842 三十二歳 押し付け
バークレイ王国とサウスウォルド王国以外のマカリスター連合国は窮地に追い込まれていた。
エンフィールド帝国軍の突然の侵攻と謎の兵器という不測の事態に対応できず、アルビオン帝国へ侵攻していた主力が崩壊させられたからだ。
およそ三か月で失った国土は三割程度。
しかし、防衛戦力は八割ほども失っている。
徴兵によって兵を集めてはいるが、数合わせにもなっていなかった。
だが、彼らもただでやられる一方というわけではなかった。
サウスウォルド王国が撤退したため、南方からエンフィールド帝国軍の奇襲を受ける形となったメルブリーク王国。
彼らは本国と前線の主力が分断されたものの、エンフィールド帝国軍が先に主力の殲滅を狙ったおかげで、少しだけ本国防衛に割く時間があった。
とはいえ、主な軍はアルビオン帝国へ攻め込むために投入していたので、守備には人数合わせの雑兵しかいない。
せめて防衛の核となるものが必要だった。
そこでメルブリーク国王クインは、ノックス伯爵のもとへ向かった。
「頼む、軍を率いてくれないか」
「私は剣を折りました。陛下のご命令通り、私は生き続けているのでこれ以上の命令を聞き入れるつもりはありません」
ノックス伯爵は齢六十を超える老将である。
先王崩御の際に「国のために生き続けてくれ」とクインに強く頼まれたため、殉死せずに仕方なく生きているだけだ。
主君であり、友であった王と共に死ねなかった事に対して強い恨みを持ち続けていた。
そして、彼と同じ心境の者は他にも多くいた。
これもすべて国力を低下させないための手段であったが、意外にも拗ねる者が多かったのはクインの誤算だった。
「ただ生きてほしいと頼んだわけではない。国のために貢献し続ける事を願って頼んだのだ。その意味はわかっているはずだ。揚げ足を取るような真似はしないでほしい」
「死にぞこなった者の気持ちは、貴方にはわからんのです」
ノックス伯爵は年を取って片意地を張るようになったようだ。
国の危機だというのに、クインの言葉に耳を傾けようとはしなかった。
そして、あの時からずっと王と認めてくれていないのも変わっていない。
「ならば戦場に最高の死に場所を用意する。相手はアルビオン帝国を降したエンフィールド帝国だ。人生の最期を飾る相手として不足はないだろう。新兵を連れてヘイデンで半年ほど持ちこたえてほしい。この国を守るのは父上の意向にも沿うものだろう? なんとか時間を稼いではくれないか? 頼む……」
本来ならば「行け」と命じる事もできる。
だが、クインはそうはしなかった。
彼はひたすらに頼むだけ。
それが彼なりの誠意だった。
「……徴兵したばかりの兵士を連れて、アルビオン帝国に勝った軍を半年間抑える。それは至難でしょうな。最初から私に死ねと命じるおつもりだったのでしょう?」
「そうだ。ノックス伯の名声を使って兵の士気を高めたい。絶望的な戦いに向かわせるのだ。せめて貴公を指揮官にして兵に希望を持たせてやりたい。このような時のために生きてもらっていたのだ。父が遺したこの国のために戦ってくれないか」
ノックス伯爵も頑なになっている場合ではないとわかっている。
クインの真摯な頼み方もあって、彼は意地を張るのをやめた。
「次は邪魔をするなよ、坊主」
子供の頃にクインが聞いた言葉。
それをノックスは立ち上がりながら言い放った。
彼は背を向けて部屋を出ようとする。
「どこへ行かれるのです?」
「他の死にぞこないのところだ。奴らにも死に場所を与えてやらねばならん」
ノックス伯爵の言葉は「殉死を許されず、生き残るしかなかった者達を自分が説得しに向かう」というものである。
その意味をクインはすぐに察した。
「すまない、感謝する。本当に……」
「死なせてくれなかった事は恨み続けるだろう。だが今は私怨を捨てよう。メルブリーク王国のために、この命を捧げる。……陛下の判断が正しかったと証明してみせよう」
ついにノックス伯爵は、クインの事を陛下と呼んだ。
「ノックス伯!」
「では失礼する。頑固者が多いので一刻も早く説得せねばならないからな。祖国防衛という大仕事を押し付けられたので、ゆっくりはしていられなくなった。これから忙しくなる」
ノックス伯爵は、ロックウェル王国におけるフォード元帥のような存在だった。
長年、アルビオン帝国の侵攻を防ぎ続けた名将がついに動いた。
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メルブリーク王国中部のヘイデンという地方まで進軍したエンフィールド帝国軍ではあったが、そこで一時歩みを止める事になる。
「歴戦の名将と呼ばれる将軍が要塞を守っていると」
「ノックス将軍は我が軍の将軍を大勢葬ってきた手強い相手です。……間接的にではありますが」
戦争で負ければ、将軍は責任を取らされる。
歴代皇帝により、メルブリーク王国の侵攻に失敗した将軍が処刑されてきた。
直接討ち取られたわけではないが、ノックス伯爵はアルビオン帝国の将官にとって嫌な相手である。
そのためウォリック公爵に同行しているコクラン将軍は、忌々しい相手だという口調で説明する。
「ここの峡谷を通れば王都までは一週間ほどですが、山脈を遠回りするとなると一か月はかかります。ですが、このヘイデンは厄介です。峡谷に建てられた要塞は背後に絶壁を備え、山中の砦からは落石や落木による支援が行われます」
「……山の木が切り倒されているせいで、先に山の上の砦を攻め落とそうとしても気付かれるな」
「鎧を着て山を登るのは大変です。疲れて足が鈍ったところに山の上から石や木を落とされるだけで大損害を出す事になります。どうしてもあの要塞を攻略したければ、遠回りさせた軍と挟み込んでの長期戦がよろしいでしょう」
高所に陣取っているだけでも大きく有利だ。
地形がメルブリーク王国軍の味方をしている。
コクラン将軍は慎重論を唱える。
山脈を回り込んで王都を攻め落としても十分に勝てる目算があるので、無理攻めをする理由がないからだ。
「一つ提案――と言っていいものかどうか自信はありませんが、発言よろしいでしょうか?」
ここでシーン男爵が発言の許可を求める。
彼は従来の武官にはない発想を期待されて、またウォリック公爵のもとへと派遣されていた。
「どのような意見だ?」
ウォリック公爵も、アイザックの命令で派遣された彼を邪険にはしなかった。
「麓の要塞に火薬を使ってみてはいかがでしょうか? 火薬樽はかなりの量が余っていますので」
アーク王国での反省から、大砲やロケット弾は現地調達ではなく、本国からも送り届けられるようになっている。
そうなると困るのは余分に送られてきた火薬である。
・危険なので一カ所に集めてはいけない。
・盗まれないように警備部隊を付けねばならない。
・同様の理由で適当な場所に放置しておくわけにもいかない。
軍の進軍と共に輸送しているので、分散して管理しなければいけないせいで警備の兵を多く割かねばならない。
どうせ使わないのなら火薬を運ぶ馬車を他の事に使いたい。
でも貴重品なので捨てるわけにもいかない。
大量の火薬は処分できない不良債権のようになっていた。
この邪魔者を合法的に処分できるのが戦場だった。
シーン男爵の提案に、ウォリック公爵はニヤリとする。
「アイザック陛下は実験を好まれる。一カ所に集めておくと危険だという火薬を馬車数台分まとめて火を付けたらどうなるであろうな。……私まで気になってきたではないか。よし、試してみよう」
ウォリック公爵も「火薬は強力だけど、ちょっと邪魔だなー」と思っていたので、あっさりとシーン男爵の提案を採用した。
「まずは馬車一台分でもよろしいのでは?」
「いや、まとめて使ってしまおう。半端はよくないからな」
そうは言うものの、ウォリック公爵の頭の中は在庫一掃セールでいっぱいになっていた。
砲弾の装薬などは砲兵隊が保管しているが、在庫は本陣が管理している。
いつ爆発するかわからないものを懐に抱え続けるのは心理的な抵抗があったので、この機会に在庫を減らしておきたいと思うのも仕方ない事だった。
「それでは投石器で城壁前に飛ばしますか?」
「物を運ぶだけだからエルフに任せてもいいのではないか? 火を付けるのは攻撃行動なので軍の魔導士にやらせればよかろう」
「協力を得られるのであれば、それでよろしいかと思います」
ウォリック公爵の側近は、二人のやり取りに口出しをしなかった。
やはり彼らも、いつ誘爆するかわからない危険物を手元に置いておくのには忌避感があったからだ。
だが火薬はアイザック案件であるため、厄介者扱いするとウォリック公爵の不興を買うかもしれない。
新参者が火の粉を被る事を恐れず進言してくれるのは、彼らとしても歓迎するところだった。
「よし、ではやってみるか!」
指揮官が決断すると動きは早い。
速やかに火薬樽を敵の要塞前に放り投げる準備が整えられていった。
念のために周囲の伏兵を捜索し、作戦は翌日に決行される。
火薬樽を綺麗に並べる必要はない。
五百メートルほど離れた場所から風の魔法で敵城門付近に叩きつけられる。
中身がこぼれようとも気にせず作業は続く。
「なんだ、あれは?」
「黒い粉か?」
「馬鹿野郎! 頭を出すな! あんな勢いで飛んでくる樽が直撃したら死ぬぞ!」
緊張感のない新兵の頭を古参兵が押さえつける。
新兵は慌ててしゃがみ込み、城壁の狭間から外を見るだけにする。
「不用意に頭を出すんじゃないぞ。壁に身を隠せ。そうすれば魔法を食らわない限り、そう簡単には死んだりしない。俺は報告へ行く」
「あれをなんと報告するんですか?」
「わからん。けどあの樽の中身で空堀が埋まっていっているだろう? あの黒いのは土かなにかで、堀を埋めて攻めてくる準備をしているのかもしれない。敵のほうをよく見ておけよ」
「とうとう来る、んですか……」
「覚悟はしておけ」
そう言い残すと、古参兵はどこかへ駆けていった。
残された新兵達は不安そうにする。
「要塞の中にいれば大丈夫だ。外よりは死ににくいはずだ」
まともに訓練されていない兵士ほど、実戦で怖いものはない。
パニックになって武器を振り回して背後から切りつけられるかもしれないのだ。
別の古参兵が新兵を落ち着かせようとする。
「それにしても、奴らはなにをしている? 魔法で城壁までの道を作れるとかいう噂を聞いたんだがな」
「あぁ、それは俺も聞いた事がある。だから砂で堀を埋めるような古典的な方法を使わなくていいはずなんだが」
古参兵は不思議そうに外を眺める。
「あれは?」
火の付いた油樽のようなものが飛んでくるのが見えた。
それは城門にぶつかると、周囲に火の粉をまき散らした。
「あっ――」
火が黒い土に触れるや否や、彼らの意識は消失した。
「あっ」
火薬に火がついた瞬間、三キロほど離れた場所にいたウォリック公爵達は体を硬直させ、口を半開きにして驚いていた。
――要塞の城壁が消し飛んだからだ。
崩れるではなく、文字通り吹き飛んだ。
空中に残骸が飛び散り、まるで噴火でも起きたかのような光景だった。
しかもそれだけではない。
彼らは見た。
――大地と空気が震える瞬間を。
馬車十台分の火薬は恐ろしい威力だった。
大砲やロケット砲の威力に驚きはしたが、それ以上の衝撃である。
しばらくの間、誰もが静かに事態を見守っていた。
なかなか砂煙が収まらない。
その間にも事態は大きく動いていた。
大きな地響きが聞こえてくる。
「山が崩れるぞ!」
その言葉は、ウォリック公爵が放ったものか。
それとも他の誰かが放ったものか。
本人も自覚できないほど、異常事態に目を奪われていた。
メルブリーク王国軍が迎撃しやすいように山の木を伐採したせいで山肌が脆くなっていた。
地震がない地方という事もあって油断していたのだろう。
先ほどの爆発の衝撃で山崩れが起き、山中にあった砦ごと大量の土砂が麓の要塞になだれ込む。
大きな災害といえば、多くの者がセントクレア地方の水害くらいしか知らない。
それも事後である。
大規模な山崩れを目の当たりにして、誰もが見とれてしまっていた。
安全圏にいるからこその余裕である。
工作部隊は、ゆっくり見てなどいられない。
彼らは必死に遠くへ行こうと逃げ出していた。
「……あっ」
山崩れが終わり、静かになるとウォリック公爵が正気に戻った。
彼は大成功と共に大失態をしでかした事に気付く。
「街道が塞がってしまったな」
山崩れのせいで道が土砂で埋まっていた。
これでは王都への最短ルートは使えない。
「だが、アイザック陛下が火薬を一カ所に集めてはいけないと厳命されていた理由はわかった。今後は一層火薬の扱いに気を付けるとしよう。……シーン男爵の提案により、敵軍を一掃できたな」
「いえいえ、ウォリック元帥のご決断によるものです。この功績はすべて元帥閣下のものです」
「いやいや、そう謙遜する事はない。貴公の功績だ」
「いえいえ、これは閣下のものです」
「いやいや――」
「いえいえ――」
二人は功績を押し付け合った。
確かに火薬の集中運用の破壊力は凄まじい。
しかし、人として越えてはいけない一線を越えてしまったような嫌悪感も本能的に覚えていた。
二人は功績ではなく、その責任を押し付けようとしていたのだ。
結局「発案シーン男爵、裁可ウォリック公爵」と、ウォリック公爵の権力に逆らえず、シーン男爵が責任の大部分をなすりつけられる事となった。
二人の様子を横目で見ていたコクラン将軍は「皇帝だけではなく、こいつらも十分に変わり者だ」という感想を持っていた。







