第9話 ラボと魔法
皇帝との謁見を終え、宿へ戻る頃には、俺の頭の中はもう次の事で一杯だった。
魔法。
クリスタル。
スロット。
魔素。
そして、俺の体の中にあるらしい謎の石。
分からない事だらけだ。
だが、それがいい。
分からないなら調べればいい。
それが、俺たちのやり方だ。
『優先すべき行動を提案します』
部屋に戻るなり、AIがそう告げた。
『第一に、ファクトリー関連データの整理と運用開始。第二に、ラボ機能の拡張。第三に、魔法現象の観測手段の確立です』
「全面的に同意だ」
俺の中のジェイクが正解だ、と言っている。
「・・・が、その前に買い物だな」
『魔法関連資料と媒介物の確保を推奨します』
「そういうこと」
理屈を知るなら、まずはこの世界の教科書を読むべきだろう。
できれば入門書。
あと、実験用のクリスタルも欲しい。
俺は財布を掴むと、再び街へ出た。
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街は相変わらず薄暗く、湿っぽく、そして最高にファンタジーだった。
石畳。
霧。
巨木。
街灯。
行き交うエルフやハイリザード、獣人たち。
何度見てもテンションが上がる。
だが、今日は観光じゃない。
目的がある。
昨日買った地図と、頭に入った街の経路情報を頼りに歩いていくと、書物と魔道具を扱っていそうな小さな店を見つけた。
木造の店構えで、店先には本の絵と結晶の絵が並んだ看板が出ている。
分かりやすくて助かる。
店に入ると、乾いた紙と木、それに少し鉱石のような匂いが鼻をくすぐった。
「いらっしゃいませ」
店番をしていたのは、初老のエルフの女性だった。
眼鏡をかけ、いかにも本に囲まれて生きてきました、という雰囲気である。
「初心者向けの魔法の本ってありますか?」
そう聞くと、店主はわずかに目を細めた。
「成人してから基礎を学ぶのは珍しいですね」
「田舎育ちなもので」
便利だな、田舎。
「そういうことなら、これでしょうね」
差し出されたのは、やや厚めの本だった。
表紙には《魔法学基礎》とある。
うん。
ド直球で大変よろしい。
「あと、火属性の初歩を試すなら、この辺りかしら。安価な火のクリスタルです」
小箱の中には、小さな赤い結晶がいくつか収まっていた。
ルビーほど澄んではいないが、内側で小さく火が揺れているようにも見える、不思議な石だ。
「それもください」
会計を済ませ、本と火のクリスタルを受け取る。
紙の本。
魔法の入門書。
火属性のクリスタル。
完全にファンタジーのスターターセットである。
めちゃくちゃテンションが上がる。
『アキラ。表情が緩んでいます』
「仕方ないだろ。魔法の本だぞ」
『理解不能です』
「共感してくれてもいいだろ」
『できません』
即答だった。
冷たい。
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宿に戻ると、俺は早速《魔法学基礎》を机の上に置いた。
「さて・・・まずはこれだな」
『解析します』
俺が表紙を撫でた次の瞬間には、もう終わっていた。
『解析完了。言語・図解・本文内容の整合を確認。インストールを開始します』
「・・・早くていいのだが、読書の楽しみというものがないのはいかがなものか」
『必要であれば未読状態として保持することも可能です』
「そういう話じゃないんだが・・・」
『効率を優先しました』
そうだろうな。
知ってた。
だが、読書の楽しみが圧縮ファイルみたいに脳へ放り込まれるのは、やはり情緒が無い。
もっとも、内容そのものは面白かった。
この世界では、空気中に魔素が満ちている。
トランスレイスはスロットを介してクリスタルと魔力を扱い、魔法を発動する。
初歩魔法では属性との相性、イメージ、詠唱、そしてクリスタルとの同調が重要。
なるほど。
入口は分かった。
だが同時に、一つ大きな問題にも気づく。
「AI、これ・・・俺はそもそも発動条件を満たしてないんじゃないか?」
『その認識で妥当です』
はい終了。
『トランスレイスではない。スロットも確認できない。一般的な魔法発動条件を満たしていません』
「理論上は無理、と」
『はい。理論上は』
その微妙な含み、やめてくれ。
期待してしまうだろ。
「まあいい。まずはこっちだ」
俺は買ったばかりのショートソードを机の上に置いた。
昨日ランスロットから貰った剣だ。
実用品としては十分。
なら、改造の試しにちょうどいい。
『ファクトリー運用手順を再確認。マイクロマシン群、局所作業を開始します』
頭の奥に、もう一度ファクトリー関連の知識が立ち上がる。
素材精製、微細加工、強度最適化、組成再配置。
だが、現状は本当に最小限だ。
重金属もレアアースも、宇宙由来高機能素材も足りない。
いきなり何でも作れるわけではない。
それでも、ゼロじゃない。
剣の表面を、肉眼では見えないレベルの粒子が静かに這っていく。
音も熱もほとんどない。
だが確かに、何かが起きていた。
『刃先強度、金属組成、重心バランスを最適化。完了しました』
俺は剣を持ち上げる。
「・・・おお」
すぐに分かった。
違う。
軽いというより、馴染む。
余計なブレがない。
まだ振ってもいないのに、よく斬れると分かる。
「見た目変わってないのに中身だけヤバくなってる・・・」
『基礎改修としては成功です』
うん。
テンションが上がる。
これで少なくとも、街の外に出る準備は少し進んだ。
「次はラボだな」
『了解。ラボ運用関連データを整理、接続します』
今度は分析側の知識が頭の中に流れ込んでくる。
観測項目の切り分け、仮説構築、検証手順、誤差処理。
ファクトリーが“作る”なら、ラボは“調べる”だ。
「研究対象は、魔素、魔力、魔法、クリスタル、魔石・・・あと、俺の腹の中の石っぽい何か、だな」
『研究対象に追加します』
よし。
では、ここからが本番だ。
俺は火のクリスタルを箱から一つ取り出した。
小さな赤い結晶は、掌の上で微かに温かい気がした。
『解析を開始します』
AIがいつものように無機質に告げる。
結晶構造、熱反応、密度、表面情報、内部揺らぎ。
そして、結論。
『不明です』
「はい?」
『現時点の知識体系では、組成も作用機序も特定できません。熱源ではありません。単純な蓄熱体でもありません。ですが、火属性現象との関係は否定できません』
「つまり?」
『よく分かりません』
うん。
知ってた。
分からないものが分からないと分かっただけ、進歩といえば進歩だ。
「じゃあ、試すか」
俺は火のクリスタルを握る。
本の内容を思い返す。
呼吸を整える。
意識を集中する。
火をイメージする。
詠唱を意識する。
「【トーチファイア】」
何も起きない。
だよな。
もう一度。
今度はもっと丁寧に。
小さな火。
灯り。
熱。
指先の先に、揺れる炎を。
「【トーチファイア】」
やはり起きない。
くそ。
それっぽくやってるんだが。
『やはり発動しません。スロット相当器官が確認できない以上、通常手順では成立しないはずです』
「はず、な」
『はい』
俺は椅子に腰を下ろし、少し天井を見上げた。
理屈としては分かる。
だが、理屈で分かるのと出来るのは違う。
しかも、ここは科学の世界じゃない。
いや、科学の延長で見ようとしているのは俺たちの側だ。
この世界の魔法は、この世界の流儀で動いているのかもしれない。
もう一度、火のクリスタルを握る。
意識を深く、深く・・・
その瞬間、腹の奥がじわりと熱を持った。
「・・・ん?」
へその少し上。
あの、以前AIが見つけた石のような何かがある辺りだ。
錯覚かと思った。
だが違う。
熱い。
いや、熱いというより、脈打った感じがする。
『体内未知物質に反応。火のクリスタルとの干渉を確認。しかし、原理は不明です』
また原理不明か。
上等だ。
分からないなら、今は感覚で行く。
頭で組み立てすぎるな。
火だ。
火を出すんだ。
明るく周囲を照らす灯り。
熱。
手の中に、ひとつ。
「ごちゃごちゃ難しく考えるんじゃなくて、こう、イメージを固めてだな・・・【トーチファイア】!」
ぼっ、と。
指先に、小さな火が灯った。
次の瞬間、灯った炎が激しく発光する。
「ぎゃああぁぁぁぁ! 目がぁぁぁ!! 目がぁぁぁぁ!!」
慌てて火を消す。
激しい光を直視したことで、のたうち回る俺。
『応急処置を行います』
助かった。
これが異常な魔力値の弊害か。
何も考えずに使うのはまずい。
魔力の制御を意識しないと。
今度は使う魔力量も極小に調整して・・・
「【トーチファイア】」
今度はちゃんと、狭い部屋を照らす程度の明かりを作ることができた。
「・・・・・・」
『・・・・・・』
数秒、完全に沈黙した。
「ちゃんと出来たな」
『安定した発動を確認』
「出たぞ!?」
『確認済みです』
「いや、マジで!?」
思わず立ち上がる。
指先で揺れる小さな炎が、確かにそこにある。
熱い。
明るい。
そして、どう見ても魔法だ。
「マジか・・・俺、今、本当に魔法を使ったのか」
『結果的にはそのようです』
「結果的にはって何だよ!」
『理論的裏付けが極めて不十分です』
冷静だなぁ!
いや、知ってたけども!
しかし、その冷静さが今はむしろ頼もしい。
『通常のスロット経由反応とは一致しません。体内未知物質、火のクリスタル、周辺環境の三点に異常反応を確認しました』
「つまり?」
『何が起こっているのか、理解できていません』
そこは正直なんだな。
だが、続く言葉は早かった。
『既存の観測手段では不足しています。魔素対応センサー系の構築を開始します』
「お、来たな研究者AI」
『優先観測対象を設定します。体内未知物質。空気中の魔素。クリスタル反応。魔法発動時の干渉。まずはアキラの感覚と連動させて探っていきます』
そうか。
魔法が使えた。
だが、これで終わりじゃない。
むしろ今の一発で、やっと研究の入口に立てたということだ。
俺は指先の火を見つめる。
小さい。
不格好だ。
でも、確かにそこにある。
工房の基礎はできた。
剣も少し強くなった。
ラボも動き始めた。
しかも俺は、ついに魔法まで使った。
・・・いや、今日一日で進みすぎでは?
『否定しません』
「お前、たまに肯定の仕方が雑だよな」
『不要な情緒を省いています』
「そこは少し残してくれてもいいんだが」
指先の火を消し、火のクリスタルを机の上に置く。
まだ分からないことだらけだ。
スロットが無いのになぜ使えたのか。
腹の奥の石みたいな何かは何なのか。
空気中の魔素とは結局どういうものなのか。
だが、それでいい。
分からないなら調べればいい。
調べる手段が足りないなら作ればいい。
それが、俺たちのやり方だ。
「よし」
俺は改造した剣を腰に差した。
「これで、街の外に出る準備が一つ整ったな」
『肯定します。次の段階へ移行可能です』
三日後にはペドラメへ向かう。
それまでに、積めるだけ積んでおく。
異世界生活、やることが多すぎる。
だが、最高だ。
この世界、やっぱり面白すぎる。




