832 三十二歳 王の帰還
「じゃあ、あとはよろしく」
とても一国を任せるとは思えないほど軽い言葉をノーマンに残して、アイザックは帰国の途についた。
行きと違って、帰りは同行者がいる。
――ヴィンセント一行、アーチボルド一行、そしてオーランド一行だ。
オーランド伯爵にとって、アルバインとの婚約話は飛びつきたいほど好条件だった。
だが彼は無条件で飛びつくほど愚かではなかった。
「アルバインと接する機会を作って、お互いを深く知るため」という名目でアイザックと母親のティファニーの事を知ろうと同行を申し出たのだ。
もちろん、アルバイン自身もしっかりと見定めるつもりだった。
甘やかされたとんでもないクソガキを押し付けられても困る。
その場合、アルバイン以外の選択肢を探すためにも、是非とも帰国に同行しておかねばならなかった。
その点、エンフィールド帝室は子供が多いので代わりを探すのに不安はなかった。
普通ならば一度のチャンスを逃せば次はない。
だからどんな相手であっても婚約を断れない状況になるが、アイザックの場合は選択肢が多くある。
アルバインがダメだった場合でも、他の子供を選べるかもしれないのだ。
アイザックがそれを認めるかは別問題ではあるが、双方のためにも知り合う時間は必要なので慎重に越したことはない。
もっとも、アイザックは彼の慎重な姿勢を評価していたので、その心配は杞憂だった。
彼としては息子を婿に出したくはない。
とんとん拍子で婚約が決まるよりかは、少しでも先延ばしになったほうが都合が良かったからだ。
それに婚約相手を見定めるのはオーランド伯爵だけの特権ではない。
アイザックも彼の孫娘を見定める時間が必要だ。
子供相手に「婚約を断るために粗探ししてやろう」と大人気のない事を考えていた。
道中、和気あいあいとした雰囲気だったかというと、実はそうではない。
原因はやはり、アーチボルドらアーク王家一行にあった。
「父上、なぜアーク王家の方々と話してはいけないのですか?」
「それはね、彼らが捕虜だからだよ」
ヴィンセントは降伏すると決めたので客人扱い。
オーランド伯爵も、アイザックが家の復興を手伝うと言ったので客人扱いである。
だが、アーチボルドは違う。
彼は敵国の王のままであり、アーク王国貴族による沙汰を待つ身である。
それに極めて高い確率で、今後会う事はなくなる。
下手に関われば情も移る。子供達のためにも接触はできるだけ避けておいてやりたかった。
「降伏したヴィンセント陛下や、私を信じていいか見定めるために同行しているオーランド伯とは当然扱いも変わってくる。もう昔のように同盟を結んでいる間柄では無いんだ。今はただの敵国の王として対応せざるをえない。王族として最低限度の丁重な扱いはするが仲良くはしない。どう付き合っていくかはアーク王国に到着して、彼らの扱いが決まってからだ」
とはいえ、アーク王国貴族を仕切っているのはハーミス伯爵だ。
まず間違いなく処刑にされる。
それを子供達に伝えると動揺するかもしれないので、アイザックはもう少し違う言い方で納得させようと考えた。
「もし王族として戻ってきて欲しいと決まれば問題はない。問題はそれ以外の時だ。例えば、国王として迎え入れられないから平民になれと追い出されたとしよう。そうなったらお前達には彼らと付き合って欲しくはない」
「平民とも仲良くされている父上のお言葉とは思えませんが……」
ザック達は普段のアイザックを知っている。
商人などとも居丈高に接するような事はせず、丁寧な対応をしてきていた。
その父が「平民と付き合うな」と言ったのだ。
子供達にはわけがわからなかった。
「これは王族や貴族が平民落ちした場合に限っての話だ。元々平民であれば問題はない。オーランド伯爵家のように、戦争で負けて王位から引きずり降ろされるのは仕方ない事だ。問題があるのは自国民から『必要ない』と追い出される場合だ。その場合は罪人として地位を奪われたという事になる。そんな罪人と仲良くしていると、アーク王国の民は私達の事も嫌うようになるだろう。皇族としてそれは避けねばならないんだ」
アイザックは子供達に悲しげな表情を見せる。
「本当は『あの子と仲良くしてはいけません』とは言いたくないけれど、アーク王家の人達とはまだ仲良くしてはいけない。おそらく、国王として返り咲くのは認められないだろうからね。仲良くなってしまえば別れが辛くなる。だから結果が出るまでは関わらないようにしてほしいんだ」
「……わかりました。ではアーク王国に着いてから話しかける事にします」
「ああ、そうしてくれ」
(ほぼ間違いなく死ぬだろうけど)
アイザックがアーチボルドに希望を持たせたのは、上げて落とすためではない。
子供達がいるので、泣き叫んで命乞いをしてくる姿を見せたくなかったからだ。
処刑されるとわかっている人間を同行させると、子供達に「パパは残酷な人だ」と思われてしまう。
それを避けるために、生き残るチャンスがあるような匂わせをして、大人しく付いてくるようにしたのだ。
子供同士で積極的に交流させるつもりなどない。
徹底的に距離を取る方針を取っていた。
アーチボルドもアイザックの態度を見て、さすがに今の自分の立場を理解したのか、待遇について文句を言ってくるような事はなかった。
今はアイザックの感情を逆撫でするような事はせず、大人しく従う態度を見せて心証を良くしようとしていた。
その事に気づいたのは悪い事ではないが、機嫌を取らねばならない相手が他にいるという事にまでは気づいていなかった。
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アーク王国の王都グローリアスに到着したのは十一月に入る頃だった。
アーチボルド一行を先頭にしての入城である。
「私を先頭にするとは、アイザックも憎い演出をするではないか」
彼は王の帰還を演出しようとするアイザックを褒めた。
しかし、残念ながら住民達はアーチボルドに歓迎の言葉をかけてこなかった。
ただ彼が乗っている馬車を黙って見つめるだけである。
「王都では籠城戦が起きたらしいからな。エンフィールド帝国軍を歓迎できないのだろう。まったく、巻き添えを食らうとは迷惑な事だ」
アーチボルドは他人事のように話す。
それは家族だけではなく、自分自身にも言い聞かせるためのものだった。
自分の帰還が喜ばれていないなどとは認めたくないからだ。
彼は気にしないようにして馬車の天井を眺める。
すると、背後から歓声があがった。
まるでアイザックを歓迎しているように思えて、彼は不愉快になった。
(王宮に着くまでの我慢だ)
そう思う事で気持ちを切り替えようとした。
だが自分とアイザックへの反応の違いがどうしても気になり、胸の奥がざわついていた。
やがて馬車は王宮へ到着する。
そこでは大勢の貴族や兵士が出迎えるために待っていた。
(ドレイク元帥、奴も待っていたか)
アーチボルドはその中にドレイク元帥を見つけた。
憎い相手だが、見知った顔を見つけられて安堵の気持ちもこみ上げてくる。
こんな感情になるとは思いもよらなかったので、ふと一筋の涙が流れてしまう。
「おじい様?」
「大丈夫だ。やっと帰ってこられたと思って少し涙腺が緩んでしまったようだ。年を取るとダメだな」
アーチボルドは孫の頭を優しく撫でる。
騎士が馬車に近寄り、ドアを開ける。
「さぁ、家へ帰ろうか」
アーチボルドが先に馬車から降り、仰々しく周囲を見渡す。
残りの家族も降りてきたところで異変が起こった。
「きゃあ!」
「なんで、どうして!?」
背後から悲鳴が聞こえる。
振り返ると、騎士達が家族を罪人かのように捕らえていた。
「無礼者、何をする! 貴様らなど、私の一声で一族郎党を処刑できるのだぞ!」
「それは私達の台詞だ!」
「なにっ!?」
貴族達の方から挙がった声に反応し、アーチボルドはそちらを振り向く。
貴族をかき分けて姿を現したのが意外な男だった。
「ハーミス、伯……。どうして、死んだはずでは?」
「お前に復讐するため、地獄の淵から舞い戻ってきたのだ。覚悟しろ」
「どういう事だ。……待て、離せ!」
今度はアーチボルドも拘束されて、ひざまずかされる。
ハーミス伯爵達はゆっくりと、だが力強い足取りでアーチボルドのもとへ近づいた。
ハーミス伯爵が、アーチボルドの髪の毛を掴んで顔を上げさせる。
「この日をどれだけ待ち望んだ事か。安心しろ、簡単には死なせない」
「待て、やめろ! アイザック陛下が私を救うと約束したのだ。勝手な真似はできまい」
「ああ、その事か」
ハーミス伯爵は貴族達の方を振り返る。
「改めてこの者を王と崇めたい者はいるか!」
もちろん、誰一人として返事はしなかった。
ただ一部の貴族、ドレイク元帥らは視線を逸らして気まずそうな表情を見せる。
その表情がアーチボルド達への唯一の手向けであった。
「どうやらいないようだな。アーク王国の貴族は貴様を王とは認めない!」
ハーミス伯爵の宣言に、誰も反対の声を挙げなかった。
その反応を見て、アーチボルドはアイザックに騙されたと気づく。
「だが家族を奪われる悲しみは私もよく知っている」
ハーミス伯爵が獰猛な笑みを見せる。
「だから家族を引き裂くような事はしない。フューリアスがいる場所に連れて行ってやろうではないか。アーク王家全員をな」
「ハーミス伯、待て。あれは誤解だ! 誤解を招いたのであれば謝る! すまなかった! だから早まった真似はするな!」
「誤解、ね。ではこれから起きる事も誤解という事だ。先に謝っておこう。すまないな」
「ハーミス伯!」
「連れていけ」
「ハーミス伯! 待つんだ! 誤解から生じたすれ違いに過ぎんのだ!」
まともに謝罪もできないアーチボルドの言葉など聞くまでもない。
ハーミス伯爵達は聞き流していた。
ただ彼の孫達の泣き声を聞いて家族の事を思い起こされてしまい、少しだけ悲しみの感情がこみ上げる。
だが幼子への悲しみを覚えれば覚えるほど、彼らの家族に起こった悲劇をより強く思い起こさせ、復讐の感情がすぐに悲しみを塗り潰して同情する気持ちなど欠片もなくなっていた。







