199 喧嘩とかはしてないよね?
ネロは真顔だから何を言いたいのかが分からなかった。直ぐに前を向いてしまったネロの後ろ姿を見ながら考える。さっきの言動から判断すると、レオさん的には、保護者という立場が嫌だってのは確実なんだと思う。
俺の事は恋人の子供って認識はあるし、可愛がってくれている。ただ、ネロみたいに親としての立場になる事は拒否したい。でも、恋人の子供だから仲良くはしておきたい、のかな。中々複雑な心境だよね。
恋人の子供、と言うよりは、親戚の子供的な感じを望んでるのかも。保護者みたいにかっちり親って感じじゃなくて、適度に可愛がりたい的な感じなのかな。子供として可愛がってくれてるのは確定っぽいから、きっとそうだと思う。
俺としては、ネロもレオさんも同じくらい親のような感覚になっちゃってた。でも、レオさんにとって、それは荷が重かったって理解した。俺の中では、レオさんはネロ以上に親で、保護者で、安心できる存在だった。俺の自分勝手な思いを押し付けちゃう事態で、レオさんは不満に思っちゃったのかもしれない。
「レオさん、ごめんね。多くを望み過ぎちゃった。」
「ん?」
「家に帰ったら話すね。」
少しだけ悲しくなって、低くて沈んだ声になっちゃった自覚はある。即行でレオさんが振り返って疑問を伝えてきた。口を開きかけて、慌てて止める。そして、静かに家で話すと伝えるにとどめておく。
危なかった、考えなしに普通に話しちゃうトコだった。外で大っぴらに話せる内容じゃない。お散歩中も二人がラブラブだから、二人の仲が秘密なのをぽろっと忘れて、こんな、誰が聞いているか分からない道中で話し始めるトコだった。止められた自分を褒めておこう。
「家で話す?」
レオさんが低い声で噛み締めるように呟くのが聞こえた。そして、はっとした様子で凝視してきた。同時に、ネロまで振り返って見つめてくる。二人が驚愕の表情でじっと見つめてくるんだけど、一体どうしたの。
「どしたの?前を見て歩かないと転んじゃうよ?」
「イヤ、転ばない。それより、お前、こっち来い。」
驚愕の表情で凝視してくる割に、二人の歩みは止まらないから、一応、注意を促してみる。まぁ、二人が転ぶ可能性は限りなくないってのは、俺も分かってるよ。でもね、一応言ってみただけなの。それはいいとして、レオさんのその言葉遣いはなんなの。片言になってるんですけど。
「レオさん、超たどたどしくなっちゃってるけど、どうしたの。」
「いいから、こっちに来い。」
首を傾げてレオさんの口調を指摘してみると、レオさんは少しだけ強い口調で強制してきた。言葉遣いは元に戻って、表情は真顔になっちゃってる。でも、なんで傍に呼ばれたかが分からない。
「なんで?」
「ヤバいくらい不安になったから。」
疑問を伝えると、即行で返答が返ってきた。ヤバいくらい不安、ってなんでだろう。不安に思う事なんて言っちゃったかな。眉を寄せて記憶を辿ってみたけど、思いつかない。
「どういう事?」
考えても思い出しても分からなかったから、素直に聞いてみた。そうしたら、二人は立ち止まっちゃった。どうやら、俺が近付くまで待つ事にしたらしい。歩みを止めずに二人に追いついて、二人の間に並んだタイミングで、ネロとレオさんも歩き始めた。
両サイドの二人を交互に見上げてみたけど、二人は厳しい顔で前を向いたままで、こっちを見てくれない。不安って何に対しての不安なんだろう。レオさんの不安が伝染しちゃったのか、漠然とした不安が押し寄せてきて俯いちゃう。
「お前はどっかに行ったりしないよね。ここにいるよな?」
レオさんの真剣さを含ませた静かな声が聞こえて、顔を上げる。レオさんは真っ直ぐ前を向いていて、俺を見てくれない。俺のいる場所はここしかないのに。他に行く場所なんてないのに。なんでそんな事を聞いたの。
「どこにも行く場所はないって言ってるじゃん。」
「そうだよね、うん。知ってた。」
拗ねた口調で答えると、レオさんは静かに独り言のような呟きを返してくれた。自分を納得させるような口調なんだけど、どういう事なんだろう。言葉の響きが不思議で、レオさんを見上げて観察してみる。
レオさんは前方に向けた視線を動かす事はなく、こっちを見てくれない。敢えて目を合わさない感じに見える。俺も一旦前を向いて黙々と進んでみる。少しして、再度見上げたら、レオさんの顔付きが険しい事になっていた。めっちゃ眉を寄せて鋭い眼光になってるんですけど。
「その険しい顔も中々カッコいいね。」
ちょっとだけ驚いたけど、レオさんに和んでもらおうと軽口を叩いてみた。軽口というか、実際にカッコ良かったから間違いではない。キツイ顔付きのレオさんが険しい表情をしてると、スゴク怖い迫力がある。でも、同時に綺麗な緑の瞳の鋭い視線が強調されてカッコいいんです。
レオさんが漸く俺を見てくれた。険しい表情の中で眼光が揺らいで、安堵した感じがある。そして、優しい眼差しに変わって、ちょっとだけ微笑んでくれた。でも、直ぐに視線を外してまた前を向いちゃった。
ん~、なんだろ。険悪、というかピリピリした空気だけは分かります。そのピリピリした空気の一角でもあるネロに目を向けてみると、ネロもレオさんと同様に険しい顔をしていた。眉を寄せて怖い顔になっている。
「ネロの険しい顔はちょっと怖い。」
何でそんなに怖い顔なの。少し困惑しながらネロの表情も評価してみた。はっとした感じでこっちを見てくれたネロの目が優しく細められた。そして、表情が和らいで、困った感じで微かに笑ってくれる。
「その顔は可愛い。」
ついでに、今の笑顔の評価も伝えてみたら、ネロは嬉しそうに頷いてくれた。軽口で二人の雰囲気が和らいでくれた感じはある。でも、やっぱり、空気が微妙な気がするんですけど、もしかして、二人は喧嘩中とかなのかな。
あ~、分かった。レオさんが保護者を拒否しちゃったから、ネロがむっとしちゃったのかも。そして、そのネロの気持ちに呼応して、レオさんがピリピリした、と。
だとすると、後で話を蒸し返すのは良くないよね。家で話すって言っちゃったけど、どうしよう。レオさんになんて言えばいいのかな。言い方次第では、こんなに険悪になっちゃう可能性しかない事が分かっちゃったんだもん。
二人には仲良くしていて欲しいから波風は立てたくない。それに、俺はレオさんには保護者を求めてる訳ではない。だから、レオさんが保護者的な立場が嫌なら、それで全然問題ないんだよ。
レオさんを見上げると、レオさんはニコっと笑顔になってくれた。レオさんに頷いて、ネロを見上げる。ネロも優しい微笑みを浮かべていた。ん~、喧嘩じゃない感じもする、かな。どうだろう。
考え込みながら歩いていたら食事場に到着していた。ネロは俺を気にしながらも調理場に向かっていって、レオさんは俺の横にとどまっている。どうやら、俺の隣で一緒に食事場の風景を眺めて待つらしい。
ぼんやりと食事場を眺めていて、レオさんに向かう女の子の視線に気が付いた。食事中の女の子の何人かが、レオさんに向かって手を振ったり、笑顔になったりしている。どう見てもお知り合い、ですよね。
ちらっとレオさんを見てみる。レオさんはぼーっと食事場を眺めていたけど、俺の視線に気が付いたのかこっちを向いてくれた。慌てて、顔を前に向けて考える。
ってか、どう見ても、アレだよね。遊んでる子的な関係の子達ですよね。だって、みんな可愛い笑顔になってるんだもん。そして、驚きなのが、結構な人数がいるって事だ。
一人二人じゃない、ざっと見た感じでは六人くらい、かな。メッチャ多い。レオさんを見上げてみると、レオさんは困った感じで俺を見下ろしていた。レオさんから視線を外して食事場をぼんやりと眺める。
「みんな綺麗だね。」
「まぁ、可愛い。」
食事場の光景を眺めながら、こそっと呟いてみると、レオさんは適当な感じで答えてくれた。なんでそんなにどうでも良さそうに答えたの。あんな綺麗なお姉さん方を前にして、このやる気のない態度、流石、遊び人ってトコロなのだろうか。
そうなんです、レオさんに笑顔を向けている子達はみんな、マジで大人っぽくて綺麗。でも、レオさんに向ける笑顔はメッチャ可愛い。クロエさんが女子力全開でレオさんに対して可愛くなったのと似てる気がする。
普段は大人っぽくて綺麗な子が自分の前でだけは可愛い、とか。ヤバいでしょ。ってか、ホントにみんな、綺麗系な大人のお姉さんなんですよ。それなのに、レオさんと爛れた関係なのか。凄いな、全然そうは見えない。
「レオさんはめっちゃモテるんだね。ネロと張り合わなくても全然モテてる。」
「だといいけどな。」
「だって、あの子達の可愛らしい笑顔。超嬉しそうな顔になってるじゃん。レオさんに向ける笑顔が可愛過ぎてヤバいもん。あんな顔をしてくれる子達を前にして、卑屈な発言はやめましょう。」
ネロと比べるまでもなくレオさんがモテている事実が今、目の前の光景なんだよ。ちょっとだけテンションが上って、思わずレオさんを褒めちゃうと、レオさんは苦笑気味に答えてくれた。なんでそんな言い方なの、って思いから力説をしてみたら、レオさんがじっと見つめてくる。
ってかね、レオさんは遊んでるだけなのかもしれないけど、あの子達は本気っぽく見えるんですよ。気のせいなのかな。レオさんみたいな派手な交友関係をした事がないから、遊び仲間の感覚というモノが全く分からない。
「一番大切な子の嬉しそうな顔が見たいんだけどね。」
「成る程。」
レオさんと可愛いお姉さん達について考えていたら、レオさんがぽつりと呟いたのが聞こえた。レオさんはちょっとだけ切なそうな顔で食事場を眺めている。確かに、一番大切な子は最重要項目ですよね。分かります。
でも、ネロにそれを望むのは中々厳しい、かな。ネロの嬉しそうな笑顔は激レアなんだもん。あ、でも、家ではよくしてる気がする。家の中では叶うけど、外でもそんな笑顔をして欲しいって事なのかな。
それにしても、あの子達のレオさんに向ける視線が甘い事。めっちゃ嬉しそうな顔をしてるし、レオさんとどんな関係性なのかが丸分かりなんですよ。ってか、ぶっちゃけ、遊び仲間というより、彼氏に向けるようなラブラブな視線、な気がするんです。
ネロが来る前に食事を終わらせて帰って欲しいって気分になっちゃうけど、人数的に流石に無理だよね。あんなラブラブな視線が集中してる中で、ネロが戻ってきたらどうすればいいの。そして、このまま鉢合わせとか、修羅場的な展開になっちゃったらどうしよう。
「因みに、あの子達。」
修羅場の可能性について悩んでいたら、ふっと笑みを零したレオさんが口を開いた。レオさんを見上げて、コクっと頷いて話を促してみる。レオさんはちらっと俺を見た後で、直ぐに食事場に顔を戻してしまった。
「ネロが来た途端に表情が変わるから。」
「そんな訳ないでしょ。あんなレオさんにベタ惚れの可愛い笑顔をしてるんだよ?」
レオさんがぽつりと言葉を出した。皮肉にも聞こえる内容なのに、淡々とした感情の籠らない声だ。流石にそれはないでしょって反論しちゃう。だって、どう見てもあの子達はレオさんが大好きって顔をしてる。レオさんが視線を食事場に向けたままで、少しだけ口の端を上げたのが見えた。
「まぁ、見てなって。直ぐに分かるから。」
自嘲するような笑みを浮かべて、レオさんがぽつりと呟いた。見ていたら分かるって、冗談じゃないって事なのかな。レオさんの言葉の真意を知りたくて、レオさんをじっと見つめちゃう。レオさんは耳だけはこっちに向けてくれているけど、目を合わせてくれない。ただ、ぼんやりと食事場を眺め続けている。
レオさんの言葉にも、表情にも、感情は込められていなくて、淡々としていた。悔しいって思いは全く感じ取れなかった。でも、言葉の意味合いはかなりヘヴィだ。
表情からは窺い知れないけど、冗談の可能性が高いと思う。でも、レオさんはもう話す気はないらしく、口を開こうとしない。レオさんの横顔を少しの間眺めて、これ以上の会話は諦めた。まぁ、待てば分かるか。
暫しの間、食事場の風景をぼんやりと眺めながら待つ事にする。レオさんは無言を貫いて食事場を眺めているし、女の子達の視線はレオさんに集中したままだ。
あんな綺麗なお姉さん達の可愛い笑顔が集中してるというのに、レオさんは一切動じてないし、反応も返さない。圧倒的大人感、というか、圧倒的遊び人感に覆われてる感じが怖いですね。レオさんの変な凄さに感心していたら、不意に、女の子達が一斉に視線を移動させた。
そして、明らかに見惚れた表情に変化していく。『可愛い笑顔』ではない。『見惚れた顔』だ。レオさんを見上げると、レオさんは目を合わせてにこっと笑ってくれた。成る程、確かに変わった。
「待たせたな。行くか。」
低い声が聞こえて声の方向に顔を向けてみる。女の子達の視線が集中した先にいたのは、まぁ、分かっていたけどネロだった。食事場をもう一回眺めると、やっぱりみんなの視線がこちらに向いている。
バスケットをレオさんに押し付けて、ネロは当たり前のように抱き上げようとしてくる。ネロの行動を予測してたから即反応できた。慌てて、ダッシュでネロから逃げて距離を取っちゃった。
あんなに視線が集中している状態で抱っことか無理。流石に恥ずかし過ぎるでしょ。避けられたことがショックだったらしく、ネロが絶望した顔になっちゃったけど、嫌なのって首を振っちゃう。
「レオ、どういう事だ。」
「恥ずかしいんじゃね?」
「恥ずかしい?」
ネロが静かに低い声でレオさんを問い質すのが聞こえた。威嚇するような気迫溢れる怖い感じの声色だ。レオさんはネロの気迫を受け流して飄々と答えている。レオさんの意見で正しいです。俺は恥ずかしいんです。呆気に取られた感じで聞き返しているネロの声を後ろに聞きながら、ささっと移動を開始した。
「いいから、行こ。抱っこはもうちょっと離れたトコがいいの。」
「嫌ではない、という事だな?」
「うん。恥ずかしいだけ。行こ。」
歩き始めながら、ネロの疑問に答える形で、小さな声で移動を促してみた。ネロが念押しのように確認を取ってきたから、コクっと頷いて同意しておく。だって、みんなに見られたあんな状態でお姫様抱っことかヤバいでしょ。学び舎で子供達の前でされた時の羞恥心が蘇っちゃう程の恥ずかしさだもん。
早足で振り返らずに歩き続ける。俺には足音も気配も感じられないけど、二人は俺の後ろをついてきてる筈。振り返る時間も惜しいくらいに、今はできるだけ早く食事場から離れたかった。
だってね、レオさんに言われて、改めて食事場の光景を観察してたら、色々と見えちゃったんだもん。女の子達の表情が明らかに変わったのは事実だった。
でも、それだけじゃない。レオさんに笑顔を向けていた子達だけじゃなくて、ほぼ全員だった。食事場にいた人達のほぼ全員に変化があった。ネロが登場した途端に、みんなの顔付きが変わったのが分かった。
女の人はほぼ例外なく、ネロに見惚れていた。男の人は基本的には畏怖っぽい緊張感溢れる感じだけど、数人は女の子と同じ見惚れる顔になっていた。レオさんが言ってたのは過剰な表現じゃないって、目で見て理解できた。
ってか、今まで、あれだけ注目を浴びてたのに全然気付いてなかった。見えてはいた筈なんだよ。でも、風の大きなテントの方に意識が集中してたから、食事場は背景の一部になってたんだもん。背景を注視してなかった自分の落ち度だけど、案外気が付かないもんなんだね。
あんなに視線が集中する中で、普通に抱っこをされてたのか。今更悔やんでも遅いけど、超恥ずかしい。込み上げてくる羞恥心と戦いながら、黙々と歩いていたら、急にネロに抱き上げられちゃった。周りを見渡すと人影はない。良かった。
移動を開始したネロを見上げる。ネロはちらっと目を合わせてくれたけど、直ぐに前方に目を向けてしまった。改めてこうやって見ても、ネロは超綺麗だ。女の子達が目で追いかけちゃうのも分かる綺麗さがある。
「ネロは凄くモテる人だったの?」
「普通。」
ネロをぼんやりと眺めながら聞いてみると、返ってきたネロの言葉はいつも通りシンプルなモノだった。成る程、普通か。って、普通な訳ないよね。あの場にいたみんなの反応を見る限り、全く普通じゃないよね。
あ、でも、あの反応はアレな気がする。アイドルとかスーパースターに憧れを抱いてる感じな気がしてきた。モテる、というより、そっちの方がしっくりくるような気がする。
レオさんの遊び仲間っぽい子達の反応が一番分かり易かった。レオさんに対しては彼氏に対しての可愛い笑顔で、ネロに対しては有名人に憧れてる顔って感じだった。ネロは強いし、超絶綺麗だし、地位もある。みんなの憧れの存在だとしてもおかしくはない。
レオさんは普通にカッコいいけど、チャラくてちょっと難のあるトコロが親しみ易い。ネロは超絶綺麗で、いつもクールさを崩さない無表情だから近付き難い。
近寄り難いネロだからこそ、憧れちゃうんだろうな。で、レオさんは親しみ易くて近くに感じちゃうんだよ。全ては俺の想像通りの結論だった。レオさんの言ってる事も正しいし、ネロの言ってる事もある意味正しい。それに、二人の長所は違うトコロにあるし、二人のいいトコロはそれぞれ違う。
「理解した。想像通りだった。」
「ん?」
「どういう事?」
確信を持って呟くと、ネロの視線が俺に向けられた。静かに見据えてくる金色の瞳に緊張感が見える。短く疑問を伝えてくるネロに被るように、レオさんの疑問の言葉も聞こえてきた。
でも、まぁ。この場で話しちゃ駄目だと思うんだ。ここは外だし、二人の仲は秘密だからね。ここでは話せないんですよ。俺だってちゃんと考えて行動できるんです。
「家で話す。」
短い言葉で、ここでは無理って意思を伝えてみたら、ネロの腕にきゅっと力が込められた感じがする。引き締まった感じのある腕に目を向けてみたけど、抱きかかえる力が強くなった訳ではない。どうしたんだろ。ネロを見上げると、顔が険しくなっていた。
困惑しながらレオさんに顔を向けてみる。レオさんも何故か険しい顔になっちゃってた。空気がぴりぴりする感じがあるんだけど、どうしたんだ。緊張する二人の雰囲気に飲まれて、俯いて身を竦めてしまう。
視線を感じて顔を上げると、ネロが心配そうな顔で覗き込んでいた。怖い顔じゃなくなっていて、ほっとする。ネロは仕事前モードになってぴりぴりしてるのかも。それがレオさんに伝染してる感じなのかな。
まさかとは思うけど、実は食事場の女の子達に気が付いて嫉妬してるとかじゃないよね。ネロは何気にあの子達の存在に気が付いてたのかな。で、気にしてないフリをしてるけど、嫉妬が隠し切れなくてピリピリしちゃってる、とか。言葉に出さずに喧嘩に発展しちゃった、とか。
「喧嘩とかはしてないよね?」
「してない。」
「してないよ。なんで急にそんな事を聞いた?」
恐る恐る、喧嘩な可能性を聞いてみる。二人は虚を突かれたのか、きょとんとした顔になっちゃった。その表情で分かった。確実に喧嘩じゃない。言葉でも否定してきたから、確定でいい筈。
「なんとなく?」
「なんで疑問系なんだよ。」
二人が喧嘩してないって分かってほっとしながら、曖昧に答えちゃう。困った感じを出したのが良かったのか、レオさんは頬を緩めて突っ込んでくれる。場を和ます感じの軽くて優しい突っ込みだ。
優しい笑顔になってくれたレオさんにつられたのか、ネロも微笑んでくれる。良かった。ネロもレオさんも怖い顔じゃなくなって、緊張感もピリピリした感じもなくなってくれた。
浮気的な事は関係ないとすると、やっぱり仕事前だからって可能性しかない。ネロがこんなに緊張する程、ヤバい魔物と戦うって事だよね。食事場に向かう道中のネロの怖い顔も、これが原因だった可能性が高い。
あの時のネロは、会話自体は上の空で聞いていて、実は仕事の事を考えてピリピリしてたんだと思う。で、レオさんはそれを感じて不安になっちゃった可能性が高い。そう考えると、何となく分かった気がする。
レオさんが保護者を拒否したから、ネロが怒っちゃったと思ったのは勘違いだった。俺の発言が原因で二人がピリピリした訳じゃないなら、レオさんに保護者じゃなくていいよ。って、普通に言っちゃっても大丈夫そうかな。
それはそうとして、レオさんの胸中はなんだか複雑な事になってそう。諦めの感じる自嘲気味だったけど、内心は平静じゃいられないよね。
だって、自分が遊んでいる女の子達がネロに夢中なんだもん。自分に対してラブラブな視線を送っていた子達が、ネロに見惚れる光景とか結構、心にクルものがありそう。
ネロはあの子達と面識はないだろうけど、レオさん的には、あの子達をネロに奪われたって感覚に陥っちゃってるのかも。それと同時に、あの子達に恋人を盗られちゃうかもって不安もあるのかな。
みんなが夢中になってるネロの心は自分に向いているって分かっているからこそ、余計複雑な心境になっちゃうんだろうね。多分だけど、レオさんはかなり拗れた寝取られ系の変態さん、かな。
レオさんは盗られたって想像で嫉妬の感情が沸いちゃう系なんだと思う。なんというか、複雑な心理だよね。まぁ、ネロはネロで、レオさんが俺を構うのを見て、自分がしている気分になっちゃうみたいだし。こっちも複雑と言えば複雑だ。
ネロは単純、と言えるかは分からないけど、普通に倒錯してる。でも、レオさんはもうちょっと変に拗れた感じで倒錯してるっぽい。倒錯してるって意味ではやっぱり似た二人って思っちゃう。
二人の倒錯の方向性について考え込んでいたら、家に到着していた。家に入ってぼんやりしている間に、ネロが帰宅後のアレコレをテキパキと終わらせてくれる。最早、サンダルを脱ぐ事すら、やって貰っちゃう状況だ。言葉通り、指一本動かす前に全てが終わっていた。
ネロに全てを任せていたら、手を引かれて椅子に座らされていた。二人も椅子に座って俺をじっと見つめてくる。二人の真剣な視線が集中して首を傾げてしまった。バスケットから食事を出す気配もなく、二人が俺を見てくるこの状況は何なの。
戸惑って二人を交互に見てしまう。二人はまた険しい顔に戻ってしまって、空気が凍り付いちゃってる。仕事前ってこんなに緊張感漂うモノだったのか。
家出前のネロは夜間のお仕事の前にもこんなにピリピリしてなかった。レオさんがいる環境下だから違うのかな。レオさんの心配が伝わって、ピリピリしちゃってるって事かな。
「ご飯じゃないの?」
「あ、そうだな。食べながらでいいか。うん、そうしよっか。」
二人の雰囲気に気圧されながら、おずおずと言葉を出してみた。レオさんはちらっとネロを見て、笑顔と軽い口調で優しく返してくれる。ネロの表情も緩んで微笑んでくれた。レオさんのおかげでピリピリした空気がなくなってくれた感がある。
レオさんは立ち上がってソファに向かい、ローテーブルに放置されていたカップを手にした。お茶の用意をしてくれるらしい。ネロも席を立って、バスケットに手を伸ばした。食事の支度をしてくれるらしい。テーブルに頬杖を突いて二人を交互に眺めて待つ事にする。
お茶を淹れるレオさんの表情は後ろ姿だから分からない。ただ、背中からは緊張感しか伝わってこない。だって、尻尾がピクリとも動かないし、耳が音を聞き漏らしたくないって感じでこっちに向いてる。ネロは普通の真顔、に見えるけど、メッチャピリピリしてる気がする。金色の瞳の眼光が鋭いんだもん。
とはいえ、ネロの取り出すお料理の匂いで、意識も視線も食事の方に移っちゃった。全部の料理が大皿でシェアするスタイルだ。家族で囲む食卓って感じがしていいね。お肉と野菜の炒めもの、餡かけのかかった魚介類の炒め煮、お肉のソテー、グリーンサラダ、白パンと黒パン、最後にフルーツ。
大きなお皿に大盛の料理達が並んでいる。よくバスケットに収まったなって感じだ。バスケットに目を向けてみると、普段のバスケットより大きい気がしない、でもないかな。バスケットを眺めてる間に、ネロは次々と小皿やカトラリーも取り出して食事の支度が整っていた。
「美味しそうだね。」
ネロに向かってにこっと笑顔で感想を言ってみたら、ネロは無表情なままで頷いてくれる。カップがスッと置かれて見上げると、レオさんがニコリともしない感情のない真顔になってる。やっぱ、アレだ。二人は仕事モードになってるっぽい。ぴしっとしていて、めっちゃピリピリしてるんだもん。
「ありがと、レオさんのその顔はどきっとしちゃう程カッコいい、かも。」
笑顔でお礼を言うと、レオさんは戸惑った感じで動きを止めてしまった。少しの間、じっと見つめてきた後で、レオさんは無言で席に移動していった。そして、また険しい顔になってしまった。ネロも同じく険しい顔になっている。
それにしても、夜の魔物の討伐って、こんなにピリピリする程、危険なお仕事だったのか。家出前のネロは全然そんな感じはしなかったし、アルさんもそんな強くないって言ってたのに。やっぱり、気を遣って言葉を選んでくれてたって事だったんだ。
眉間にしわができるくらい眉が寄ってる二人を見ながら、手を合わせて、いただきます。と小さく呟いてみた。二人も祈りを始めた、と思ったら、直ぐに祈りは終わって、こっちに向き直ってくる。ネロもレオさんも真剣な鋭い視線がちょっと怖いくらいの気迫になっている。
緊張を解して欲しくて、ニッコリ笑顔になってみた。二人は表情を緩めてくれて、ちょっとだけ緊張感が和らいだ気がする。良かった。でも、二人の視線が俺から動かないのが気になるんだけど、食事は始めないのかな。
「今日はね、魚介の餡かけからな気分。」
こんな時は、必殺ぶりっ子を発動する時だと思うんだ。レオさんだけじゃなくて、ネロもこの攻撃に弱いのは知ってるからね。という事で、甘えた声でネロにお願いすると、ネロは頷いて直ぐに取り分けてくれた。それと同時に、レオさんは黒パンを小皿に置いて渡してくれる。
「ありがと、美味しそう。」
ニコっと笑顔でお礼を伝えると、二人も少しだけ笑顔になってくれた。食べる態勢は整った。でも、二人に凝視されていて、非常に食べにくい。しかも、表情は辛うじて微笑んでるけど、二人の眼差しは穏やかな見守りモードとは程遠い、ピリピリした空気に包まれて緊張感が溢れ捲ってる。
「ネロもレオさんも一緒に食べて。特にネロは夜から仕事なんだからちゃんと食べて。」
「分かった。」
「了解。」
思わず注意をしてしまうと、二人はまた険しい顔に戻っちゃった。そして、短く端的に淡々と答えてくる感じが、まったりな食卓じゃなくて、戦場のような空気に感じてしまう。
緊張感のある微妙な空気の中で、視線を合わせる事もなく、二人がそれぞれ自分の食べる分を取り分け始めたのを見て確信する。やっぱり、お仕事モードで確定だ。お仕事モードになる事で感情を隠してるっぽく見える、かも。
お見送りの為にレオさんに来て貰ったのは失敗だった。討伐の危険な仕事の前に恋人と過ごす時間は嬉しいとは思う。ネロと顔を合わせて送り出せるってのも嬉しい筈。
でも、顔を合わせる事で、レオさんはネロの事が超心配になっちゃって、ネロはそんなレオさんが心配になっちゃってる。しかも、淋しさも倍増してそうな感じもあるし。マジで失敗だった。
「多分ね、大丈夫だと思う。一人になっても、傍に感じられるから平気だよ?」
二人の緊張感を緩和して貰おうと、独り言みたいな感じで呟いてみた。二人がお互いを心配なのは分かる。普段は離れている時間の方が長かったと思うのに、この二日間はべったりだったから。離れる直前で急に淋しくなっちゃったんだよね。何となく分かる。
俺もネロの家でお世話になって、一緒にいるのが当たり前な程、ネロはいつも近くにいてくれた。だから、夜に一人で過ごす時間が淋しくなっちゃったもん。一人でいる事自体は怖くなかった筈なんだよ。でも、人と触れ合う時間が長くなると、途端に一人でいるのが淋しくなっちゃうんだよね。




