893 三十三歳 何気ない一言
軍の配置を決める話し合いが終わると、会議は解散した。
将官達は、それぞれの部隊へ戻っていく。
――これから帰国する者、まだ占領地に残る者。
立場は違えど、彼らにはそれぞれの役目があった。
兵を家族の元に帰すまでが遠征である。
その役目を果たしに戻る。
「さて、ウォリック元帥。帰国の準備を進めてください。第一陣の指揮はあなたに任せます。みんなが無事に帰れるように細心の注意を払ってください」
「かしこまりました」
ウォリック元帥は落ち着いた様子で答えた。
だが、その表情には隠しきれない喜びがあった。
「長い戦争でしたからね。ようやく帰れると思うと、私も嬉しいですよ」
「そうでしょうね。アマンダ達も、あなたの帰りを待っています」
「ええ。手紙では元気にしていると聞いていますが、やはり直接会いたいものです」
ウォリック元帥は、娘や孫達の顔を思い浮かべていた。
戦場にいる間も、家族からの手紙は届いていた。
しかし、手紙を読む事と、実際に顔を合わせる事では大きな違いがある。
「帰国したら、しばらくはゆっくり休んでください。戦争が終わったからといって、すぐに次の仕事を押し付けるつもりはありません」
「ありがたいお言葉です。ですが、まだ私にできることがあれば、遠慮なくお申し付けください」
「そう言ってくれるのは助かりますが、まずは家族との時間を大切にしてください。あなたには長い間、苦労をかけましたから」
アイザックは労うように言った。
ウォリック元帥は、リード王国時代から帝国の軍事を支えてきた人物である。
国が大きくなるにつれて戦争の規模も大きくなり、彼が負う責任も増えていった。
その苦労は、アイザックもよく理解しているつもりだった。
「それと、ウィルメンテ公爵。今後のアルビオン地方に駐留する軍についてですが、ウォリック元帥から引き継いでください」
「はい。しっかりと務めさせていただきます」
「占領地の統治は、戦争とは違います。軍事力を背景にすれば、命令を聞かせることはできるでしょう。ですが、それだけでは長続きしません。現地の貴族や住民達が、我が国の支配を受け入れるようにしなければならない」
「肝に銘じておきます」
「特に、アルビオン帝国時代の貴族達には注意してください。昨日のパーティーでもわかったと思いますが、彼らはそれぞれ違う思惑を持っています。こちらに協力的な者もいれば、機会があれば反抗しようと考えている者もいるでしょう」
「はい。誰を信用するかは慎重に判断いたします」
ウィルメンテ公爵は真剣な表情で答えた。
彼も新しい領地を任されることの意味は理解していた。
そして、戦争と違って倒せばいいというものでもないと。
何よりも、元帥という名誉ある地位を得られるのは嬉しいが、それに伴う責任も大きいという事も、よく理解していた。
「それと、ウォリック元帥が帰国したあと、残った兵士達の士気を維持することも大切です。帰国できる者だけが喜び、残る者達が不満を抱くようでは困ります」
「そこは私も気になっておりました。残る者には、特別手当を出して、気晴らしに遊ぶ金を出そうと考えています」
「ではそのように。予算はなんとかします」
「ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
そう言って、アイザックも部屋を退出する。
残されたのは、見送ったウォリック公爵とウィルメンテ公爵のみである。
二人は椅子にどっかりと座り、背もたれに体を預けた。
「ようやく一段落か……」
戦争そのものは終わった。
しかし、帝国が抱える仕事は増える一方だった。
領土が広がったことで、守らなければならない土地も増えた。
国境線が広がったという事は、接する国も増えるという事だからだ。
それに新たに臣民となった者達の生活を安定させ、各地の統治機構を整えなければならない。
軍を帰国させて休ませるのも、次の戦争の準備に過ぎなかった。
とはいえ、今は少しだけ兵士達に休息を与えてやりたい。
ウォリック公爵は、帰国する兵士達の姿を想像する。
長い戦争を終え、ようやく家族のもとへ帰れる者達。
一方で、まだ任務が残っているため、家族に会えない者達。
――そして、戦死して帰国できない者達。
みんな帝国のために戦ってくれた大切な兵士である。
無言の帰宅となる者達の家族にも報いてやりたい。
「実はアイザック陛下が、こう漏らしていた。今回の戦争で一番手強い相手は、財務官僚だったと」
「あぁ……、これだけ大規模な動員をしていれば、そうなるだろうな。お互い、似たようなものだろう?」
ウォリック公爵の呟きに、ウィルメンテ公爵は納得した。
金がなければ装備の補給もできないし、そもそも兵士を養う事もできない。
脱走兵が続出して、軍としての体裁を保てなかっただろう。
金の調達は目立たないが重要な仕事である。
その事は領主である彼らもよくわかっていた。
「それでも特別手当を出していいと言われたのだ。自分の仕事に集中させてもらえるというのはありがたい。アイザック陛下が戦場に出てこないのも、後方支援に専念するためだろう」
「なんでも、ノイアイゼンに新技術を教えて大金を稼いだりしていたそうだ。他の誰にもできない手段を取れるのが陛下の強みだな。そういえば、そのノイアイゼンだが……。もし、ウィルメンテ公が領地として与えられたらどうする?」
「嫌だな。いくら税収が多かろうが、種族間戦争の火種を作った領主として名を残す危険は冒したくない」
ウィルメンテ公爵は、本当に嫌そうな顔をして見せた。
ウォリック公爵も皮肉な笑みを見せる。
「あんな制御不能な者共を支配できるのは、アイザック陛下くらいだろう。何しろ、幼くしてウィルメンテ公の頭を抑え付けるくらいなのだからな」
「ああ、幼くしてウォリック公を虜にされていたな」
ウィルメンテ公爵も負けじと言い返す。
二人はニヤリと笑い合った。
それは、こうした軽口を叩き合える関係に戻れたことへの笑みだった。
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「ノーマン」
「はっ」
会議が終わり、廊下を歩いている時にアイザックが声をかけた。
いつもは「ベイツ子爵」と呼ぶので、ノーマンは少し昔に戻った気がした。
「こちらで働いている間に、信用できる者や、力量はあるものの地位が低い者などと大勢知り合えたか?」
アイザックは不思議な質問をしてきた。
ノーマンは悩みながらも、アイザックが求める答えを引き出す。
「爵位はないものの、活躍した者は大勢おります。男爵位を与えて、代官を任せられるであろう者達とも交友を深めております」
「そうか、それはよかった」
アイザックは、ノーマンに笑みを向ける。
「彼らを確保しておくといい。これから人材の争奪戦が始まるだろうからね」
「ですが、私の領地では――」
そこまで言いかけて、ノーマンは更にアイザックが言わんとする事を察した。
「もしや?」
「アルビオン地方に、ベイツ伯爵領を用意するつもりだ。当然、街や村を任せる代官も必要になってくるだろう? 古くからの貴族と違って人脈が弱い分、他の人より早めに確保に動いたほうがいいよ」
「ありがとうございます! ところで、規模はどの程度を想定しておけばよろしいでしょうか?」
「フィッシュバーン侯爵領の西半分、といったところかな」
ノーマンの足が止まる。
フィッシュバーン侯爵領は港もあるため、アルビオン地方の中でも豊かな領地だ。
西半分だけでも、現在のランカスター侯爵領やブリストル侯爵領に匹敵する価値があるかもしれない。
それを貰えるというのは、貴族ではなかった彼にとって夢のような話だった。
「……本当によろしいのですか?」
「ああ、これまでよく頑張ってくれたからね」
アイザックも立ち止まり、ノーマンに近づいて、彼の肩に手を置いた。
「あの時の約束は忘れていないからね」
――あの時の約束。
ニコルを処刑したあと、ノーマンに「宰相になりたいか?」と聞いた事がある。
その時の事を、アイザックは忘れてはいなかった。
(これほど状況が変わったというのに、まだあの約束を覚えていてくださったのか)
ノーマンは、その事が何よりも嬉しかった。
「自信があるかと聞かれれば、まだありません。ですが、あの頃よりかは経験を積んでいるので、以前よりは自信があります」
「ならよかった。これからもよろしく頼むよ」
「ご期待に添えるよう尽力いたします!」
優秀な人材が次々に頭角を現している。
それでもアイザックは、ノーマンの事を忘れてはいなかった。
――爵位ではなく、かつてのように名前で呼ぶ。
だが、その一言がノーマンのやる気を引き出した。







