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【巫女‐帰還と大祭と虐殺の談】

 〝巫女〟はずっと怯えていた。人身供犠にも、周囲のひとびとにも。けれどその対象に〝神〟という絶対的な存在が含まれてから、石蔵に引きこもる頻度はいっそう増えた。

 日に日に〝神〟は近づいてくる。王の使者は彼らへの畏怖をひたすらに語ったし、影武者すらその正体を見破られたという。また、国内にある敵対部族と盟約を交わし、彼らの偶像を壊して回っているとの報せも届いた。神官という立場上、情報は山ほど耳に入る。

 しかし、それでも対策など、なかった。いや、考えようともせず、一計を案じたところで無駄だと諦めていた。〝巫女〟は徹底的に無力であり、そんな身のほどを自覚していて、そしてある意味怠惰だった。

 それに、彼らは犠牲を厭う慈悲深い神だ。それなら、もしかしたら――自分たちのことだって、許してくれるかもしれないではないか。

 希望的観測だとは分かっている。だが、一縷の望みがあって縋らないほど、強い〝巫女〟ではなかったのだ。

 そして半年ほどを不安定なままに過ごして。とうとう、かの〝神々〟が都への帰還を果たした。

「……」

 〝巫女〟はその日も石蔵に向かう。外はいつになく敬虔な静寂に満たされ、まるきり供犠の儀式の時のそれだ。蔵に入れば、その静けさが外のものか内のものか判別できなくなったから、ようやく安らぎを得られたけれど。今ごろ入城しているだろう〝神〟のことを思えば、怖気はそれを覆して余りあった。

 王は〝神〟に玉座を返すと決めた。そしてその軍勢に寝食を提供するとし、その手配には余念がなかった。だが完全に王位を退く気はないようで、いかに神々に満足してもらい再び海の向こうへ旅だってもらうかを念頭に置いているらしい。それが叶えば、と切に願う。

 この蔵には時間の移ろいが存在しない。昼日中の光さえ差しこまず、音も石に弾かれて届かない。だから、こうして膝を抱えてどれほど経ったかなど、もう見当すらつけられなかった。

もう〝神〟たちの行進は終わっただろうか。少し怖いが、外の様子を窺ってみた方がいいかもしれない。そう迷いはじめたところで、地鳴りのような重い音が、鼓膜をかすかに震わせた。

「……え」

 目をみはる。体が竦むよりなにより、まず感じたのは「ありえない」。ただそれだけだった。

 だって、ここは誰の声も聞こえずなんの音も入りこまない、そんな秘密の場所のはずだ。〝巫女〟が自分を解き放つ、そのためだけにある空間なのだ。なのに、鳴らしてもいない音だなんてありえない。空耳だと、自分を納得させようとする。

 だが、それよりも先に二度、三度。地響きのような音が遠く聞こえて、そんなごまかしは通用しなくなってしまった。

 間違いようなんてない。石の壁を通して届いた音は、まさしく現実だ。その事実が骨身にまで一瞬で染み渡り、すぐさま恐れへと転換された。

「あ……っ、い、や、いや……、やだあ……!」

 怖い。あの音が。この厚い壁を隔ててなお聞こえるなど、外ではどんな風に耳を聾するのか、そんなもの知りたくもない。だが、これが〝神〟の呪術か何かであろうことは確実だ。人身御供を今の今まで続けてきたこの国に憤怒しているのだろうと、すぐに思い至る。

 ならば次は自分の番だ。ひとを殺し続け、心臓を掴み取ってきた〝巫女〟である。見逃されるはずなどない。失禁しそうなほどの戦慄が、実感さえ伴って、全身を這い回って貫いた。

「やだ、やめ、て……やめて」

 けれど、「音」に触発された恐怖はそれだけでは終わらない。涙が呼吸器官を抑え、嗚咽だけを作りだそうとする。それでも、彼方へ訴えるように、きつく高く鳴いた。

「ここに……ここに、こないでえっ‼」

 壊される。これまで自分が守っていた自分だけの空間が、破られ穿たれ侵される。そんなものには耐えられない。

「やぁ……だ……」

 今更ながらに痛感する。今や自分は風前の灯と同然だ。次に何が起こるかはわからない、けれどその破滅は決定されている。どうしようもない絶望感とは諦めに似ていると、ここではじめて知った。



 そして、それからまた半分の季節が流れる。

 多くのものが変わった。〝神〟は金銀財宝を王より奉られ、そのまま宮殿で生活している。しかし一方、王は反乱の疑いをかけられて幽閉された。神殿からは神々の像が打ち壊され、なにやらよく分からないものが掲げられている。女らしき細い像と、男が張りつく交差した棒だったろうか。あまり詳しいことは覚えていない。また、〝神〟の軍勢を養うための食料や水などの徴収が、民間からも行われた。

 人身御供は、禁止が言い渡された。当然だろう、彼らは供犠を許さない神なのだ。それには安堵を得たと、確かに言える。けれどひとびとは秘密裏に供犠をしていたし〝巫女〟もそこに携わっていた。〝神〟を盾に断ることだってできるはずなのに、非難を恐れてできない自分は、やはり最低の人間だ。

 だが突然、〝神〟は少数の兵を連れて、都を旅だっていった。

 その意図は分からない。だが残りの軍勢を置いていった以上、王の目論見どおりにいったわけではないらしい。それでも、供犠をはじめとする様々な儀式を抑圧されていた民衆たちはこれにかこつけ、ちょうど時期の大祭を計画した。それは「人身御供を実施しない」という条件のもとで〝神〟の部下にあっけなく承認され、ひとびとは歓喜に沸いた。

 着々と準備は進められた。そこそこの位の貴族が行うのは、〝神〟に提供された宮殿の前の神殿と決まる。ここで、執り行う神官として選出された一人が、高位神官の代理である〝巫女〟だった。

「……」

 石蔵を思わせる暗がりのなか、〝巫女〟は喧騒を聞きながら、虚空を見つめて座っている。怠けているわけではない。いくら神官と言っても若造だ、神事の取り仕切りを許されなかっただけである。

だがこれでいい。自分にできることは人殺し、それしかないのだから。この祭りに自分が立ち入る余地なんてどこにもない。それが正しい。

 この懐のナイフが使われることなど、もう二度となくていい。

 そうして、まどろみに近い時間を過ごす。耳に触れる舞踏と楽音のリズムは、まだ幼かったころを思いださせた。儀式の正当性を疑うことなどなかった、無知の時代だ。母もまだ健在で、幸せだったと言える。

 子供だった自分は、やはり臆病者だった。厳格な父の指導がひたすらに怖くて、母に毎度のように泣きついていた。一度こう訊ねられたことがある。『あなた、私がいなくなったら、どうやって自分を守るの?』と。

 今考えれば、それは親心というものだったのだろう。あまりにも頼りない娘がひとりで歩めるようにとする願いだ。けれど当時の自分はそんなもの汲み取れず、ただ涙目で母を見上げていた。

『かあさま……いなくなる、の?』

『さあ。それは分からないわ。もしかしたら、のお話。その時、あなたはどうするのかしら?』

『やだ……わたし、ひとりじゃむり……。とうさま、こわいの。やだよ……』

『ほら、話をちゃんと聞いて。もしもの話よ。もう……、それじゃ、こうしましょう。もしあなたが、意地悪な男の子に手を上げられたとするわね? その時どうするの?』

『しんかんさまに……、いう』

『じゃあ、近くに神官さまがいなかったら?』

『……にげる』

『逃げられなかったら?』

『……おとなしく、して……る』

『そう……でも考えてみて、あなたは怪我をさせられるのよ。確かにいじめっ子は怖いだろうけど、それじゃあなたが痛い思いをしてしまうわ。それでも、何もしないの?』

『え、と』

 あの時、自分は言葉に窮したはずだ。答えようがなくて、戸惑っていた。それを見つめていた母だったが、用事か何かでその場はお開きになって、話もうやむやになったのだ。そういえばあの時、自分は何を考えていただろうか。おそらく、何も思わなかったわけではない。答えは明確に浮かんでいて、けれど直接的に言えば怒らせてしまう、と表現に困っていた気がする。あの母を怒らせるようなことなんて、そうそうなかったのだけれど。

 考えながら、追憶に浸る。それを促す舞踏は、そろそろ佳境なのだろう、際限のない歓声に彩られていた。

 いつしか、思考もゆっくり停止して、祭囃子だけに聞き入る。こんなに穏やかに過ごす時間は、きっと久しぶりだ。ただ音頭の拍子にだけ耳を傾ければ、他には何も考えなくていい。楽しげで明るい、都の活気そのものだ。

 だから、そこにひとつの絶叫が混じったのは嘘なんだ、と。そう思えたなら、どんなによかったろう。

「な……に?」

 自問する、細い声。けれど分からない、分からない、分かりたくもないしなによりここから逃げだしたい。

 ほとんど直感ではある。それでも、何かとてつもない不吉が起こったことは理解した。今まさに聞こえる、泡のように浮かんでは消えていくあの悲鳴が、何よりも雄弁に惨事を語る。

 そしてそれが意味するものを考えられないほど、〝巫女〟は都合のいい思考回路を持ってはいない。

「あ……ぁ」

 とうとうはじまったのだ。神々の断罪が、自分たちを焼き尽くすのだ。

 〝神〟はやはり、自分たちを許してなどいなかった。彼らに背いて人身御供を行い、それを再臨の為された今まで続けてきた罪を、この場において清算し、そして新たな秩序を生むのだろう。

 ならば、そう、きっとここにいる自分も――

「……っ‼」

 鈍く重い頭が辿りついた結論が、小刻みに身体を振動させる。できるだけ縮こまると、収まらない歯鳴りがよく聞こえた。彼らに届きそうで本当に怖いのに、止めようとするほど激しくなる。ほとんど半狂乱になって、上げかけた絶叫を必死でこらえた。そんなことをすれば一巻の終わりだ。どうにか抑えなければ……

 すると、ひとつまみだけ残っていた冷静さが、こう囁いた。どうして隠れるようなことをするのか、と。

 〝巫女〟は大罪人だ。ならば大人しく殺されればいい。なのになぜこんな風に、見苦しくもあがいているのだ?

 ……分からない。もう何も知りたくない。外のことなんていらないのだ、もうこんなに怖いのだから必要ない。

 助けもない、逃げ場もない、ならばこうしてうずくまる。ひたすら自分の内にこもって時が過ぎるのを待てばいいのだ。そうすれば危害なんて加えられない。そう信じている。

 だけど、それでもなお、自分に刃を向ける誰かがいるのなら――?

「女……ひとりか」

 そうたとえば、こんな風に。

「祭の参加者ではないのか? いやしかし、この服装……」

 赤にまみれた鋭さが、きれいに光にきらめくなら。

「……悪く思うな。これも我らが神の意志、偶像を崇めた貴様らへの天罰だ」

 自分はどうすればいいのだろう。どうすれば――

「安らかに眠るがいい、異教の民よ」

 傷つけられずに、すむのだろう?

「――――が、あっ!」

 固い衝撃が右肩に弾け、連ねた両手が不自然に動いていた。ずぶずぶと、水気の少ない泥沼に穴を掘るような緩やかさで、ぶつかるそれに両手のものをねじこんでいく。ごり、と、進める先で何かが爆ぜた。

 ……ここでよく考えてみれば、いつの間にか〝巫女〟は立ち上がっていた。思いのほか両手に馴染むものを握っていて、そこを支点に何か弛緩した、重いものを支えている。

 上げた腕の位置は少し高く、そのままでいるのは少し難儀だ。手の中のものも行くところまで行き着いたようだし、指を一思いに離してみた。すると、もたれるそれもこちらに倒れてくる。潰されてはたまらない、慌てて横に踏みだした。ずしん、と重い音をたて地面とそれが接する。

 それは、ひとのかたちをしていた。

「え……?」

 足元のものを、呆然としながら見つめる。それは紛れもなく、ひとだった。屈強な男だ。全身によく分からない、堅そうなものを着ていて、手にはいかにも切れそうな長い剣を握っていた。傾いでいる途中で少しバランスを崩したのだろう、背を向けて倒れている。

 得体のしれない怖いひと、それが第一印象で、けれど彼はぴくりとも動かない。なんなのだろうと、おそるおそる、前に回ると。

 見えた表情に、思わず得心してしまう。

「あ……」

 それは何度も目にした、死に顔だった。道理で動かないわけで、その原因はといえば、胸に刺さった黒曜石の短剣らしい。ほとんど根元まで埋まっていて、柄が飾りのように飛びだしている。それは見れば見るほど、自分の持つものに酷似していた。

「これ……」

 いや――忘れるはずなどない。とぼけるのはよそう。自分は確かに、彼を突き刺したではないか。

 覚えている。あれは刃が肉に沈む感触で、沼の材料は血と肉だ。いつもはないものを最後に感じたのも知っている。果実をナイフで割るような、密度の違う抵抗があった。あれはきっと心臓だ。

 なぜ、どうして。殺人など、怖くてつらくて大嫌いだったのに。どうしてほとんど無意識に、こんなにも当たり前に殺してしまった? そして、なぜ後悔していない?

 混乱していたから? 恐怖が極限に達していたから? 供犠にあまりにも慣れすぎていたから?

 いいや、どれもきっと違う。どれも要因ではあるけれど、根底ではない。

 それは、きっと――。

『笑えばね――』

 そして思いだしたのは、あの微笑みのうつくしい彼女だった。やさしく、分け隔てなく、誰にでも手を差し伸べる。心底憧れていた、追憶のなかの女の子だ。

 「あの子」の並べた一字一句を、そのまま記憶から引きだしてみる。すると胸の奥が不思議にふわりと浮いて、すとんと落ちた。呼吸してみると、震える時特有の、ひきつるような喘鳴がない。軽い。だからきっと、それは空虚とも言えるのだった。

 ああ、そうか、そうなのか――ようやく分かった。

「わたし、は……きっと」

 あの子と――。


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