08:◆過去◆はじめての冬眠
エイベルとの生活が始まって数ヵ月。
まだ気の置けない仲とまでは言わないながらも、それでも彼とは親しくなり、二人での生活にも慣れ始めた。
獣人についてはまだまだ未知数なところもあるが、それはお互い様だ。分からないながらも少しずつ理解を深めていけばいい。
きっと素敵な関係になれる。なにせ自分達は星に導かれて出会った運命の相手なのだから……。
そう考えていた矢先。
「さっきの風に当たってエイベルが冬眠した」
と、彼の上官であり熊の獣人オルグに告げられ、ロゼッタはまだまだ獣人についての理解が浅かったことを思い知った。
オルグに連れられて向かったのは王宮の敷地内にある騎士の詰め所。
冬眠とはどういうことかまだよく分からないロゼッタは、エイベルに何かあったのではないかと焦燥感に駆られながら詰め所の中へと入っていった。
そうして通された一室では騎士が数人ぐったりと倒れているではないか。その中にエイベルの姿を見つけ、ロゼッタは息を呑むと慌てて彼へと駆け寄った。
「エイベル様、エイベル様……! どうなさったんですか!? いったい何が……!」
ロゼッタが必死になって声を掛けるも、エイベルは返事もしない。
普段であればロゼッタに呼ばれると嬉しそうに、それでいて照れ臭さを交えてはにかみながら「どうしました」と返してくれるのに……。
それすらも出来ない状況にあるのかと考えればロゼッタの中で焦りが増し、泣きそうなほどの不安を堪えてオルグへと向き直った。
「エイベル様にいったい何があったんですか!? どうしてこんな……。あぁ、どうしましょう……!」
「ロゼッタ、落ち着いてくれ」
「エイベル様、どうか返事をなさってください。どこか苦しいのですか、痛いのですか!?」
「だから落ち着いてくれ。エイベルはただ冬眠してるだけだ」
「冬眠!? そんな! エイベル様が冬眠なんて……、冬眠……、冬眠?」
冬眠? と繰り返しながらロゼッタは首を傾げた。
冬眠とはあの冬眠の事だろうか。いや、あの冬眠以外に冬眠があるのかは分からないけれど。
「……エイベル様は冬眠されるのですか?」
「なんだ聞いていなかったのか。エイベルのやつめ、寒くなる前に説明しておけと言っておいたのに……」
「そういえば、今朝方、夕食の時に冬の過ごし方について話があると仰っていました。もしかして冬眠のことをお話されようとしたのかも」
思い出しながらロゼッタが話せばオルグが肩を竦め、「簡単にだが説明しておく。詳しくは後でエイベルから聞いてくれ」と話しだした。
曰く、殆どの獣人達は冬眠はせず、せいぜい冬毛に生え変わる程度だという。
だが一部の獣人達は冬がくると冬眠をする。その一部がエイベルのような蛇の獣人だ。
もっとも、冬眠と言えども寒い時期をずっと眠り続けているわけではない。
彼等が冬眠するのは一気に冷え込む『冬』と呼ばれる十日間ほど、そのあいだ普段よりも睡眠時間が長くなり、起きてきてはうとうととし、また眠り、また起きて……、と生活リズムが大幅に緩慢になるのだという。
「そうだったのですね……。それなら今のエイベル様は眠っているだけで、怪我や不調ではないんですね」
「あぁ。突然寒い風に当たって冬眠状態に入っただけだ」
「良かった……」
ひとまず彼の不調や怪我ではないと分かり、ロゼッタは胸元に手を添えほっと安堵した。
その瞬間……、
「こんにちはぁ。ラニカが冬眠したと聞いて回収に参りましたぁ」
と、間延びした口調で話しながら猫の獣人が現れた。
栗色の髪、そこから覗くペタリと垂れた折れ耳。手はモフモフとした毛で覆われており、長い尻尾は彼女が歩くたびにゆらゆらと揺れる。
まさに獣人と言った姿に、ロゼッタは一瞬にして心を奪われ思わず「モフッ!」と声をあげてしまった。――次の瞬間、慌てて咳払いをして誤魔化しておいた――
「今年は風が吹くのが随分と早かったですねぇ。私も油断していましたよぉ」
明るい声色で話しながら猫の獣人が室内へと進む。……ガラガラと台車を押しながら。
だが台車の上には何も乗っていない。ロゼッタが疑問を抱いて台車と猫の獣人を交互に見ていると、彼女は一人の獣人の前で足を止めた。
身を縮こませて己の翼で体を覆うようにして眠る騎士。コウモリだろうか? とロゼッタがじっと見つめていると、猫の獣人がコウモリの獣人を軽々と持ち上げて台車に乗せてしまった。まるで荷を積むかのように。
「……っ!?」
ロゼッタがぎょっとする。
だが驚いたのはロゼッタだけで、周囲の者達はみな平然とその光景を見ているではないか。
「すみませんねぇ、ちょっと急ぎの用事があるのでこれで失礼しますねぇ。あら、貴女は……」
ふと、猫の獣人の視線がロゼッタへと向かった。
「もしかして『星の導き』でクロッセルア国に来たというお嬢さんですかぁ?」
「あ、は、はい。ロゼッタ・クスターと申します。夫の名はエイベル・クスター。以後お見知りおきを」
「まぁまぁご丁寧にありがとうございます。私はミレイラ、夫はラニカ。同じ冬眠夫を持つ者同士、仲良くしてくださいねぇ」
栗色の毛で覆われた手でミレイラが握手を求めてくる。
ロゼッタも応えるようにその手を取った。手のひらや指の本数は人間と同じだ。だが柔らかな毛に包まれており、きゅっと握り返されるとなんて心地良いのか。
だが今ロゼッタの胸を占めるのはモフモフに触れている喜びではない。知り合いが増えた、その感動の方が勝る。
「あの、私まだ冬眠のことも良く知らず、冬眠する夫を持つ妻として何をすべきか分からないんです。よろしければお時間がある時に教えて頂けますか」
「えぇ、えぇ、もちろんですよぉ」
ミレイラが嬉しそうに微笑む。
そんな彼女をさっそく明日お茶に誘い、用事があるからと去っていくのを見届ける。
……ガラガラと台車を押しながら去っていくのを。
「なるほど、あぁやって眠った夫を運ぶのが冬眠する夫をもつ妻の姿なんですね」
「いや、あれはラニカとミレイラのところだけだ」
あっさりと言い切るオルグに、さっそく台車を借りてこようとしていたロゼッタが足を止めた。
◆◆◆
冬眠をする種族の騎士達は寒くなると屋内の仕事を主とする。
そして冬の風が吹いて本格的に寒くなる直前に休暇に入り、気温が緩やかに戻ってくるとそれに合わせて務めを再開させる。それがクロッセルア国に仕える騎士の決まりらしい。
「ここ数年は予想通りに冬の風が吹いていたから油断していた。荷物を運ぶ短い時間なら平気だろうと思っていたんだがな」
「私もまだ平気だろうと考えておりました。まさかこんなに早く吹くなんて」
「エイベル達には申し訳ないことをしたな。……だが冬眠組がバタバタと倒れていく様はなかなか壮観だったな」
エイベルを仮眠室へと運びながら話すオルグに――謝罪の意思はあると思いたいが微妙なところだ――、ロゼッタはなんと答えて良いのか分からずにいた。
ここは夫を冬眠させられた妻として怒るところなのだろうか?
いや、だがいくら冬眠とはいえ仕事の最中に眠ってしまい、本来の予定を前倒しして長期休暇に入るのなら、ここは妻として『夫がご迷惑を』と詫びる方が正しいのだろうか?
だが事は冬眠。詳しくは分からないが、きっとどうしようもないものなのだろう。それを詫びるのは遜りすぎかもしれない。だとするとやはり夫への扱いに不満の一つでも訴えるべきか。
そもそもオルグや他の騎士達の反応、なによりミレイラの手慣れた様子を見るに、もしかしたら今日のような事は毎年恒例でさして気に掛けるものではないのかもしれない。
明日さっそくミレイラに聞いてみよう。そう考えてこの件は保留にし、「ここだ」と案内された仮眠室へと入った。
部屋にはベッドしかなく、質素な造りをしている。そもそもこの部屋は騎士が休息を取るためだけの部屋なのだから他の調度品は必要ない。
「冬眠と言っても寝続けるわけじゃない。しばらくすれば起きて、事態を察して帰るだろう」
オルグが運んでいたエイベルの体をベッドに放り投げる。
随分と荒い扱いだがやはりエイベルは起きることなく、ロゼッタが優しく布団をかけてやるともぞもぞとそれに包まってしまった。ベッドに上がりきれず床に落ちていた尾の先もついでにそっと布団の中に入れてやる。
「私もここに残ってよろしいでしょうか?」
「家に戻らないのか?」
「はい。エイベル様が起きるのを待ちたいんです。起きたら帰ってくると仰られても、冬眠の時期は起きても意識が朦朧としているかもしれないんですよね。途中で転んだり、寒い中でまた眠ってしまったら……」
冬眠中はずっと眠っているわけではないが、長時間眠り、起きてもうとうととしているらしい。
そんな状態で夜道を歩いて帰ろうとし、途中で何かあったら……。想像するだけでロゼッタの胸に焦燥感が湧き上がり、乞うようにオルグを見上げた。「絶対にお仕事の邪魔はしませんから」と念を押す。
「それは構わないが……。まぁ、冬眠を今まで知らなかったなら心配するのも無理はないか。好きに過ごしてくれ」
「ありがとうございます」
軽く詰め所内を説明し、オルグが部屋を出ていく。
そんな彼を見届け、ロゼッタは一息つくとベッドの縁に腰掛けた。