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【奴隷‐侵略の談】


 〝奴隷〟が部族長に隣国の伝説について話すと、彼は深い息をついた。

 隣国と町では使われている言語が違うため、はじめはなかなか説明に難儀した。だが、名と細部こそ異なるもののその神はこの周辺でも信仰されていることが分かり、そこからの理解は滑らかだった。〝奴隷〟も〝奴隷〟で、過去知っていた神と今崇拝する神が同一などとは思いもしなかったが、追放と帰還の予言はなるほどよく似ている。もっともこちらの神は、暦まで指定しての予言とはいかなかったようであるが。

「よくぞ聞かせてくれた。さすがだ、■■■■」

 かつての母国で付けられた名で、〝奴隷〟を呼ぶ。

「なるほど、神か。これは一筋縄ではいかない事態になってきたな。このまま何事もなく終わればいいが、味をしめて来たのであれば、相対もやむを得ないか……」

「相対、って、まさか、戦うおつもりですか?」

 笑顔ながら目をむく〝奴隷〟に、古老も疲労の垣間見える苦笑を返した。

「ああ。真に彼らがその神でも、そうでないにしろな。町を守るため、万全を期すのが第一だ。実のところ、近隣の族長からも前回の弱腰を謗られているし、なにより……」

 嘆息と共に投げられた視線は、〝奴隷〟を通り越してどこか遥か、東の果てにある海でも見つめているようだった。

「神が戻る時、災いがもたらされるのだろう? ならばなんとしてでも引き返してもらわねば」

 そう、かの神はこう予言した。『一の葦の年、私がこの地に帰還した暁には、ひとびとに災いが訪れるであろう』と。それはすなわち、この町の危機に他ならない。部族長はそれを憂いているのだ。

むろん、向こうが動きを起こさねば丸く収めたいらしい。だが、それにも主は眉を下げる。

「なにせ、協力してもらう近くの族長たちは皆『白いひと』に敵対的だ。もしかしたら、初めから強硬手段となることもあるやもしれん。その時は、お前たち女に子供を託す」

 頼むぞ、という逆らえるはずもないひとことで、その夜の会合は締めくくられる。

 翌日には、町全体にこれまでの経緯と現状についてが広められた。男たちは皆戦士となって気を張り、女子供もどこか落ち着かないまま、日々の営みをこなしていく。そのなかでも、〝奴隷〟のすることは変わらなかった。ただ笑みを携えて、どこへなりと一生懸命、誰かのために働きに出向くだけだ。

 そのまま二日ほどが経過し、とうとう、あの小山が岸のほど近くまで来ていると伝達があった。

 男たちは皆、槍や弓、大剣を手に海へ駆けだし、あるいは町で防備を固めた。老人と女子供は数箇所に集められ、息を潜めて戦の終焉を待つ。ここまでの厳戒態勢ははじめてで、町は緊張で空気がひび割れそうだった。なにしろ、相手は得体の知れぬ異邦人、あるいは神である。自分たちの力が及ぶのかどうか分からないし、相手の出方も知れない。避難した翌朝には楽観も消えうせ、茫漠たる不安に全体が蝕まれていった。

 しかし、それでも〝奴隷〟は笑う。臆するひとびとを少しでも慰めることができるならと、まとめ役の女性たちと共に、小さく声をかけて回った。

「大丈夫だよ、安心して。皆が負けるわけないでしょう? これまでたくさん勝ってきた、最高の戦士じゃない。だから、ね?」

 〝奴隷〟たちが集められたのは、町の中心にある神殿内部だ。他の奴隷仲間もあらかた集ったそこには、これまでの戦勝の証である血の匂いがしみついている。神に捧げた戦争捕虜たちのものだ。それを意識するよう伝えてみると、彼女らもいくぶんほっとした表情になる。戦士たちの強さを実感したのだろう。

ちらほらお喋りさえ囁かれはじめる。これまで町の子供たちを鼓舞していた女性と目が会い、互いに笑顔を深めあった。

 〝奴隷〟の言ったことは、当然、ただの気休めなどではなかった。全体を総動員すれば一万以上の戦力を持つこの町が負けることなど、よっぽどのことでもない限りありえない。たまたま神に似た外見のひとびとが見慣れぬものでやってきたから、必要以上の警戒を敷いて、皆が過敏に反応してしまっているだけ。〝奴隷〟としては、そういった意見で動いていた。

 だから自分たちの拠り所を信じさえすれば、自然に場は収まるはずだ。宥めは実を結んだし、このまま行けば、睦まじさは維持されよう。そう胸を撫で下ろして、決してそれは間違ってなどいなかったろうけれど。

 突如鳴り響いた轟音の前には、つかの間の和気もあっけなく四散した。

 一拍挟んだ静寂ののちに、誰かが甲高い叫びを上げる。それを境に狂騒が神殿内を埋め尽くし、石壁で反響して二倍にも三倍にも膨れ上がった。

 女子供は、基本的に戦に出ない。儀式で血なまぐさいことには慣れていても、戦争で起こる事態の数々に耐性がないのだ。まして、こんな呪術にも近い破壊的な大音量、神経質になっている今では防げない。

 誰が何をわめき、どの声がひとつながりになっているのか、それさえ判別できない錯乱に場が呑まれていく。しかし、〝奴隷〟を含む数人は、それでも騒ぎを収拾させようと躍起になっていた。

「だ、大丈夫だから、落ち着いて! 平気だから! きっとなにか、なにか……」

 また轟音が襲う。今度は前のものより少し大きい。

 敵が近づいてきている――そう悟って、まだ正気を保てていたのは、果たして何人いたろうか。少なくとも、〝奴隷〟はいつもの笑みのまま、呆然と突っ立っていることしかできなかった。

 そしてどれほど経ったろうか。外で続く――しかもやはり接近しつつある――戦闘は、着実に全員の精神を削っていく。少し前に湧き上がった「化け物」「神の怪物」という数々の喚きが、それにさらなる鋭さを与えていた。

 こんな状況では、どんな言葉も焼け石の水に等しい。それに半ば気づいていながらも、〝奴隷〟は皆に語りかけ続けた。柔らかい笑みを浮かべ、繰り返しその背をさすっていった。

「大丈夫だよ。きっと、大丈夫。安心して。きっとひどいことなんて、何もないから……」

 それに応じる者は少ない。それでも、止めることなどできないのだ。

 誰もに笑っていてほしい。それが無理でも、せめて和らげるくらいなら。その一心で伸ばされ続けていた手は、戸口を開けた人影によって、ようやく止まる。

 別の場所に避難していた部族長が、蒼白の顔をしてそこにいた。

「……奴隷たち、出てきなさい」

 長く置かれた沈黙を破って、重々しい口調で告げる。その顔貌はこの数日に十年も時を重ねたようにさらに老い、動作にもいつもの威厳がない。それを疑問に思う暇もなく、彼の脇から町の戦士たちが現れて、女奴隷だけを次々と引っ立てていった。

 抗議の声は上がらない。戦士たちの方も半分虚脱状態といってよく、覇気のない男女が連れそう姿はまるで幽鬼の婚礼のようだ。〝奴隷〟もむろん連れだされ、弱々しく手首をつかまれて神殿の階段を下りていく。何があったか問いかけても、眼差しが戦慄を物語るだけだった。

 高台から見れば、町は手酷い損害を受けていた。家々には半壊したものも多く、畑も荒れに荒れている。柵はばらばらに砕かれているし、どうやったのか、地面にも陥没が認められた。それでも、皆が無事ならなんとかなるだろう。誰もがやさしく勤勉なこの町なら、これくらいどうってことはない。すぐに復興できる。

 そう、あの大地に散らばる赤い汚れだって。その中心の細長いまだら模様だって。

 皆でがんばれば、それで――

「ひっ、いやああぁっ!」

 先行していた奴隷仲間が、金切り声を上げた。それに連動して、彼女に続く奴隷たちも、各々絶叫する。最後尾の〝奴隷〟はただただ戸惑うだけだったが、進むにつれ、その原因ははっきりと瞳に焼きついた。……焼きついてしまった。

 それが無残に引き裂かれた町の戦士だと、そう分かってしまったから。

「え……え?」

 叫び声こそ出さない。だがその思考は、紛れもなく停止寸前に追いこまれていた。だってこれは、これはおかしい。

 戦争とは生贄を得るための儀式だ。お互い本気で戦うわけだから当然死人は出るが、それも最小限に留められることが暗黙の了解である。敵兵をいかに捕虜とするかが戦略における最優先事項であり、儀式の基盤なのだ。

 しかしこれはなんだ。可視範囲で数え上げても、きっと死体は五百を下らない。町全体で計算すればどれだけだろう。町の人員がいくら多いからと言って、ここまで無頓着に手にかけることなどありえない。こんなのは、本当にただの殺戮である。

 ともすれば供犠などよりよっぽど残酷で、そして無慈悲で無意味な死に方だ。こんなものを、一体誰が望んだというのか。

 だが、そうして物思いに沈んでいる暇などない。同胞たちの嘆きが聴覚を揺り動かして、思わず〝奴隷〟は萎えた男の手を振り払って駆け寄る。そして全員に向かって、とびきり最高の、満面の笑みを向けた。

「大丈夫、だよ! 泣かないで、笑って! 何も、ね、何も怖くなんてないから!」

 そう言う間にも、穀物の粒のように無造作に散らばった死体が、脳裏に閃く。それに恐慌をきたしそうなほどの悲しみが去来するが、笑みは緩めない。

 笑わなければ。笑わなければ。こういう時にこそ、自分が笑わなければ。

 少しでも彼ら彼女らを明るくして、少しでも涙をぬぐう。一分でもいいから、その傷が浅くなるように。皆が泣かないでいいように。

 皆が傷つくのは嫌なのだ。悲しくてつらくて胸が潰れそうなのだ。涙でさえ苦しいのに、殺されるなんてもってのほかだ。供犠以外ではじめてみた死で、実感した。

 これはいけない。殺人は怖いものなのだ。供犠は名誉、だから誰もが喜んで、〝奴隷〟は疑念など抱かなかった。けれど殺人は心抉るほどの仕打ちで、ならば供犠とはいったい善悪どちらなのだろう。人殺しと供犠の、違いとは――。

『こわいの……』

 「供犠」。それで思考に降りたったのは、彼女の姿だ。あの暗闇で語らった、理解への願いの記憶。あの時分からなかった彼女の想いが、寸分違わず耳の奥で繰り返されて。

 かちり、と石組みのはまるような音が、虚空で鳴った。

「あ……そっか」

 呟く。一瞬、すべての苦しみ悲しみがまっさらに淘汰され、ただ胸がすくような妙な感懐だけに染められた。ふんわり、宙に浮いている心地がする。褒美にもらえる酒に酔う気持ちとどこか似ていて、だが決定的に意識は明瞭だった。

 確信する。胸に手を当て、驚くほど穏やかな鼓動を感じれば、まるで肯定されたようだった。安心感に包まれて、〝奴隷〟はちいさな吐息をかたち作る。

 ああ、そうか、そうなのか――ようやく分かった。

「あの子も、きっと」

 私と同じ、だったんだ――。

 数年越しに得た答えと自覚に、こんな状況ながら、喜び以外の何物でもない感情が湧き上がる。懐古の切なさが、笑顔に新たな色を添える。それは多分、これまで浮かべたことのないほどの、幸福の微笑みだった。



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