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執務二:黒尽くめ-1

 私がこの家に使用人として住み込み二日。働き始めた初日にして、大わらわだった。

「やー、厨房じゃなくて良かったよ、まったく」

 同じく使用人のジョンが、大階段の手すりにもたれて軽口を叩いた。私とジョンとで玄関ホールの掃除を任された訳だが、今頃厨房は晩餐の準備で大変な有様になっている事だろう。今日は来客があるらしいのだ。

「普段から掃除してるんだから、今更する事ァ無いのよ、実際」

 そう愚痴ってモップを弄んでいる。普段やっているなら、普段通りやれば良いのに。私はそんなジョンを横目に黙々とモップをかけている。

「あ、やべ」

 突然私にモップを預けると、ジョンは階段の陰に隠れた。何かを見つけた様子だったので、彼の見た方向を見遣ると、二階にチェンバレン氏が居た。

「俺、あの人に目付けられてるんだ。俺に構わず、さあ、掃除を!」

 陰からこそこそ声で言う。何も隠れる事は無いだろうに。

 チェンバレン氏は私達に構う様子は無く、踊り場まで下りてくると、肖像画を見上げて立ち止まった。そのまま物思いにふける様に、じっと絵を眺めている。

「……何をしているんでしょう?」

「あー。ありゃきっと『愁思に浸る』ってやつだよ。坊ちゃんがあんな調子だからなあ」

 私が首を傾げると、だからさ、と続けた。

「俺はここに来てまだ一年だから知らないけど、あの人は先代の頃から居るらしいじゃない。だからああやって先代の肖像見てると、思い出して泣けてくるんじゃねーの?」

 成る程。解る気がする。

「ところで……」

 やおらにチェンバレン氏が声を上げた。

「隠れている暇があるなら仕事をして下さいね」

 にこにことして振り返る。ジョンは飛び出して、

「ぎょ!」

「何が『ぎょ』です。モップ二本で掃除をする女性が居るとでも思いましたか?」

 確かに。ジョンは慌てて私からモップを奪い返すが、手遅れだ。

「もう何度目ですかねえ、貴男のサボタージュは。そろそろ、堪忍袋の緒が切れようというものですね。今晩の食事は抜きに致しましょうか」

 あくまでにこやかで、朗らかな口調ではあるが、言っている事は酷だ。

「今晩は晩餐ですから、食材もそれなりのものがそれなりの量だけ用意してあるのですけどね、仕方ありませんね」

 決まり手は小首を傾げて見せた白い前歯だった。ジョンは土下座して謝罪した後、威勢良くモップを構えた。

 来客というのは、スコットランドの建築家、ウンベルト・グラハム男爵。爵位こそ伯爵に下るが、客には最高の持て成しをするのが、貴人の礼儀らしい。今日は商談のために屋敷を訪れた様だ。

 使用人が並び、グラハム男爵を招き入れる。先頭はチェンバレン氏。グラハム男爵は恰幅の良い中年で、立派な髭を蓄えていた。

「ワイアット家へようこそ、グラハム男爵」

 正面に坊ちゃん――アデル・ワイアット伯爵が立つ。小さな身体に短いステッキなどを持って、威風堂々とした装いだった。

「おお、ワイアット伯爵で御座いますかな! いやはや、お若い御当主とお伺いしていましたが、まさか、これ程……」

「子供と思って馬鹿にして頂くな、男爵」

 不快感を露わにするワイアット伯爵に、グラハム男爵は、とんでもない、と諸手を振った。

「ご立派な事だと申し上げたかったのですよ」

「フン、まあ良いさ」

 そんなやりとりの後、二人は応接室に向かった。

 使用人達がそれぞれの持ち場に戻ろうとする時、不意に後ろからジョンが話しかけてきた。

「ちょっと抜け出さないか?」

「またサボりですか?」

「いや、片棒担がせちゃったのは悪いと思うからさ。そのお詫びに良い所に連れてってやるよ」

 ニタニタ笑いを浮かべながら言う。


「貴殿に投資しろと?」

「左様です。我がグラハム社の規模を拡大するに伴いまして、大幅な雇用枠の強化を行いたいのです。そのための五十万ポンド、御支援願えませんか」

「五十万ポンド!」

 私は思わず声を上げた。シッ、と口先に人差し指を当てられる。私達は中庭で二人の会話を盗み聞きしていた。私は、昨日の今日で何をやっているのか。

「でっかい声出したらバレるだろ。それに五十万なんて、ビジネスの世界じゃ端金さ」

 やけに知った様な口ぶりでジョンは言い、再び聞き耳を立てた。

「建築は横ではなく縦、つまり空に向かってそびえ立つ時代を迎えようとしているのです。わたくしの様な先進的な発想を持った建築家は、大英帝国にとって欠かせぬ存在となるのです」

「成る程。要するにまだ見ぬ未来のために目先の金を工面しろ、という事か」

 ワイアット卿は、昨日聞いた声とは打って変わって、歳不相応に重々しい口ぶりで言う。

「そう身も蓋もない仰り方をして下さるな。兎も角、ワイアット様が投資して下さるというならば、うちで使う鉄骨は全てそちらの製品とさせて頂きます。その利益は五十万なんて目じゃ御座いません。ゆくゆくは倍、いや十倍、いやいや百倍と、尻上がりにふくらみ続けるのですから」

 スコットランド訛りでまくし立てる。ワイアット卿は暫く沈黙してから、

「……解った。貴殿に投資してみよう」

「ありがとう御座います! では早速社の方に伝えさせて頂きます。お電話を拝借しても?」

「執事に尋ねると良い」

 グラハム男爵は、はは、と笑う様に答えてから、軽快な足取りで応接室を出て行った。

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