ぷれぜんとふぉーゆー、ってね
「まゆちゃーん! ボールとってくれてありがとー!」
「おーよえりちゃーん! またいつでも力になるからねー!」
耳鳴りのやまない耳が真由の後ろから聞こえてくる幼い声をとらえると、同じく気づいた真由はそちらへ振り向きながら手を大きく振った。
そうして立ち去る小さな少女を見送ってから、真由はあらためてこちらに向き直り、
「まあつまりこういうことさ! 木に引っかかったボールを取ったげたら、なんかぶつぶつ言ってるDKがいたから、正義の味方として、その陰気な感じを吹っ飛ばしてやろーって思ったのさ!」
「……さっきからそのDKって何ですか? よくたるを担いでるゴリラじゃないですよね」
有難迷惑全開の理由をスルーし、ただ少しだけ、ほんの少しだけ気になったところを聞く総一郎。
「うん? 男子高校生ってことさ! JKがあるならDKだってないとなんか不平等じゃん?」
おおよそわかってはいたが、改めて繰り出されるあまりにも子供じみた返事に、総一郎はため息しかつけなかった。
打都宮 真由とはそんな女だ。
飾り気のない口ぶりが人気で、その名前を聞いて知らないと返す人間は、少なくとも学校やその周辺には住んでいないと断定できるくらいには有名な女性であると、騒木も言っていた。
金のショートボブに碧眼という、とても日本人とは思えない見た目の上で明朗快活、誰にでも変わらず友好的な接し方をしてくる彼女を考えてみれば、たしかに有名人になるのも頷けるが、
「でさーでさー! そーいちろーくんはなんの悩み事だい? 成績? 人付き合い? もしや恋路? 勉強以外ならなーんでも頼っておくれよ!」
「だ、大丈夫ですよ」
「むう、ほんとーかい? なーんかあやしいなぁ……ごまかしてないかい?」
「ごまかしてなんか……」
「いんやあ、そーいちろーくん絶対なんかいろいろ悩んでるっしょ? でもあたしにそれを言っても解決しないって思ってるから隠してる」
こと総一郎にとって彼女は、カンが鋭いうえにずけずけと聞いてくるうっとうしい存在に他ならなかった。
「それに見ちまったしねえ? なーんかケータイ見ながら落ち込んだり頭抱えてたりしてるト・コ・ロ! まるで恋人の返事を待つ乙女が如く!」
「…………」
「ほれほれぇ、隠し事なんてしないで素直に吐いちまった方が楽になれるぜぇ?」
もちろん彼女に深い考えなんてない。
本当に善意だけで行動するし、それ以外の考えなんて持ってやしない。こうして色々聞いてこようとするのは紛れもなく彼女の正義感に基づいた行動に他ならない。
……ならばいっそのこと。
「校舎裏ですごく髪の長い女子に聞かれたんですーー」
言われたとおり素直に吐いてしまったほうがいい。
そう思った総一郎は、先程校舎の裏であった出来事をひとしきり、真由へ伝えることにした。
「ほうほう、なあるほどねえ」
「ふむふむ、それで?」
「わお、そいつはまた!」
真由はその間じゅう、わざとらしく見えるほど大きく頷いたり小さく首を傾げたり。
ひとしきりそんな風に興味深そうな相槌を入れていた。しかし、
「って訳で、今ここで誰か見た人はいないかなって調べてたんです」
「なーんだあ、そんなことかぁ……」
総一郎が話を終えた途端、真由は当てが外れたとでも言うように肩を竦めていた。
いつもならこんな時、「わーお! こいつは大事件だぜぇ!」などとぬかし、こうしてはいられないと捜索に飛び出していきそうなものだったし、実際にそれを狙っていたのだが。
それにだ。
「そんなことって、ノラ猫とはいえ怪我してるんですよ……?」
総一郎には納得できなかった。
ノラ猫だからこそ、そのまま野に帰しても平気なよう美鈴は気を使って看ていた。
それが怪我も治らぬうちにいなくなり、美鈴は本当に心配している。
だのに、聞いてきた張本人はさしたる興味もなくしたうえ、まるでもっと大きなものにあたりをつけていたかのような仕草をするのだから、不信感も出ようというものだ。
「他に何があるんですか?」
「ん? ああごめんよごめん、そうだね、確かに猫の事は気になるね。 あとで私の方でも探してみるよ」
若干不愉快に見る総一郎に気づいた真由は、軽く謝った後少し目を細めながら続ける。
「でもそーいちろーくん、もっと困ってることあるよね」
「困ってなんか……いませんよ」
否定しようとした総一郎は少しだけ言葉を詰まらせてしまう。
一瞬だけ頭に響の姿がよぎり返答を押しとどめてしまったのだ。
その様子を見た真由は、先ほどの残念そうにしていた姿とは打って変わって、不敵に笑っていた。
「じゃあ聞くけどさ、なんで君は校舎裏なんてところに居たんだい?」
「それは……」
「親に連絡するなら別にそこいらでもいいし、ましてや放課後、普段からあんまり人のいない所にわざわざ行く必要もないよねえ? だからそーいちろーくんは人に聞かれたくないようなことについて電話しようとそっちに行ったと思うんだけど、違うかな」
「…………」
畳み掛けるような真由の言葉に総一郎は返事の一つも返せないまま、真由の探偵じみた質問をただ聞くことしかできない。
彼女の推論がそのままズバリなもので、否定の一つも思いつかないのだ。
「例えばそうだなあ、“家に女の人が転がり込んできた“とか?」
「…………!」
今、驚いた声を上げてしまいそうなのを総一郎は思い切り押しとどめた。
けれどこの時の表情までは隠せていないかもしれない。そんなことを気にする余裕もない。
「お、図星か図星か?」
彼女はきっと昨日、総一郎が血まみれの響を運び込むところを何処かで見たのだろう。
それに何か思うところでもあるのか、はたまた単なる野次馬根性かはわからないが、
「先輩。一つだけ、失礼を承知で言います」
「……ほえ?」
ただわかった事はいくつかある。
一つ、彼女が美鈴の話をまともに聞いていなかった事。
二つ、彼女が自分に話しかけたのは偶然なんかではなく、昨日何があったかを根掘り葉掘り聞くためである事。
三つ、つまり彼女は悩みを解決する気などほぼほぼない事。
以上のことを頭に入れた総一郎は前もって断りを入れてから短く言い放った。
「ふざけないでください」
「うん? え、そーいちろーくん?」
困惑する真由をよそにして、総一郎はその脇をずかずかと通り抜けて行った。
「もしやこれはアレか? 私、嫌われたか?」
その後、一人取り残された真由は数秒間頭をひねってから振り返り、小さくなっていく総一郎の背中を視界に入れると、肩にかけているエナメルバッグのポケットをゆっくりと探り始めた。
「うーん、その『ネコ』とやらも気になるけどさ、正直君が拾ったアレの方がジョーダン抜きのヤバいヤツなんだよね」
そうして取り出したのは人差し指ほどの大きさをした、人を形どったような紙の束。
「だから、せめてお守りをあげよう」
束のうちから1枚をちぎった真由は、指遊びの銃のように揃えた人差し指と中指に挟み込んでから、小さく念じて投げ放つ。
すると不思議なことに、紙は落ちることなくそのまま総一郎の方へ飛んでいき、彼のズボンのポケットに入り込んだ。
「ぷれぜんとふぉーゆー、ってね!」