837 三十二歳 ヴィンセントの決断
「とりあえず、リサは婚約に賛成。バリーは結婚に関する認識はよくわかっていませんが、ソフィーティア皇女と仲良くなれたという話を聞いています。この二人の話は進めてもいいんじゃないでしょうか」
パメラのせいで険悪になったため、アイザックは嫌々ながら婚約の話に切り替える。
さすがにここから降伏の話がご破算になったりすれば、国家運営に多大な悪影響を与えてしまうからだ。
そのほうが子供達に悲しい思いをさせるかもしれないため、涙を呑んで話を進める。
ヴィンセントもあまりパメラには触れたくないのか、それに乗る事にした。
「こちらに異存はない。ただし、確認しておかねばならない事がある。アルビオン家はどうなる? 公爵か? それ以下か? 領地は? 皇子を婿に迎えるのならば相応の領地を分け与えねばならぬが、元々の領地が少なくてはどうしようもない。そろそろそこのところをはっきりさせてもいいのではないか?」
そして、これはヴィンセントのみならず、アルビオン家の者なら気になる話だった。
内戦が終わった時の結果によって考えると言われてはいるが、もう終わったようなもの。
今後の身の振り方を考えるためにも、聞いておかねばならない事だった。
アイザックは困ったように頬をかく。
「現在クリフォード皇子が支配している地域とマカリスター連合から切り取った範囲、と言ったら怒りますかね?」
「当然だ」
ヴィンセントは睨む。
だが、それ以上は言わなかった。
いくらなんでもそれで終わりだとは思わなかったからだ。
「ですがご子息を助けたいのならば、これが限界ですよ。いくらなんでも、あのアルビオン帝国を崩壊に導いた者達に広大な領地を継承する機会を与えるわけにはいきません。三人のうち誰を後継者に選ぶのかわかりませんが、こちらとしても混乱の火種は最小限にしておきたいですので」
「そんな、それはあんまりです」
ヴィンセントの願いも虚しく、アイザックは拒絶の意思を見せた。
デイビットが思わず言葉を漏らした。
アイザックは真剣なまなざしを彼に向ける。
「内戦が始まる前は、アルビオン王国時代の領土にする予定でした。それでは少ないからと、ヴィンセント陛下がアルビオン帝国の半分は残すようにと交渉で勝ち取りました。私もヴィンセント陛下を尊重して最大限の配慮をした。それをすべて台無しにしたのは、あなたのお父君達なのですよ。交渉した時と今とでは状況が違うので、当然現状に合わせた領地になります」
アイザックがブランドン達が反乱を起こしやすいように偽の情報を流した事を除けば、これは噓偽りのない言葉である。
ヴィンセントに譲歩してしまったのも、彼が理路整然と話を詰めてきたからだ。
もし反乱が起きなければ、アルビオン王国は帝国の半分を超える領土を保っていただろう。
内戦で力を失った分だけ、その領土を削られるのも至極当然の事だった。
その事は誰でも理解できる。
しかし、ヴィンセントは諦めなかった。
「……どうしてもスタリオンを中心とした領地が欲しい。その場合はどうなる?」
「北西部とは人口や商業などが大違いですからね。その分だけ領地は狭くなるでしょう」
「やはりそうなるか……」
ヴィンセントは悩む。
だが、それは決断の重さと比べれば非常に短い時間だった。
彼はある提案をする。
「ではアルビオンの名は、ソフィーティアと結婚したバリー皇子に譲ろう。それに見合った領地を帝都周辺に欲しい。アルフレッド達は適当な家名を与えるか、奴らを処刑してデイビットら孫達に北西部を与える。それでどうだ?」
彼の提案は思い切ったものだった。
アルフレッド達が生き残れるのならば、それはそれでいい。
感情のままに叱りつけてやりたい気分だからだ。
だが一時の感情で多くの物を失っては意味がない。
元々アルフレッド達は処刑してやろうと自分でも考えていたくらいだ。
愚息達の命を救うくらいならば、少しでも有利な状況を引き出したほうがアルビオン家のためになる。
だからヴィンセントは身を切る思いで、この提案をした。
デイビットも驚いたが、それ以上にアイザックが衝撃を受けていた。
(だからバリーはバートン伯爵家を継がせるんだって!)
しかし、バリーにバートン伯爵家を継がせたいというのは、アイザックがそうしたいというだけで政治的な意味はない。
アルビオンの直系にエンフィールドの血を入れるのには最高のチャンスだった。
それはヴィンセントもわかっている。
だがこれは、少しでもアルビオン家に力を残すための苦肉の策であった。
「陛下、それは――」
「問題ない。黙っていろ」
デイビットが抗議しようとするが、ヴィンセントは黙らせる。
今後どうするかは、アイザックの答えを聞いてからだ。
この提案に戸惑いながらも、アイザックは悪くないと感じた。
(ソフィーティアと婚約させるのは反対だ。だけど、バリーがスタリオンを中心とする領主になるのは次善策になるか)
アルビオン帝国南部に遷都するのなら、スタリオンは近い場所にある。
だからヴィンセント達に任せるのは危険だと思っていたのだが、バリーが継ぐのならば話は変わってくる。
それにバリーともすぐ会える距離だ。
バートン伯爵家を継がせられなくなるのは残念ではあるが、婚約を進めるのであれば話自体は悪くはない。
ヴィンセントから切り出してくれたのは助かるが、ここで素直に受け入れるアイザックではない。
「……なるほど、ヴィンセント陛下は先祖から受け継いだ領土の領主としてアルビオンの名をどうしても残したいというわけですか」
「当然の事だ」
「そうでしょうか、フフフッ」
アイザックは小さく笑う。
それは安心した笑いであってヴィンセントを馬鹿にした笑いではないが、彼にはそのように思えなかった。
「確かに子孫に多くを残したいという気持ちはわかります。ですがスタリオンに名と血を残すためにバリーに家督を継がせるとまでおっしゃるとは。存外、普通の貴族と変わらぬ考えをお持ちなのだと思いまして」
今度はアイザックの言葉でヴィンセントが驚かされる番だった。
家の存続と領地の継承は王侯貴族の根幹に関わる重要な要素である。
それをアイザックは「平凡な考えだ」と笑っている。
アイザックが非凡な人間である事はわかっていたが、改めて底知れぬ恐ろしさを思い知らされる。
「ではアイザック陛下ならばどうする?」
「バリーに別家を立てさせます。その場合は、ワイアット侯爵領かモズリー侯爵領を中心とした領地を要求するでしょう。そのほうが帝都周辺よりも分け前を多くもらえるでしょうから」
「名より実を取るというのは理解できるが、そこまで名を捨てるというのか!?」
先祖から綿々と続く歴史を軽んじるような発言にヴィンセントは度肝を抜かれる。
彼も実を重んじるタイプだ。
だからバリーに継がせるから帝都周辺を領地にくれと言い出した。
だがそれは「アルビオンの歴史を途絶えさせたくない」という感情による行動だった。
そもそも、アルビオン帝国が他国を攻めてきたのは、代々続いている「最も大きく立派な国にする」という国是によるものである。
そういった点では、アイザックの言うようにヴィンセントは身に着けてきた常識から逸脱してはいない。
しかし、アイザックは違った。
祖先から続く歴史など気にするそぶりもない。
常人ではないとはわかっていたが、そこまで常識外れだとまでは思わなかった。
「祖先が築いてきた歴史を重んじる事は立派な事だと思います。ですが私は歴史を守るのではなく、この手で作りたいのです。歴史を守って安心していては先へ進めないでしょう? 時には諦める事も重要だと私は考えているのですよ」
その言葉を聞いて、ヴィンセントは声をあげて笑った。
愉快そうに笑う祖父の姿を、デイビットは驚愕の眼差しで見守る。
「なるほど。あと二十年若ければ、その考えに同調できただろう。だが今の私では思いつかない考えだ。この手で未来を掴み取ろうとするには年を取り過ぎた。どうしても、今あるものを少しでも手元に残しておきたいと考えてしまう。この差が小さいようで大きいのだろう。……それで、敗者に施しは与えてくれるのかな?」
ヴィンセントは負けを認める。
それは戦争の勝ち負けではなく、器の大きさで負けたと認めるものだった。
だが彼もただで負けを認めたりはしない。
負けを認めた上で勝者の温情を求める。
敗者という立場を認める事で、更なる実を取りに行ったのだ。
「バリーに家督を譲ってくれるのであれば、アルビオン……、公爵を認めましょう。領地はスタリオンを中心に、西部の三分の一から半分ほどを追加します。北西部は反乱に参加した諸侯を封地します。皇子達の助命を求めるのであれば、北西部やマカリスター連合の占領地を中心とした地方の顔役として伯爵位を与えましょう。デイビット皇子達は本人の意思次第ではありますが。親と袂を分かつのならば別途領地と爵位を用意する。こんなところでどうです?」
「まぁ、現時点では妥当なところか。戦争が終わった時にまだ交渉の余地はあるのだろう?」
ヴィンセントの質問に、アイザックは肩をすくめて、仕方ないといった様子で答える。
「大国の皇帝でありながら、あっさり降伏を受け入れてくださったお方です。応じましょう」
「ではバリーとソフィーティアの婚約を正式なものとする」
「あの、待っていただけますか?」
話が進もうとしたところで、リサが口を開いた。
みんなの視線が彼女に集まる。
「バリーがアルビオン皇帝……ではなくて、アルビオン公爵になるというのはさすがに……。家柄としてはあまり歓迎されないのではありませんか? ドウェイン殿下のほうがふさわしいかと……」
彼女も貴族としての常識を持っている。
今こそ伯爵家ではあるが、ほんの十年ほど前までは男爵家だったのだ。
そんな彼女の子供がアルビオン家を継ぐ事になりそうだ。
さすがに恐れ多いと、反対したい気持ちが心の奥底からこみ上げてくる。
「アイザック陛下の母君も子爵家出身だそうではないか。家柄がどうというのならば、そもそもエンフィールド家との婚約など進める事はなかった。アルビオン帝国を降すほどの者の子供なのだから、堂々と婚約を進めればよい。むしろ、その血を受け入れられて喜ばしいとすら思っているのだからな」
ヴィンセントは気にしていないと答える。
彼は母親が元男爵令嬢であろうが、アイザックの血で十分に価値は高まっていると考えていた。
家と領地の存続ができるのであれば、その程度の事は目をつむれる。
――先祖代々受け継がれてきた土地をアルビオンの名前で統治する。
最重要だった名の部分を残せるのだから、あとは実を取っても問題はなかった。
「それにドウェイン皇子は、仲良くはなっても親密にはならなかった。バリー皇子のほうが、ソフィーティアと仲良くやれるだろう。私も鬼ではない。仲良くやれる相手と婚約をさせたいと思っている」
「そうだよ、リサ。バートン伯爵家はレベッカの結婚相手に継がせればいいから心配しなくてもいい」
「陛下がそこまでおっしゃるのなら……」
渋々認めるが、それでもリサの心理的負担は大きい。
――クリスはウェルロッド公爵家の後継者。
――クレアはロックウェル公爵家の後継者の妻。
――バリーはアルビオン公爵家の後継者。
二十年前には想像もできなかった事態である。
本当は辞退したかった。
だが珍しくアイザックが婚約の話を進めているので、この機会を逃すわけにはいかない。
「もしかしたらレベッカもとんでもない相手と結婚する事になるんじゃ……」と心配になるが、今は受け入れるしかない。
彼女は歴史の中心人物であるアイザックの妻なのだ。
今更、出自相応の平凡な暮らしなどできるはずがなかった。







