずのない無意味な鉄屑に過ぎないのだ。
「『当たらない』。そう決めた。貴様の力では、この決まりは変えられん」
バルトの鋭い一撃は、ゼノスの体のすぐ手前で、まるでその瞬間だけ世界のルールが固まったように、ピタッと止まってしまった。
「バルトさん、離れて! その人は、まともにぶつかっちゃダメ!」
私は必死に頭を働かせた。あの仮面の男の魔法は、その空間にだけ別のルールシートを上書きして、「ここは剣が当たらない場所ですよ」と世界に嘘を信じ込ませている。
だったら、やり方は一つ。
「アルノ! 私の手を握って!」
震えるアルノが、私の手をぎゅっと握る。彼の体の奥から、温かくて大きな力が流れ込んできた。
あの男は『当たらない』というルールを守るために、周りの空気をガチガチに固めている。それはとっても硬いけど、余裕が全然ない。一度ヒビが入れば粉々になるガラスの板だ。
「そこ! アルノ、一気に出すよ! 私が整えた力を、あそこにぶつけて!」
私は、アルノの力を一本の細い針のように磨き上げた。男が作った完璧なルールの中に、あえて違うリズムを混ぜて、矛盾する入力を流し込んで、ルールそのものを「例外処理落ち」させる。
「……!? なにっ、理が……効かない……!?」
「今だよ、バルトさん! 剣を引かないで、そのまま押し込んで!」
魔法によって否定され、過去に追いやられたはずの剣が、私の作った「隙間」を突き抜ける。
ガキン、と音がして、ゼノスの仮面が半分に割れた。
「魔法」という完璧な盾を、時代遅れのはずの「剣」が貫いたのだ。
「……『間違い』が、世界を書き換えようとしているのか。……その破綻のやり方、実に面白い」
血を拭ったゼノスがさらに大きな魔法を練り上げようとしたその時、列の前方の馬車から、鋭い威圧感を纏ったアルリッヒが降り立った。
「そこまでだ、無礼者め。これ以上は、我が主クランベルク領主の名において容赦はせん」
ゼノスはアルリッヒの放つ冷徹な魔力と、周囲を固める騎士たちの殺気を一瞥し、ふっと煙のように姿を消した。
「……今日のところは、この『例外』を許してやろう。だがお前の存在が世界を止めることになる」
「見事だったぞ、テラ」
静寂が戻った街道で、アルリッヒが私たちの前に立った。
「……天才、なんて言葉じゃ足りませんよ」
ガラムが震える声で言った。
「彼女は敵の魔法そのものではなく、魔法が成立する前提条件を壊したんです。絶対防御の魔法を無効化し、バルトの剣を届かせた……。これは、これまでの魔法の歴史をひっくり返す、とんでもないことですよ」
アルリッヒは空を仰いだ。
「皮肉なものだ。偉い魔法使いたちが剣士を追い落としてまで守ってきた魔法の理が、3歳の子供の手によって『ただの古い理屈』にされてしまったか」
四日目の夕方。大きな壁に囲まれた領都の門をくぐる時、私は自分に言い聞かせた。
魔法がすべてを支配するこの世界の「設計ミス」を、全部綺麗に直してあげる、と。




