執務十四:アルバムに続きを-2
アルバムには、一ページ一枚ずつの写真が収まっている。一枚目は珍しいカラー写真だった。貴人の夫婦が映っている。男性はスーツ姿で斜に構えて立ち、妻女の肩に手を置いている。椅子に腰掛けた貴婦人は、ドレス姿で赤ん坊を抱いている。その顔は黒のインクで塗り潰されていた。多分、離婚したという前妻だろう。
赤ん坊はワイアット卿の様だが、まだよく解らない。ただ男性については明らかに彼の父親である。どうやらワイアット卿は父親似だったらしい。少し癖のある金髪、青い瞳。肌はワイアット卿より赤みがかって見える。顔立ちは、口髭を生やしてはいるが、坊ちゃんの面影がある。
「似ていらっしゃいますね。旦那様も将来、この様に立派になられるのでしょうか」
私が尋ねると、チェンバレン氏は苦笑して、顎をさすった。
「率直に言って、性格までは似て頂きたくありませんが」
そう言えば、先代は酷い浮気性の持ち主だったとか。確かに困るが、その発言は執事としてなのか、それとも別の意味合いがあるのか。まあ、深く勘ぐるのはよそう。
次の写真も似た様な写真だが、こちらはモノクロだった。
「これは大奥様……マダム・ミラーと再婚した後で撮り直したものです」
確かに、貴婦人がミラー夫人にすり替わっている。彼女もかなり若いし、ワイアット卿もまだ赤ん坊だ。同じ衣装に同じポーズ。夫人の表情も心なしか堅い。何だか、偽物の絵画を見せられている様な気分だ。体面を保つ為の後釜――彼女自身の言葉を思い出して、何だか切なくなった。
「次に行っても宜しいですか?」
「え? ええ……」
三枚目は、ワイアット卿が一歳の誕生日を迎えた時の写真だった。「一九一三年十一月一日」と添え書きしてある。彼はもう立てる様になっていて、屈み込んだ母親に縋ろうとしていた。この年になると、もうワイアット卿だと解る。
「可愛らしいですわね」
「ええ。本当に」
チェンバレン氏は写真に目を落としたまま微笑む。
それから一年に一、二枚が撮られていた。終戦を迎えた一九一九年の誕生日、ワイアット卿が七歳の頃の写真でも、彼は小さかった。誕生日を素直に喜んで笑うその顔は、年齢よりも三、四歳幼く見える。幼いと言うより、成長が遅いのか。
そして一九二三年。ワイアット卿が十一歳の頃、やっとチェンバレン氏が登場する。
テーブルに件のミンスミートパイ、カメラの前で母親と寄り添っているワイアット卿の斜め後ろに、一八歳当時のチェンバレン氏が控え目に佇んでいる。彼の服装は今の様に執事然としたものではなく、ジョンなどが着ている様な、地味なベスト姿だった。
「まあ、お若い」
「そうですか? 今もあまり変わらない気がしますが」
言われてみれば、風貌は大して変わっていないかも知れない。多少髪が短いくらいだろうか。けれど何となく、雰囲気と言うのだろうか、佇まいや面持ちから感じられるものが違う。五年も前なのだから当たり前かも知れないが。
「これはチェンバレンさんが、旦那様を、その……」
「ああ。ひっぱたく以前のものですね」
臆面もなく言う。
その出来事は丁度、この写真の後に起きた事らしく、次の写真では、
「これは旦那様に乗馬を教えている時の御写真です」
チェンバレン氏とワイアット卿が馬上で一緒に写っている。チェンバレン氏が手綱を握り、その前にワイアット卿が座って緊張した表情をしていた。教えていると言うより、チェンバレン氏の馬にワイアット卿も乗せて貰っている、という様に見えた。
「恐がりましてね、中々御一人で御乗り下さらなかったものですから」
懐かしげに笑う。
「今や御自由に乗り回して御座いますがね。当時からは考えられない程御上手になられた。まあ、そればかりになってしまって、わたしとしては困りものですが」
ここである疑問が浮かぶ。
「チェンバレンさんは、どうして御馬に乗れるのですか?」
孤児だった彼が、ワイアット卿に教えられる程乗馬が得意だというのは、少し変だ。氏は、ハハハ、と笑い、
「詮索してくれますな」
そう誤魔化されて、次のページに行く。
アルバムはまたカラー写真で終わっていた。椅子に腰掛ける先代と、その傍らに立つ現ミラー夫人。そして膝に手を掛けているのは、ワイアット卿。一九二六年の写真だ。何の事や無い、貴族一家の写真。
「この御写真を撮ってすぐ、先代は御亡くなりに」
父親を亡くした直後、母親は屋敷を出て、ワイアット卿は爵位を継ぎ、孤独になった。それを示す様にしてアルバムはページを余して終わっている。例え仮初めであっても、少年にとっては幸せだった家族との日々。その終焉が、写真が無くなるという形で、アルバムに残っていた。
「どうして御亡くなりに?」
「突然に倒れられ、急な事でした。御医者様の話では、急性心不全だとか」
チェンバレン氏はそう言うが、先代ワイアット卿、故アルバート・ワイアット伯爵は、この写真を見る限り健康そうに見える。本当に急だったのだろう。
何だかもの悲しい。写真に写る幼い頃のワイアット卿を見て、温かい気持ちに包まれていた私は、唐突に氷の張った湖に突き落とされた気分だった。
せめてもの救いは、今現在の彼が決して不幸せでは無いという事だ。小さいながらも立派に育ち、許婚が居て、そして何より、チェンバレン氏という素晴らしい執事が居る。
ベルが鳴った。ワイアット卿の居間から呼び出しのベルだ。
「おやおや。まだ御昼前だと言うのに。甘えん坊ぶりは相変わらず、ですか。暫く戻れないと思いますから、ミス・ブレナンも御部屋に戻られたら如何でしょう」
「あ、私は……」
部屋に戻ればジョンの餌食だ。それに、
「……もう少し、アルバムを拝見させて頂いても宜しいですか?」
「ええ。構いませんよ」
チェンバレン氏は快く応じて、ワイアット卿の元に向かっていった。