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執務十五:告白-3

 セバスチャンは目を閉じ、一度深く息を吸った。覚悟を固めている様だ。

「……わたしが生まれた家、ワーナー子爵家は、ワイアット家と同じく製鉄業で栄えた家でした」

 セバスチャンは貴族の末裔という事になる。あまり関係はないだろうが、通りで気品のある容姿だと思った。

「企業としての利益は横這いでしたが、それでもワーナー家は安寧を約束されていました。対してワイアット家は、その過激なやり口で業績を上げ続け、ついには先んじて製鉄産業に着手していたワーナー家を抜き去り、業界屈指の大手企業家となりました。しかしワーナー家とワイアット家との間には、共存関係が出来上がっていました。互いが互いの利害に抵触せず、互いの役割を尊重し合っていたのです」

 まるで昔話でも語って聞かせる様な口ぶりだった。客観的な視点は、当時の彼が幼かった為か、或いはそう見なければやりきれないからか。どちらにせよ、今のセバスチャンは痛ましく思えた。

 キーツ卿が、ちなみに、と口を挟む。

「当時我がキーツ家はワーナー家と提携を結んでいた。本来なら、生まれた子供同士を両家で結びつける予定だったんだよ。ぼくの親父の時代だけどね」

「……ええ、しかし……」

 セバスチャンは言葉を濁した。まるで、ここまでは悲劇の序章でしかないと語る、語り部の様だ。

「……忘れもしない、一九一〇年。ワーナー家が所有する工場の株が、全てワイアット家に買収されるという事件が起きました。秘密裏にワーナー家の子会社に取り入ったワイアット家は、ワーナー家の了承を得ないまま、強行的に過半数以上の株を取得したのです。事実上、ワーナー家の製鉄産業とその経営権利はワイアット家に奪われてしまいました」

 企業吸収か。

「勿論、ワーナー家は裁判を起こしましたが棄却され、時を同じくして、キーツ家はワイアット家との提携をもって、ワーナー家に背中を向けた」

「それがビジネスの世界だよ。弱い者は強い者に踏み潰される。長いものに巻かれなければ生き残れない、弱肉強食の世界さ」

 キーツ卿は肩を竦める。セバスチャンは彼を睨んだ。

「……そんな理屈は、わたし達家族には関係が無かった」

 語気が荒い。

「ワーナー家は会社を奪われ、屋敷も土地も奪われ、友人にも裏切られた。屋根裏の様な安ホテルの一室で、暖房もなく寒さに打ち震えながら、互いの体温に縋り合う一家の気持ちが、貴男に解りますか」

 セバスチャンの目に憎しみの炎が点る。しかしキーツ卿は素知らぬ顔で肩を竦めた。

「恐縮ながら、ぼくはそんな暮らしをした事が無いから解らないね。しかし、どれ程苦しいものだったかは想像に難くないよ。何せ……」

 言い掛けて、続きを話す様セバスチャンに促した。セバスチャンはキーツ卿から視線を話さず、口を動かした。

「……わたし達ワーナー家は、一家心中を図りました。テムズ川に身を投げて……。両親は死に、わたしは川から這い上がって生き延びました。幼かったわたしには、死を考える理由など解らなかったのです。川底に沈みながら、私の腕を掴み、放さない母の顔……悲しげな母の顔が、恐ろしくて堪らなかった。今でも忘れられない」

 セバスチャンは目を閉じる。きっとその瞼の裏に、その時の光景が蘇っているに違いない。ほの暗い水底に沈んでいく家族。地獄へ連れて行こうとする母の顔。想像するだけで、背筋に寒いものが走る。

「それから孤児院に収容されるまでの六年間を、浮浪者として過ごしました。野良猫の様にゴミ箱を漁り、路地に捨てられていた小瓶に雨水を溜めて、何とか生き長らえていました。窃盗は頻繁でした。屋台の野菜や果物を盗み、道行くひとの財布をすり、時には強盗に荷担する事もありましたよ」

 目を開き、再びキーツ卿を睨む。

「わたしが生きてきた理由、その原動力。全ては、家族を奪われた憎しみと、そして幸福だった一家を死へ追いやった二つの家への復讐……!」

 言葉に憤怒の感情が乗る。だが私には、物語の中の話の様にしか思えなかった。そんな壮絶すぎる半生を受け止められるだけの度量が、無いのである。憎悪を糧に生きてきたひとに出来るのは、同情しか無い。それ以上には、成り切れないのだ。

「よく話してくれたね、セバスチャン」

 キーツ卿は頬杖を突いた。

「十数年もの間、胸に秘め続けていた思いを吐露するのには、余程の勇気が要ったろうね。拍手を送りたい気分だ。だがね、セバスチャン。君はこの期に及んで、まだ隠し事をしている。肝心な事を話していないじゃないか。いけないよ」

 含み笑いをする。セバスチャンは押し黙った。

「それでは、わざわざこんな場を設けた意味がないじゃないか。折角彼女が居るんだから、話して上げたら良いのに」

 私に、一体何の関係があると言うのか。そうだ。そもそも、何故私は人質なんだ。私はワイアット家の使用人の一に過ぎない。そんな私の為に、何故秘密を暴露する必要がある。

「君が言わないなら僕から言ってもいいけれど、それじゃああまり宜しくない。是非とも君の口から告げるべきだね」

 催促されても、セバスチャンは口を閉ざしたままだった。キーツ卿は、やれやれ、と頭を振る。

「君はやっぱり状況を理解していない。彼女は今ぼくの手中にあって、君は彼女を助けに来た。それほど彼女が大事なら、君はぼくに従うべきだ」

「私が……?」

 彼にとって大事な存在、なのか。どうにも解らない。

 セバスチャンは唸り声を上げながら、深い嘆息を漏らした。

「わたしには……」

 一度言葉を切って、奥歯を噛み締めてから、意を決して言う。

「……わたしには、妹が居ました。両親が亡くなった時、妹は一歳」

 一九一〇年、セバスチャンは五歳。妹が一歳なら、四歳差だ。

「妹は、ワーナー家で執事をしていた方に引き取ってもらいました。その方の経済力では、二人を養うのは到底無理でしたので、わたしは妹だけを預けたのです……」

 私は、何だか妙な事を思い付いている。人に話したら、まさか、と言われてしまう様な筋書きだ。けれど――。

「……その方の名前は、ブレナンといいました」 

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