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炎のカルティア

二章 炎のカルティア

 四角いクリーム色の石を、積み木のように積み上げ造られた、四角い城が街の中心にそびえていた。屋上には南国のフルーツを実らせる果樹園がある、石ばかりのこの街で一際存在感のある建物だった。この建物は、島の西に位置する砂漠の大国、炎のカルティアの王・エスタの居城だ。

 その城の一室に、図書室と言われれば納得してしまうほどの蔵書に、埋もれた部屋があった。エスタ王の側近であるゾナの部屋だった。ゾナは、ドッシリした執務机で、羊皮紙を広げていた。広げた時には何も書かれていなかったが、見る間に緑色のインクで文字が書かれていく。

「……ニーナ嬢、部下から報告がきた。クエイサラーは堕ちたが、花の姫は逃れこちらに向かっているとね」

ディコの送った報告は問題なく届き、鍔の広いとんがり帽子を被った、三十代くらいの知的な若い男は、さらに若い──幼い少女に話した。

少女は灰色の前髪を眉毛の上で切りそろえ、横の髪を肩で切りそろえ、後ろの髪を背中の半分で切りそろえていた。歳は、ディコと同じくらいに見える。が、かなり背が低い。そして、何より目を引くのは、その頭に突きだした狼の耳、尻に生えた尾だ。その姿は、色こそ違えどリティルの耳と尾と同じだった。応接セットの籐の背もたれのある長椅子に、ちょこんと腰掛けた少女は、紅茶を優雅に飲みながら、見た目以上に落ち着いた声色で答えた。

「それは朗報じゃな。花の姫を奪われていたら、こちらに打つ手はなくなっていたからのう。それで、のんびり待っていていいのかのう?」

彼女の足下には、青みがかった灰色の毛並みの狼が寝そべっていた。

「砂漠の異変は報告されていないのでね、安心したまえ。君の待ち望むリティルも、共に戻るよ」

ニーナと呼ばれた少女は目を細めた。待ち望むとゾナは言ったが、ニーナはどうも乗り気ではないらしい。

「よもや、ドルガーが討たれていようとは、思いもよらなんだ。リティルを殺さず生かしたところを見ると、奴め、いたぶれる気でおるようじゃ」

ニーナは小さな手を組むと、忌々しげに額にコツンと当てた。

「我が友は、ビザマにただではやられてはいないよ。退くしかなかったと、オレは思っているよ」

ゾナは寂しい微笑みを浮かべながら、席を立つと、ニーナの向かいの籐の長椅子に腰を下ろした。そして「彼が亡くなって、六年になるよ」と言った。

「……風はまだ戻っておらぬか?」

ややあって、ニーナは気を取り直すように顔を上げた。

「兆しすらない。ドルガーを失う以前は多少使えていたのだが、記憶と共に失われてしまったのだよ」

「そうか……心の傷は深かろうのう。王の力も、大半はサレナが持ち去っておるし。僅かな欠片はわらわが持っておる。鳥達も行方知れずじゃ。インサーリーズ、インスレイズ、無事だったとしても、我らとはコンタクトを取らぬじゃろう。ゾナ、今のリティルは何も知らぬのじゃな?」

気遣わしげに、ニーナは幼い顔に大人びた瞳でゾナを窺った。

「下手に教えれば、単身乗り込んでしまうことは目に見えていたのでね。きちんと所在をあきらかにしているところを見ると、まだ何も知らないままだね」

「難儀なことじゃな。こうも、なんの兆しもないとは、話したところで理解できるかどうか。拒絶されたならばどうするのじゃ?」

「混乱はするが、心配することではないよ。花の姫と共にいるのならば、放っておくことができずに受け入れるはずだ」

リティルと、花の姫になる娘が一緒にいる事は聞いていたが、まだ出会って一日二日ではなにか?とニーナはさすがに目を丸くした。

「もうそんな仲に?」

ゾナは笑って、そうではないよと首を横に振った。

「リティルは不完全でも、なまじ力がある。そして、ドルガーを失った心の穴を必死に埋めようとしている。過酷な状況に置かれた姫と関わることは、いい穴埋めになるのでね」

平然と憂いなく淡々と言ったゾナに、ニーナは顔をしかめて苦言を呈した。

「きついのう。事実だったとしても、そんな分析してやるものではないぞよ?」

そして「大事な人を失った穴は、そう簡単には埋まらぬ」と哀しそうに瞳を伏せた。

「これは失礼、ニーナ嬢」

「リティルは、本来ならばこんな痛みを受けずに生まれてくるはずだったのじゃ。今でもわからぬ。ビザマはなぜ……?」

ニーナは伏せていた瞳を、ゾナに戻した。その瞳には、答えを探すような、救いを求めるような感情が浮かんでいた。残念ながら、ゾナはニーナの憂いを晴らすだけの答えを、持ち合わせていなかった。

「人の心には、少なからず腐敗がある。だが、善人であれ悪人であれ、大事を起こすときにあるのは、己の正義だけだと思うがね」

「ビザマに正義があると?奴は!ウルフ族を滅ぼし、リティルから風の王の力を奪い、監視者の村を焼き、ドルガーを殺し、クエイサラーを支配した!闇の王を倒す手段を潰す行為にある正義とはなんじゃ!」

キッとゾナを思わず睨んでしまったニーナの瞳には、ありありと憎しみが浮かんでいた。

ニーナは憤ったが、反対にゾナは冷静だった。形の良い顎を撫で、つぶやくように言った。

「例えば、守るため……」

ニーナは意外な答えに、狐につままれたような顔をした。

守る?こんな恐ろしいことをした者の理由が、守るためだと?いったい、何を?

「理解など、しなくてもいいのではないのかね?我々とビザマ側とでは、相容れないではないか。少なくとも、ニーナ嬢が怒りを覚えているうちは」

「おおおおぬし、恐ろしい奴め!」

許してはならない。温情など与えていい相手ではないのに、その理由を探しそうになった。考えてはならない。ビザマは悪でなければならない。そうでなければ、耐えられない。

「よくそう言われているよ」

ゾナは、紫色の瞳を細めて困ったように微笑んだ。


 銀の壁を越えた一行は、貝殻の砂漠を進んでいた。

貝殻の砂漠は、名の通り、巨大な貝殻がごろごろしている砂漠だ。貝殻は水を蓄えていて、その表面には緑が茂る。カルティアの畑として、国民の食を支えていた。

カルティア城下まで貝殻は点々と続き、貝殻の側は涼しくさえあった。

「リティル様、ディコ様、お帰りなさい!」

「ただいま!」

二人は本当に有名らしく、貝殻の上で作業している人々や、巡回している兵士達に声をかけられていた。貝殻の砂漠は、銀の壁での襲撃が嘘のように穏やかだった。一行は、砂漠に不慣れな二人に合わせて、ゆっくりと進んでいた。

「シェラ、シェード、カルティア城下が見えたぜ!」

二日目、リティルは前方を指さした。たちのぼる陽炎の向こうに、巨大な卵のような影が揺らめいていた。一つの旅が終わる。シェラは、胸の小さな痛みに戸惑いながら、先導するリティルの背中を見つめていた。

 カルティア城下は、街をずっぽりと包む卵形の城壁に守られている。卵の最上部に、明かり取りの隙間があるだけの強固な作りだ。城下に入る審査も厳しく時間が掛かるため、門の前には宿を備えた街ができあがっていた。

「それでは皆さん、あっしはあっちの門からですんで。ここまでです。それでは、良いカルティアライフを」

入門許可証を持つ商人であるダグは、専用の門へ向かっていった。それを見送り、リティル達は騎士などの使う通用門へ進んだ。

「リティルさん、ディコさん、おかえりなさい」

門番の騎士が胸に手を当てて一礼した。それに倣い、ただいまとリティルとディコも礼を返す。

「ゾナがどこにいるか、知らねーか?」

「今日は、城で側近らしくしていると言っていましたが……どうでしょうね」

騎士は首を竦めた。そして、神出鬼没の宮廷魔導士殿の動向は、わかりかねます。と言った。それもそうだなと、頷きながらリティルは悪態をつくことも忘れなかった。

「あいつ、また出歩いてねーだろうな?わかった、なんとかとっ捕まえてみるぜ」

門番と別れ、一行は分厚い壁のトンネルを進んだ。進むにつれ、どこかヒンヤリとしてくる。カルティア城下はもっとも栄えている都だ。シェラも公務で訪れたことはあるが、その時は卵の上部からの入城だったため、市井の様子はわからなかった。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ようこそ、カルティアへ」

ディコが振り向いた。松明に照らされたトンネルの先は、眩しい光に満ちあふれた場所だった。石畳の道が整備され、道と平行して細く浅い水路が走っている。積み木のように真四角な家々が並んだり積まれたりして、それらを階段と坂が繋ぎ、かなり入り組んでいるようだ。大通りには色とりどりの旗が飾られ、露天が所狭しと並んでいる。今日は祭が何かなのだろうかと疑うほど、活気に満ちていた。

 リティル達に促され、二人は大通りから道を逸れた。それから、いくつ角を曲がっただろ。もう、一人では大通りに出られそうにない。そして、だんだんと薄暗くなり路地に落ちる光が赤や青の色になってきた。カルティアは明かり取りの隙間から太陽光を入れ、その光を宝石で乱反射させて卵内を光で満たしている。故に、入り組み光のか細い路地裏は、バラバラな色の光が射しているのだ。

「影には影の入り口があるんだぜ?」

リティルは、どう見ても上品ではない酒場の扉を開いた。酒場の入り口には、ノアヤアーマ──精霊の言葉で闇を覗きみると書かれた、ペンキの大分剥げた石の看板が掲げられていた。

「いらっしゃ──リティル、おかえり!」

派手な化粧をした酒場女が、扉が開くのに気がつき振り返る。そして、それがリティルだとわかると、駆け寄ってきて抱きついた。ハイヒールの分も手伝って、ちょうど盛った胸が顔に当たっていたが、リティルは、まったく動じずにただいまと返していた。それどころか、息ができないとばかりに押し返していた。

「ああ、そうだった。ゾナがお待ちかねだよ」

いつも通りのやり取りなのか、あからさまに拒絶された風な彼女は、まったく気を悪くした様子もなく、奥のカウンターへ一行を案内した。

 リティルの雰囲気が、ゾナの名を聞いて固くなるのをシェードは感じた。ゾナの事は知っている。エスタ王の右腕である魔導士だ。容姿は三十代前半くらいだが、中身はどうだかしれない。実は百歳だと言われても信じてしまいそうなほどの、底知れなさを感じる男だ。なるほど、彼が影を仕切っているのかと、シェードは納得した。

 カウンターに、広い鍔の三角帽子を被った黒いマントの男がいた。その出で立ちは、お伽噺に出てくる魔女のようだった。男は、何やら存在感のある分厚い魔導書を膝に置いていた。容姿端麗な隙のない紫の瞳の彼が、カルティアの宮廷魔導士・ゾナだ。

「宝石二つ、持って来たぜ?ゾナ」

「ご苦労だった。王子、姫ご無事で何よりです。ディコ、客人を先に城へお連れしたまえ。今日は牙だよ」

ディコは頷くと、二人を店の奥へ促した。シェラはリティルをチラリと見たが、彼は口元に笑いを浮かべて軽く手を振っていた。

 リティルは二人を見送って、ゾナに向き直った。

「聞きてーことがある。オレの出生のこと、おまえ、知ってたろ?」

ゾナは、表情を崩さずにリティルをジッと見据えた。

「ディコの妄言だとは、思わなかったようではないか?」

ゾナは、リティルの突然の言葉にも驚かなかった。そして、それを教えたのが、ディコであることまで察した。

ああ、そうなんだとリティルは、恐れを抱いたが、心細さを押し殺して、強い口調で言葉を続けた。

「何言ってるんだって、思ったさ。けどな、おまえのその態度で戯れ言じゃねーことがわかったんだよ。ゾナ、どういうことだよ?」

「丁度、君に客人が来ているのでね。すべての疑問に、答えるとしよう」

ゾナは優雅な所作で立ち上がると、カウンターの中へと歩みを進め、リティルと共に、城へ続く秘密の通路へ降りた。


 酒場からの秘密通路は、日によってルートが違う。今日は牙というルートだった。

先に城へ着いたディコは、早速二人を玉座の間に案内した。

カルティアの玉座の間は、壁がなく、剣を模した柱が、石の屋根を支えただけの、開放感のある部屋だった。壁の代わりに、南国のフルーツの木々が、大きな素焼きの鉢に植えられて、ずらりと並んでいる。エスタ王は、普段玉座に大人しく座っている人物ではないが、今日は正装で待っていた。

「サフィー王子、アクア姫!長旅ご苦労であった」

大理石の床の上に、広げられた絨毯に座っていたエスタは、立ち上がり王子達を迎えた。豪快な口ひげと、浅黒く灼けて、盛り上がった筋肉を持つ中年の男。彼は剣を扱う武人でもあった。

「エスタ王、お久しぶりです。突然の入国を許していただき、ありがとうございます」

「クエイサラーは、堕ちたのだな?」

「……はい。クエイサラー王・リアは、闇の王に屈しました。エスタ王、妹はまだ何も知りません。今後のことを教えてはいただけませんか?」

エスタは二人にも座るように促した。三人の前には、瑞々しい南国のフルーツが置かれているが、手を出せる雰囲気ではなかった。

「ふむ。わしよりも、適任がいる。ニーナ殿、貴殿の知識をお借りしたい」

エスタの声で、彼の背後に二つの気配が現れた。初めから、エスタの背後に控えていたのだろうか。あまりに唐突な出現で二人は驚き、少女と狼の姿に注視する。

「うむ。わらわは、幻の島・ルセーユに住まうウルフ族の長、ニーナ。そなたが花の姫かのう?」

少女はズイッと、シェラの顔を覗き込むと頷いた。シェラは彼女の顔ではなく、その頭に生えた狼の耳に釘付けになっていた。

「わらわの耳が気になるようじゃな?それは、これと同じモノを生やした者と、共にいたからかの?」

ニーナは灰色の瞳に笑みを浮かべた。心を見透かされ、シェラはハッとして、視線を彷徨わせてしまった。それを見て取ったニーナは、どこか満足そうに微笑んだ。

「リティルも同族じゃよ。ただ、あちらはわらわのことを知らぬがな。さて、そなたのことじゃ、花の姫。精霊より力を賜る覚悟は、できておるかのう?」

「覚悟はできています」

「この世に、未練はないのじゃな?」

「はい」

シェラの紅茶色の瞳は、真っ直ぐで揺るぎなかった。精霊から力を得る方法は知らずとも、それがどういう意味を持っているのかということは、心得ているようだった。かといって、精霊になれるかどうかには、別の条件も関わってくる。クエイサラーの姫は皆、シェラと同じ道を辿ってきたが、本物の精霊になれた者はいまだかつていなかった。

しかしシェラはその精霊となる姫だ。最後の条件はもう満たされているのだから。

それは、風の王がこの世に目覚めていること。不完全でも当の本人が気がついていなくとも、その条件はすでに満たされていた。

「そうか。ならば、レイシルへ赴き、レシエラの墓所へ向かうのじゃ。レイシルが治癒の力を扱えるのは、墓所にある泉の水を用いているからじゃ。そして、隠されたその場所を知っている唯一の国じゃ」

「はい」

シェラは従順に淀みなく頷いた。そんな妹の姿を、シェードは心苦しく見守っていた。

 精霊とは、ここではない異世界に住む、この世界の生き物とは異なる生命だ。魔法戦士であるシェードは、精霊がどんな存在なのかを知っていた。

森羅万象を各々司る力の化身。魔法という力は、彼等の助力で発現する。

不老不死である彼等は、生き死にを繰り返す、この世界に住むことはできない。精霊になること、それすなわち、シェラとこの世界との別れを意味していた。

そのことを、治癒魔法を操ることのできるシェラも、当然知っていた。だのに、妹は躊躇いなく承諾した。

この兄とも、別れなければならないというのに……凜とした妹の姿に、シェードは何とも言えない寂しさを感じてしまった。

クエイサラーの姫として産まれた者の宿命。物心ついた頃から知っていた。覚悟していたつもりだった。だが、共に過ごした日々が、その覚悟を簡単に裏切る。

 ニーナは、エスタを振り返った。

「エスタ、今から無礼講とするがよいな?」

「かまわん。わしも、堅苦しいのは肩が凝っていかんわい」

エスタはいきなり、両手を体の少し後ろにつくと、あからさまに力を抜いた。その様子に、シェードもシェラも驚いた。

「ふう、大親父さん、そんないきなり気を抜くから、お兄ちゃん達困ってるよ?」

部屋の隅で控えていたディコが、トコトコと絨毯のところまでやって来た。

「固いこと申すな、ディコ。ほれ、採れたてのマンゴーだ。喰わんか?」

一国の王に、組織の下っ端の子供が対等に話していることに、シェードは開いた口が塞がらなかった。自分達が何か、狐に化かされているような気分になった。

「食べるけど、ちゃんと紹介してよ。それから説明して」

おじいちゃんと孫にしか見えなかった。しかし何だろうか、この対等感は……。

「ディコ?では、そなたが監視者のディコか?おお!なんと!わらわはニーナじゃ。たった一人のウルフとなってしまったがゆえ、便宜上長を名乗っておる」

ニーナはパアッと顔を輝かせると、ディコの手を取った。

「たった一人?ウルフ族は戦闘民族でしょう?どうして?」

ニーナは悲しげにディコを見返した。

「エフラの民も簡単に消される種族ではない」

ニーナの言葉に、ディコはハッとして押し黙った。

「監視者の村の惨劇は聞いた。惨いことになって、すまぬ。すべてはウルフ族の元長・ビザマの仕業なのじゃ」

ビザマ?その名は、シェードとシェラには馴染み深い名だった。

「ニーナ嬢、すまないが、リティルにも話をしてやってくれたまえ」

ゾナの声で、ニーナの耳がピクリと動いた。が、ニーナはこわばりなかなか二人の方を向けない様子だった。正面にいたディコは、訝しげに首を傾げた。

「ニーナ?」

ニーナはスウッと瞳を閉じて、大きく息を吸うと灰色の大きな瞳を開いた。

「大丈夫じゃ」

そう言って口元に笑みを浮かべて見せたニーナから、ディコは彼女も、自分と同じ痛みを背負っていることを知った。


 シェラ達がニーナから話を聞いていたその時、リティルはゾナと連れだって地下道を進んでいた。水の滴る音が反響し響く、街中よりも冷気の濃い場所だった。

「ゾナ、花の姫っていうのは何なんだ?」

こちらを向いたゾナは、どこか呆れた顔をしていた。

「君は自分のことより、姫の事の方が気になるのかい?まあいい、花の姫とは神樹の花の精霊のことだ。闇の王との決戦時、ウルフ族の超回復能力に力添えしたのだよ。闇の王の能力は腐敗。近づくものすべてを腐らせてしまう。倒すのは至難の業なのでね」

「それで、超回復能力を持ったレルディードが闘ったのか。その時、闇の王は倒したんだろ?それなのに、どうしてまた」

「闇の王は精霊なのだよ。精霊は精霊にしか滅することはできない。故に、封印するしかなかったのだよ。そして、未来に倒す力を残すため、レルディードは風の王と融合し、超回復能力を持つ精霊を創り出そうとしたのだよ」

ツッコみたいことはたくさんあった。お伽噺では、風の王は闇の王の側の登場人物だ。なのに、その精霊は、英雄のリーダーと融合したという。何が何だか、リティルにはよくわからなかった。

「それが、オレだって言うのかよ?おまえも知ってるだろ?オレは、魔法が一切使えねーんだぜ?」

ゾナはジッとリティルを見つめた。その眼差しは、僅かな希望を見つけようとしているかのようで、リティルは居心地が悪くて怯んだ。

「九年前、出会った頃、君は風を使えていたのだよ?」

「な……なんだって?」

九年前?それは、リティルが養父に拾われた時期だ。それから三年間ドルガーというフォルク族の男と一緒に暮らしていたが、なぜか記憶があやふやな部分が多い。なんだろう。考えた事もなかったが、何か大事なことを忘れているような気がする。

「過去のことよりも、今の方が大事なのだよ。リティル、受け入れるかね?」

ゾナは再び歩き出した。リティルも後を追い、隣に並ぶ。

「オレが、レルディードと風の王の融合した存在だってことをか?実感湧かねーな。十二くらいの時だったら、英雄の再来だってはしゃいでたかもしれねーけどな」

リティルは他人事のように言うと、両腕を頭の後ろで組んで暗い天井を見上げた。

「では、拒絶するかね?」

「闇の王は、復活するか、してるかなんだろ?ここでごねても、今まで通りの日常はなくなるんだ。だったら、やるしかねーだろ?」

リティルは悩む素振りもなく、アッケラカンとしていた。リティルは、潔すぎるところがあった。どんな無理難題をぶつけても、ケロッとした顔で任務に出かけていく。ゾナでさえ、リティルが何を感じているのか、わからないときがあった。

「ゾナ、親父はこのこと、知ってたのか?」

リティルは亡くなった養父のことを、父と呼んでいた。

「君が話したのだから、知っていたよ。というか、ルセーユ島まで単身乗り込み、すべてを暴いて戻ってきたのだよ」

ルセーユ島?ディコが幻の島だとか言ってたな。と、リティルは銀の壁でのやり取りを思い出していた。

ああ、ヤバいな。実感がまるで湧かない。どう動けばいいのか、意志を持てない。心細い。だが、ゾナを頼るわけにはいかなかった。もう、頼っていい年ではないのだから。

ドルガーを失って、心のよりどころを失ったリティルは、精神の未熟さも相まって、ゾナを無遠慮に頼ってしまった。その過去が、あの頃よりは大人になったリティルに、頼ってはいけないとブレーキをかけさせていた。

「オレが話した記憶はねーけど、ハハ、親父らしいな」

リティルは、曇りなく笑った。ゾナの脳裏に、幼いリティルが、血にまみれた部屋の中で、一人座り込んでいる光景が浮かんだ。

頼りない小さな背中。庇護がなければ、死んでしまうような危うさ――。

あの頃と比べれば、リティルは格段に強く逞しくなった。だが、リティルの心の中には、闇が居座っている。未だ、乗り越えられない記憶がある。ゾナは、リティルの笑顔に、唐突に危うさを感じた。感じたような気がした。

――オレの手を、取らなくてもいいのかね?

そんなことが、過ったような気がした。

「リティル、何を考えているのかね?」

「はあ?オレが何か考えてるように見えるのかよ?お手上げだぜ?もう面倒くせーから、指示してくれよ、ゾナ様!」

ゾナには、リティルが何かをはぐらかしたことがわかった。わかったが、どんな感情を飲み込んだのか、拒絶されたゾナには、これ以上リティルの心に近づくことはできなかった。


 地下道を抜け城内に入ると、二人は玉座の間を目指した。

「ゾナ、オレはオレを見失わねーよ。いい加減、信じろよな」

玉座の間の扉の前まで、二人は無言だった。刃の彫り物が施された分厚い石の扉を押し開きかけたゾナの背中に、リティルは言葉を投げていた。ゾナは振り返らなかった。けれども、リティルは言葉は届いたと思うことにした。

 玉座の間には、すでに皆が集まっていた。その中に、見慣れない人物がいる。灰色の髪の……リティルはドキリッと胸が高鳴ったのを感じた。

「ニーナ嬢、すまないが、リティルにも話をしてやってくれたまえ」

呼ばれた少女は、遠目でもわかるほど体をビクリと震わせた。ディコが気遣う素振りを見せたが、少女はこちらを振り向いた。

「そなたが、リティルか?想像より背が低いのう」

「うるせーよ」

「いや、違う!言いたかったことは、もっと他にあるのじゃが……」

ニーナはワタワタと両手を振った。先ほど、シェラやディコに対したときとは、あきらかに態度が違った。余裕がないというか焦っているというか、思考がとっちらかっているようだ。リティルはゆっくりとニーナの前まで来ると、膝を折った。

「うわあ、初めて見たぜ。おまえ、オレとホントに同族なのかよ?」

ニーナは灰色の瞳をリティルに向けた。

「わらわも初めてじゃ。鏡以外で、同族の姿を見るのは。すまぬな、ウルフ族はわらわを残し滅んでしまった。そなたの哀しみも、ディコの受けた傷も、クエイサラーの悲劇も、すべて、わらわの父、ビザマがしでかしたことなのじゃ」

「ビザマが、ウルフ族……」

シェードがつぶやいた。

「確か、クエイサラーの宮廷魔導士だよな?魔導士じゃねーのかよ?」

リティルは膝を折ったまま、ニーナの向こうに座っていたシェードを覗き込んだ。

「ウルフ族は戦闘民族じゃ。確かに肉弾戦を好む者が多かったようじゃが、隣に賢者と名高い、エフラの民が常におる環境じゃった故、魔導に精通しておる者もおるのじゃ。わらわも炎、大地、治癒を会得しておる。ビザマが謀反を起こしたのは、九年前。そのときわらわは一才だったのでのう。伝え聞いたことしかわからぬが、武芸魔導ともに秀でておったそうじゃ」

リティルは唸った。

「秀でてたっていったって、一人で一種族を滅ぼしたっていうのかよ?」

「そのようじゃ。母・サレナが風の王の欠片を奪い、赤子のわらわを連れてエフラの郷へ落ち延び、長である大賢者はサレナの訴えに従い郷を閉じたそうじゃ」

「ルセーユのエフラの民は、ウルフ族を見殺しにしたの?」

「ディコ!」

「だって!」

「よい。その通りじゃと大賢者も認めておる。その時すでに、ビザマは風の王の力のほぼすべてを奪い取っておった。エフラの民でも、太刀打ちできたかどうか……。リティル、これからわらわと一戦交えぬか?」

突然の申し出だった。リティルは、一瞬ニーナが何を言ったのか理解できなかった。こんな、幼い女の子と、一戦交える?冗談だよな?と、当然思った。

「ん?おまえと?」

「わらわは今日まで、母が命を賭けて奪い返した、風の王の欠片を守っておるのじゃ。それを、そなたに返したい。じゃが、普通に返したのでは面白くないじゃろう?」

ニーナはニヤリと笑った。そのとたん、もの凄い威圧感が彼女から放たれた。それは、野生の狼が獲物を前にしたときの殺気に似ていた。

「おまえ、十才くらいだよな?」

気を抜いていたとはいえ、リティルでさえ咄嗟に飛び退かせる威圧だった。

「その通り。今年で十じゃ。どうじゃ?相手にとって、不足はないじゃろう?」

笑って立ち上がったニーナは、とても、リティルの知る十才の女の子ではなかった。

 ずっと動かなかった狼がユラリと立ち上がり、ニーナをその背に乗せた。ニーナは魔力で創り出した槍を構え、目を細めた。

「参る」

「!」

リティルは一瞬で間合いを詰められていた。咄嗟に二本のショートソードを構え、ニーナの槍を受ける。

「ね、ねえ、ゾナ、ニーナは本当にボクと同い年?」

ディコは、絨毯の上にへたり込んでいた。ディコはこの四年間で、一対一の戦いでリティルが二本の剣を抜いた事がないことを知っていた。それを、ニーナはやってのけた。

「そのようだね」

「ゾナ殿、ウルフ族とはあんな子供であっても、あれほどの力があるものなのか?」

シェードは完全に気圧されていた。クエイサラーの守護神とも謳われるシェードだが、ニーナの鬼神ぶりにプライドをへし折られたようだった。

「彼女は異例の強さなのでね。君が気落ちすることはないよ。決して馴染むはずのない風の力を、よく使いこなしているではないか」

ゾナは感心したように、笑みをその整った顔に浮かべた。

 狼は瞬間移動でもしているのかといいたくなるくらい、素早かった。

「こっちじゃ。どこを見ておる!」

背後からの突きを辛くも躱し体制を整えるが、今度は真横から攻撃が来る。読めないようでいて、リティルは少しずつ攻撃の癖を見抜きはじめた。

正面からの攻撃を避け、リティルは次ぎに襲い来る背後からの攻撃を止めた。

「ほう、やるのう。では、これはどうかのう!」

ニーナはピョンッと狼の背から飛び降りると、槍を捨て両手を前に突きだした。

「インファルシア!」

ニーナの掌から暴風のような風が巻き起こり、リティルに襲いかかる。

「うわ!な、なんだ?」

強烈な風の中を、時折金色の三日月型の刃が飛んでくる。それを気配のみを察して叩き落としながら、リティルは初めての魔法に戸惑っていた。

「風魔法!風の力は、誰にも扱えないはずなのに」

ディコが思わず身を乗り出した。

「そう、風の王・インが封じられ、力を制御してくれる精霊が不在のため、風の魔法を扱うことは不可能だ。しかし、ニーナ嬢は風の欠片を持っているのでね。例外なのだよ」

それにしても、ニーナの魔力は底無しなのだろうか。あれだけの風を放ち続けるのは、かなりの力を必要とするだろう。風の中で、リティルが膝をつくのを見た。

「リティル!ニーナ、もうやめて!」

シェラは見ていられなくなって、叫んでいた。その声が聞こえたのだろうか、ニーナは魔法を収めた。

「ぜえ、ぜえ、負けたー!」

リティルはその場にへたり込んで、荒い息を吐いた。シェラがすぐに駆け寄ってきたが、風の刃に切り裂かれた傷はどれも浅く、治癒を施すまでもなくすぐに消えていった。

「わらわの力ではない。風の王の力じゃ。本来の持ち主であるそなたが持てば、わらわ以上の力を振るえるじゃろう。さあ、受け取るがよい」

ニーナは胸に手を当てると、体の中から金色の光を取りだした。リティルの瞳のような、立ち上る光のような風が渦巻いていた。

 小さな両の手に恭しく乗せた光を、へたり込むリティルの前へ差し出す。リティルは、戸惑いながらも光に手を伸ばした。

──おかえり

光がリティルの中に吸い込まれると、彼の心にそんな言葉が浮かんですぐに消えた。その言葉が浮かんだことに、リティルは戸惑うしかなかった。

「リティル、何か変わった?風の王が復活したなら、ボクも風の魔法使えないかな?」

リティルは自分の体をポンポンと触ってみたが、何も感じなかった。

「うーん、何も変わってねーよ。魔法って、才能なんだろ?オレ、才能ねーんじゃねーか?」

「そなたの力なのじゃ、いずれ戻るじゃろう。わらわは疲れた。眠らせてもらうぞよ」

そう言うと、ニーナは狼の背に登り、その背ですやすやと眠り始めてしまった。彼女はまだ十才だ。リティルの為に無理をしてくれたのだろう。

「ミストルティン、こちらへきたまえ。ニーナ嬢をベッドへ」

ゾナは狼に声をかけ、連れだってさっさと行ってしまった。早くニーナを休ませてやりたいと、彼の優しさだが、残された者達の置いてけぼり感はとんでもなかった。

「ディコ、風の王の力は、どうやって使うんだ?」

「精霊は力の使い方を、生まれた時から知ってるんだって。リティルも風の王になれば、わかるよ。でも、そうなると……」

ディコはリティルを見つめずにはいられなかった。リティルは首を傾げて、相棒の瞳を見返した。

「リティルは……なんで、そんなに簡単に受け入れちゃうの?精霊になるってことは!精霊になるってことは……」

ディコの瞳から、涙がこぼれ落ち始めた。わかっていたことだった。ディコは、リティルが風の王だと気がついたときから、そうなることを承知していた。けれども、その別れは耐えがたいモノへとすでになっていた。

「なんだよ、ディコ……おまえ、知ってたんだろ?だったら、どうして泣くんだよ?オレが風の王になったら、もうこの世界にいられねーこと、わかってただろ?」

リティルは気がついているのだろうか。魔法のこと、まして精霊のことをまったく知らなかったはずなのに、精霊が別の世界の住人で、精霊になってしまったらこの世界から去らなくてはならないことを、すでに理解していることを。風の王の欠片を手に入れたリティルが、ディコの知らないモノへと、変わっていこうとしていることに、寂しさが止まらない。


 双子の風鳥島では、その昔、腐敗と死者を操る闇の王が支配し、命あるものすべてが生きることを脅かされていた。

あるとき、その高い生命力と超回復能力の為に奴隷とされ、あらゆる苦痛を受けながら生きることを強制させられていた、ウルフ族の中から、立ち上がった若者がいた。

後に英雄として語り継がれるレルディードだ。

レルディードは無謀にも一人で、闇の王とその右腕であった風の王に戦いを挑み敗れた。が、風の王によりルセーユ島に送られ、隠れ住んでいたエフラの民と出会った。その場所では、逃げて来た者達を匿い、闇の王に抵抗するための計画が着々と進んでいた。

エフラの民の指導者である大賢者は、秘密裏に風の王と通じていたのだった。

風の王の片翼である、死の翼・インスレイズを奪い返す事ができれば、風の王は闇の王に従わなくともよくなり、彼の力があれば闇の王を倒すことができると知り、レルディードは郷の難民の中から立ち上がった僅かな者達と共に、再びブルークレー島を目指した。

ブルークレー島の中心に立つ神樹には、次元を行き来する能力を持つ精霊が住んでいる。神樹は、精霊の世界から霊力を吸い上げ、その先端から魔力として放出する装置のような存在だった。神樹の精霊は、魔力を凝縮し生命を再生させる力を生み出し、ただの人間の娘に授けた。

花の姫となった娘の名は、レシエラ。レシエラは闇の王との戦いの折、無限の治癒の力を使いレルディードを助けた。彼女の力なくして、闇の王を討つことは叶わなかっただろう。

レシエラとレルディードは恋仲だったという話もあるが、今は語らぬ。

「そんなことまで伝わってるの?」

ディコは、ニーナのベッドの側に腰掛けていた。シェラとシェードも一緒にいたが、リティルの姿はなかった。

「大賢者様の創作かもしれぬがのう。二人の恋が悲恋であったのは、語らずとも事実じゃ」

「レルディードは風の王と融合して、リティルになっちゃったから」

シェラは思わず俯いていた。

「シェラ姫、これは太古の伝説じゃ。今のそなたが気にすることではないのじゃよ」

「ニーナ……あ──」

「そうじゃ!ディコ、カルティア城下には、鉱石パフェなる菓子があると聞く!二人を案内してやってはどうじゃ?」

ディコは目を丸くして瞳を瞬いた。突然突拍子もないことを言われて戸惑ったのだ。

「え?でも、ボク──」

「あとで、わらわにも感想を聞かせてほしいのう!」

ニーナは大げさに瞳を輝かせると、有無を言わせぬ威圧感で皆を追い出した。扉を閉めると、ニーナはホッと溜息をつき、相棒の狼を撫でた。

「ミストルティン、皆、今を生きておるというのに、身に覚えのない過去に翻弄されておる。わらわは先に役目より解放されたが、この先、どう生きればよいのかよくわからぬ。そして、シェラ。レシエラと同じく、ウルフの英雄に心を奪われ、リティルをレルディードと同じように死地へ送るのかのう。これでよいのか?本当に……」

ニーナは窓から見えない空を見上げた。


 部屋から追い出されてしまったディコは、まだニーナと一緒にいたかった。歳が同じということもあるのだが、なんというか、このまま放っておいたら、消えてしまいそうな気がしたのだ。

ディコはボンヤリと歩きすぎて、いつの間にか、影のたまり場である酒場の前まで来ていた。確か、リティルはここに行くと言っていたはず――。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ごめん!ボク、ニーナの所にいなくちゃ。リティルとカルティア観光してきて!」

ディコは慌てて酒場の扉を開けようとして、それよりも早く開いた扉に、ぶつかりそうになった。シェードが反射的にディコの襟首を掴んでいなかったら、ぶつかっていただろう。

「うわっ!どうして、ここにいるんだよ?」

扉から出てきたのはリティルだった。リティルは、三人を見て大いに驚いていた。

「リティル!二人に鉱石パフェ食べさせてあげて!」

ディコはシェードの手を逃れると、面食らうリティルにそれだけ告げて、店の中へ走り込んで行ってしまった。

「なんなんだよ?鉱石パフェ?シェード、意外と甘党なんだな」

「わたしではない!ニーナ殿が……」

困惑するシェードと押し黙って俯くシェラの様子に、リティルは首を傾げるしかなかった。

 今日はこれからドルガーの墓参りに行こうと思っていたのだが、こんな状態の二人を放っておけない。まあ、墓参りくらい、いつでも行けるかと、リティルは二人を案内することにした。これから長い付き合いになりそうな二人と、友好を深めるのも悪くない。

リティル自身、未だに実感がなく、一人でいると考えても仕方のないことを、あれやこれや考えてしまいそうで、モヤモヤするのが嫌だったということもあった。

「まあ、いいや。行こうぜ」

「どこへ?」

「ああ?鉱石パフェの店に決まってるだろ?」

リティルは様子のおかしい二人には何も問わず、大通りに向けて歩き始めた。

 鉱石パフェの店は、大通りから逸れた高台にあった。オープンカフェで、とても見晴らしがいい。

シェードは目の前に置かれた、背の高いグラスに盛られたアイスクリーム、フルーツ、生クリームの間に、キラキラと光を返す宝石らしきモノを見つめていた。鉱石パフェとは、本当に宝石が入っているのかと驚愕していた。

「きれいだろ?琥珀糖っていうらしいぜ。本物みてーだよな」

シェードの前に置かれたパフェに乗っているのは、サファイアブルーの琥珀糖だった。しかしどう見てもサファイアにしか見えない。シェードは恐る恐る、サファイアブルーの琥珀糖を口に含む。

「これは……美味だ!」

「ハハ、甘党じゃねーか。シェラ、どうしたんだよ?」

シェラはジッと、鉱石パフェを見つめたまま動かない。声をかけても上の空なので、リティルはヒョイッと覗き込んだ。

「きゃあ!」

「うわ!そんなに驚くなよ。どうしたんだ?そろそろ。聞かせてくれてもいいじゃねーか?」

シェラはリティルが風の王の欠片とやらを取り戻してから、どこか上の空だった。シェードは気になったが、話しかけてもボンヤリしている妹に、どうしてやることもできずにいた。甘い菓子と、賑やかな雰囲気が、シェラの心を浮上させてはくれないかと、一縷の望みを賭けたが、やはりダメなのかと、思い始めていた。

シェードはそっとしておこうと思ったが、リティルは違うらしい。何でもないというシェラに、何でもないようには見えないと食い下がった。そして、ジッと見つめた。

 見つめられたシェラは再び俯いたが、観念したようにポツリと尋ねた。

「リティルは……いきなり精霊になれと言われて、怖くはないのですか?」

リティルは、自分の前に置かれたパフェから、緑の琥珀糖を取ると口に運んだ。

「うーん、実感湧かねーな。というか、たぶんオレはこのままだ。オレはな、空っぽな奴なんだ。だからな、任務やってるときは地に足がついてるんだけどな、日常に戻ると急に落ち着かなくなっちまうんだよ。シェラ、溶けるぜ?」

リティルに言われて、シェラは慌てて溶けかかったアイスクリームを口に運んだ。口の中に冷たい甘さが広がる。「美味しいです」と、シェラは控えめに笑った。その笑顔を見て、シェードは少しホッとした。そして、昨日、ニーナに「この世に未練はないか?」と問われ「はい」と即答したシェラが、本当は覚悟が決められないでいることを知った。

 それにしても、とシェードはリティルを見た。

「意外だな。貴殿は自信に満ちあふれて見えたが」

神樹の森からカルティアまで、リティルは迷う素振りなく、即決断して突き進んだ。ここまでの道のりで、襲ってきたのはクエイサラーの魔法人形ばかりではない。凶暴なモンスター達も、通常通り襲ってきた。銀の壁では、三つ巴となることもあった。そのすべての戦闘を、リティルは自分は傷ついても、こちらは無傷で切り抜けさせてくれた。戦う事に慣れているからと言われてしまえばそれまでだが、自分の力とディコの力を、揺るぎなく信じているからできたことのように思えた。そして、そのねあかさで、旅に不慣れなシェラを助けてくれた。

そんなリティルが、地に足がついていないなどとは、とても思えなかった。

「ハハ、そんなことねーよ。親父が殺されて、しばらく仇を捜してた時期もあったけどな、怒ろうとすればするほど、親父の穏やかな死に顔がちらついて、憎みきれねーんだ。頭ではとっくに理解してるんだよ。親父は覚悟の上で、恨みっこなしの勝負だったんだってな。ただ、哀しみのやり場に困って、ぶつける相手を捜してただけだって思っちまったら、もう動けなくなっちまった。今休暇のたびにふらふらしてるのは、刺激がほしいからなんだよ。目的がなくなっちまったからな」

「リティル、それは、まだ心の傷が癒えていないのではないか?」

「そうなるのかもな。な?オレ、大したことねーだろ?」

リティルは普通に笑っている。ように見えた。とてもそんな過去があるようには、見えなかった。

「そんなことありません!」

ガタンとシェラが立ち上がった。妹が大きな声を出したことに驚いて、シェードは慌ててシェラを座らせた。

「ごめんなさい……」

シェラは気恥ずかしそうに俯いた。そんなシェラに、リティルはくすぐったそうに笑った。

「ありがとな。いろいろ後ろ向きなこと言ったけどな、これでも毎日楽しいんだぜ?放浪してると、とんでもないものに遭遇するしな」

「それは我々のことか?」

「そうそう、おまえら、今までで一番刺激的だったぜ?」

リティルは本当に楽しそうだった。まるで、悩みなどないかのように。そんなわけがない。弱みを隠すのが上手いか、強い心を持っているだけだ。そのどちらも持っている風なリティルが、シェードでさえ眩しく思えた。

さあ、食べろよ!と明るく笑うリティルに促され、二人はパフェを食べ始めた。シェードは、シェラを盗み見ると、さっきよりは心が浮上したようだった。リティルに、パフェの事を質問したりしていた。リティルは案外物知りらしく、それに簡潔に答えてくれていた。

リティル。不思議な男だなと、シェードは思った。

 三人が楽しくパフェを食べていると、フォルクの女性が近づいてきた。

「リティル、良いモノを食べてるじゃないか」

顔を上げたリティルは、なんだ、おまえかと、そんな態度だった。

「ん?ああ、ステイルじゃねーか。おまえも参加するのかよ?」

フフと笑った彼女は、リティルの腕を掴むと、彼が持ったままのスプーンを口に運んだ。そして、ステイルはペロッと口元についたアイスクリームを舐めた。その仕草に、兄妹はなぜだかドキッとしてしまった。

「レイシルに行くんだろう?あたしが参加しないわけないじゃないか」

甘いねぇと笑いながら、ペロリと舌なめずりする仕草など、いちいち妖艶だ。シェラは呆気にとられて、固まっている。ステイルの緑色の瞳が、シェードに合わさった。思わずシェードは背筋を伸ばしていた。

「シェード様、シェラ様、わたしはリティルの仕事仲間のステイルと申します。以後お見知りおきを。見ての通りフォルク族ですので、レイシルをご案内いたします」

握手を求められ、シェードはステイルの瞳から目が離せないまま、操られるように手を差し出していた。

「リティル、あたしはこれで戻るけれど、おまえはどうするんだい?」

「んー、オレはまだ街にいるぜ」

乗りかかった船だ。リティルはシェードとシェラを、案内するつもりでいた。どうもシェラは沈んでいるようだし、そんな妹をシェードは心配している。明日はレイシルに立ってしまうし、向こうへ着いたらシェラは、花の姫?になるための修行?をするらしい。息抜きできるのは、今だけだ。リティルは、二人に付き合うつもりだった。

「リティル、馳走になった。これでわたしは戻ろうと思う。妹を頼めるか?」

すでに食べ終わっていたシェードは立ち上がると、言った。

なんだ、帰るのかよ?とリティルはシェードを見上げた。

「それはいいけど、いいのかよ?」

リティルは、妹に手を出すなと言っておきながら、預けるのか?と暗に言ったつもりだったが、彼はただ頷いただけだった。じゃあ、まあ、いいかと、リティルは他意なく安易にシェラを引き受けた。

「では、わたしと戻りましょう」

「ああ、頼む」

ステイルの当然の申し出を、シェードは受けた。

置いていかれてしまう!と、シェラが慌てて立ち上がった。

「兄様!」

「シェラ、思うところがあるのなら、自分の手で解決しなければならない。眩しがっているだけでは、何も得られない。自分の足で一歩を踏み出すんだ」

行こうとステイルを促し、シェードはシェラを置いて行ってしまった。シェードを見送って、ストンッと腰を下ろしたシェラの様子に、リティルは頬を軽く掻いた。

精霊になることが、怖くないのか?と聞いてきたシェラは、怖いんだろうなと、リティルは思った。リティルはというと、実感がないということもあるのかもしれないが、風の王の証?をもらってから、怖いということは感じていなかった。むしろ、何というのか、存在を得た……と言うのだろうか?とにかく怖くはなかった。

「シェラ、嫌じゃなかったらこれからオレと、デートしようぜ」

「え?」

シェラの顔が見る間に赤く染まっていった。これにはリティルも、言葉選びを間違えたなと、思わずにはいられなかった。

「案内してやるって言ってるんだよ!カルティア城下は初めてなんだろ?」

リティルは慌てて別の言葉を使い直した。

「あ──は、はい」

まいったなとリティルは思った。こんな可愛い反応をされては、思わず惚れそうだ。美人だなとは思っていたが、冷たさのない暖かい美しさで、好み過ぎて目のやり場に困る。長いまつげに縁取られた紅茶色の瞳が、緊張しているようにこちらを見ている。そんなに見つめられては、こっちまで緊張してしまう。

「行こうぜ」

リティルはシェラを促して、店を出た。


 リティルはもう復讐は考えていないと言ったが、本当なのだろうか。そんな風に諦めてしまえるのだろうか。もしも仇を目の前にしたとき、冷静でいられるのだろうか。

 リティルはカルティア城下を一日かけて案内してくれた。色とりどりの布を屋根にした露天通り、街角で突然始まる音楽や大道芸、カルティア一大産業である宝石の工房街、見るモノすべてが新鮮だった。

 カルティア城を望める高台へ着いたときには、もう辺りは夕闇に包まれていた。弱くなった太陽光で宝石の返す色とりどりの光が乱反射し、もう街を白い光で満たすことが難しくなっているのだろう。そこかしこに虹色が浮かんでいた。

「不思議な景色……」

シェラは瞳を奪われ、しばし見入っていた。リティルはそんなシェラを見守り、彼女が振り返るまで待った。無邪気な様子のシェラといると、心が解けるのを感じる。

 リティルは本当の年齢はわからないが、十才の時にドルガーというフォルクに拾われた。ドルガーは誰よりも強かった。リティルの剣技の大半は、彼に影響を受けたモノだ。リティルは結局、ドルガーに勝つことはできなかった。彼との生活は、リティルの今までの人生で一番幸せな時間だったといえるだろう。しかし、彼は三年後、自宅で何者かの手にかかり帰らぬ人となってしまった。亡骸を見つけたのは、当時まだ十三才のリティルだった。それから、数日間の記憶がない。ゾナの話では、しばらく高熱で寝込んでいたらしい。その後数年仇を捜して島中を彷徨った。ディコと出会ったのは、ドルガーの死から二年後のことだった。ディコと行動を共にするようになって、リティルの心は穏やかになった。が、自分の心のどこかが凍り付いたままであるのを感じていた。その氷を、シェラは溶かそうとしている。もう、あの場にいなかった自分を責めるのはやめろと、何かが囁く。そして、顔を上げて前を見て見ろと言われている気がした。素直なシェラが、リティルには眩しかった。

「リティル、今日はありがとうございます。こんなに楽しかった視察は初めてです」

それを聞いて、リティルは苦笑した。

「だから、デートだっていっただろ?」

リティルがからかうと、シェラは真に受けて俯いた。たぶん、また顔が赤いのだろう。

「ごめん、冗談だ。じゃあ、帰るか。あんまり遅せーと、シェードが落ち着かねーだろうしな」

からかったはずのリティルのほうが動揺した。一国の姫に向かって、可愛いなと思うのは危険だと、心が警鐘をならしている。早くこの場から逃げなくてはと、シェラに背を向けた。

「デートでいいです!」

そんなリティルの背に、シェラは叫んでいた。驚いたリティルが振り向いたところに、シェラは飛び込んでいた。完全に油断していたリティルは、蹌踉めいたが辛うじて踏みとどまった。シェラの両腕がリティルの背を包み、完全に捕らえられていた。

「幻想なのかもしれません。わたしの持つ、花の姫の力とあなたの持つ風の王の力が引き合っている結果なのかもしれなくても、わたし……わたしは、あなたを──」

いけない!この先を聞いちゃいけない!突然そう思ったリティルは、シェラの言葉を遮っていた。

「オレが、普通死ぬような怪我を負っても、帰ってこれるわけ、君にわかるか?」

リティルはシェラの腕を掴んで引き離すと、ジッと紅茶色の瞳を僅かに見上げた。

「何度も、このまま諦めたほうが楽になれると思ったことがあるんだ。そんなとき、オレの脳裏に浮かぶのは親父の死に顔だ。その顔を思い出す度に、ああ、オレはまだ死ねないって、思うんだ。親父の守ってくれた命を、手放しちゃいけねーって。わかるか?死んだ奴のことを思って立ち上がってるんだ。異常だろ?こんな奴と、未来なんか夢見られねーだろ?」

シェラは、鋭く拒絶するようだが、悲しそうな瞳から目をそらせなかった。拒絶しようとしているのに、彼はなぜ引き離すために掴んだ両腕を痛いくらいに、掴んだままなのだろうか。なぜ、必死に、前を向いてはいけないと言い聞かせているのだろうか。ドルガーは未練のない顔をしていたと言っていたのに、なぜこれほどまでにリティルの心を凍り付かせているのかシェラには理解することができなかった。

「君の心は貰えねーよ。貰ったら、オレはもう戦えなくなる。体が傷つくのが怖くなる。君のところに、帰れねーかもしれねーと思っちまったら、離れられなくなるだろ?」

「ならば、怖がって!誰も、あなたが傷つくことを望んでない。わたしを側に置いてください。必ず、癒します!リティルを、わたしが守るわ!だから……だからわたしを選んで」

シェラの怒った瞳がすぐ目の前にあった。それからすぐに彼女の瞳は儚げに揺れた。

彼女はリティルの知っている女性達とは、違いすぎる。シェラは、優しく扱わないと壊れてしまいそうだ。こんなガラス玉か、咲き誇る花のような女の子に、どう触れていいのかわからない。なぜこんなに真っ直ぐに、こんな穢れた男にぶつかれるのだろうか。

リティルが穢れていることを知らないから?まさか、これだけ言っても通じないほど、彼女はリティルの闇を、感じることができないのだろうか。伝わるように、いつもより大げさに言ったつもりだったのに。これで大抵問題解決なのだ。これで気持ちが離れないなら、もうキッパリお断りするしかないなと、リティルは思った。

「困ったお姫様だな。わかったよ。シェラの気持ちは良くわかった。でも、ごめんな。オレが君の心を貰うわけにはいかねーんだよ」

リティルの、痛いくらいに掴んでいた手が離れる。カフェで会った、仲間だと言っていたステイルなら、リティルを理解することができるのだろうか。彼女のような人なら、リティルの隣に立つことが許されるような気がして、自分の無知さ非力さが嫌になる。

「わかりました。困らせて、ごめんなさい。リティルは、ステイルのような人がやっぱりいいのね……」

ん?と、リティルは狼の耳をピンと立てた。今聞こえたことに耳を疑ったのだ。ステイル?あいつがなんだって?と、リティルは理解することに少し時間が掛かった。

「もしもし、シェラさん、なんか勘違いしてねーか?ステイルは同じ影の仲間で、そういう目で見たことなんてねーぞ?」

「慰めてくれなくてもいいわ。ステイルは、とても魅力的だもの。わたしのような者が、敵うわけないわ」

シェラの瞳から、ポロポロと涙が零れ始めた。彼女が、目の前の得体の知れないモノを抱えた男を、少しも恐れていないことに、リティルは驚いていた。それどころか、自分がフラれた理由が、別の女がいるからだと勘違いしている。それがステイルとは、冗談じゃないとリティルは寒気がした。

「嘘じゃねーよ!ステイルに知られたら殺されちまうぜ。ああああ!泣くなよ。どこでそんな勘違いを──あっそうか、あの時か!あいつ……ぜってーワザとだな?シェラ、ホントにあいつは関係ねーんだ。これは、オレの心の問題なんだ」

よりにもよってステイルかよ!と、リティルは尻尾の毛がブワッと逆立つのを感じた。ステイルとは十歳の時に出会って、そのころ彼女はすでに大人だった。フォルクは獣人で長命種で、歳はよくわからないがあり得ない。ステイルは絶対にあり得ない。

「もう、大丈夫です」

一度決壊した涙腺は、なかなか修復できそうにない。リティルを、こんなことで困らせるつもりではなかったシェラは、彼に背を向けると涙を止めようとした。初めから、受け入れてもらえないことはわかっていたのに、最初で最後の恋が破れた事が、思いの外苦しかったようだ。リティルは強くて優しくて、見えない傷を抱えていて、癒すことしか能のない自分にも何かできるのではないかと、思い上がったことが恥ずかしい。このままそばにいられるような気がしていた。そしてわかった。きっと彼は、誰にでも優しいのだ。

「大丈夫って……大丈夫じゃねーだろ?あんな色気お化けより、シェラの方が好みだってのに……」

ステイルは誰かをからかうために、しばしばリティルを使う。今回からかわれたのは、きっとシェードだろう。リティルが絶対になびかない相手だと、ステイルは知っているからだ。リティルもステイルのそういう所をとっくに慣れていて、今更同じスプーンを使われても何とも思わない。そのことが、初心なシェラの心に突き刺さってしまったらしい。

「わたしの方が好み?」

「ああ、君みたいな可愛い美人、他にいねーよ。うわ!オレ何言ってんだ?無し無し!今の聞かなかったことにしてくれ!これじゃ、本末転倒じゃねーか」

こんな告白じみたことを言っては、シェラを拒絶した意味がない。

「ありがとうございます。リティルの心を貰ってもいいですか?わたしの心を、受け入れなくてもいいですから」

嬉しいとシェラは素直に思っていた。思わず顔が綻んでしまう。

「う……それで、いいのかよ?」

それは、狡いことだとリティルは思ったが、今ここで両思いになるわけにはいかなかった。リティルは、風の王のことをまだ信じられずにいた。お伽噺では、風の王は悪として英雄に討たれている。その風の王が実は裏で英雄達と繋がり、今世界を守ろうとしているなどということを、信じていいのかわからなかった。風の王が復活するために私利私欲で仕組んだことだったとしたら、花の姫という精霊になるはずのシェラは、もっとも危険にさらされる存在なのではないか。もしかすると、風の王に乗っ取られてこの手でシェラを──そんなことは絶対にしたくない。だからといって、離れるワケにもいかない。手元に置いておいたほうが、守りやすいのだ。矛盾の中で、リティルは迷っていた。

「今はリティルに嫌われていないことがわかっただけで、十分です。リティル、お城までデートしていただけますか?」

シェラは涙に潤んだ瞳で、精一杯の笑顔を浮かべてみせた。その笑顔に見とれながら、リティルは平常心を心に言い聞かせた。そして、差し出されたシェラの手を取った。

まだ大丈夫。まだ、大丈夫だ。オレはシェラをそれほど好きじゃない。リティルはそう言い聞かせていた。

街には魔法の赤い松明が灯され、上から見ると、小さな太陽がいくつも落ちているように見えた。

 カルティア城までの道中で、言葉を交わす事はなかったが、リティルはシェラの手を放すことはなかった。おやすみと最後に言葉を交わし、二人は別れた。

「おかえり、我が妹!……シェ、シェラ!その腕はどうした?リティルに何か──シェラ?」

シェラの両腕には、リティルに掴まれた手の痕が赤く残っていた。シェードに指摘され初めて気がついたシェラは、堪えきれなくなり声なく泣き崩れた。リティルの付けた手の痕に、自身の手を重ねて。報われないのなら傷付けてほしいと思うほど、こんな数日で信じられないほど、リティルに惹かれていた。傷が消えない間だけ、苦い思い出に浸っていられる。

笑うと、童顔に磨きがかかっていつも以上に幼く見える、彼の笑顔が好きだ。笑っていてほしいから、傷ついてほしくない。傷を抱えたままでいてほしくない。それなのに、シェラはそばにいることすらできない。背中を見ているだけではいけないことを、望まれるままの自分でいるだけではいけないことを、シェラは知った。

 部屋に戻ったリティルを、ディコが待っていてくれた。

「ディコ、オレがおまえの知ってるオレなのか、ちゃんと見張っててくれよ。オレには、昔に交わした約束がホントなのかわからねーんだ。もしも、敵対することになったら躊躇うんじゃねーぞ?」

ディコは、伝えられたことを疑うことがなかったのだろう。戸惑った顔をした。

「オレがオレでなくなったら、シェラを守ってやってくれよ」

「うん。それで、リティルが楽になるなら、ボク、やるよ」

「ありがとな。こんなこと、おまえにしか頼めねーからな。明日はレイシルか、久しぶりだな」

大陸の北側に位置する、黒梟の森にあるレイシル。首都・ユグドラシルは、大樹の姿をした都だ。何層にも木造の家を積み上げ、橋や道を渡し、編むように造られた街だ。

「そうだね。ステイルのお姉ちゃんも一緒だよ」

「ああ、昼間会ったぜ。そのせいで、散々な目にあったぜ」

「リティル、シェラお姉ちゃんと何かあったんだね?」

「ああ……はっ!ねーよ!あるわけねーだろ!」

そんなに取り乱したら、何かあったことを自白しているのと同じだと、ディコは思った。シェラは物心ついた頃から、花の姫になることを運命付けられていると言っていた。だから、未練はないとも。リティルが風の王になれば、共に精霊の世界へ行けるだろう。敵わない恋ではないかもしれない。それに、脈ありじゃないのかな?と、ディコはリティルの様子から思った。リティルがこんなに気にかける女の子は、シェラ以外にディコは知らない。放っておけない感じはディコもわかるが、それだけではないような気がする。

ディコは、ベッドに横になって背を向けてしまったリティルの様子を窺った。

 風の王がやはり敵だということは、本当にあるのだろうか。敵だったのなら、レルディードはなぜ融合などしようと思ったのだろうか。すべてはリティルの失われた記憶と、その時代に生きた英雄達しか知り得ないことだった。


 リティルは、朝日が昇る頃、一人カルティア城下の外の砂漠にいた。

カルティア城下の西門を出ると、その先は海岸だ。この海岸のどこかに風穴と呼ばれる穴があり、その穴の先に幻の島・ルセーユがあるという。リティルは九年前、この海岸に倒れているところをドルガーに拾われた。ルセーユで眠っていたリティルから風の王の力を奪い、抜け殻となったリティルをビザマはこの海岸に捨てたのかもしれない。

なぜ、ビザマはリティルを殺さなかったのだろうか。当時一才だったニーナには、両親の記憶はない。父親であるビザマがどんな人物だったのか、知ることはできない。

 ただ、ビザマの名を聞いたとき、リティルは心がざわめいた。クエイサラーの宮廷魔導士であるビザマの名は、知っていたはずなのに。何か大事なことを忘れている。そんなことをここ数日ずっと感じていた。

「エズ!クエイサラーから花の姫が来たんだ!力を貸してくれ!」

リティルは、海岸にある岩山に登りその頂上付近でこの岩山に住むモノを呼んだ。

『騒がしいのう。誰かと思えばチビ狼か』

「久しぶりだな、エズ」

岩山の一部が動いたかと思うと、そこには暗い青色の鱗に覆われたドラゴンが鎮座していた。皮膜のある大きな翼を伸ばし、長い首をゆっくりと巡らせる。

『なんじゃ?わしはもう動かんぞ?』

この巨竜は、ドルガーの友人だった。途方もない長い時間を生きているようだが、昔を語ることはほとんどない。それは、語ったところでこちらが理解できないからということが、大きいような気がする。当時のリティルでは、花の姫のことなどよくわからなかったのだから。

「そういうなよ。花の姫が来たんだ。おまえ、会いたかったんだろ?」

エズは四本の角の生えた蜥蜴のような頭を、リティルの前に降ろした。このまま口を開けられれば、リティルなどペロリと食べられてしまいそうなほど大きい。

『覚醒しとるのか?』

「いや。これからレイシルに、覚醒の方法を聞きに行くんだ」

『なるほどのう。して、おまえはどうなんじゃ?少しは思い出したか?』

「そういえば、おまえ出会った時から、思い出したかって聞いてきたよな?その意味がやっとわかったぜ」

エズはギョロッと三日月のように細い瞳でリティルを見た。

「オレが風の王だってことを、おまえも知ってたんだな?風の王の欠片は返してもらったぜ。けどな、何も思い出せねーよ。なあ、この力、どうやって使うのか知ってるか?」

『知るか。やはり、傀儡の風を倒す以外になさそうじゃのう』

「傀儡の風?」

『名までは知らん。じゃが、あやつからは風の王の力を感じたんじゃ。おまえから抜き取られた風の王の力を持っていることは、間違いないじゃろう』

「そいつにはどこに行けば会えるんだ?」

『知っていても、教えんよ』

エズはフンッとそっぽを向いた。

『教えれば、おまえは一人で挑むじゃろう?無謀はよせ』

「けど、戦わねーといけねー相手なんだろ?だったら、いつ闘ったっていいじゃねーか?」

『ダメじゃ。はあ、レイシルまで飛んでやるから、少し頭を冷やさんかい!』

エズは後ろ足で立ち上がると、リティルを乱暴に捕まえると自分の頭に乗っけた。そして、皮膜のある翼を広げると、大きくはためかせて空に舞い上がった。

 そのころカルティア城では、ディコとシェラがリティルを捜していた。

「もお、どこ行っちゃったんだろう?今日はレイシルに行くのに」

ディコは伝言もなくリティルがいなくなったことに、ご立腹のようだ。シェラは身支度を整え部屋を出たところで、ディコに会った。それから行動を共にしているが、昨夜の大胆な言動を思い出すと、リティルに会うのが気まずかった。なぜ、昨日はあそこまで大胆になれたのだろうか。自分でも不思議だった。なぜか、リティルを前にすると、捕まえなければいけない気分になる。レイシルまで一緒に行ってくれるというのに、なぜあんなことをしてしまったのだろうか。あんなことをしてしまった手前、リティルの顔を見ることが怖い。

「ディコ、リティルがいないと、不安なの?」

「うん。リティルは危なっかしいから、ボクがついてないといけないんだ。お姉ちゃんも見張っててね」

リティルはシェラがそばにいることを、よしとしてくれるのだろうか。もう、関わらない方がいいのかもしれない。臆病に、シェラは俯いた。

 不意に、窓の外を大きな影が横切った。

「ドラゴン?」

「エズ?え?リティル?」

シェラと同じように横切った影に気がつき、ディコが窓に近寄った。窓の外には、巨大な暗い青色のドラゴンが優雅に飛んでいた。その頭には、リティルが乗っている。楽しそうにドラゴンを乗りこなすリティルを見て、シェラの心はザワザワとさざ波立つ。さっきまで関わらない方がいいのかもしれないと思った所なのに、傍らにありたいと思ってしまう。自分で自分の本当の気持ちが、わからなくなっていた。

 ドラゴンはカルティア城の上部にある、ドラゴン停泊場に降りたようだった。

ディコについてシェラも走り出していた。二人がドラゴン停泊場についたときには、リティルはすでにドラゴンから降り何やら話をしていた。

ドラゴン停泊場は、果樹園の先にある。どうやらリティル達は、バナナの葉に隠れたディコ達にはまだ気がついていないらしかった。

『──風の王と言葉を交わしたことなどないぞ?じゃが、レルは奴を信じておったわ』

ウルフ族の英雄・レルディードを、レルとあだ名で呼んだエズは、相当仲がよかったんだなとリティルは思った。

「そっか、おまえも風の王のことを知らねーのか」

『なんじゃ、疑っとるのか?邪精霊に堕ちておらんかったし、風の精霊は信用できるぞ。おまえの意識がある時点で、敵ではないと思うがのう。ふむ、おまえが信じられんのは、自分自身じゃな?まだドルガーのことを引きずっておるのか?』

「そんなことねーよ」

リティルは強がるように、フンッとエズから顔をそらした。

『子は親に似るというが、いらんところを似るのう。レルも、おまえと同じく己を大切にできん奴じゃった。風の王を継ぐ気があるのならば、その心改めろ。改めなければ、花の姫、死んでしまうぞ』

死?それを聞いて、リティルは視線をエズに鋭く戻していた。

「なんだよ?それ……」

『花の姫の能力は無限の癒しじゃが、生命力が無限に湧くという能力ゆえじゃ。体に蓄えられる生命力には限度があるじゃろう?それを使い切らぬように力を使わねば、自身の生命維持ができずに死んでしまうのじゃ。姫の力は、生命力とは別の力である魔力を媒介に使う魔法とは違うでのう。おまえが致命傷を負えば、姫は確実に死ぬじゃろうて』

ディコはシェラを見上げた。真っ直ぐにリティルを見る瞳には、一点の曇りなく見える。こんな事を聞いても、少しも動揺しないものなのかな?と、ディコは表情を変えないシェラを見上げていた。

ふと、エズがこちらに視線を向けたのがディコにはわかった。

『ディコ、そしてそちらが花の姫君か?なんと麗しい』

「この、スケベドラゴン。いてて!突くなよ」

エズの太い爪先に弾かれて、リティルは飛び退いた。常人では数メートルは飛ばされているところだろう。ディコはエズをジッと見上げた。爬虫類特有の三日月型の瞳には、僅かに笑みが浮かんでいた。ディコはエズが、そばにディコとシェラがいることを知っていてあの話をしたのだと、悟った。

『わしはエズと申す。目の醒めるような麗しの姫君の為、レイシルまでこの翼を貸してしんぜよう』

「エズ、飛んでくれるの?」

エズはかなりの老ドラゴンで、いつも海岸の岩山で寝ていた。そんな姿しか知らないディコは驚いた。さっき、空を力強く飛んでいた姿にも驚かされたばかりだった。

『わしがまだ生きておったら、翼を貸してやる約束なのでな。おお、ゾナデアンやっとこの時が巡ってきたのう』

振り返ると、ゾナ、エスタに続いて、シェード、ニーナ、ステイルが到着したところだった。

「早くにどこへ行ったのかと思えば、エズのところだったか。エズ、年寄りの冷や水にならないよう、自重したまえ」

『なんじゃ、案じてくれるのか?冷血漢のおまえが?珍しいこともあるもんじゃな。じゃが、退かぬよ。レルディードとの約束なのでな』

レルディードの名を出されては、ゾナは引き下がるしかない。ゾナにとっても、その名は重いのだ。

「なんと、英雄と同じ時を生きてきたというのか?ドラゴンとは、恐ろしく長寿なのだな」

シェードは素直に感動していた。

「空の竜王・エズと言えば、レルディードと共にドラゴン達を率いて闇の王の軍勢と闘った英雄の一人じゃ。生ける伝説が、こんなところにいたとは……」

ニーナも驚きを隠せない様子で、暗い青色のドラゴンを見上げた。

『竜王などという大層な存在ではない。今やただの老いぼれドラゴンじゃ。レイシルまで飛んでやることくらいしか、できぬよ。さて、クレアに会いにいくとするかのう』

クレアはレイシルの司祭長だ。ステイルとリティルの馴染みでもある。由緒正しき、英雄エンリアの血族だ。伝説の大戦後、フォルク族のエンリアは、大陸の北に広がる黒梟の森に国を興した。教国というが、宗教国家ではない。癒やしを教える国という意味だ。

「ゾナ、空竜を何頭か借りていくよ。シェードは空竜の扱いに長けていたはず。あたしとリティルと一緒に、護衛の側に回ってもらうよ?」

空竜は翼を持つ小型の竜で、機動力に優れ空中戦の要になる竜だ。エズのように大型の竜は人をたくさん乗せられる利点はあるが、空のモンスターの標的になりやすい。そんな時に、護衛として共に飛ぶのも、空竜だ。

「無論だ。わたしの力が役に立つのならば」

「二人とも、いつの間にそんなに打ち解けたんだよ?」

ステイルが仲間に接するようにシェードに接するのを聞いて、リティルは聞かずにはいられなかった。

「態度を一度も改めない貴様が言うか?わたしはもはや亡国の王子だ。対等に接したとして、問題にする者もいないだろう。だがリティル、妹のことは別だ!」

シェードから殺気が放たれた。リティルは即逃げると、空竜に跳び乗った。それをシェードも追いかける。

「おやおや、楽しそうだねぇ。リティルの奴、いい遊び相手を見つけたじゃないか」

「ステイルお姉ちゃん、お兄ちゃん今日は本気かも」

ステイルは戯れるように飛ぶ二頭の空竜を、目を眇めて見つめていた。リティルはあまり空を飛びたがらないが、苦手という割にはよく使いこなしているようだ。

「ディコ、止めて!兄様は翼竜隊の隊長を務めていたの。リティルでは、太刀打ちできないわ」

「お兄ちゃんが大空の将軍なの?うーん、ボクの魔法じゃ、二人とも丸焼きにしちゃうよ。ニーナはどう?」

「風の王の欠片を返す前であったなら、手はあったがのう。今のわらわでは、役には立てぬ」

「エズ、準備は整ったかい?なら、みんな乗りな。あの二人はあたしが何とかするからね」

エズを見ると、背中に小屋のようなモノを背負わされていた。闘えない者はあの部屋に乗って移動するのだ。ディコに促されニーナとシェラはエズの前足に乗り、小屋まであげてもらった。

「ゾナ、カルティアを頼んだよ?クエイサラーは沈黙したままだけれどね、仕掛けてくるかもしれないからねぇ」

「心得ている。軍の準備は進めているが、レイシルが戦場になった場合半日から一日掛かるのでね。なんとか持ち堪えてくれたまえ」

「まったく、こんな少人数で無茶苦茶な任務だね。大親父、それでは行ってまいります」

「うむ。頼むぞ、ステイル。お守りが増えてすまんな」

エスタは未だ戯れる二頭の空竜を見上げた。ステイルはいつものことだと笑い、愛竜に飛び乗った。

 シェードの空竜の扱いは一流だった。だが、誠実で素直な性格が禍してか、三流であるはずのリティルを捉えきれない。

「おのれ!ちょこまかと!」

「やるじゃねーか。さすがは大空の将軍様だけあるな!」

軽口を叩いているが、リティルは余裕がなかった。空竜は久しぶりな上に、あまり得意ではない。捕まらないのはおそらく、シェードが手を抜いているのだろう。

「リティル、妹がすまなかった!」

リティルの真後ろに付けたシェードが叫んだ。昨夜のことを知られて、怒っているのだと思っていたリティルは、意外そうな顔で振り返った。

「ああ?何のことだよ?迷惑なんて思ってねーよ」

昨夜泣き崩れたシェラから、シェードは何があったのかを聞き出していた。リティルに告白して、そして振られたと聞いて、倒れそうになった。自分から一歩を踏み出せとは言ったが、告白してこいとは言ってない!手を出さなかったリティルには、感謝しかなかった。シェラは、超絶に可愛い。振るなんて言語道――ではない。シェードは、リティルが常識的な判断をしてくれたのだと理解した。

「そうか。それは、兄として複雑だがよかった。……どうやら準備が整ったようだ。行こう」

シェードは、こちらに向かって飛んでくるステイルを見て、リティルに並走した。

「ああ。……シェード、オレ、空中は得意じゃねーんだ。あんまり期待するなよ?」

「風の王なのにか?貴殿は本当に面白いな」

「まだ風の王じゃねーよ!なあ、空竜の扱い、教えてくれよ」

ふわりと二人に隣に付けたステイルは、リティルの意外な言葉をしっかり聞いていた。

「へえ、リティルが誰かに教えを請うなんて、珍しいじゃないか」

「そうなのか?それは、優越感に浸れるな」

「そんなことくらいで、浸るなよ!これでも、不安なんだぜ?」

三頭は連れだって、エズを追いかけてカルティアを後にした。

 残されたゾナは、いつまでも都の亀裂を見上げていた。そんな彼の肩に、エスタは手を置いた。

カルティアの宮廷魔導士・ゾナデアン。彼の名は、建国以来ずっと王家と共にある。

その名を継ぐ者が歴代いたのではなく、彼はずっと生き続けていた。レルディードと別れたその後、大賢者・ディコの手によって造られた魔導書が彼の正体だ。彼の持つ魔導書がゾナの本体だった。リティルと名付けられた風の王を鍛える為に、ゾナはこの国に取り憑いていた。不本意な再会となってしまったが、ゾナは最大限リティルを鍛えた。仕上がりは不完全だ。しかし、庇護下から解き放つしかない。それに、リティルは、ゾナの手を欲しなかった。ゾナは、巣立つ鳥を見送るより他なかった。

そして、軍隊を動かせるゾナは、カルティアの宮廷魔導士としてこの場所にいなければならない。長い年月をかけ、ゾナ自身にも多くの枷がついてしまっていた。


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