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執務十一:誕生日の夜-4

「アデルのベッド!」

 飛び込んで、レイチェル嬢は枕に頬擦りした。そして鼻を鳴らし、

「アデルの匂いがする」

「犬かッ」

 窓際の椅子に腰掛けたワイアット卿は、呆れて溜息を吐いた。私が運び入れたレイチェル嬢のトランクは、一体どれだけ詰め込んでいるのか、随分と重量があった。どうやらワイアット卿と寝室を共にする事を、最初から決めていた様である。

 レイチェル嬢はベッドの上から手招きする。

「さあ、アデル、いらっしゃい。お昼寝しましょ?」

「馬鹿言え」

「良いじゃない。どうせ夜も同じベッドなんだし。それに何だかすごく眠そうよ?」

 確かに、瞼が落ち掛かっている。それに瞬きも多く、座っているだけでもだるそうだ。それはそうである。何せ、昨晩あれだけ――いや、皆まで言うまい。

「おいで。お姉さんが腕枕してあげる」

「姉だなんて……。僕は寝ないぞ! 寝るなら一人で勝手にしろ」

 ぷい、と顔を背けるが、耳が赤い。

 私の存在などとうに忘れられている様だし、これ以上二人が仲睦まじくしているのを見ているのは苦しいので、一言だけ退室を告げて部屋を後にした。

 廊下を出ると、ドアの横にチェンバレン氏が立っていた。

「御二人の御様子は如何でしたか?」

 何かを心配して見に来ていた様だ。

「楽しげなご様子でした」

 二人の事なら言わずもがなだ。チェンバレン氏もそれは解っているはずなのに、何故そんな事を訊くのだろう。

「そうですか」

 それだけ言うと、氏はくるりと背を向けて、立ち去ってしまった。何故そんなに落ち着かないのだろう。

 そうだ。彼は不安を抱いている。決して感情を顔に出さないが、私には解る。思えば、キーツ兄妹がやって来た時、いや、二人がワイアット卿の誕生日に触れた時から、様子がおかしかった。チェンバレン氏はそれを祝った事がないと言うが、不自然な感じがする。

 彼に何があったのだろう。


 晩餐は和やかな雰囲気だった。ワイアット卿も昼寝をしたのか、幾分面持ちがすっきりとしている。レイチェル嬢は終始笑っていたし、キーツ卿は普段通り。ただ一人、チェンバレン氏だけがどうにも浮かない顔をしている――様に私には見えた。ワイアット卿の目からはどう見えていたのだろう。チェンバレン氏を気に掛けている人物は、誰も居ない様に思われた。

 晩餐の後で、私はレイチェル嬢の入浴を世話する事になった。初めての事で、来客用の浴室に入った事すら無い私にはどうして良いか解らず、チェンバレン氏に相談した。ところが氏からは、

「言われた通りにすれば良いだけですよ」

 と素っ気ない答えが返ってきただけだった。仕方が無い。今の彼には文句を言えないし、やるしかないのだから。

 浴室のドアを開けるとすぐに衝立が立っていて、それを回り込むと、中は意外に広い。中央にバスタブが据えられている。チェンバレン氏が気を利かせたのか、湯船には既に丁度良い温度の湯が張られている。床が水捌けの良いタイルになっている事以外は、他の部屋と変わらない。

 レイチェル嬢は手早く衣服を脱ぎ去ると、次々に衝立に掛けていく。普段から着せ替え遊びなどしている為か、瞬く間に生まれたままの姿になった。彼女の発育の良さは、裸の方が良く解る。胸は少し出過ぎているくらいだが、ウェストは引き締まり、それでいてそこから下には程良い肉感がある。私より幾つか年下なのに、体付きは立派に大人だ。多分私なぞよりよっぽど女らしい。なんだか悔しい気がした。

 慣れた手つきで髪を纏め上げると、私が居ても恥じらう様子は無く、ひたひたと歩き、そしてゆっくりとバスタブに身を沈める。今のところ私の出る幕は無い。

 湯船で腕をさすっている。若々しい素肌は水を弾いた。日焼けをしていず、健康的な白色。農作業をしていた所為でうっすらと小麦色をした私のとでは、大違いだ。

「背中を流して貰えるかしら」 

 やおらに、女性的な声音で言われる。私はビクリとして、

「ただ今ッ」

 と彼女の背中に飛び付いた。

 スポンジで擦ると、彼女は柔らかな弾力で私の手を押し返す。うなじにうっすらと汗が浮いている。首筋にほつれたうぶ毛が張り付いている。私にレズビアンの気があったなら、今頃彼女の肩口にそっと口付けているだろうが、残念ながら私にそういう趣味は無い。

 そういう趣味――自分で思い付いたその言葉に、チェンバレン氏を思い出した。

 そう言えば、キーツ卿の言った「彼に気を付けろ」とは、どういう意味なのだろう。確かに彼は腹黒い。思惑は人並み以上に働くから、きっと隠し事も人一倍持っていたりもするだろう。その事を私はちゃんと解っている。だから警戒心はチェンバレン氏よりも、寧ろ意図の読めない発言をするキーツ卿に向けられていた。

 この事をチェンバレン氏本人に報告すべきだろうか。

「あたしって魅力無いかしら?」

 唐突にレイチェル嬢が言う。同時に溜息まで漏らして。一瞬、私の良からぬ考えと結びつけてしまって驚いたが、どうやらそうではないらしい。

「アデルはやっぱり、嫌いになっちゃったのかなあ」

 独り言の様に言う。私は咄嗟に、

「そんな事は御座いませんよ」

 と言葉を発してしまった。本当に彼女の独り言なら、私の発言は不躾極まりなかったが、レイチェル嬢はやはり私に話しかけてくれていた様で、

「だと良いんだけど」

 と、少し寂しげに微笑んだ。

 めでたいはずのワイアット卿の誕生日に、チェンバレン氏もレイチェル嬢も、私も、不安を抱えていた。

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