824 三十一歳 兄弟喧嘩
遷都予定地を確認したあと、アイザックは海水浴ができる海岸へと移動した。
「みんなへのお土産を集めていこう」
そう言って、子供達に貝殻集めをさせる。
もちろん、子供達が海に入らないように気を付けるのを忘れない。
モーガンやウィンザー公爵は最初から海に近付かず、ビーチチェアに座って遠目に曾孫の様子を眺めていた。
「海はもうこりごりだが、料理だけは認めよう」
「アイザックなら、子供達のために内陸部でも新鮮な魚を運べるようにするかもしれんな」
「まさか。いくら子供のためとはいえ、そこまではできんだろう」
「では賭けるか?」
「やめておこう。常識が通じない相手だからな」
ウィンザー公爵は、パンツ一枚で子供達と水際で貝殻を掘っているアイザックを見る。
「……なぜ侯爵家の跡継ぎから皇帝にまで成り上がった者が下着一枚で子供と戯れる事ができる? 常識を教えてこなかったのか?」
今の立場を考えれば、アイザックの姿はあり得ないものだ。
だが、そのような事を気にせずに遊んでいる。
ウィンザー公爵は、あまりにも貴族らしからぬアイザックの姿が奇妙でしかなかった。
「勝手に育ったから知らん」
「いつもそれだ。順調に育っていたとはいえ、もう少し当主として子育てに介入するべきだっただろうに」
「そんな事を言ってももう手遅れだ。常識を打ち破る強さがあるから、ここまで来れたと考えるべきだろうな」
他人事のように答えると、モーガンはジュースを口に運ぶ。
レモン水に塩と砂糖を加えただけのものだが、スッと喉を通っていった。
「ウィンザー公ならば、このジュースを作らせるか?」
「もう少し使う果物の種類を増やさせるだろうな」
「突然なんの話だ?」と思ったが、ウィンザー公爵は質問に答える。
「私もそうだ。立場に見合ったものを食べねばならない。それが貴族の常識だった。だがアイザックは砂糖をふんだんに使った菓子よりも食べやすいものを選んだ。このジュースもそうだ。足さなければならないという強迫観念に囚われず、余分なものを引く勇気を持っている。これも常識に囚われない強みだろう」
モーガンは常識に囚われない強みを、ジュースを使って説明する。
それをウィンザー公爵は冷ややかな視線をしながら聞いていた。
「それで本心はどうなのだ?」
「もう少し……、とは思うな。皇帝としての威厳がある時とない時の落差があまりに酷すぎる」
「そうだろうな。皇帝らしい姿を見せている時は私も敬意を持てるというのに。ロイにおかしな癖がついたら困るが、真っ向から常識を持てというのもできんしな……」
ウィンザー公爵は、モーガンが本心を隠すために庇うような事を言っていると見抜いていた。
モーガンも観念して本音を漏らす。
やはり格好いいままでいて欲しいとは思っていたようだ。
軽く溜息を吐いたところで、護衛として派遣されているアルビオン帝国の将軍が近づいてくる。
「お休みのところ失礼いたします。近くで反乱軍の残党が集結していたので捕らえました。こちらも警戒してはいるものの、やはり反乱軍が狙うのに最適な標的でしょう。エンフィールド帝国の要人が一カ所に集まっているというのは危険です。移動されたほうがよろしいかと」
彼は戦争中のバカンスは危険だと告げる。
モーガン達に伝えたのは、アイザックが子供と遊んでいるので、暇そうな彼らに報告しやすかったからだ。
報告を受けたモーガン達は、小さく笑う。
「そちらで処理してくれたのだろう? ならば問題ない」
「誰がどう考えても逆転のチャンスだ。計画を立てずに慌てて襲撃を仕掛けようとしてくるのはわかりきった事。そのずさんな計画が残党を炙り出すのにちょうどいいとお考えなのだろう」
反乱軍の残党が襲撃を計画していたと聞いても二人は慌てなかった。
当たり前かのように平然と報告を受け止めていた。
これには護衛の将軍のほうが慌てる。
「では……、これは残党を引き寄せるためのバカンスだと言われるのですか?」
「そう、我らは虫を引き寄せる灯りだ。しっかりと計画を練られてから襲われるよりも対処は楽だろう? アイザック陛下は無駄を好まれぬお方だ。バカンスを楽しみながらも、不穏分子を炙り出しておられる」
「なんと!?」
将軍は絶句する。
皇帝自らが親族まで使って、反乱軍の残党をおびき寄せるエサになるというのは想像の埒外だったからだ。
ちょうど今「妻達の水着姿も見たいなぁ」と想像しながら鼻の下を伸ばしている男が、そこまで覚悟を決めているとは思わなかった。
同時にアルビオン帝国の将軍である自分を信じてくれている事にも驚いていた。
「陛下は優秀な者だけではなく、職務に対して誠実に向き合う者を高く評価する傾向がある。陛下の信頼を無駄にするでないぞ」
「はい、周辺警護はお任せください」
将軍も今後の事を考えて、アイザックの覚えがめでたい状況でエンフィールド帝国貴族になりたい。
ここでいいところを見せようと頑張る事を心に決めた。
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一方その頃、アルフレッド陣営の最大の根拠地であるワイアット侯爵領が陥落していた。
東西からの攻撃に耐えられなかったのだ。
彼らに残るはわずかな領域のみ。
やむを得ず、アルフレッドはクリフォードのもとへ落ち延びた。
それがアイザック達がバカンスを楽しんでいるのと同じ頃である。
「ブランドン! 貴様、おめおめと顔を出せたものだな!」
「それは兄上の……、お前のほうだろうが! 俺が先に居たんだぞ!」
「クリフォードに北西部を任せたのは私だ!」
久々に顔を合わせた二人は、すぐさま取っ組み合いになる。
彼らの側近に、それを止める気力は残っていなかった。
「やめてください兄上! 争っている場合ではないでしょう!」
止められるのはクリフォードだけである。
彼は兄の間に割って入った。
「ブランドンが反乱など企てねば、こんな事にはならなかったのだ!」
「なにを! 欲をかいて父上を追い出そうとしたのは自分の責任だろう! そうやって人のせいにするから今一つ人望がないとか言われるんだ!」
「負け惜しみを言うな!」
「俺に付いてきた貴族のほうが多かったじゃないか!」
だが二人の口論はヒートアップを続ける。
二人とも現実を受け入れられなかった。
だから口論を止めるのが恐ろしかった。
やめれば現実と向き合わねばならなくなるからだ。
「ああ、もう、わかりました! 殴り合いでもなんでもしてください! ただし、相手を殺さない程度に。みんな、部屋から出ろ!」
無視され続けたので、さすがにクリフォードは怒った。
彼は双方の従者を連れて部屋を出る。
しばらくすると、部屋の中から激しい音が聞こえ始める。
「放っておいても大丈夫なのでしょうか?」
アルフレッドと共に落ち延びてきたエメラインが兄のクリフォードに尋ねる。
「わからない。けどこれまで反目しあっても殺し合うような事はなかった。だから競い合う仲ではあっても、殺し合う仲ではないはずだ。もしここで殺し合うようなら……、それまでの人だったという事だろう」
「なんとか止められませんか?」
「責任を取らねばならない立場だから不安なんだろう。今の兄上達は落ち着く時間が必要だ」
クリフォードは周囲を見る。
「これから話し合わねばならない事はいくらでもある。だからお前達も争わぬようにしてくれ。これ以上事態を悪化させたくないからな」
兄には軽んじられても、他の者にはクリフォードの立場は有効だ。
二人の側近は喧嘩をする元気が残っていないようだが、それでも一言釘を刺しておく。
クリフォードは肩を落としながら深い溜息を吐いた。
「ここはマカリスター連合の攻勢を防ぐので精一杯だ。父上が攻め込んでくればひとたまりもない。兄弟で争っている余裕なんてないのに……」
アルビオン帝国の北西部はマカリスター連合の攻撃を受けて、領地を二割ほど失っていた。
しかも防衛設備が整っている国境付近は攻め落とされているので、防衛は苦しくなる一方だ。
もしヴィンセントが本格的に攻勢を強めれば、各地の防衛線はすぐに崩壊するだろう。
「いつ、どのように降伏するか」を考える段階になっていた。
誰もが沈痛な表情を浮かべて黙り込んでいると、扉が開いてアルフレッドとブランドンの二人が出てきた。
どちらも顔をパンパンに腫らしていた。
クリフォードはクスリと笑う。
「殴り合うような兄弟喧嘩をしたのはいつ以来ですか?」
「……初めてだ」
「治療のために魔法使いを呼びますね」
クリフォードは年が離れていたため、兄達と殴り合うような喧嘩をした事がなかった。
だが年の近い兄達も、した事がなかったらしい。
弟をいじめるような兄ではなかったという事を思い出し、彼は兄を助けてやりたいという思いを強くする。
二人の治療が終わると、まずは三人での話し合いをする事にした。
「マカリスター連合には恨まれているので、父上に降伏の使者を出しましょう。さすがに父上ならば拷問の末に処刑という事はしないでしょう」
クリフォードの意見に、アルフレッドやブランドンは賛成も反対もしなかった。
それを受け入れる言葉を放つ事で、自分の中の何かが壊れてしまいそうだったからだ。
「私も兄上に従って北西部を守っていた事で同罪だと見られているようです。自分一人だけ助かろうとして言っているわけではないという事はわかっていただきたい」
「……わかっている。お前はズルイ奴じゃない」
「兄上、また!」
アルフレッドの言葉が当てつけだと思ったブランドンが反応する。
しかし、アルフレッドの表情に感情はなかった。
「お前に当てつけで言ったわけじゃない。誰も裏切らず、北西部を守り続けたクリフォードを評しただけだ」
「そういう事なら……、同意はできる……」
ブランドンは食いつくのをやめて引き下がった。
彼は頭を抱える。
「父上は父上で何をされるかわからないのが恐ろしい」
「父上も人の子だ。我ら一族を処刑して、親族から養子を取るような事はしないだろう。子供か孫の誰かは残すだろう。族滅でなければ喜ぶべきだろう」
「田舎で蟄居、というのはないでしょうね……」
兄弟揃って、ヴィンセントの報復に怯える。
ただ、誰かの子供は残してもらえるだろうというのが心の救いだった。
王族や貴族にとって血や家を存続させるのは重要な事。
血を残せる道があるのなら、まだ覚悟を決めやすい。
「ここに至っては、これ以上抵抗するのも難しい。降伏の使者を出して、条件を聞いてみよう」
「条件などない。降伏しろと言ってきそうだけどな。聞くだけは聞いてもいいだろう」
「では連名で出しましょうか」
「……いや、お前の名前で出せ。直接戦っていないだけ、父上の心証もまだマシかもしれん」
アルフレッドが、クリフォードの名前で出せと言う。
これには大きな意味がある。
最悪の場合「アルフレッドやブランドンを差し出せばクリフォードだけは許す」という返答が来るかもしれないからだ。
それをわかったうえで、アルフレッドはそう言った。
「そうだな。クリフォード、お前の名前で出せ。そのほうが連名より読んでもらえるかもしれん。連名だと俺達の名前を見て破り捨てられるかもしれないからな」
ブランドンもアルフレッドに同調した。
大敗北を喫し、殴り合いの喧嘩をして吹っ切れたのだろう。
恐怖や悲しみの表情を浮かべながらも、クリフォードのためになる事を選んだ。
「兄上……。私も子供に会いたいという気持ちはあります。本当によろしいのですか?」
「かまわん、やれ」
「俺達の子供も助けられそうなら助けてやってくれ」
クリフォードも人の子だ。
自分や家族を助けたい、助かりたいという気持ちがある。
その事を伝えても、二人の兄の決心は変わらなかった。
「では、そうさせていただきます。お二人の気持ちは無駄にはしません」
クリフォードは兄がくれた最後の贈り物に涙する。
その姿を覚悟を決めた二人は、穏やかな表情で見守っていた。
クリフォードが降伏の使者を出して一か月。
ヴィンセントから返事が届いた。
――降伏は認めない。
手紙の文頭に書かれた言葉に、三人は引きつった表情を見せる事となった。
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