プロローグ 消えた首飾り、残されたダイヤモンド
プロローグ 消えた首飾り、残されたダイヤモンド
首飾りは、消えた。
マリー・アントワネットが買わなかった、あの巨大なダイヤモンドの首飾り。
1785年、首飾りは詐欺事件の渦中に巻き込まれ、やがて解体された。宝石はばらばらになり、ヨーロッパの市場へと散っていったとされる。
首飾りそのものは、もう存在しない。
少なくとも、かつての姿のまま、誰かの手元に残っているとは確認されていない。
しかし、物語はそこで終わらなかった。
ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館には、サザーランド・ダイヤモンドと呼ばれる、歴史あるダイヤモンドの首飾りとイヤリングが所蔵されている。
その宝石には、マリー・アントワネットの首飾り事件とのつながりが伝えられてきた。
本当に、あの首飾りの一部なのだろうか。
それとも、後世の人々が、あまりにも有名な事件と結びつけたのだろうか。
確かなことは、まだわからない。
だが、ここに一つの奇妙な事実がある。
首飾りは消えた。
けれど、首飾りをめぐる物語は消えなかった。
宝石が解体されても、噂は解体されなかった。
持ち主がわからなくなっても、罪を負わされた人物の名は残った。
そして、その名は、二百年以上の時を越えて、いまも人々の記憶の中で輝き続けている。
マリー・アントワネット。
彼女は本当に、その首飾りを欲しがったのか。
彼女は、本当に、あの事件に関わっていたのか。
そして、もし彼女が買っていなかったのなら、なぜ彼女の名が、首飾りと切り離せなくなったのだろう。
1901年、ヴェルサイユのプチ・トリアノン。
二人のイギリス人女性が、霧の向こうに何かを見たと語った。
彼女たちが見たものは、過去の亡霊だったのか。
それとも、歴史が置き去りにした何かだったのか。
消えた首飾り。
残されたダイヤモンド。
そして、王妃の名に掛けられた、見えない鎖。
237年目の答え合わせが、ここから始まる。
本作は、単にマリー・アントワネットの無実を訴える話ではありません。
「欠点を認めることと、すべての罪を負わせることは違う。」
この視点で、史実と伝説、証言と解釈、そして小説が作り出すイメージを、一つずつ確かめていく物語です。
派手な陰謀の謎解きだけではなく、読者自身が「自分は、何を根拠に誰かを信じたり、疑ったりしているのだろう」と立ち止まれる。そこに本作の重点をおきました。




