826 三十一歳 侵攻の通達
まずは使者を送り、以前の国境線まで後退するようにと伝えた。
マカリスター連合を攻めるつもりであっても、一度はチャンスを与える。
この警告を大人しく聞き入れるのならば、交渉による解決もあり得る。
そのチャンスを掴み取れるかは、彼らが欲に負けない心を持っているか次第だ。
マカリスター連合領侵攻計画について、アイザックはウォリック公爵達を集めて会議する事にした。
「まもなくアルビオン帝国の内戦が終わると気が抜けている頃でしょうが、また戦争を始めます。マカリスター連合に、アルビオン帝国は降伏するので、その領土はすべてエンフィールド帝国のものだと伝えました。ですが彼らは元々は自分達の領土だったからと言って軍を進めています。交渉による解決を拒否したのは彼らです。懲罰を与えねばなりません」
いつもならアイザックの言葉を聞き漏らさぬように全力で集中するウォリック公爵だったが、今回は孫のドウェインも参加している。
彼の意識は珍しくドウェインにも向けられていた。
「ただしチャンスは与えます。我が軍が到着した時に兵を退くのであれば許し、退く様子がなければ敵対の意思ありと判断します。大人しく引き下がるのであれば、もう一度交渉の機会を与えるものの、そうでない場合には容赦ない攻撃を仕掛ける。何か意見はありますか?」
「あります」
孫の前で格好いい姿を見せたいと思ったウォリック公爵が動く。
「アーク王国の頃から数えれば、戦争は五年ほど続いています。定期的に本国の兵と交代しているとはいえ、全員が交代できているわけではありません。ここはアルビオン帝国を屈服させた陛下のご威光を使って、降伏勧告を出すほうがよろしいのではありませんか?」
もちろん、いい恰好を見せたいというだけではない。
元帥として軍の状況を報告しつつ「できれば一日も早く国に帰って孫と戯れたい」という彼の願望を叶えるための発言だった。
彼の発言は、そう間違ったものではない。
大陸の歴史上、十年、二十年と戦争を続けていた国もある。
それに比べれば短いとはいえ、今を生きる者にとって五年は長い。
士気の低下は考慮すべき要因だった。
当然、アイザックもその事はわかっている。
だが彼は下剋上が成功した時から、目的のためには人の命を顧みないと決意した。
裏切られない程度には配慮をするが、兵に媚びるつもりはなかった。
「その事は考えていました。ですが、交渉がダメだった時どうするのかと考えると先延ばしはできません。一度軍を退いたあと、また今と同じ規模の軍を興してマカリスター連合へ向けられるかというと……、正直厳しいでしょう。今回はアーク王国から続く戦争で主力が自然に西へと移動してきたからこそ、この規模の軍を長距離遠征できているのです。マカリスター連合を圧倒できるのは今しかない。そう思っているのですが、ウォリック元帥はどうお考えですか?」
「軍の再遠征ですか……」
ウォリック公爵は考える。
しかし、深く考える必要はないほど答えは明白だった。
「厳しいでしょう。もう一度この規模の軍を移動させるとなると、かなりの量の物資が必要となります。クーパー侯などの文官は戦争後の経済立て直しのために数年は軍を動かすべきではないと主張してくるかもしれません。私も……、しばらくはゆっくりしてもいいだろうと考えてしまう可能性もあります」
――戦争中だから許される出費も、平時になれば許されなくなる。
これはクーパー侯爵がケチだというわけではなく、宰相という彼の立場がそうさせるのだ。
特に今のエンフィールド帝国の状況ではそうなってしまう。
貴族達に与える領地は十分に有り余っている。
わざわざ戦争を起こさなくてもいい状況なのだから、内政に力を入れたいと考えるのは自然なものである。
とは言え、一度戦争をやめると、次に始める時に気力がいる。
溜まってしまった仕事や宿題を前にして途方に暮れている時のように。
その事をよく知っているだけに、アイザックはマカリスター連合を下すまでは戦争を続けるつもりだった。
「だからマカリスター連合までは攻め切るのです。それからアルビオン帝国領も含めた内政の立て直しをすればいい。宿題は早めに片付けておかないとあとで困る事になりますからね」
アイザックはシミュレーションゲームで攻め落とせるところまで落として、それから各城に武将を配置して内政に取り組むタイプだった。
一つ攻め落とすたびに内政に専念するよりも、そのほうが効率的に領土を広げられるゲームが多かったからだ。
今世では実際の国家運営で、その方法を取ろうとしていた。
彼の考えは大きくは間違っていなかった。
アルビオン帝国を併合したあと、内政に専念すれば長い年月がかかる。
その間は大規模な戦争を仕掛ける余裕はないのが明らかだったからだ。
大陸中の敵国になり得る国をすべて滅ぼすのなら悠長な事はしていられない。
今は無理をしてでも攻め込む時だった。
「かしこまりました。では作戦計画を立てましょう」
「お願いします。さて、ここで一区切りとして――」
アイザックは子供を見る。
「ザック、私は皇帝だ。その私の提案にウォリック元帥は反対するような意見を出した。これは良い事か悪い事かわかるかな?」
今回、子供達を同席させているのは教育のためでもあった。
アイザックは学問を教える事もあるが、彼の教育は基本的に物事に対する考え方が中心だった。
勉強の出来不出来は人それぞれ。
だから人の上に立つ者として必要な事を教えようとしていた。
「良い事です」
「その理由は?」
「父上も人間だからです。間違った命令を出す事があるかもしれません。その時『その考えは間違いではありませんか?』と指摘してくれると間違いを犯さずに済むからです」
「その通りだ」
日頃から薫陶を受けているザックは、正しいと思う答えを出した。
アイザックは息子の答えに満足する。
「偉くなればなるほど、指摘をしてくれる事はありがたいものだと受け取らねばならない。なぜなら歴史上、権力者に反対意見を出して爵位や領地を奪われた貴族は数えきれないほどいる。意見を出しやすい雰囲気を作るというのも人の上に立つ者として大切な事だ。例えば――」
突然、アイザックはテーブルに拳を叩きつける。
ザック達はビクリとする。
「この私に意見するなど百年早い! ウォリック公の元帥の任を解き、領地の半分を取り上げる! ……などという事を普段から言っているような皇帝が『今日は忌憚ない意見を聞かせてくれ』と言っても誰も信じてくれない。『そう言っておいて、機嫌を損ねたら処罰するんだろう』と思われて誰も意見を言わないまま会議は終わってしまうだろう。それはわかるね?」
「はい」
「常日頃から、本当は聞きたくなかった意見にも怒らずに耳を傾けねばならない。そうしないと本当に大事な意見を誰も言ってくれなくなるからね。皇帝という簡単に国政を左右できる立場にいるからこそ、その責任の重さを考えていないといけないんだ。そうでないと国が傾く。国が傾けば国を愛する貴族の誰かがお前を殺そうとするだろう。もしくは自分の家族が謀反を起こした者達に殺されるかもしれないから気を付けないといけない」
アイザックの真剣な言葉に子供達は喉を鳴らす。
「でもだからといって他人の意見ばかり聞いて言いなりになるのもよくない。信用できると思っている特定の誰かが突然自分の利益になる提案ばかりしてくるようになるかもしれないからだ。だから信用している者の提案かどうかではなく、嫌っている者の意見でもいいから必要だと思われる提案を採用する。それを見極められる知識と経験を身に着けていかないといけないんだ」
「難しそうです……」
「そう思うかもしれない。でも無から生み出すのは難しい事だから、自分で一から計画を考えるよりかは、他人の意見を判断するほうが簡単なんだよ。難しいのは自分が望む方向の提案を選ぶのではなく、国のためになる提案を選ばなくてはいけないというところかな。これは追々慣れていくしかないね」
誰もが自分の意見を押し通そうとして権力を使った事はある。
大人の中にも、今の話を「耳が痛い話だ」と思う者もいた。
「無から生み出すのは難しいというのに、ずっと誰にも思いつかないような事をこなし続けてきた陛下は、やはり並び立つ者のいないお方だと思います」
「あ、あぁ、ありがとう」
普段ならば「あからさまなおべっかを使いやがって」とアイザックは思っていただろう。
だが今の発言をしたクローカー伯爵は尊敬の眼差しで、アイザックを見つめている。
目を輝かせているので、否定の感情よりも恥ずかしさが先に来る。
(その目は子供達にして欲しかったんだけどなぁ……。まぁいいか。まだ話はあるから)
「では作戦計画について話していきましょうか。このような貴重な機会はめったにない。だから合間に子供達への教育も挟んでいくので会議のテンポが悪くなるかもしれない。でも未来の主君が愚かであるよりかはずっといいはずだから経験を積ませてやってほしい」
会議はまだまだ続く。
そこで子供達の敬意を集めればいい。
アイザックは前向きにそう考えていた。
マカリスター連合は、もうアイザックにとってただの教材でしかなかったのだ。
だが彼は知らなかった。
すでに子供達は、母に関する事以外では父を十分に尊敬しているという事を。
『いいご身分だな、俺にくれよ ~下剋上揺籃編~ 2』の発売から約一か月が経ちました。
まだお買い求めいただいていない方は、第1巻とあわせてぜひお手に取っていただけますと幸いです。







