執務十五:告白-1
「休暇、ですか」
チェンバレン氏は顎をさすり、私は頷いた。
「構いませんが、宜しければ理由を御聞かせ下さい」
「個人的な理由です。少し身の回りのものを揃えたくて……」
私は嘘を吐いた。きっと、平気な顔をしている。
「そうですか。承知しました。それで、いつになさいますか」
「十二月の二日にお願いしたいのですが、大丈夫でしょうか?」
氏はさっとスケジュール帳を取り出して、ページをめくり、指先でなぞってから、
「その日は……ええ、問題ないでしょう」
「ありがとう御座います」
「いえ。貴女は普段からよく働いてくれますからね。寧ろ、こちらが申し訳ないくらいに思っていたくらいですよ」
チェンバレン氏はそう言って、優しく微笑んだ。
十二月二日。私はタクシーに揺られ、南西に進んでいる。屋敷に仕え始めてから使い道の無かった給料を、まさかこんな風に使うなんて。
溜息を吐くと、ガラス窓が白く曇った。
どうして私は、こうも野次馬な性格なのだろう。少しでも気になった事があると居ても立ってもいられなくなる。
車外に出るとコートが欲しくなる。それでもワイアット邸の辺りに比べればまだ暖かい。私は早足に門扉まで歩いた。
訪れた先は、キーツ卿の屋敷。ここを私一人で訪ねる事になるなんて、思ってもみなかった。
出迎えてくれたのは、キーツ卿の執事だった。彼とは電話で言葉を交わしたが、会うのは初めてだ。見上げる程背が高く、肩幅がある。巨漢という訳ではなくすらりとしているが、何処か圧迫感のある人物だった。チェンバレン氏が軟性なら、こちらの執事は硬性という印象だ。
「あの、ご連絡したブレナンです」
「お待ちしていました。キーツ家執事のパーシヴァルで御座います」
低い声と共に、深々と頭を下げたが、それでもやはり大きい。
「キーツ様にご用の件だとか?」
「はい。少しお話をさせて頂きたくて……」
事前に電話した時、キーツ卿が手空きの時間を頂戴した。彼の性格からして、快い返事だった事は言うまでもない。
「応接室へご案内いたします。どうぞ、こちらへ……」
パーシヴァル氏の案内の元、応接間へと通された。
「やあ、君。一ヶ月ぶりかな?」
キーツ卿が既に待ち構えていた。私は一礼する。
「貴重なお時間を割いて頂き、光栄です」
なあに、と相変わらずののんびりとした調子で答えた。
「畏まる事はないさ。ぼくも暇をしていたからね。この寒さじゃ、どうせ釣りに行ってもボウズだしね」
人の良さそうな笑顔を浮かべる。
キーツ卿に勧められるまま、彼の向かいの椅子に腰を下ろした。パーシヴァル氏はキーツ卿の横に付く。
「しかし驚いたよ。君が個人的にこっちを訪ねて来るなんてね。遠路はるばるご苦労様だ」
コロコロと笑う。
「ここで勤めたいのかな?」
「いえ、今のところは……」
「ま、確かに給料はそっちに比べて安いけどね」
冗談は彼の専売特許だが、私は笑う気がしなかった。
「随分と暗い顔をしているね。そちらで何かあったのかい? 話を聞かせて貰えるかな? 今日はそのつもりで来たんだろ?」
私は頷いて、事のあらましを話した。先代ワイアット卿の死、それに纏わるゴシップ記事、そしてその証言となったのがキーツ卿であると知った事。どうして知り得たのか、その言明は敢えて避けた。
「……成る程。それでぼくに、何故そんな事を記者に言ったのか、またその根拠とは何か、確かめに来た訳だね」
「はい」
私は怖じけずに頷いた。
「君も随分とナニだね。余計な事に首を突っ込みたくなる性質らしい」
私もそう思う。
「それとも、誰かに言われて来たのかな? 例えばセバスチャンとか」
「いいえ。私自身の意志で参りました。屋敷の者には一切話していません」
「どうだろうね。ま、君がそう言うんだから、そういう事にしようか」
にわかに信じられない様子だったが、キーツ卿は笑顔を崩さない。
「良いよ。話して上げる。あれは出任せさ」
了承するや否や、さらりと言ってのけた。
「出任せ?」
「そう。根拠も何も無い、口から出任せ。テキトーだ」
今度は私が彼の言う事を信用出来ない。
「でも、貴方様は確か、先代との親交もあったお方と……」
「そうだよ。彼の事は大いに尊敬していたし、何の恨みもない。ただ、多少の犠牲を払ってでも自身の理念を貫き通すのが彼のやり方で、多くの人間に恨みを買う男だったのは事実だよ。もしこの場に本人が居たら、きっと首を縦に振る。だからぼくは、別に彼の名誉を傷つけたかった訳じゃないし、彼なら傷付かないのさ」
「じゃあ、どうして、そんな……」
故人は何とも思わなくても、遺族は嫌な思いをする。何の言い訳にもならない。
「これはね、ある男に向けたメッセージなのさ」
ゆっくりと背もたれに寄りかかり、足を組んだ。
「色々な新聞社、雑誌社の記者に触れ込んだけど、結局ぼくの妄言を取り上げたのは一社だけだった。お陰で、これまでに気付いたのは誰一人として居なかったけれどね」
「メッセージとは、どういう意味でしょう?」
「聞きたいかい?」
笑顔のままで、私に聞き返す。勿論、答えは決まっている。
「はい。お願いします」
そうか、とキーツ卿は目を伏せる。一体何を思っているのか。彼の表情の内側を読み解く事は困難だ。
「しかしね、君にとっては知らなくて良い事実……いや、知らない方が良い事実かも知れない。知らないままでいた方が、幸せかも知れない。それでも聞くかい?」
知りたい。聞きたい。ただの興味ではない。欲求だ。
私は頷いた。
「良いだろう」
キーツ卿は一息吐いてから、
「先にもう一つ聞いておこうか。君は、ぼくのメッセージの、その送り先を解っているね?」
「……ええ、何となく」
私は、内なる衝動の任せるままに、口を動かしていた。
「チェンバレンさん、ですか?」
私がここに来たのは、あの記事についてチェンバレン氏が追及したからだ。
「そう、ワイアット家バトラー、セバスチャンことギルバート・チェンバレン。彼に気付いて欲しかった。いや、君がここに来るという事は、もう気付いているんだろうね。行動を起こしたのは君の方が早かった」
「何故、チェンバレンさんに?」
「思い出して欲しい。ぼくが以前、彼になんと言ったか」
「『生まれた時から良く知っている』……」
そうか。翌々考えてみれば、道理が合わない。
「ミラー家の執事が調べ上げた様だね。彼が浮浪者だった事や売春宿で世話になっていた事、経歴も年齢までも偽ってワイアット家に働き始めた事。だがそれは表層に過ぎない」
全て、アディントンが探偵を使い、大金をつぎ込んで漸く解った事だ。だが、それは氏が孤児院に入った頃から、十一歳の頃からの事なのだ。とても「生まれた時から」とは言い難い。
そもそも、何故キーツ卿が知っている。このひとは何者だ。
「本当の彼はそんな所には居ない。彼の真実の姿を見るなら、彼が生まれた時から知らなくてはいけないよ」
そしてキーツ卿は、それを知る唯一の人物か。
「ぼくの知っている彼は、ギルバート・チェンバレンなんて名前じゃあなかった」
「……偽名、ですか」
確かに、孤児院で名乗った名前だ。本名である証拠など無い。
「そうだね。ぼくが知っている彼の名前は……」
キーツ卿が言い掛けた時、ドアが開かれた。
「レイモンド・キーツ伯爵!」
チェンバレン氏が肩で息をして立っていた。