第11話:午後の光と、見えないノイズ
秋の午後の陽光は、驚くほど低く、そして鋭かった。
村の外れを流れる河原。傾き始めた日差しが水面に反射し、私の瞳に眩しい白を焼き付けてくる。
前世でずっとモニターの青白い光を見ていた私にとって、この世界の極彩色の夕暮れは、あまりにも鮮やかすぎた。
冷え込み始めた空気の動きや、色づいた木の葉の一枚一枚までが、まるですぐ目の前にあるかのようにハッキリと見えるのだ。
「……アルノ、そこ。その角をもう少しだけ『丸く』してみて」
私は、アルノが地面に指で描いた図形を指差した。
隣に座る幼馴染のアルノは、まだ6歳。この村でも一番の魔力を持っているけれど、その使い方は、まるで壊れた蛇口から水が噴き出しているみたいにムチャクチャだった。
「こうか? ……うわ、また熱くなった! テラ、これ爆発しないよな?」
「大丈夫。熱くなるのは、魔力の流れがスムーズじゃないから。デザインに無駄なところがあると、そこで力がぶつかっちゃうのよ。いい? 魔法陣っていうのは、魔力を通すための『通り道』なんだから」
私は、母・エラが作ってくれた手提げ袋から、銀のペンを取り出した。
これは魔法の道具じゃない。ただ、私の手に馴染んで、どんな場所でも思い通りの線が引けるように工夫した、私だけの大切なペンだ。
カチ、とペン先が石を叩く。
アルノが描いた歪な円。魔力が詰まっている場所に、私は銀のペンで一筋の『補助線』を書き足した。
この世界の魔法文字は、無駄な飾りが多すぎる。それが魔力の流れを邪魔して、熱や火花になって無駄になっている。私はただ、それを「使いやすく」直しているだけだ。
「ほら、これで流してみて」
アルノが恐る恐る、その石を握りしめる。
次の瞬間。
ジ、という静かな音と一緒に、石から青白い光が溢れ出した。嫌な熱はない。ただ、涼しくて綺麗な光だ。
「……うわっ! すっげえ、テラ! 全然疲れない! 勝手に力が吸い込まれていくみたいだ!」
「それが、一番いい形よ。アルノ、今の感じを忘れないで。私が線を引かなくても、頭の中でこの形を思い出して。魔法は気合じゃなくて、正しい形を作れば、ちゃんと言うことを聞いてくれるんだから」
アルノは嬉しそうに笑いながら、何度も魔法の感触を確かめている。
私はそれを見守りながら、代書屋の仕事で見た魔法陣を思い出していた。
私の家は代書屋だ。
エラは、魔法使いが持ってきた魔法陣を正確に書き写すプロだ。エラは魔法を使えないけれど、その丁寧な仕事で村の人に頼りにされている。
私は小さい頃から、その母の手伝いをしてきた。
書き写す手伝いをしながら、私はずっと思っていた。
「どうして、ここはこんなに書きにくい形なんだろう?」
「ここを少し繋げるだけで、もっと楽に書けるのに」
前世でデザイナーだった私には、魔法陣が「直しどころがいっぱいの図面」に見えていた。
私は魔法を使えない。一滴の火も、一筋の風も出せない。
けれど、魔法陣を「直す」ことに関しては、誰にも負けない自信があった。
「ねえ、テラ。もう一回、さっきの『六角形のやつ』やっていいか? あれ、守られてる感じがして好きなんだ」
「いいわよ。あれはハニカム構造……ええと、蜂の巣の形を参考にした魔法陣。アルノ、まずは六角形が組み合わさるのをイメージして……」
私たちは、この一ヶ月、この防御の魔法陣を何度も練習してきた。
アルノが自分で描けるようになるまで。私が一言「前!」と言えば、その形をパッと思い出せるようになるまで。
魔法がすべてを決めるこの世界。かつて回避不能の『追尾魔法』と、あらゆる打撃を遮断する『防御魔法』が確立されたことで、効率の悪い剣士は歴史から淘汰された。
魔法があれば、剣なんていらない。みんなそう思っている。
けれど、もし。
魔法のルールなんて関係ない「悪意」が襲ってきたとしたら?
「……テラ? どうしたんだよ、急に黙り込んで」
アルノの声が、急に遠く感じた。
私の目が、周りの景色をいつもより鋭く捉え始める。
私は敵を探そうとしたわけじゃない。ただ、私の職業本能が、目の前の景色を「一つの完成されたデザイン画」として処理していただけだ。
プロのデザイナーは、何万ピクセルもある画像の中から、たった一箇所の塗り残しや、わずかな色の濁りを見つけ出してしまう。私にとって、この美しい河原の風景は、完璧なレイアウトで構成された作品だった。
だからこそ、気づいてしまった。
――「余白」に、変なものが混じっている。
完璧なデザインを汚す、たったひとつの「修正ミス」のような違和感。
風景の中に、あってはならない「嫌なノイズ」がある。
河原の向こう岸。木のしげみ。
そこだけ、光の反射が不自然だった。風で揺れる葉の重なりが、計算に合わない動きをしている。
その影の中に、光を全く跳ね返さない「真っ黒な穴」のような場所があった。
(何……?)
心臓がドクンと跳ねる。
そこに誰かがいる。魔法の気配は全くない。けれど、デザイナーとしての私の目が、そこにある「不自然な空白」を異物として捉えて離さない。そこに「誰かが潜んでいる」という確信だけがあった。
しげみの奥から、ゆっくりと「細長い筒」のようなものが突き出された。
それは魔法の杖じゃない。
もっと原始的で、嫌な予感がする道具。
男の指が、その筒の端に添えられた。
指先には、小さな、どこにでもある「小石」が握られている。
魔法を全く使わない、ただ石を飛ばすだけの攻撃。
魔法を感知する道具には決して引っかからない、死のつぶて。
その男――ゼノスの目が、アルノをじっと見つめていた。
冷たくて、まるで邪魔な石ころをどけるかのような、感情のない目。
「アルノ……!」
声が震える。
ゼノスの指が動いた。
ヒュッ、という短い風の音。
目にも止まらない速さで放たれた小石は、アルノの眉間を目掛けて、一直線に飛んできた。
間に合わない。
普通の魔法では、こんなに速い「本物の石」を止めることはできない。
けれど。
私たちが何度も練習してきた、あの「無駄のない形」なら。
「アルノ、前!! 『あの形』を出して――!!」
私は喉がちぎれるほど叫んだ。
アルノの肩がビクッと跳ねる。
彼は何が起きているか分かっていない。けれど、彼は私を信じていた。
テラが「出せ」と言ったから。
テラと一緒に、何度も、何度も、泥だらけになりながら練習した、あの「綺麗な形」を。
アルノの手が、反射的にパッと前に突き出される。
その瞬間。
アルノの目の前に、幾何学的な光の壁が広がった。
キィィィィィィィン!!
耳が痛くなるような、激しい音が河原に響き渡った。
ご一読ありがとうございます。
平和な特訓から一転、ついに暗殺者ゼノスの襲撃が始まりました。
魔法が当たり前になった世界で、その死角を突く無慈悲な攻撃。
わずかな違和感に気づいたテラと、彼女を信じるアルノの連携が試されます。
次回、二人の特訓の成果が、絶体絶命の危機を救えるのか。お楽しみに!




