30.輪廻
心如工画師 画種種五陰 一切世界中 無法而不造
如心仏亦爾 如仏衆生然 心仏及衆生 是三無差別
諸仏悉了知 一切從心転 若能如是解 彼人見真仏
心亦非是身 身亦非是心 作一切仏事 自在未曾有
若人欲求知 三世一切仏 応当如是観 心造諸如来
心は工みなる画師の如く、種々の五陰を画き
一切世界の中に、法として造らざるもの無し
心の如く仏もまた然り、仏の如く衆生も然り
心と仏と及び衆生は、是三つの差別無し
諸仏は悉く了知す、一切は心に従い転ずると
もしよく是くの如く解さば 彼の人は真の仏を見ん
心もまた是の身にあらず 身もまた是の心にあらず
一切の仏事をなし 自在なること未だ曾って有らず
もし人、三世一切の仏を求め知らんと欲すならば
まさに是くの如く観ずべし 心は諸の如来を造ると
華厳経 夜摩天宮説偈品 『如心偈』
真夏の日だった。
柚希からの手紙を、祠に入れて、音無霧夜は湖を仰いだ。
緑に覆われた、巨大な青い湖が、青天の下で輝いている。
湛水試験の成った、三郷湖である。―――この下に、はるか俺の故郷が沈んでいるはずだった。
はるかな青の下で、その姿はまるで見えないが―――この下に確かにあった。
三郷神社の祠は、思ったよりもみすぼらしい姿で、湖畔に在った。
舞雪の遷座した先である。
木々に覆われて、国道から歩くこと三十分の山道の末に辿り着ける湖畔だった。そんな場所で祭祀の続くはずもない。多少の平地とはいえ無理があった。
祠であるから、最早本殿と拝殿とすらに分かれてもおらず、人が入れる規模でもない。辛うじて人一人が雨宿り出来る規模の鞘堂に、小さな本殿が覆われているだけであった。
しかし、その鞘堂の中には色々なものがある。
本殿の中には一本の御神刀。舞雪の愛刀『寂静』である。その鞘が赤漆の輝きを放っていた。柚希は定期的に手紙を出す。その積もった手紙に、俺の描いた油絵、そして真冬の撮った写真たち―――
音無霧夜は、二礼二拍手一礼をした。祠の中の、微かな気配が微笑んだように見えた。だがそれだけであった。
蝉の声が降り注ぐようであった。湖畔に歩みを進めた。小さな漣の音。波の上を滑る涼やかな夏の風があった。
その青い水面に、微かな波紋が立った。
「―――音無さんは、これからどこに行くのでしょうか?」
問いがあった。霧夜は瞳を向ける。その先に一つの姿。
白い衣を翻す、久遠寺永遠子の姿であった。青い水面の上に、合掌をして立つ姿であった。艶やかな黒い三つ編みが、夏の風に翻った。
その問いに、霧夜は答える。
「…生きるしかないと思います」
「それは、辛いのでしょうね」
「…何故、俺を想ってくれる人は皆、往ってしまうのでしょうか」
「それを問いながら、生きるのでしょう」
永遠子の答え。
「しかし、音無さんは生きて欲しいと願われています。生きなければ、なりません」
「―――その先に何があるのでしょうか」
「分かりません。しかし、私は待っています」
永遠子は微笑んでいた。
「いつか音無さんの終着駅で、音無さんが来るのを待っています。音無さんの傍で、そして音無さんの行く最果てで」
「…永遠子様は、どこにでもいて、どこにでもいないのですか」
「その通りです」
永遠子は言った。
「そう観れば居て、そう観なければ居ないだけ、居て居ない者です」
「―――」
仏はそう言った。波のさざめく音。霧夜は問いを投げかけた。
―――分からないと、言われると思いながら。
「ゆかりや、小紫、それに舞雪や、玻璃姉さんと」
「はい」
「俺は、また、逢えるのでしょうか」
―――逢いたいという願い。白い衣が、夏の風に翻った。
答えがあった。
「―――もしも、そこにお互いの意志があり、そこに縁があるのならば」
「―――」
「輪廻の海の中で、いつか巡り会うことが出来るでしょう」
そう言って、彼女は微笑んだ。
We will meet in the middle of the Ocean of Samsara
if our intentions and karmic merit are the same.
-Ashi Kesang Choden-




