3 スラム街ルキアビッツ
今の状態で戦うのは非常に危険だ。
この場所は狭く、持ってきたナイフは一本しかない。
さらにセヴィスはロザリアとの戦闘で怪我を負っている。
「教えてくれればいい。アンタを殺す気はないんだ」
とセヴィスは言う。
現在クロエより危険なのはナインだ。
彼は、正体という名の痛恨の弱点を知っている。
この状況ではこの男の性格上、正体を曝すだろう。
そんな気がする。
どうやってこの男の口を閉じるか、とっさに考えても分かるものではない。
「そうっすよグレイン館長。セビっちを殺したら怪しまれるだけっすよ。それに、セビっちも簡単に人の悪事をばらせる立場じゃないっすよ」
案の定、ナインは平然とした表情で言う。
セヴィスは否定しなかった。
「ね、セビっち」
ナインは馴れ馴れしく肩を叩いてきた。
何故彼はクロエと手を組んでいるのだろう。
それよりも、クロエに正体が曝されるのは時間の問題だ。
どうする。
だが、一つ気づいた。
クロエはこの密約の場面を目撃されている。
彼女もまたセヴィスを咎められる立場ではない。
ならば、もう知られても大したことはない。
もう正体に関しては諦めよう。
それに、正義の美術館長と互いに咎められない関係を築くのは悪くない。
「どういうことだ?」
平静を取り戻したクロエは、ニ刀剣を収めて尋ねる。
「嘘は泥棒の始まりってよく言った言葉っすね。セビっちは嘘の塊っす」
「泥棒って」
「セビっちは泥棒っすよ。しかもかなり悪質で有名な」
クロエは一度視線を下に落とすと、何か閃いた様子で顔を上げた。
「貴様が、あの……俗に言うフレグランスか」
「ああ、そうだ」
と言って、セヴィスは小さく笑みを浮かべた。
それは変装した時の作り笑いではなく、自然にできた笑みだった。
「なぜ笑っている。貴様が笑う所など、初めて見た」
「悪くないなって思った」
「何が」
「アンタがこちら側の人間だったことに、な」
クロエは再び視線を逸らすと、ため息をついた。
「こちら……? そうか、私も悪になってしまったのか」
クロエは今まで自分はまるで善人だったという様な言い方をした。
「別に悪だと思ってくれて構わない。目的が達成される為ならな」
それでも、この表情に迷いはない。
笑ってはいないものの、完全に善を捨てた悪人の顔だ。
「目的って、鉱山での悪魔虐殺を隠すことか?」
とセヴィスが言うと、クロエとナインが同時に目を見開いた。
「何故貴様がそれを」
「ロザリアから聞いた」
「何だ、てっきり貴様の情報収集能力が高いのかと思ったら勘違いか。よく悪魔だと知っていてロザリアを騙せたものだな。つまり貴様の泥棒は演技力と運動神経だけで成り立っているのか。
だが、悪魔虐殺の隠蔽は私の目的の一環に過ぎない」
クロエは苦笑いで告げた。
その様子は、目撃者セヴィスが善の祓魔師ではなかったことに、どこか安心している様にも見える。
「セヴィス、貴様の目的は何だ。フレグランスと呼ばれるようになったのは最近で、同一人物は五年前から活動していると聞いている。五年前となると、貴様はまだ……」
「自分の目的を言わずに俺の目的を聞くんですか?」
一瞬で、クロエの口から笑みが消えた。
セヴィスが敬語を使ったことに驚いているらしい。
「館長が敬語を使えって言ったので、使いました」
「……成る程な。私は貴様の様な奴に演技力があるのかと疑っていた。どうやら目上の者に敬語を使わないのは、普段の行動とフレグランスのイメージを遠ざける為のものだった様だな」
「それは演技をした訳じゃなくて、自然にそうなりました。敬語を使う意味が分からないので」
「とんでもない泥棒体質だな。それと貴様の敬語は違和感があるから、もう止めろ」
敬語で返事をしようか考えていると、クロエがさらに口を開く。
「一つ聞くが、貴様の授業態度とテストの赤点もわざとか?」
「違う。一年の最初のテストで真面目に考えても分からなかったから、勉強を諦めた」
「ウィンズとは正反対だな……」
クロエは呆れた表情で頭を抱える。
隣を見るとナインが笑っている。
「何でお前が笑ってるんだ」
「いや、セビっちが祓魔師になった時はもう別次元の人間かと思ったんすけど、やっぱりセビっちは相変わらずだなって思っただけっすよ。まあ学校に行ってなかったから、分からないのは仕方ないっすよ」
学校に行っていないと聞いた途端、クロエの表情が変わる。
「ジェノマニアの民なら学校に行くのは義務だ。よくその学力で候補生の試験に合格したな。全く、どんな国から来たんだ」
「あれ? セビっちはジェノマニア出身っすよ?」
ナインがおどけた口調で言う。
クロエはため息をつく。
自分の頭が正しいと確信したらしい。
「この王国にそんな地区はない。悪魔の様に鉱山に住んでいたのか」
「クレアラッツのスラム街、ルキアビッツっす」