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いいご身分だな。俺にくれよ。 作者:nama

第四章 継承権争い -後始末編- 九歳~十歳

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 ハンスが到着した。
 アイザックは彼を出迎えて、共に執務室へ向かう。

「ハンスさんの部屋は、昔のままだったらしいですよ」
「ほう、家を出たのは三十年も前なのにどうしてだ?」
「詳しくはわかりませんが、お爺様がハンスさんが生きている間はそのままにしておこうと思ったんじゃないですか」

 歩いている最中の世間話。
 しかし、それには嘘が混ざっていた。

 ハンスは侯爵家の次男だ。
 彼は本館に部屋を与えられている。
 本来ならば、アイザックかネイサンがその部屋を与えられていたはずだった。
 だが、ルシアとメリンダのために別館が作られ、アイザックとネイサンの部屋もそちらに用意される事になった。
 そのため、ハンスの部屋が片付けらずにいただけだった。

「そうか」

 返事をしたハンスの足が止まる。

「どうかされましたか? ……あっ」

 アイザックは今いる場所に気付いた。

 ――ちょうど廊下の曲がり角。

 フランシスから聞いていなければ、ハンスがなんで止まったのかわからなかっただろう。
 久し振りに生家を訪れた事で、過去のトラウマを思い出したのかもしれない。

「ハンスさん」
「ああ、何でもない。大丈夫だ」

 口では平気だというが、足が止まったままだ。
 それだけ深く、過去の出来事が彼の心に傷を負わせているのだろう。

(手鏡でも持って来させた方がいいかな)

 アイザックは解決方法を考えるが、できる事なら屋敷内で手鏡片手にうろつく男の姿は見たくない。
 何か他に良い方法はないかと考える。
 そして、一つの答えに行き着いた。

「そういえば……、ハンスさんが出て行った時は曽お爺様が当主だったんですよね?」
「そうだ」

 突然ジュードの事を会話に出され、ハンスは怪訝な表情を浮かべる。

「僕は本でしか知りません。ですが、本に書かれていた内容のままの人なら、曽お爺様はハンスさんの部屋をさっさと片付けさせて、居なかったものとしていたはずです。けど、部屋を片付けさせなかった。きっと曽お爺様はハンスさんが帰って来るのを待ってたんですよ」
「父上が?」

 アイザックが考えたのは”ジュードがハンスの事を考えていた”という気休めだ。
 これでハンスの恐怖の思い出が少しでも和らげば、普通の生活が送れるようになる。
 だが、ハンスの反応はアイザックの思ったものとは違った。

「……そうか、そうか。フハハハハハ」

 何が可笑しいのか、ハンスが笑い始める。
 そして、怪訝な表情をしているアイザックを見た。

「どこで私の事を聞いたのかわからんが、こんな子供に気を使われるとはな……」

 彼も馬鹿ではない。
 アイザックが自分の事を気遣っているのだと、すぐに気付いた。

 ――自分の五分の一も生きていない子供に気遣われる。

 これはかなりの屈辱だ。
 ハンスは足元を見て、少し躊躇いながらも一歩前へ踏み出した。
 そこはもう廊下の曲がり角を越えた場所だ。
 彼はニヤリと笑みを浮かべ、アイザックを見る。

「私は父上の事など怖く無い。立ち止まっていたのは屋敷が懐かしかったからだ」

 ハンスは精一杯の強がりを言った。
 実は少し足が震えているが、くるぶしまで丈のある修道服のお陰で周囲の者からは見えない。
 表向きは平然としたものだった。

「深読みし過ぎてしまったようですね。申し訳ありません。失礼しました」

 アイザックはハンスの言葉に乗ってやった。
 本人が平気だというのだ。
 これ以上「ジュードを恐れているのではないか?」と、しつこく聞かなくてもいい。
 自分でトラウマを打ち破ったハンスを応援してやるべきだろうと考えた。
 これで手鏡片手に屋敷をうろつく不審者が現れずに済んだのだから。

「昔の私は何もできなかった。だが、今は違う。教会で様々な事を学び、敬虔な信徒である。さすがに父上も神の前ではただの人間でしかない。もう恐れるような事はない。さぁ、くだらない話はやめて行くぞ」

 ハンスは先導して執務室へ向かって歩いて行く。
 途中で別のトラウマポイントでもあったのか立ち止まる事があった。
 しかし、そこでは一瞬立ち止まっただけで、すぐに自分の意思で乗り越えて行く。
 信仰心というよりも、幼子に同情されたくないという見栄の方が強そうだ。
 だがそれでも、彼は一つのハードルを乗り越える事ができたのだった。



 執務室には領主用の執務机の隣にもう一つ似た机が用意されていた。
 かつて、ランドルフがモーガンから領主の仕事を学んでいた時に使われていた物だ。
 アイザックも当時は”自分もいつか同じように父から教わるのだろう”と思っていた。
 まさか、存在すら知らなかった大叔父のハンスと机を並べる事になるとは考えた事もなかった。

 もっとも、それはハンスも同じ思いだろう。
 出て行った家に戻り、又甥の後見人になるなど考えもしなかったはずだ。
 人生とは何が起きるかわからないものである。

 だが、政治は”何が起きるかわからない”では済まされない。
 不測の事態に備える事も統治者に求められるからだ。
 しかし、それには知識と経験が必要とされる。

「皆の者、久し振りだな。私は事務仕事は慣れているが、領主としての働きには不安がある。長年兄上を支えて来た諸君らの協力が不可欠だ。私と共にアイザックを支えて欲しい」

 ハンスには領主になる知識はあっても経験が無い。
 こればかりは、長年実務を任されてきた者達の協力が必要だった。

 当然、協力を申し込まれた者達に異存はない。
 それが仕事であるし、力の見せ所だ。
 ハンスに言われずとも、アイザックのために働くつもりだった。
 ……領内が混乱すれば、仕事が増えて自分達が困るという切実な思いもある。
 だが、統治を安定させるために一丸となって働く気持ちは本物だ。
 彼らの気力に満ちた目が、ハンスへの答えだった。

「では、早速だが仕事を始めよう。各自、仕事に取り掛かってくれ。さて、こちらも始めよう」

 ハンスは未決済の書類を手に取った。
 それはアイザックがウェルロッドに戻った初日に見たのと同じ書類。
 その内容を読み、ハンスは眉間にしわを寄せる。

「まだ両家は争ってるのか……」

 オルコット男爵家とバークレー男爵家の陳情書を両手に取り、交互に見てから溜息を吐いた。

「ご存じなのですか?」
「ご存じも何も、両家は百年ほど前に異常気象で干ばつになって以来、犬猿の仲になったのは有名な事だ。両家が代官を務める農村地帯は隣り合っている。干ばつの時に水利権のあるオルコット男爵家がバークレー男爵家に水を分けなかったせいで、バークレー男爵家の治める農村地帯の作物がダメになった。もちろん、当家が食料を支援して平民達は死にはしなかったが、その時の事を恨みに思っているのだ」

”本当に困った時に見捨てられた”

 確かにそれは恨んでしまう気持ちはわかる。
 しかし、今の話だけでは説明しきれていない部分があった。

「なるほど。ですが、干ばつの時に水を分けて共倒れになる可能性を考えれば、オルコット男爵家の考えもわからないでもないですけど……。それでオルコット男爵家もバークレー男爵家に恨みを持つ理由は何かあったのですか?」
「バークレー男爵家の当主がオルコット男爵家の当主に決闘を申し込んで殺してしまったのだ」
「あー……、それは……。ダメですよね」

 バークレー男爵家は、水を分けてもらえず見殺しにされたと恨みに思った。
 だがそれは、オルコット男爵家からすればただの逆恨みである。
 水利権という正当な権利があるから、自分の治める農村地帯を優先しただけ。
 なのに、当時の当主を決闘で殺されてしまっては恨んでしまうのも当然だ。
 それ以来、ギスギスとした関係は修復される事なく、百年間も続いてしまっても仕方が無いのかもしれない。

「でも、その陳情書の内容を見る限り、トミーさんとジュリアさんって……」
「おそらく愛し合ってしまったのだろうな。それを親達が引き離そうとしている」

 アイザックにしてみれば、どこかで聞いたような悲恋話。
 しかし、自分がそれに関わってしまうと、感動もクソもない面倒な話でしかなかった。

「ハンスさんはどうしたら良いと思いますか?」
「両家を仲直りさせて、二人の結婚が許されるようになるのが一番良いのだろうがな」

 フッと笑うと、ハンスは未決済の書類を入れておく箱に戻した。

「まだ勘が戻ってないのに無理をする必要はない。まずは簡単そうな書類から処理していこう」

”問題の先送り”

 そう言って非難するのは簡単だが、ハンスも三十年振りの領主の仕事だ。
 ウォーミングアップが必要なのだろうと思い、アイザックは素直にうなずくだけだった。
 ハンスが未決済の書類を確認していく。
 途中で一度首をかしげる。

「大規模な街道整備や土砂崩れといった災害に対応するための、大規模な動員の要請とかはないのか?」

 ハンスがフランシスに声を掛ける。

「はい。エルフのお陰で大都市間の街道整備が進み、未整備の街道は小規模な農村への道くらいです。そちらは現地の代官による小規模な動員で済む程度ですので、大規模動員の要請は来ていませんね。土砂崩れや水害などもエルフが魔法で対策をしてくれましたのでございません。アイザック様のお陰で労役がかなり減っています」
「そ、そうか」

 ぬかるんだ道を整備する手間が省けた分、平民には余裕ができただろう。
 そのお陰で、少しは開墾は進んだりしたかもしれない。
 だがしかし、それはそれ。
 簡単な仕事を探していたのに、その仕事をアイザックが無くしてしまっていた。
 どことなくアイザックは気まずさを感じる。

 しかし、ハンスはアイザックに責めるような視線を向けなかった。
 何か良いものはないかと、書類を調べ続けている。

「まずはこれにしようか」

 ハンスが一枚の書類を取り出し、アイザックに差し出した。

「ランカスター伯爵から街道の整備に必要なエルフの派遣の依頼ですか」
「ランカスター伯爵にはエルフを優先的に派遣すると約束したと聞いている。アイザックは何か聞いていないか?」
「はい、その話でしたら聞いた覚えがあります」

 以前、アイザックは王都でランカスター伯爵と出会っていた。
 その時にエルフを派遣して欲しいという話をしていた事を覚えている。

「ならいい。まずは書類のチェックからだ。今回のように派遣する場合、エルフの滞在費用はどちらが負担するのかや護衛の騎士をどうするのかが書いているかのチェック。書いていなかった場合はこちらから聞き返さなくてはならない。その他にも気を付けなければならない部分がある。家同士が仲の良い相手でも、決して軽々しくサインはしないように」
「はい」

 ハンスはまず基本的な事、特に書類に使われている助詞には気を付けるようにと教えてやる
 助詞が一文字違うだけで、言葉は大きく異なる意味をもってしまう。
 簡単な書類なら官僚たちが処理してしまうが、領主にまで来る書類は貴族が関わるものばかり。
 パッと見は簡単そうでも、ちょっとした判断ミスが家同士の問題に発展しかねない。
 官僚では責任が取れない書類を処理しなければならないのだ。

 今までのアイザックのように、勢いで行動する事は許されない。
 とっさの思いつきではなく、地に足のついた堅実な判断が必要とされる。
 誰かにチェックしてもらうのもいいが、最終的な判断は領主代理であるアイザックがする。
 全て自己の責任において行わなければならない。
 簡単そうに見えても、その責任は非情に重い。

(失敗したら、全部自分に返って来るんだよな……)

 今までは祖父や父といった、誰かが尻拭いしてくれる立場だった。
 だが、今は人の上に立ち、逆に誰かの尻拭いをしなければいけなくなった。
 何気なく領主代理を引き受けたが、領主の椅子に座り仕事を初めてようやくアイザックは責任の重さを感じ始めていた。
+注意+
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