第36話『バウアー区』
星歴1923年2月9日、シェアト王国、発展都市メイマピゲリズのとある学園。
入学から一週間ほどが経ち、授業が始まった。
未だにカーミラ以外の友人ができていないメイだったが、学園の生活自体には慣れてきていた。
「復習になるが、いいか、魔法にはおおまかに分けて二種類ある。『基礎魔法』と『固有魔法』だ」
『魔法学』の教師、エアハルト・レールケが言って、黒板に大きくその二つを書いた。
文字にしてみるとより鮮明に、それがドイツ語だと分かる。しかし、どういうわけで異世界なのにドイツ語があるのかはメイには分からない。ドイツ語に明るいわけではないのでそう思うだけで、ドイツ語っぽい何かなのかもしれない。しかしながらやはり、どうしてその言葉をメイが理解できるのかについては分からなかった。
「このふたつ、誰か説明してみてくれ……じゃあ、バッハくん」
レールケが一人の少年を当てた。
魔法学の教室は小さく、受講人数も少なかった。これは魔法使い自体が、人間族の中ではあまり多くないことが要因となっているらしい。とはいえ、亜人族らしき者も多くはないように感じた。割合として少ないのはもちろん、人間に見える亜人もいるようなので、正確な数は定かではないが。
「はい――『基礎魔法』は魔法使いならば練習次第で誰でも使える限られた魔法で、反対に『固有魔法』は魔法使いの中でもさらに限られた者が使える魔法のことです」
レールケに当てられた、フォルカー・バッハが答えた。
「よろしい。その通り、『固有魔法』は魔法使いの中でも使える者が少ない。その内容も十人十色で、基礎魔法の発展的な形であったり、まったく予想もつかない驚くべき形であったりと様々だ。こちらはいくら練習してもどうにもならない。魔法は才能、そう言われる大きな所以だ」
レールケが黒板にかつかつと文字をつけ足していく。
教室には他に、以前図書館で出会った好青年、フィリップもいた。
「ね、メイちゃん、レールケ先生って結構イケメンじゃない?」
メイの隣に座っていたエル・エルフエルソが囁いた。
たしかに、レールケは美形だ。白い髪をぴっちりとオールバックにしたヘアスタイルは、この国のトレンドだろう(なにしろこの髪型の男子が多い)。
「私の好みじゃないかな。でもたしかにモテそう」
カーミラの話によると、まだ20代らしく、その歳としては優秀だと言われている。噂では、政府のプロジェクトに関わっているとか。とはいっても、この都市では珍しいくないことらしい。どうやら発展の街というのは嘘ではないらしい。
「この『固有魔法』は確かに、選ばれた者にのみ許される才能だ。しかしながら、この固有魔法を疑似的にだが再現する方法がある。分かる者はいるか?」
レールケがそう言う。ひとりの女子生徒が手を上げた。
「フギン、言ってみなさい」
「魔法科学」
当てられた女子生徒が答えた。本当に同い年なのだろうか、この子。今まで見たシェアト人たちは皆、大人びて見えたが、この女子は対照的に、すごく幼く見える。
魔法科学――それがこの世界にある近未来的にも見える超科学だった。魔法石という特殊な鉱石を利用して、科学的に魔法を再現するというものだ。
「魔法科学か。それも一つの答えだな。しかしもっと注目してほしいものがある――」
レールケはそう言って、黒板に文字を綴る。
「――それが『魔術』だ。魔術とは、いわば『魔法学』その先にあるものだ。魔法を学問とし、研究することを指す。……魔術を研究すれば、『基礎魔法』では成しえない芸当を再現することができる」
レールケは快活にカツカツと文字を連ねていく。メイの通っていた学校はホワイトボードに水性ペンで板書を行っていたので、チョークと黒板のぶつかる音も、真っ白になった教師の手指も、それをぬぐって白く濁ってしまったスーツパンツも懐かしい感覚があった。
「魔術は魔法の発展だと思ってほしい。魔力を要するが、その他にも詠唱であったり、陣であったり、物質であったりと、魔力以外の対価を加えて支払う場合が多い。固有魔法を持たぬ古の魔法使いたちが培ってきた研究学問だ。――魔術には無限の可能性がある。魔術は科学とよく似ている。
生成、破壊、再構成、ものを理解し再現する。科学の世界で行われている様々なことを、魔法に持ち込んだ、いわば、魔法科学の体系の源流ともいえるものだ。
まさに、無限の可能性があるんだ。科学だってそうだが、魔法は神秘だ。魔術は、神秘なんだ。――神への邂逅だって、あるいは叶うかもしれない世界なんだ」
レールケは饒舌に『魔術』について語りながら、要点を絞って板書をした。
「『魔法学』の授業では、魔法の活用方法、実践を学びながら、いずれ魔術の分野に進む人に向けた、魔法を学問として捉えた話もしていくつもりだ。不要な人もいるかもしれないが、知っていて損はない」
*****
その夜。
メイは眠れず、寮の談話室まで出てきた。談話室には数人の生徒たちがいたが、朝や昼間の騒がしさはそこにはなく、誰もがのんびりとした時間を過ごしているようだった。
元より陽の光の入らぬ談話室ではあったが、夜ともなるといよいよ灯りは暖炉の火とシャンデリアの薄い輝きのみで、室内は薄暗かった。
その暖炉の前に座っている青年がいた。エル・エスフエルソである。
「エル」
「メイちゃん。やあ」
メイは彼に声をかけて、隣に並んで座る。
この世界には現在、暖房設備がない。ストーブの類も全くない。冬の夜は屋内でも十分に冷え、寝床に着く際はそれなりに厚い毛布に体を覆わなければ、冷えて眠れたものではない。
とはいえ、まったくないわけでもない。それが、暖炉だ。暖房と言えば、火に縋るしかない。
「メイちゃん、もう就寝時間でしょ? 寝れないの?」
「まあね。別に何かあるわけでもないんだけどね」
メイは暖炉の前に手をかざしながら応えた。
学園の学生寮では就寝時間が決まっている。就寝時間以降は外出を禁じられ、生徒の活動領域は寮内に寮内に限られる。学園内の施設も閉め切られ、利用することはできない。
そのため、就寝時間を過ぎても眠れない生徒はこうして談話室で過ごすか、各々の部屋で過ごすかとなる。
「ルグレはもう寝たの?」
メイは問うた。何の因果か、ルグレのルームメイトはエルになったそうだ。
「いや、遊びに行ったよ」
「ええ! だって、外出禁止時間でしょ!?」
「そうだけど、ルグレが校則を守るタイプに見えるかい?」
エルはそう言ってメイのほうを見た。
たしかに、ルグレはそういうタイプには見えなかった。
「なんだったら、会いに行く? 僕、ルグレの居場所知ってるけど」
「いやいや! 外出禁止時間でしょ!?」
「僕がそういうの守るタイプに見えるかい?」
――どんなブランディングを狙ってるのか存じ上げませんがエルさん、あんたはそういうタイプに見えますよ……。
「今ルグレがいるのは、ルグレが幼少期を過ごした場所なんだ。愛着があるみたいでね、たまに顔を出すようにしてるみたいなんだ」
ルグレの幼少期。話に聞いていないが、悪ガキだったことに疑いの余地はないだろう。蟻の素に水を流して高笑いをしていそうだ。
幼少期を過ごしたということは、リーベルタースの養子になる以前、元の両親と住んでいた場所なのだろうか。ルグレの肉親の話も聞いたことがなかった。
「心配だし行ってみよっか?」
メイは提案した。
純粋に、ルグレの根底を支えているのがどんな環境なのかが気になった。どんな飯を食ったらあんな人間が育つのかも気になった。
発展都市メイマピゲリズの隣には、乱雑な工業地帯がある。『バウアー区』である。
このバウアー区は治安が悪いと言われている。――気が立った労働者たち、失うもののない亜人族たち、そして犯罪組織『アルセーヌ』。バウアー区はシェアト王国の闇、そのひとつに数えられる。浄化しきれぬスラムの残骸がここに押し込められ、暴力と犯罪がひしめき合う街である。
メイも、リーベルタース別荘に残してきたネアンら家族から忠告を受けたし、先日には大規模なデモがあり、学園からも注意喚起が成された。
とはいえ、それはあくまでも噂である。亜人族が多く住むというだけで、シェアト王国内の人間族から忌避されているのだ。実際に犯罪が発覚しづらく、発覚したとしても亜人族の被害者はたいして|国家憲兵(いわゆる治安維持にあたる警察的な組織)も動いてくれないため、治安は良くない。しかし、シェアト王国の産業を支える工業地帯のひとつであることは確かだ。
産業革命後、シェアト王国を含む、いわゆる『列強』とされる国々は民需・軍需関わらず多くの資産家により大量の工場が建設された。それは経済を生み、雇用を生んだ。
バウアー区にも雇用がある。住む人間にとってそこには、給料を得たいという需要に応えられるだけの供給があるのだ。不景気だが。
国内には大量に工場があり、例の工場地帯というやつもたくさんあるわけだが、だからといってバウアー区を軽視していいわけもなく、ここもまた、シェアト王国にとっては重要な地域なのである。
王国の夜は冷え切って、バウアー区は労働の時間が終わり、不気味な静けさに沈んでいた。
立ち並ぶ工場は稼働が停止しており、煉瓦造りの宿舎やパブ、バーが暗い夜に光を差していた。
「あ、エルさん!」
バウアー区内に寄歩で立ち入ると間もなく、ひとりの少年が声をかけてきた。茶色のキャスケット帽をかぶった、10歳ほどの少年だ。
パッチワークが所々に見られるぼろぼろの服を着ている。おそらく元はベージュのジャケットだったのだろうが、修繕に使われた生地は深い緑だったり黒だったりと大層愉快な模様に仕上がっていた。
「やあ、マヌエル。久しぶり」
と、エルも応答する。
「ルグレは来てるかい?」
「ルグ兄、たぶんフーカーのパブにいると思う」
「そうか、ありがとう」
マヌエルと呼ばれた少年が、案内するよ、というのでメイとエルは少年に続いてバウアー区の暗い路地を歩いた。
メイの居る世界で言う第二次産業革命後に相当するこの世界には、その所々に魔法による超科学技術が垣間見えるわけだが、工業地帯ともなれば、そのスチームパンク加減は急上昇した。
「エルさん、どうしてバウアー区まで来たの?」
マヌエルが問う。てくてくと元気よく歩を進めながら。
「実は僕ら、すぐそこのメイマピゲリズの学校に通うことになったんだ。これからはこっちのほうに寄りやすくなるよ」
「ほんと? やったあ!」
マヌエルが無邪気に喜んだあと、すぐに、それが嘘だったかのように歩幅を落ち着かせる。
「学校かあ。ぼくも行きたいなあ。……学校に行ったら、キゾクになれるんでしょ?」
「あははっ、なれないよ。貴族だって楽なもんじゃないんだから。――でも、色々学べるし、世界が広がるよ。学校に行きたいなら、ルグレ伝いにパテルさんに頼めばいいのに」
エルは、マヌエルを見るとき、常に微笑を浮かべていた。元よりずっと笑顔な人間だが。
「ダメに決まってるよ、ぼく、亜人なんだよ? それにお金もないし、学校なんて行ったって頭の悪さはどうにもなんないよ」
「何言ってんの。リーベルタース家は亜人大好きで有名だよ?」
「実はもう、前にルグ兄がリーベルタース伯爵に交渉してくれたんだ」
マヌエルは言う。暗く、幼い少年が歩くには不安な路地だが、彼の歩みに迷いや躊躇は一切なかった。
「それで?」
「ダメだった。よく分かんないけど、“それは契約にない”ってさ。だからルグ兄は新しい仕事を貰おうとしてたけど、リーベルタース伯爵からしたらもう用済みで、頼みたいことなんてないんだって。だからそれ以上交渉はなしって。――あ!」
マヌエルが声を出して、数歩駆けて、振り向いた。
「ここだよ、フーカーのパブ! ルグ兄はいつもここか、ニクスのバーにいるんだ」
マヌエルが指した建物はその通り、『フーカーズ・パブ』という名の店だった。背の高い工場や宿舎が並ぶ中で、こじんまりとまとまってはいるが、この時間となると明かりのついている数少ない建物だった。店の外にいても、店内からのがやがやとした喧騒が聞こえた。
店舗の扉を開くと、その上部に取り付けられた小さな鐘が心地よい音色を鳴らし、メイたちの来店を店内へと伝えた。
店内はそれほど人が多くなかったが、仕事終わりの労働者を中心に、ひとり客がぽつぽつとカウンターに、集団の客がテーブルについていた。店の奥には個室がひとつだけあった。
「ルグ兄はあの個室にいるよ。いっつもあそこなんだ」
マヌエルがそう言って、メイとエルを先導して店内を進んだ。
「ハーイ、フーカーさん」
「こんばんは、マヌエル」
マヌエルは通りすがりにカウンターに立つ店主に挨拶をした。そのまま小さな脚をすたすたを動かして、内奥の個室をノックして、すぐに扉を開く。
「ルグ兄!」
扉を開いた先は完全な個室で、換気設備が備わっているにも関わらず煙がかっていた。
「おお、マヌエル! なんだ、ガキは寝る時間だろ」
マヌエルの呼びかけに応じたのは、どうやらルグレではなく、その隣に座っている男だった。20歳くらいだろうか。
ルグレは個室の一番奥に脚を組んで座り、煙草を吸っていた。
周りにはルグレと同年代の男たちが何人か座っている。
「ランベルト、またルグ兄の金で飲んでるのか」
マヌエルが男をランベルトと呼び、次から次へとカタカナの名前を覚えさせられるメイは頭がパンクしそうだった。
ランベルトは側頭部と高等部を刈り上げて、髪を後ろへと撫でつけるヘアスタイルをしていた。確信がある。この国ではオールバックが流行なのだろう。
「うるさい、こんガキゃあ! 早く寝ないとちびのまんまだぞ」
「どうした、マヌエル。こんな時間に出歩いたら危ないだろ」
ランベルトに続いて、冷めた表情のルグレが言った。
「そうだ、ルグ兄! エルさんが来たんだ」
マヌエルがそう言って、一歩横へ退き、エルとメイを中へと手招きする。
「やあ、ルグレ。遊びに来たよ」
「…………」
エルが爽やかにあいさつするのに対して、メイは遠慮がちに会釈をするにとどまった。
ルグレは所々ダメージのあるグレーのロングTシャツを着ていたが、その他の男たちはみな一様にスーツに黒コートという装いで、威圧感があった。
「ああ、エル! 久しぶりだなあ!」
ランベルトがエルに元気よく挨拶をした。彼も真っ黒なロングコートを着ていた。
「久しぶり、ランベルト。他のみんなも。……またルグレにたらされてるのかい?」
エルは微笑んで問う。
「ルグレの人たらしは今に始まったことじゃねえよ」
ランベルトはコップに酒を注ぐ。ルグレはその傲慢極まる態度で、さっそく学園内に敵を作ったわけだが、それとは裏腹に、ここでは彼は好かれているようだ。
「……でもさ、ルグレはここを捨てたんだろう? こう何度も遊びに来るべきじゃない、そうだろう?」
エルは言った。含みのある言い方だった。
「捨てた、って……エル、そりゃああんまりだろうが……」
ランベルトの顔が震えている。彼は今、ルグレのために怒り、立ち上がっていた。
「――なぜ怒る? 嘘じゃないだろ。俺はここを捨てたんだぜ。とっくの昔にな」
ルグレは煙草を灰皿に押し付けて、コップを手に取った。




