表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/64

執務十四:アルバムに続きを-2

 アルバムには、一ページ一枚ずつの写真が収まっている。一枚目は珍しいカラー写真だった。貴人の夫婦が映っている。男性はスーツ姿で斜に構えて立ち、妻女の肩に手を置いている。椅子に腰掛けた貴婦人は、ドレス姿で赤ん坊を抱いている。その顔は黒のインクで塗り潰されていた。多分、離婚したという前妻だろう。

 赤ん坊はワイアット卿の様だが、まだよく解らない。ただ男性については明らかに彼の父親である。どうやらワイアット卿は父親似だったらしい。少し癖のある金髪、青い瞳。肌はワイアット卿より赤みがかって見える。顔立ちは、口髭を生やしてはいるが、坊ちゃんの面影がある。

「似ていらっしゃいますね。旦那様も将来、この様に立派になられるのでしょうか」

 私が尋ねると、チェンバレン氏は苦笑して、顎をさすった。

「率直に言って、性格までは似て頂きたくありませんが」

 そう言えば、先代は酷い浮気性の持ち主だったとか。確かに困るが、その発言は執事としてなのか、それとも別の意味合いがあるのか。まあ、深く勘ぐるのはよそう。

 次の写真も似た様な写真だが、こちらはモノクロだった。

「これは大奥様……マダム・ミラーと再婚した後で撮り直したものです」

 確かに、貴婦人がミラー夫人にすり替わっている。彼女もかなり若いし、ワイアット卿もまだ赤ん坊だ。同じ衣装に同じポーズ。夫人の表情も心なしか堅い。何だか、偽物の絵画を見せられている様な気分だ。体面を保つ為の後釜――彼女自身の言葉を思い出して、何だか切なくなった。

「次に行っても宜しいですか?」

「え? ええ……」

 三枚目は、ワイアット卿が一歳の誕生日を迎えた時の写真だった。「一九一三年十一月一日」と添え書きしてある。彼はもう立てる様になっていて、屈み込んだ母親に縋ろうとしていた。この年になると、もうワイアット卿だと解る。

「可愛らしいですわね」

「ええ。本当に」

 チェンバレン氏は写真に目を落としたまま微笑む。

 それから一年に一、二枚が撮られていた。終戦を迎えた一九一九年の誕生日、ワイアット卿が七歳の頃の写真でも、彼は小さかった。誕生日を素直に喜んで笑うその顔は、年齢よりも三、四歳幼く見える。幼いと言うより、成長が遅いのか。

 そして一九二三年。ワイアット卿が十一歳の頃、やっとチェンバレン氏が登場する。

 テーブルに件のミンスミートパイ、カメラの前で母親と寄り添っているワイアット卿の斜め後ろに、一八歳当時のチェンバレン氏が控え目に佇んでいる。彼の服装は今の様に執事然としたものではなく、ジョンなどが着ている様な、地味なベスト姿だった。

「まあ、お若い」

「そうですか? 今もあまり変わらない気がしますが」

 言われてみれば、風貌は大して変わっていないかも知れない。多少髪が短いくらいだろうか。けれど何となく、雰囲気と言うのだろうか、佇まいや面持ちから感じられるものが違う。五年も前なのだから当たり前かも知れないが。

「これはチェンバレンさんが、旦那様を、その……」

「ああ。ひっぱたく以前のものですね」

 臆面もなく言う。

 その出来事は丁度、この写真の後に起きた事らしく、次の写真では、

「これは旦那様に乗馬を教えている時の御写真です」

 チェンバレン氏とワイアット卿が馬上で一緒に写っている。チェンバレン氏が手綱を握り、その前にワイアット卿が座って緊張した表情をしていた。教えていると言うより、チェンバレン氏の馬にワイアット卿も乗せて貰っている、という様に見えた。

「恐がりましてね、中々御一人で御乗り下さらなかったものですから」

 懐かしげに笑う。

「今や御自由に乗り回して御座いますがね。当時からは考えられない程御上手になられた。まあ、そればかりになってしまって、わたしとしては困りものですが」

 ここである疑問が浮かぶ。

「チェンバレンさんは、どうして御馬に乗れるのですか?」

 孤児だった彼が、ワイアット卿に教えられる程乗馬が得意だというのは、少し変だ。氏は、ハハハ、と笑い、

「詮索してくれますな」

 そう誤魔化されて、次のページに行く。

 アルバムはまたカラー写真で終わっていた。椅子に腰掛ける先代と、その傍らに立つ現ミラー夫人。そして膝に手を掛けているのは、ワイアット卿。一九二六年の写真だ。何の事や無い、貴族一家の写真。

「この御写真を撮ってすぐ、先代は御亡くなりに」

 父親を亡くした直後、母親は屋敷を出て、ワイアット卿は爵位を継ぎ、孤独になった。それを示す様にしてアルバムはページを余して終わっている。例え仮初めであっても、少年にとっては幸せだった家族との日々。その終焉が、写真が無くなるという形で、アルバムに残っていた。

「どうして御亡くなりに?」

「突然に倒れられ、急な事でした。御医者様の話では、急性心不全だとか」

 チェンバレン氏はそう言うが、先代ワイアット卿、故アルバート・ワイアット伯爵は、この写真を見る限り健康そうに見える。本当に急だったのだろう。

 何だかもの悲しい。写真に写る幼い頃のワイアット卿を見て、温かい気持ちに包まれていた私は、唐突に氷の張った湖に突き落とされた気分だった。

 せめてもの救いは、今現在の彼が決して不幸せでは無いという事だ。小さいながらも立派に育ち、許婚が居て、そして何より、チェンバレン氏という素晴らしい執事が居る。

 ベルが鳴った。ワイアット卿の居間から呼び出しのベルだ。

「おやおや。まだ御昼前だと言うのに。甘えん坊ぶりは相変わらず、ですか。暫く戻れないと思いますから、ミス・ブレナンも御部屋に戻られたら如何でしょう」

「あ、私は……」

 部屋に戻ればジョンの餌食だ。それに、

「……もう少し、アルバムを拝見させて頂いても宜しいですか?」

「ええ。構いませんよ」

 チェンバレン氏は快く応じて、ワイアット卿の元に向かっていった。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ