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執務十五:告白-4

 こんな事があって良いのか。訳も解らず笑い出してしまいそうだ。

「妹君の名前を教えてくれるかな」

 キーツ卿がけしかける。セバスチャンは私の目を見て、言った。

「クララ。クララ・ワーナー」

 そんな名前は知らない。私の事では無い。

「わたし達の母が付けた名前です。明るい女の子に育って欲しいと願いながら……」

 違う。それは、私の母の願いだ。

「わたしは、貴女の義理の父、ブレナンに再会した時、ワイアット家に取り入って復讐を果たす事を誓った。だからブレナンは、わたしがワイアット家に仕えている事を知っていたのでしょう」

 そして、徴兵され戦地で他界した父の遺言は、祖父に受け継がれた。

 そんな――そんな馬鹿な事があるか。

「いつか、貴女と再会する日が来ると思っていた」

 セバスチャンの目が潤んでいる。

「まだ君の話が終わってないよ、セバスチャン」

 無情にも、キーツ卿が言う。

「君はワイアット家に入った後、どうしたんだ」

 セバスチャンは一度目を伏せ、それからキーツ卿に向き直った。

「……はい。それからわたしは、ワイアット家に取り入ろうと必死でした。誠実で完璧な人間を演じ、昇進を重ね、御坊ちゃんの気を引いた」

 「役者」というのは、キーツ卿の言葉だ。

「そして執事になったわたしは、ワイアット伯爵に毒を盛ろうと……」

「待って!」

 頭より先に口が動いていた。

「……先代は、貴男が殺したんですか?!」

 セバスチャンは一度私をチラリとみて、それから頭を振った。

「……残念ながら、復讐は果たせませんでしたよ」

「彼は本当に心不全で死んだのさ。彼は愛人の家で死んだ。腹上死だったんだよ。急激な運動が祟ったんだろう。それにしたって若すぎるけどね。ま、ぼくは呪い殺されたんじゃないかと思っているよ。セバスチャンを始め、多方面から色々と恨みを買う男だったのさ、ブライアンは」

「愛人には多額の口止め料を支払い、使用人達は詮索される恐れがあるため全員解雇しました。これらは全て、トーマス・アディントンの計略です」

 そうして、ブライアン・ワイアット伯爵の死の真相は公にされなかった。

「当のアディントンは、それを機に大奥様と屋敷を離れた。この時からですよわたしが……」

 米神を押さえ、口惜しげに喉を絞った声を発した。

「わたしの復讐心が、立ち消えになったのは」

「憎しみが萎えた?」

 キーツ卿の問い掛けに、セバスチャンは頷いた。

「浮浪者時代のつてを利用し、アヘンを用意して、いざ実行に移そうとしていた、そんな矢先の出来事ですよ。何て間抜けで……恥知らずで……」

 ククク、と笑う。何処か自嘲的な笑いだった。

「嗚呼、憎しみ続けていたのはこんな男か。嗚呼、こんな男の為に生きてきたのか……。そう思い始めると、何だか馬鹿らしくなったのですよ。復讐なんて……」

 ハハハ、と乾いた笑い声を出す。

「今はどうなんだい?」

 キーツ卿が訪ねると、セバスチャンは顔を上げた。

「憎しみは捨てましたよ。ワイアット家にもキーツ家にも、もう恨みはありません。最も殺してやりたいと思っていた人間が呆気なく死に、わたしの中に生まれたのは達成感でも充実感でも無く、虚無感でした。憎悪や怨念に突き動かされて生きてきたわたしには、何も残らなかったのです」

 この時になって漸く拘束が解かれたが、私はその場に立ち尽くしていた。パーシヴァルは無言で主人の斜め後ろに付く。

「だからぼくの牽制にも、全く動じなかった訳だ」

「ええ……このまま黙って、ワイアット家の執事として一生を過ごすつもりでした」

「……それは、旦那様の為、ですか?」

 思わず口を挟む。これだけは信じていたい事だ。確かめずには居られなかった。私の期待通り、セバスチャンは頷く。

「あの方の存在は、わたしにとって大きな誤算でした。初めのうちは手玉にとる事でよりワイアット家に溶け込もうと企んでいました。無垢で無知で我が侭放題の御坊ちゃんには怒りを覚える事もしばしばありましたよ」

 それは、ワイアット卿を殴った時の話か。成る程。彼には母親に甘える事さえ許されなかったのだ。

「しかし、父親が死に、母親が居なくなった事で、悲しみに打ちひしがれる御坊ちゃんの姿を見ているうち、わたしは深い哀れみと、慈しみの感情を抱いたのです。幼い頃のわたしと重ねていたのでしょうね。そしてわたしは御坊ちゃんに心を奪われ、わたしと同じ様な生き方をさせたくない、そう思う様になった。あの方の傍に居たいと、心から願う様になりました」

「……良かった」

 この荒涼とした物語の中で、唯一安心出来る事だ。だがセバスチャンは、

「……しかし、それももう終わりの様ですね」

 肩が震えていた。

「全てを打ち明けてしまっては、以前の様にはしていられませんから」

「そんな……!」

「貴女にもこんな迷惑を掛けてしまいました、クララ……いえ、ミス・ブレナン。わたしは執事として、いや、人間として失格者ですよ」

 もの悲しげに微笑する。

「御屋敷には戻れません」

「だ、駄目です!!」

 私の事は良い。しかし、ワイアット卿はどうなる。セバスチャンまで失ってしまったら、彼はどうなってしまうのだ。

 怒りが込み上げてきた。セバスチャンにもキーツ卿にも、理不尽な世の中にも、何もかもが、嫌になり始めていた。

「……じゃあ、ここでぼくが誤解を解いておこうかな」

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