835 三十二歳 ヴィンセントの失策
アイザックの帰国ではあるが、今回は主役を他の者達に譲った。
――それは兵士である。
アルビオン帝国へ向かう時は新しく編成された部隊を護衛として連れて行き、帰国時には出兵していた兵士を連れ帰ってきた。
しかも今回連れ帰ってきたのは、アルビオン帝国のファーネス元帥を捕虜にした戦いを生き残った精鋭である。
度重なるゾンビアタックを仕掛けた命知らず達に、アイザックは一足早く帰国するという褒美を与える事にした。
そして帝都へも先頭で入場させた。
彼らは久しぶりの帝都に感動で打ち震える。
「あれがアルビオン帝国を倒した兵士達だってよ」
「やっぱり精鋭部隊は顔つきからして違うな」
「凛々しくて格好いいわね」
街道沿いで見物している住民が、彼らの姿を眺めていた。
綺麗にはしているとはいえ傷の付いた鎧を着ているので「できれば見ないでほしいな」という思いが兵士達に共通するものだった。
だが、人に見られるというのは悪い事ばかりでもなかった。
「あなたー、おかえりなさーい!」
おかえり、と声をかける者は多い。
だが兵士の中には、特別な声だけを聴き分けられる者もいた。
彼は隊列を抜けて声のもとへ駆け出す。
「ただいま! 会いたかった! 本当に、会いたかった!」
兵士はおそらく妻であろう女性を抱きしめる。
指揮官や他の兵士は彼を咎める事はなかった。
ただ二人を羨ましそうに横目で眺めるだけだった。
これはやはりアイザックのはからいによるものである。
帝都に家族がいる者は、出迎えにきた家族を見て我慢できなくなるかもしれない。
長年戦場で戦ってきた兵士を処罰するのは、アイザックの本意ではない。
だから家族や恋人との再会を誰も邪魔しなかったのだ。
王宮へ向かうまでの間、次々と兵士の離脱が続く。
残った兵士は歯抜けになった隊列を埋めるために前へと詰めていく。
「チッ」
兵士の一人が舌打ちをする。
隣にいた兵士がそれに気づいた。
「お前も家族がいないのか?」
「帝都の近くにはいない。お前は?」
「恋人はいるが、どうだろうな。何年も待たせたから待っていてくれるかどうか」
「それならいいじゃないか。俺なんて――チッ」
隣の兵士は恋人の姿を見つけたのだろう。
一直線に観衆のところへ駆け出していた。
「俺だって恋人がいなかったわけじゃない。作らなかっただけだ。作ろうと思えば作れるんだ。……今度の出征までに俺も恋人を作るかぁ」
彼のように待つ者がいない兵士は王宮まで先導する事になる。
しかし、一部には「陛下の護衛だから」や「陛下を先導する名誉な仕事だから」と、後ろ髪を引っ張られる思いで家族や恋人との再会を振り切った兵士もいる。
だが、そういう使命感の強い者達も含めて、しばらくの間は家族持ちの兵士に冷やかされる事となり、戦場で培われた強固な絆に少しほころびを作る事となる。
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兵士を主役として扱ったのには理由がある。
彼らの功績を称える他、降伏するためにやってきたヴィンセント達から民衆の視線を逸らすためでもあった。
一応は自主的に降伏を決めたのだ。
アーチボルドと違って、無駄に恥をかかせる必要はない。
何しろウェリントン伯爵やフォスベリー子爵のように、名誉を重んじて扱いに困る者もいる。
もしヴィンセントや彼に近い者がそういうタイプだった場合、反乱の火種を残してしまう。
反乱を未然に防ぐためという面が濃いものではあったが、ヴィンセントに対する配慮という面もあった。
道沿いでドラマが生まれているためか、観衆の興味はそちらに惹かれていた。
アイザックはいつもよりも注目が薄れている事を感じていたが、それは計画が上手くいったという事なので、彼は満足そうにしていた。
ヴィンセントとオーランド伯爵一行は、それぞれ別の迎賓館へと案内される。
もう彼らは主従関係にはないため、両家をひとまとめにする事はせず、オーランド伯爵家を別個の客人としてもてなすためだ。
アイザックも内心では子供の婚約に納得していないが、ここは帝都である。
ちょっとした態度でパメラ達に非難されてはたまらないため「ちゃんと婚約の事を本気で考えてますよ」と思わせるためのパフォーマンスであった。
そしてこれには「慣れない場所に来たから一晩ゆっくり休んでね」という以外にも意味があった。
――それは家族との団欒を邪魔されたくないというものである。
ほぼ半年ぶりに家族と会うのだ。
一日くらいはゆっくり過ごしたい。
だから彼らの歓迎会を翌日にした。
これ自体はよくある事なので、誰にも見咎められる事はなかった。
王宮に到着すると、家族が出迎えてくれているのが見えた。
アイザックは嬉しくなって泣きそうになる。
だが子供達の前なので我慢した。
馬車から降りると、いつもならパメラのもとへ向かっていた。
しかし、今回は違った。
アイザックはレオンのもとへ向かう。
「レオン、留守居役大儀であった。仔細ないな?」
「はい、問題はありませんでした!」
初めてのお留守番を成し遂げたレオンのために、少し芝居がかった言葉をかける。
「兄達と同じく一緒に出かけたかった」という不満を達成感に変えてやるためだ。
十歳を超えれば大人ぶりたい時もある。
一仕事をこなした達成感があれば、きっと次に繋がるだろう。
我が子の成長のために、アイザックはパメラではなく、留守番をしてくれていたレオンに最初に向かったのだ。
もちろん、次はパメラの番である。
順番に抱擁していき、ティファニーの番となった。
彼女は具合が悪そうに見える。
「先週出産したばかりなんだろう? 無理しなくていいよ」
「でもお出迎えしたかったから……」
「ありがとう。でも君の体が心配だからゆっくり休んでいてほしい。子供の名前も考えてあるから、あとで名付けに行くよ」
「わかりました。アルバインもお帰り」
アイザックがアルビオン帝国へ向かったあとでティファニーの妊娠が発覚。
さすがに帰る事はできなかったので、子供とは出産から一週間しての顔合わせとなる。
これもアイザックの楽しみであった。
出迎えが終わると、食堂に向かう事にした。
モーガンやウィンザー公爵も、マーガレット達が王宮で待ってくれていたので一緒に一服する事になった。
ザック達は弟や妹に旅の話を聞かせ、モーガン達もパメラ達に旅の話を聞かせる。
「バークレイ王国は、エリザベスの嫁ぎ先として申し分ない。ギリアム陛下も王太子のエリオット殿下も、そこそこ優秀そうで、それなりに誠実な常識人だ。王太孫のオルデン殿下も特に問題はないように見えた。歴史を変えるような偉人にはなれないだろうが、安心して暮らせる家庭は作れるだろう」
モーガンはバークレイ王国の感想を述べる。
「歴史を動かしすぎて、娘が心労で倒れるのではないかと心配する必要はないはずだ。もっとも、私は孫娘がここまでアイザック陛下に付いていけるとは思っていなかったので目が節穴かもしれんがな。それでもバークレイ王国は悪くはないはずだ。船旅を除けばだが」
ウィンザー公爵もバークレイ王国は悪くないと話す。
この流れをアイザックは「なんでエリザベスの婚約を進めるような話をするんだ」と嫌がっていた。
「そうでしたか。あの子を安心して任せられそうなところが見つかって嬉しく思います。ありがとうございました。このまま婚約成立まで応援してくださると助かります」
だが子供の嫁ぎ先候補が見つかってパメラは安心する。
子供の婚約に関しては、アイザックが頼りないどころか邪魔しかねないからだ。
彼女は周りの意見を固める事で、アイザックが邪魔できないよう牽制しようとしていた。
「あの、他に良さそうな候補はいませんでしたか?」
アマンダが二人に尋ねる。
まず最初にアイザックに尋ねない時点で、彼女も子供の婚約に関してはアイザックを頼れないと思っているらしい事がわかる。
「おそらく相手はバリーになるだろうが、ヴィンセント陛下の孫娘との縁談も進みそうだ。それにハーミス伯と話した感じでは、アイザック陛下が彼の親族の息子か娘との婚約話を進めているようだ。アーク王国とアルビオン帝国の貴族との縁も深めないといけないので、縁談はいくらでもあるだろう。特にアルビオン帝国では内戦のせいで婚約者を失った家が多いようだからな」
「えっ、陛下が?」
彼女は「縁談がいくらでもある」というところよりも「アイザックが縁談を探していた」というところに驚いた。
それは彼女だけではない。
他の妻達も「えっ、噓っ!?」という目でアイザックを見ていた。
アイザックは心外だと言わんばかりに不満そうな顔を見せる。
「私だって子供達の婚約を真剣に考えているんだよ」
(こう答えるためにアリバイ工作をしてきたんだからな!)
アイザックは堂々と答えたが、それでも妻達は懐疑的だった。
これまで積み重ねてきた悪い意味での信頼が、すぐに信じてくれない土台を作ってしまっていたからだ。
「なら、ちゃんと話を進めてくださいね」
パメラの突き放すような言葉が、みんなの心境を代弁していた。
「も、もちろんだとも。私を信じなさい」
それでもアイザックは、この状況になっても抜け道を模索していた。
彼は諦めない男だ。
だからこそ、ここまで昇り詰める事ができたのだから。
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翌日、まずはヴィンセント達と会う事にした。
ヴィンセント達が集めた情報によると、アイザックは妻達の意見を尊重する傾向がある。
だからこそ勝機を見出していたのだ。
お互いに軽い自己紹介を済ませると、リサが口火を切る。
「バートン伯爵家は今でこそ伯爵家ですが、元々は男爵家でした。バリーの母親の私が男爵家出身という事に不満はございませんか?」
バートン男爵家出身の彼女は、どうしても自分の出自が気になっていた。
バリーがアルビオン家の孫娘ソフィーティアといい感じになっていると聞いて、どうしても身分の差に不安を覚えてしまう。
その事を最初に確認しておきたかったのだ。
もちろん、この問いかけをヴィンセントは予想していた。
「それを言うならば、ソフィーティアは反逆者の娘。今後、ブランドンがどうなるかわからないのものの、親がそのような状況にあるソフィーティアでもよろしいのかな? もし婚約を受けていただけるのであれば、後継者に不安のあるこちらは歓迎するところです」
ヴィンセントは下手に出た。
ソフィーティアがブランドンの娘というのもあるが、それ以上にバリーを取り込みたかったからである。
確かにリサの出自は物足りない。
しかし、目線を変えてみればどうだろう。
夫のアイザックは若くして横に並ぶ者のない皇帝であり、クリスはトライアンフ王国の有力貴族と婚約が進み、クレアはロックウェル公爵家との婚約が決まっている。
リサ個人はともかく、母を同じくする兄弟の婚約者だけでもバリーの周囲は有力者ばかりである。
この繋がりは、ヴィンセントでも軽視できるものではなかった。
だから元男爵家出身とはいえ、リサを軽んじるつもりはない。
彼は個人ではなく、全体を見て判断していたからだ。
「政治的に問題があるのならば、アイザック陛下が固辞されていたはず。問題がないとお考えだから、縁談もありだと考えられたと思いますので、私からはソフィーティア殿下に対して強く反対するつもりはございません」
(反対してよ! なんかバリーと仲良くなっちゃったから、なんとなく断りにくかっただけなんだから!)
アイザックの心中とは異なり、リサも息子の縁談に関して乗り気になっていた。
当然、彼女も子供の婚約者を決められるのならば、それに反対する気はない。
本人が反逆者に加担していたのならばともかく、親が国の行く末を思って行動しただけだ。
強く反対する理由にはならなかった。
ただ、これはバリーがバートン伯爵家を継ぐからであって、ウェルロッド公爵家を継ぐクリスだった場合は、婚約を渋っていたかもしれない。
「でも少し考えたほうがよろしいかもしれません」
リサとヴィンセントの話に、パメラが口を挟んできた。
「アイザック陛下どころか、未成年のザック殿下にまで女を宛がおうとするお方を信用できるでしょうか?」
そう、彼女はザックから「アルビオン帝国ではこんな事があったよ」という話を聞いていた。
当然ながら、色仕掛けを仕掛けた張本人であるヴィンセントには厳しい視線が向けられる。
妻達全員から好意の欠片もない視線を向けられて、ヴィンセントもたじろぐ。
(しまった! あの接待は逆効果だったか!)
アイザックが愛妻家だという事はわかっている。
その妻達に敵意を向けられた事で、ヴィンセントは窮地に立った事を悟った。







