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第四話 賑わい

 商業ギルドで幌馬車を預けて、許可証を発行するところまでは順調にいった。途中、魔術関係のものを買わされたり、騒がしかったり、騒がしかったり――したが順調だった、とフランは思うことにした。

 そうしないと、この先常識知らずで世間知らず、考えなしのすっとこどっこいとの旅が続けられる自信を失いそうだからだ。


「ん~、おいしい~!フランさんも一口食べる?」

「いらないから、さっさと食べろ」


 不幸にも、芸術の女神様の生誕祭〈アルス祝典〉はフランの想像以上の賑わいを見せていた。

 商業ギルドや冒険者ギルド、魔術師ギルド、職人ギルド、そしてこの町特有の芸術家ギルド。

 これらギルドの建物が並ぶギルド通りが、町の中心部にある。

 市は通常、ギルド通り付近と町の北側、東側で開催されるものなのだが、祝典が近いからか宿屋が集中している西側の通りも多くの露店が並んでいた。

 つまり、どこもかしこも人でごった返しているのだ。

 それだけじゃない。

 フランにとっての一番の敵は、祭りの浮ついた雰囲気だった。

 その理由は、言わずもがな。

 隣で楽し気に鼻歌を歌いながら、串焼きを食べているどっかの誰かさんを見て察してほしい。

 

「それ食べ終わったら、宿探しだからな」

「えーー」


 膨れっつらのココロを見て軽く息を吐く。


 ……納得させてから、宿探しに行かないとまた同じようなことになりそうだ。


 フランは厳しい顔でココロを見据える。

「お前はなんのために俺といる?」

「……返しきれない恩を返すためです」

 ココロは悪戯がバレた子どものような顔をする。

「今のところ、邪魔にしかなってないが?魔術関係の品物買わされるわ、品物

 勝手に触るわ、露店に飛び出して食べ物ねだるわ……」

 フランが指折り数えていくと、ココロは視線を彷徨わせて目を逸らす。

「俺は旅商人だ。商人として、利益をもたらさないやつをいつまでも置いておくわけにはいかない」

 商人は商売をする――慈善活動をするためにいるわけではない。

「はっきり言って、このままなら一緒にいられても迷惑なだけだ」

「……ごめ、ごめんなさい。私、楽しくてつい…………」

 ほんの少し目を赤くしてココロは、ぼそりと呟いた。

 フランはポンッとココロの頭に手を置く。

()()()()だったらの話だ。ここに来て日も浅い。すぐに放り出したりしないから、安心しろ」

 ココロはパァっと満面の笑みになる。

「フランさん、保護者み高くない!?」

「誰が保護者だ!!」


 ……やっぱり、一度放り出したほうがいいのか?

 

 フランは本気でそう考えたが、すぐに否定した。

 後始末が大変なことになりそう、と危険警報が頭の中で鳴り響いたからだ。

 なんだか頭の中がモヤモヤイライラして、その勢いのままココロが手に持っている串焼きをぺいっと取る。

 そして、見せつけるように最後の一切れにかぶりついてやった。

「うまいな」

「ひっどぉーーーー。フランさんのばかぁ!いらないって言ったのに!!」

「気が変わった」

「……最後の一口だったのに。なんでぇー!!」

 誰の金で買ったと思ってる?という意味を込めて、一言。

「一文無し」

「うっ……」

 図星を突かれたココロは、胸のあたりを大げさに押さえて縮こまる。

 その様子に少しだけ溜飲が下がり、フランは鼻を鳴らす。

「ほら、行くぞ。この辺りは高い宿屋が多い。もっと西側に――」

 説明を続けようとして、糸に引かれる思いで振り返る。

 多分、だいぶ呆れた顔をしていたと思う。

 ココロは一度「はぁい」と歩き出したが、数歩で立ち止まったようで、串焼きを食べていた場所からほとんど動いていない。

「フランさん!」

 バカでかい声が、通りの賑わいに負けずに響く。

「……次からは、ちゃんと考えて行動、します」

 影が落とされた顔には、先程までの浮ついた様子は一切見られなかった。

「口だけじゃあなきゃいいが」

 フランは揶揄うように目を細めた。


 今度こそ、露店や人波に気を取られることなく、宿の看板を次々と見上げていく。

 空室、料金、立地。

 宿選びは、その後の利益を左右する重要な仕事のひとつだ。


 安すぎれば治安が悪く、高すぎれば利益が削られる。

 それにギルドから遠ければ時間を無駄にしてしまう。


 ただ眠る場所を探しているわけではなく、宿探しは商売の拠点を決めるのに等しいのだ。


「フランさん、宿探しするって言ってたけど、実はもう決まってるんじゃないの?」

 宿屋は数多くあるが、迷うことなく通りを進んでいるフランを見てココロは小首をかしげる。

 ココロがじーっと疑うように目を細める。

「……いや、馴染みの宿屋にとりあえず向かってるが、空いてるかは行ってみないと分からないな」

 フランはそう返しつつ、「決まってたら、苦労しねぇ」と心の中で呟いた。

 

 馴染みの宿屋の扉を押し開けると、中にはすでに何組もの人が詰めかけていた。

 空き部屋を確認しようにも、すぐに掲示板へ辿り着けなそうだ。

 フランが顔をしかめながら、人をかき分けようとしたとき、一人の職員が声を拡張する魔術具を持って現れた。


「今宵の空席は、すべての旅人たちの夢で埋め尽くされてしまいました。芸術の女神様に愛された賑わいを、どうかお許しください」


 その言葉を聞いて、ココロ以外は不満を漏らしたり、残念そうに眉を下げたりしている。

 当然フランも肩を落としていた。

「……ねぇ、フランさん今のどういう意味?」

 持ち場に戻る職員を横目にココロが、小声で訪ねてきた。

 アルテ特有の言い回しを一発で理解できる者はそういない。

 そう恥ずかしがらなくていいだろう、と言いかけた励ましの言葉をフランは呑み込んだ。


 ……少しぐらい、振り回された仕返しをするのもいいかもな。

 

「アルス祝典が近いから客が多くて、満室になった。すまない。って意味だ」

 さも当然というフランの態度に、ココロは唇に人差し指を添えたまま眉を寄せる。

「……そのまま言えば良くない?」

「ほんとにな」

 仕返しに常識外れ扱いをしてやろうと思ったが、前々からアルテ特有の言い回しを煩わしく思っていたフランは、反射的に頷いてしまった。


 仕返しはまたの機会にしよう。


 そうフランは心に誓いつつ、口を開く。

 

「アルテは、伝統を大切にしてる町なんだ。門でも商業ギルドでも変わった挨拶をされただろ?」

「んーー。確か、創造との出会いが……とか、心を彩る?みたいなやつだったけ…………??」

「門の挨拶が『この町を訪れるすべての者に、良き創造と出会いがありますように』で、商業ギルド方が『あなたの良い商いが、誰かの心を彩らんことを』だな。どちらも芸術の女神様とアルテの民の物語に出てくるセリフだ」


 物語は不作に陥った一つの小さな村から始まる。作物が育たなくなっても生まれ育った村を離れることができなかった村人を哀れに思った芸術の女神様が、この土地を訪れる者を大切に扱うことを約束させ、芸術の祝福をこの地に注いだ。芸術の祝福を賜った村は、女神様から〈アルテ〉という名を与えられ、町へと発展しました。めでたしめでたし――


「って話だ」

「……つまり、芸術の女神様との約束のせいで言い回しが複雑ってこと?」

「さぁ? あくまで、本の話だしな。商人目線で言うと、アルテ特有の言い回しを分かりやすくまとめた本を誰かが作って、ぼろ儲けしたとしか思えん」

「キョウカショ作ってシュッパンしたってことね……」

 フランが首をかしげるとココロは「あーー、こっちの話……」と呟いた。

 

「とにかく、慣れるしかねぇな」

「フランさんはどうやって覚えたの?」

「自然に。ガキの頃から来てたら嫌でも覚える」

 フランがそう言うと、ココロは納得したようなしてないような微妙な声を上げた。


 それからも何件か宿屋を回ってみたものの、同じようにアルテ特有の言い回しで、満室だと断られてしまった。

 その度に、ココロが首をかしげて意味を訪ねてくるのにも慣れて、宿屋を回った件数が二桁になった時には、フランは聞かれずとも解説するようになっていた。

 空室をところも中にはあったが、値段が高すぎるという意味で、問題がある宿屋ばかりだった。

 ココロは多少高くてもいいじゃん、と言うが、旅商人として、その考えは良くない。

 適正価格でセービスを受けるのは当然で、相手より優位に立って交渉をするのが商人というものなのだから。


「足元見られてんなぁ……」

 フランは今出てきた宿屋を一瞥して、ボソリと呟く。

 なんと『芸術を愛する旅人のための特別室』とかいう名の、ただ少し窓が大きいだけの部屋を通常の三倍近い値段で提示されそうになったのだ。

 無論、願い下げである。

「祝典前の稼ぎ時とはいえ、ひでぇーー」

「限度ってものがあるでしょ……」

「ある。だから借りれねぇ……」

 流石にココロも三倍につり上がった値段には目を向いていた。

 

 フランは通りの先へ視線を向ける。

 昼間になって、人の量はさらに増えていた。

 大道芸人の投げた火が空中で弾け、拍手が起こる。その横では吟遊詩人が弦を鳴らし、露店からは焼いた肉や香辛料の匂いが漂ってくる。


 その騒がしさの中に、不意に怒鳴り声が混ざる。


「だから言ってんだろ!そこはもう許可取ってんだよ!!」


 通りの少し先に、人だかりができていた。

「……またか」

 フランは眉を寄せる。

「知ってる人?」

 ココロが人だかりとフランを交互に見る。

「いや。祝典前でこれだけ賑わってたら、揉め事の一つや二つ起こんだろ」

 人混みの隙間から見えたのは、二人の男だった。

 一人は恰幅のいい中年男。腕には布の腕章を巻いている。

 もう一人は日に焼けた若い男で、荷車の脇に木箱を積んでいた。服装からして旅商人だろう。


「だから、この辺りは昔から俺たち地元商人の場所だっつってんだ!この腕章が見えねぇのかよ!!」

 中年男は、町の商人の証であるワインレッドの腕章を指す。

「許可証は取ってるって言ってるだろ!?文句あるならギルドに言えよ!」


 周囲の空気がじりじりと熱を持っていく。

 見物人たちは止める気もなく、面白そうに様子を眺めているだけだった。


「……フランさん」

 ココロが眉を下げながら見つめてきた。

 言わんとしてることはだいたい想像がつく。

「行くぞ」

 フランは踵を返した。

「え、止めないとっ!」

「止める義理がねぇ」

「でも――」

「こういうのは、どっちかが折れるまで続くんだよ。付き合ってられるか」


 旅商人と町の商人。

 アルス祝典前に揉め事が起こるのは、避けられないものだ。


 地元の商人からすれば、旅商人は稼ぐだけ稼いで去っていく厄介者だ。中には祝典前だけ来て、好き勝手やる連中もいる。

 逆に旅商人からすれば、許可を取って商売している以上、どこで売ろうが自由でしかない。


 どちらの言い分も、間違ってはいない。


「なんか……嫌な感じ」

 ココロがボソリと呟いた。

「商売なんて、こんなもんだ」

 フランは淡々と続く言葉を口にする。

「綺麗事だけじゃ食っていけねぇよ」


 そう言いながらも、怒鳴り合いが続く背後へ視線を向けてしまう。


「お前ら旅商人はいいよなぁ!?荒らすだけ荒らして帰ればいいんだからよ!!」


 その言葉に、フランの足が止まった。

 

 ココロが不思議そうに見上げてくる。

「フランさん?」

 フランは小さく舌打ちをした。


 ……めんどくせぇ。


 放っておけばいい。

 こんな揉め事珍しくもない。

 ギルドの連中か兵士が、そのうちどうにかするだろう。

 だから、俺が首を突っ込んでも仕方がない。


 フランがぐるぐると思考を巡らせている間にも、怒鳴り声は大きくなっていく。

 

「だいたいよぉ!旅商人ってのは、売れりゃ何でもいい連中ばっかだ!!」

 中年男がそう吐き捨てると、若い旅商人の顔が一気に険しくなった。

「はぁ!?一括りにしてんじゃねぇよ!!」

「違うってんなら、場所くらい譲れって話だろうが!」

「なんで俺が譲んなきゃいけねぇんだよ!ちゃんと金払って許可取ってんだぞ!!」


 周囲からも、ひそひそと声が漏れ始める。


「また旅商人か」

「この時期、多いよなぁ……」

「でも許可は取ってるんだろ?」


 ざわつきが広がる様子に、フランは眉間を押さえた。

 最悪だ。

 こういう空気になると、旅商人全体への印象が悪くなる。

 露店場所の交渉、仕入れ値、客の反応――

 全部に響く。

「……あーあ」

 頭痛を堪えるように息を吐いた、その時だった。


「だったら、話し合えばいいじゃないですか!」


 隣から、場違いなくらい真っ直ぐな声が飛んだ。

「……おい」

 フランが止めるより早く、ココロは人だかりの方へ踏み出していた。

 

 見物人たちが自然と道を空ける。

 その視線の中心にココロが立つと、中年男と若い旅商人が同時に口を閉じた。

「なんだぁ?」

 若い旅商人が眉を吊り上げる。

 ココロは一瞬だけ肩を揺らしたが、それでも引かなかった。

「えっと……その、喧嘩してても解決しないかなって……」

「部外者は引っ込んでろ。嬢ちゃんが首を突っ込む話じゃねぇ」

 まったく、その通りである。

 フランは心の底から、中年男に頷いた。


 ココロは一瞬たじろぐような素振りを見せたが、それでも視線を逸らさない。

「でもっ……!許可取ってるのは、本当なんです、よね?」

「あぁ!?」

 中年男の顔が険しくなる。

「いや、だから……場所を使う許可は取ってるんですよね?だったら、完全に悪いってわけじゃ――」

「嬢ちゃん、そういう問題じゃねぇんだよ」


 空気が重い。

 ココロは困ったように周囲を見回すが、見物人たちは面白そうに見ているだけで、助け舟を出す気配はない。


 当然だ。

 誰だって面倒事には関わりたくない。

 フランは大きく息を吐いた。


 ……だから関わるなって言ったんだ。


 フランは仕方なく、人混みを押し分ける。

「すまん。そいつ、世間知らずなんだ」

 ココロの肩を掴んで、軽く後ろへ引いた。


「フランさん!」

「黙ってろ」


 小声で釘を刺してから、二人の男を見る。

「で?結局なんで揉めてんだ」

 若い旅商人が、少し警戒した顔を向ける。

「……あんたも旅商人か?」

「あぁ」

 フランがギルドカードを軽く見せると、若い男はわずかに顔を緩めた。

「だったら分かるだろ。俺はちゃんと朝から並んで、市の許可も取ったんだ。なのに、このおっさんが急に――」

「誰がおっさんだ!!」

 怒鳴り声が飛ぶ。

 周囲の人がくすくすと耐え切りずに吹き出した。

 ココロも堪えているのか、少し面白い顔をしている。

 中年男は顔を真っ赤にして、腕章を掴んで見せつけるように揺らした。


「こっちはアルテで十年以上店構えてんだ!!毎年この辺りで店出してんだよ!」


「知らねぇよ。決まりがあるなら最初から書いとけって話だろ」

「暗黙の了解ってもんがあんだろうが!!」

 フランは片眉を上げた。


 ……あぁ、なるほど。


 ようやく全体が見えてきた。

 若い旅商人は規則を守っている。

 だが、地元商人側には長年の縄張り意識がある。

 そして祝典前で、全員余裕がない。

 最悪の組み合わせだった。

「……どっちも間違っちゃいねぇな」

「だから揉めてんだろ」

 中年男は、苛立ちを隠さない。

 若い旅商人は、フランの呟きを納得いかなそうに顔をしかめた。

「は?旅商人なら旅商人の肩持てや」

「持たねぇよ」

 フランの即答に、周囲から再び小さく笑いが漏れる。

 中年男も毒気を抜かれたように口を閉じた。


「……ったく」


 フランは周囲を見回す。

 人、人、人――

 通りは十分広い。

 少しずらせば済む話だ。


「お前、何売るつもりだ」

 フランが軽く尋ねると、若い旅商人が木箱を指差す。

「染料と布飾り」

「そっちのおっさんは」

 中年男は「だから、おっさんじゃねぇ……」と吐き捨てつつ、答える。

「織物だ」

「なら被ってねぇだろ」


 二人がグッと同時に黙る。

 

「客層も違ぇ。だったら場所少しずらしゃ済む話だ」

「いや、でもよぉ……」

 中年男が不満げに口を開く。

「毎年この辺りは――」

「毎年、毎年って言うなら、ギルドに正式申請しとけ。取ってねぇなら、今回は諦めろ」


 フランがぴしゃりと言い切ると、中年男の顔が引きつる。

 周囲の顔つきも、温度が無くなった。

 

「その代わり」

 フランは若い旅商人の方を見る。

「お前も少し寄れ。客流れ完全に塞いでる」

 若い旅商人が周囲を見てはっとする。

 荷台の位置が悪く、人の流れが詰まり気味だった。

「……悪かった」

「祭り前はみんな余裕ねぇんだ。少しは空気読め」

 若い旅商人は小さく舌打ちしたが、それ以上反論はしなかった。


 空気が、ゆっくり緩んでいく。

 見物人たちも、「なんだ、終わりか」と言わんばかりに散り始めた。

 ココロだけが、ぱちぱちと目を瞬かせていた。


「……終わった?」

「終わらせたんだよ」


 フランは疲れたように答える。

 すると、中年男が鼻を鳴らした。

「お前、旅商人にしちゃまともだな」

「……褒め言葉として受け取っとく」

「名前は?」

「フラン」

「そうか。俺はダグだ」

 ダグは腕を組み直すと、ふんっと息を吐いた。

「宿探してんだろ」

 フランの眉がぴくりと動く。

「……なんで分かった」

「その顔してりゃな」

 

 なるほど。確かに疲労困憊という顔をしているのには、自覚があった。


「空いてる宿なら、たぶんもうねぇぞ。まともな場所は昨日でほぼ埋まった」

「だろうな」

「祝典前を舐めすぎだ」

「好きで遅れたわけじゃねぇよ」

 ダグは顎をさすりながら、少し考えるように目を細める。

 そして面倒そうに頭を掻いた。


「……まぁ、揉め事止めてもらった礼ぐらいはしとくか」

 

「ほんと!?」

 ココロが勢いよく食いついた。

「おい。考えなしは黙ってろ」

 フランが小声で軽く頭を押さえると、ココロは「むぅ」と不満げに唇を尖らせる。

 

「別に礼目当てじゃねぇよ」

「分かってる。だから気まぐれだ」


 そう言ってダグはくるりと踵を返した。


「西通りの外れに、小せぇ宿がある。豪華じゃねぇが、値段はまだ良心的だ」

「空いてんのか?」

「多分な。あそこは立地悪ぃから、祝典前でも最後まで残りやすい」


 フランは少しだけ考える。

 ダグは町商人側の人間だ。旅商人を食い物にするような宿へ案内する理由も薄い。


「……案内頼めるか」

「おう」

 ダグは気軽に片手を上げると、人混みの中を歩き始めた。

 フランとココロはその後を追う。


 大通りを少し外れるだけで、空気は微妙に変わった。

 ギルド通り付近ほどの派手さはないが、その分、生活の匂いが濃い。


 石畳の端には小さな露店が肩を寄せ合うように並び、焼き菓子の甘い香りと香辛料の刺激的な匂いが入り混じっている。

 建物同士の距離は近く、窓辺には色鮮やかな布が垂れ下がっていて、建築物を彩っていた。


 楽器の音は、まだ聞こえる。

 ただ中心街のような華やかさではなく、路地の奥から流れてくる鼻歌みたいな音だ。


「祝典前って、毎年こんな感じなの?」

 ココロが周囲を見回しながら尋ねる。

「これからもっと酷くなるぞ」

 ダグは、若干眉間に皺を寄せて続ける。

「道歩くだけで肩がぶつかる。宿代は倍、飯代も上がる。浮かれてるやつも増えるし、スリも増える」

「うわぁ……」

 

「旅商人同士の場所取りも始まるしな」


 そう言ってダグは、ちらりとフランを見る。

「さっきみたいなのは珍しくねぇ。地元商人からすりゃ、旅商人は稼ぎだけ持ってく厄介者だ」

「まぁな」

 フランは否定しない。


「でも逆に、祝典前は旅商人がいねぇと物が足りねぇ。特に布や染料、細工品なんかはな。結局、持ちつ持たれつなんだよ」


 ココロは少し考え込むように唸る。

「なんか……難しいね」

「難しくしてんのは人間だ」

 フランがぶっきらぼうに返すと、ダグは「違ぇねぇ」と喉の奥で笑った。


 路地をいくつか曲がると、人通りが少しずつ減っていく。

 騒がしかった音楽も遠ざかり、代わりに洗濯物が揺れる音や、鍋をかき混ぜる音が耳に入るようになった。


 どうやら完全に居住区寄りまで来たらしい。


「ここら辺は観光客あんま来ねぇからな。祝典目当ての連中は、派手な宿を好む。だから残るのは、金勘定できる商人か、長期滞在の職人ぐらいだ」


 やがてダグが足を止めて「ここだ」と指をさした。


 視線の先には、三階建ての石造りの建物があった。

 外壁はところどころ古びているが、丁寧に補修されている。

 入口の上には、木製の看板がかかっていて、縁の葡萄の蔦を模した装飾が目を引いた。


 派手さはないが、清潔感はある。

 そんな印象だ。


 窓辺には小さな花瓶が並べられ、薄いレースのカーテンが風に揺れている。

 祝典の浮ついた空気から少し離れた、落ち着いた宿だった。


「〈木洩れ日の鈴亭〉だ」

「鈴亭?」

「昔、鈴職人がやってた宿らしい。女将は口うるせぇが、ぼったくりはしねぇし、飯も悪くない」

「……助かる」

「いいってことよ」

 

 ダグは振り返って、少し眉を上げてから口を開く。

「嬢ちゃん」

「はい?」

 ダグはここに来るまでフランとしか話していなかったので、急に話しかけられたのに驚いたのだろう。

 心の黒色の目が大きく見開かれていた。

「あんまフラン困らせんなよ」

「うっ……」

 ココロが気まずそうに視線を逸らした。

「そいつ、見た目より面倒見いいからな。抱え込むぞ」

「余計なこと言うな」

「ははっ」

 ダグは豪快に笑うと、軽く手を振る。

「じゃあな。また市で会うだろ」

「あぁ」

「ありがとうございました!ダグさん!」

 ココロが深々と頭を下げる。

 ダグは少し照れ臭そうに鼻を鳴らし、人混みの方へ戻っていった。

 フランは一度宿を見上げる。

 正直、かなり助かった。

 このまま宿探しを続けていたら、日が暮れる頃には二人揃って疲弊していただろう。

 

「……入るぞ」

「うん」

 扉を押し開けると、小さな鈴が澄んだ音を鳴らした。

 中は外観以上に落ち着いていた。

 木の床は綺麗に磨かれ、壁には小ぶりな絵画や刺繍が飾られている。

 暖炉では火が静かに燃えていて、焼きたてのパンの香りがほんのり漂っていた。

 宿というより、誰かの家みたいな空気だ。


「いらっしゃい」


 受付の奥から、年配の女性が顔を上げる。

 白髪混じりの髪を後ろでまとめ、眼鏡越しにこちらを見た。


「空いてる部屋はあるか」

「二人部屋なら一つだけ」


 フランは内心で小さく息を吐く。


 助かった。


「値段は?」

「朝晩飯付きで、一泊銀貨六枚」

「……良心的だな」

「祝典前に馬鹿みたいな値段で商売するしか脳のない、阿呆で恥さらしな宿屋と一緒にしないでおくれ」


 女将は呆れたように言う。

 どうやら、この宿も周囲の異常な値上げには思うところがあるらしい。


「三日頼む」

「先払いだ」


 フランは銀貨を数えて渡す。

 女将は確認すると、木札の鍵を差し出した。


「ここの真上の部屋だね。あんま騒ぐんじゃないよ」

「善処する」

「そこは言い切りな」


 フランは聞こえないふりをした。


 部屋は想像以上にまともだった。


 木製のベッドが二つ。

 小さな机と椅子。

 壁際には荷物置き。

 窓からは西通りの屋根が少し見える。


 豪華ではない。

 だが、旅商人にとっては十分すぎる。


 ココロは部屋へ入った瞬間、「わぁ……」と感嘆の声を漏らした。

 そして、そのまま勢いよくベッドへ飛び込む。


「ふかふか、ふかぁ……!」

「靴脱げ」

「あ、はい」


 怒られると思ったのか、ココロは即座に起き上がった。


 フランは荷物を机の横へ置くと、もう一つのベッドへ腰を下ろす。

 ようやく足を休められたことで、全身から力が抜けそうになる。


 だが、まだ終わっていない。


「この後のことだが――」

 フランが今後のことを説明しようと、口を開いたがすぐにココロに遮られた。

「え、まだあるの?」

「当たり前だ」


 フランは指を折りながら続ける。


「まず、市の物価確認だ。物価は常に変動するからな。それに今は祝典前で物価が大きく変わっている可能性が高い」

「ふむふむ」

「次に冬用の厚手の服を買う」

「冬服?」

「この先、北へ向かうからな。今のうちに買い揃えとく方がいい。風邪ひくぞ」


 ココロは自分の服を見て「確かに真冬じゃ寒そう……」と呟いた。


「それが終わったら、宿の近くで商売場所を登録する」

「場所って早い者勝ちなんだっけ」

「あぁ。いい場所はすぐ埋まる」


 フランは軽く背もたれ代わりに壁へ寄りかかった。


「で、そのあと幌馬車に戻る」

「セーラ!」

 ココロは最後まで名残惜しそうにセーラの首を撫でていた。

 セーラもセーラで、ココロが気に入ったのか機嫌良く鼻を鳴らしていた。

 正直、他の旅商人からは名前を付けているのを揶揄われたことしか無かったので、何も言われなかったのは少し衝撃だった。

 

「商売道具を降ろして、ここまで運ぶ。明日から店開くからな」

 ココロは「おぉ……」と感心したような声を漏らす。

「旅商人って、もっと行き当たりばったりなのかと思ってた」

「見通しが立てられねぇ商人は、すぐ潰れるぞ」

 フランは淡々と返した。

「特に祝典前は、人の流れも物価も全部変わる。情報集め怠ると痛い目見るに決まってる」

 ココロは真剣な顔で何度も頷いた。

「……分かった。ちゃんと役に立てるようにがんばる!」

「期待しないでおく」

「フランさん!!」

 ココロは頬を膨らませて、じとりと軽く睨んできた。

 その姿を見て、フランは小さく息を吐いた。

 

 ……まぁ、少しはマシになったかもしれない。


 宿探しだけで、ずいぶん時間を食った。

 この時期のアルテを甘く見ていたつもりはなかったが、それでも予想以上だ。

 なんとか寝床は確保した。

 なら、あとは動くだけだ。

 

「よし、少し休憩したら出るぞ」

「はいっ!」


 ココロのバカでかい声が部屋に響き渡った。

 すると、床から箒でつつかれたような、ゴンッとこもった音が聞こえてきた。

 訂正――宿中に響き渡ったようだ。


 フランはココロの額を思いっきり弾いた。

苦労して宿屋を取ることに成功しましたーー。

ダグさんに感謝ですね。

フラン「人だかりに突っ込んだ時はどうなる事かと思った」


ダグさんの言うようにココロがフランを困らせない日は来るのでしょうか。


市には辿りつきませんでした。

おかしい。


次回こそは、市に行きます。

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