834 三十二歳 エンフィールド帝国に対して持った感想
ヴィンセント一行は、エンフィールド帝国に入った途端、アーク王国との違いをまざまざと見せつけられた。
「エルフが農民と話しているだと?」
アーク王国でもエルフが話している場面は見かける事はあった。
だが、エンフィールド帝国で見かけたものは質が違う。
用水路を整備しているエルフに、農民が畑で採れた野菜の入ったカゴを渡している。
それを受け取ったエルフが、農民と談笑していたのだ。
アーク王国に派遣されているエルフは軍属であるがゆえに、話はしても必要以上に親しくはしていなかった。
それは贈り物を受け取ってはいけないと厳命されていたからでもあった。
アイザックが「順番で作業しているのに、物を贈らなければ作業してくれないと他の村の者が心配しないように」と考えたからだ。
元リード王国の領域はともかく、アーク王国は他国である。
平民に安心感や公平感を与えるために、賄賂が必須だと思わせてはならないと命じていた。
だからアーク王国では民とあえて少し距離があったのだが、元リード王国の領域は違う。
こちらでは、作業中のエルフが平民からちょっとした差し入れをされるほど親しい間柄になっており、それを役人が咎める事もしなかった。
「いや、農民がエルフに話しかけているというべきか……。傭兵として雇っているという可能性も考えていたが、エンフィールド帝国では本当にエルフと深い交流をしているのだな」
馬車の中からアルビオン帝国では見られない光景を見て、ヴィンセントは衝撃を受ける。
他国に先駆けていち早く交流を再開していた事は知っているが、ここまで深い交流をしているとは思っていなかった。
ブリジットとの結婚も政略結婚だろうと思っていたが、この様子なら本気で愛し合って結婚した可能性もある。
「こうして馬車の中で話ができるようになったのもエルフのおかげだと聞いています。我が国でもエルフを取り込むべきではないでしょうか?」
同行している孫の一人、皇太孫のデイビッドがそう進言する。
しかし、ヴィンセントは首を振った。
「エルフもバカではない。その力を利用しようとすれば気づかれる。エルフの力を利用するために、どうやって取り込もうか? そう考えた時点で取り込みは失敗だろう。アイザックは長年の間、そういう下心を押し殺して奴らの信用を勝ち取ったのだ。真似はできん。当時は子供だったから、エルフも見た目に騙されたのかもしれんな」
「……子供にそんな事が企めるでしょうか? ウェルロッド公のような周囲の大人がそそのかしたのではありませんか?」
「その可能性もなくはない。だが昔からそういう事ができる子供だったのだろう。だから今、我らはここにいる」
ヴィンセントの言葉に、デイビッドは反論できなかった。
即位して十年ほどで大陸東部を支配し、アルビオン帝国まで降したのだ。
そんな事ができるくらいだ。
子供の頃からエルフやドワーフに取り入る事くらいは簡単だろう。
むしろ、子供だからこそやりやすかったのかもしれない。
彼らが降伏の調印式のためにエンフィールド帝国へ向かう事になったのは、常人の枠に収まらないアイザックが相手だからこそ。
今の彼らの境遇が、アイザックの非凡さと異常さを証明していた。
----------
エンフィールド帝国の状況を見て驚いているのはヴィンセントだけではない。
オーランド伯爵も驚いていた。
「恐ろしいほど道が整備されているのも驚いたが、それ以上に山や川の整備が行き届いているのに驚いた。どれだけの労役を課したというのか。もしや、あれもエルフの魔法でやったのか? 昔は魔法で城塞を作っていたというし、護岸工事くらいは簡単かもしれんが……。なんと凄まじい事か」
彼は道中の山や川を見た事で、そんなところまでしっかり整備する余裕のあるエンフィールド帝国の底力を見たような気分になっていた。
街道の整備だけでも人の手でやれば何年もかかる。
治水工事など、何十年もかかる一大事業だ。
それが広く整えられている。
これは小手先の技で豊かな国だと他国の目を誤魔化す方法とは違う。
本当に整備が行き届いているかどうかは一目瞭然だ。
エンフィールド帝国が虚像で作り上げられた国ではないという事がよくわかった。
「ドワーフの商隊ともすれ違いました。単なる友好関係というだけではなく、経済的にも強く結びついているようです。エルフだけではなく、ドワーフまで上手く取り込んでいます。エンフィールド帝国の力は新兵器などの武力だけではないという事でしょう」
オーランド伯爵の息子、ウォーレスもエンフィールド帝国の異常性に気がついていた。
アルビオン帝国とはあまりにも違い過ぎる。
アルビオン帝国も大国ではあったが軍事に偏っていた。
だがエンフィールド帝国には冗長性がある。
仮に今ある軍が壊滅したとしても、簡単に立て直せる余裕があるはずだ。
見かけの強さ以上に、その底力が強みであるように思えた。
「私の知る限り、昔はこうではなかった。アイザック陛下が現れてからリード王国の発展は始まった。それも恐ろしい速さでな。歴史を動かしている偉人であるという事は認めよう。だが、それだけに不安はある。メルヴィナがエンフィールド帝室でやっていけるかどうかだ」
オーランド伯爵は孫娘を見る。
贔屓目なしでも可愛らしい娘だと思う。
だが、それだけだ。
その他は普通の娘に過ぎない。
アイザックの義理の娘となって、上手くやっていけるかどうか。
今から不安でしかない。
「悪人というわけではないようだが、聖アイザックと呼ばれるほどの善人でもないだろう。ただの善人がここまで国を広げられるはずがない。相応に腹黒いところもあるはずだ。息子のほうは大人しそうではあったが、義理の親がそんな相手のところでやっていけるかどうか……」
「それはメルヴィナに限らず、他の子供でも同じでしょう。親の誰もが不安を持つはずです。なにしろ義理の親になる相手が稀代の英雄ですから」
「それもそうか。アイザック陛下に取り入りたいからと、考えなしに婚約を申し込む愚か者でもない限り、誰もが不安になるだろう。……そうか!」
オーランド伯爵は名案を思い付いた。
「アイザック陛下に取り入るのではない。皇子や王女の婚約先とよしみを結べばいい。そのほうがアイザック陛下に取り入るよりは安全だろう。なにしろ『アイザック陛下のような偉大なお方と親族になるのが不安だ』という共通の話題がある。親しくなるきっかけには十分だろう」
――直接アイザックを狙うのではなく、周囲から落としていく。
将を射んとする者はまず馬を射よ、という言葉通りに動けばいい。
下手にアイザックに取り入ろうとして、不興を買って嫌われるよりは安全だ。
見知らぬ土地で冒険するよりも、安全策を取ったほうがいい。
「……だが、まずは皇后陛下や皇妃殿下に取り入るとしよう。メルヴィナの婚約者がアルバイン殿下だと決まっているわけではない。誰になるかわからない以上、母親の機嫌を取っておいたほうがいいだろう。元男爵令嬢の皇妃もいるが、失礼な態度を取るんじゃないぞ」
「わかっています。アイザック陛下に近い男爵家なら、今のオーランド伯爵家よりも力の面では上と見ていいでしょうから」
彼らはアルビオン帝国に国を攻め滅ぼされて以来、身の程を知る機会は多くあった。
だから自分を律する事もできる。
それが譜代のアルビオン帝国貴族との大きな違いだった。
――身の程を知る。
それは簡単なようで難しいものだ。
どうしても自分の評価は周囲の評価よりも甘くなってしまう。
実像を知るには、身を切るような経験をしなくては難しい。
国を滅ぼした相手の家臣として生きるという経験は、身の程を知るには十分なものだった。







