クリスマス・イブの灯り
「ねぇおとうさん、きょうサンタさんくるー?」
子どもの無邪気な問いが、マンションの廊下に響く。
「さぁどうかな、おまえがいい子にしてたらなぁ、来るかもしれないぞ」
父親の声が、笑みを含んで返される。春子はマンションのドアにもたれて、うっすらと笑った。
「ハル」
もっしゃもっしゃと、手に持つ鳥のから揚げを頬張りながら虎彦が来た。
「なにやってんだよそんなとこで」
春子はドアから体を起こして微笑む。
「そろそろかな、と思って」
「おねーちゃん!」
リビングから、赤いワンピースを着た女の子が飛び出してきた。頭には、さっき春子がプレゼントした黒いリボンのカチューシャがついてる。
走った勢いのままに、春子のひざに抱きついてくる。顔を上げると、のけ反るようにして笑いながら
「ね、クリスマスツリーできたよ! 見てっ」
そう言ってピョンピョン飛び跳ねる。
虎彦がかがみこんでカチューシャを引っ張ろうとすると、キッと睨まれる。
「油ついてる!」
汚い手でさわらないでっと舌を出した。さっき虎彦からプレゼントだよ、と手渡されたものがメントスだけだったことをまだ根に持ってるのだ。
虎彦は自分の指をこすり合わせながら、
「ほんと、おまえそっくり」
春子をチラッと見て呟いた。
春子は聞こえない振りをして、小さな彼女の手をとった。
「きれいに飾りつけできた?」
女の子はウンッと大きく頷く。春子を引っ張ってリビングまで連れていきながら、
「ママ~!」
リビングにつながるドアを開けた。
ツリーを見ていた母が振り返る。
「春花」
自分とそっくりの名前をもつ妹を呼び寄せて、その肩を抱く。娘を抱き寄せながら、母は春子を見た。春子と目が合っても、微笑んだままだ。
だけど自分も母も、沈黙をまだ自然に受け入れることはできない。春子は明るく言った。
「ツリーの飾りつけ、やらせてあげてるんだね」
昔は全部自分でやりたがったのに。心の奥で言葉を続ける。
自分にいろんなことがあったように、会わない間に母親にもいろんなことがあったんだろう。
変わったところもあれば、変わってないところもある。変わっていれば驚いたし、変わってなくてもやっぱり驚いた。
まだ知らないことがたくさんある。少しずつでいいから、このひとのことをもう一度知っていこう。大丈夫、時間はたくさんあるのだから。
母親の腹のあたりに甘えるように抱きつく春花の頭を撫でながら、母は苦笑した。
「でもやっぱり、ちょっと不恰好よねぇ」
子どもが腕をギリギリ伸ばせる範囲までしか飾られてないクリスマスツリーは、下半分にモールやサンタクロースが密集して吊られてるものの、上のほうがスカスカだった。微笑ましいとは思いつつ、春子は腕を組んで
「頂上の星くらい付けようか?」
と提案する。
途端に春花が振り返って、
「だめ、それ取っておくの!」
と主張した。
え? と尋ねた時、
ガチャン。
玄関のドアが開く音がした。その一瞬後、
「ただいまー!」
リビングの扉が開いて、小さな男の子が春子めがけて弾丸のように飛びこんできた。
「おかえり」
春子はかがみこんで小さな男の子を抱き上げた。
「ただいま。わぁ……きれいだ」
後ろから、男がリビングのドアを閉めながらツリーを見た。少し尖った目が、優しくほころぶのを愛しく思いながら見つめる。
彼がはじめてクリスマスツリーを見たときの、うれしそうな顔をずっと覚えている。
「おじちゃん、私が飾りつけしたんだよ」
春花が胸を張って主張する。でねでね、と春子の腕にいる少年のところまで来て、
「はい! てっぺんの星は、リュウ君につけさしたげるね!」
リュウは、春花の掌で光る銀の星をぼうっとした表情で見下ろしている。ちら、と春子を見る。
「よかったね、リュウ」
春子が微笑むと、リュウはおずおずとその手を伸ばした。リュウの手より大きな星が、蛍光灯の灯りを反射して本物の星のようにピカリと光る。
みんなが見つめる中、春子に抱きしめられたリュウは腕をぐっと伸ばした。自分の背丈より何倍も大きなツリーのてっぺんに、少し斜めに星が添えられる。
「きれいね」
母がうれしそうに手を叩く。その反応を見て、リュウは春子の腕の中で身をよじって、
「ママ、ぼくいい子?」
興奮した様子で尋ねてくる。
「サンタさんくるんだって! ぼくがいい子にしてたらくるって、パパが言ってた!」
ツリーの星をつけたことが、彼としては良いことをしたと思えたようだ。
虎彦が、
「あーあ、ニク、禁断の言葉を使っちまったな。これで毎年出費は確定するわ、何年か後に信じてたのにって恨まれるわ」
「やめてトラ」
虎彦から視線を夫に――ニックに移す。ニックは笑って息子に顔を近づけた。
「きみが信じていれば、なんだっているんだよ。サンタクロースも天使も」
声をひそめる。
「悪魔だって」
きょとんとしている息子に、悪戯を教えた少年のように笑ってみせる。
「ニック」
慌てた声を出す春子に、ニックはハハッと笑った。
やがてじっとしてるのに飽きたらしい息子が身をよじって、母親の腕から抜けて床に降りた。春花が待ちかねたようにリュウの手を取り、二人でキッチンの方に駆け出していく。二人だけで火を使っちゃだめよ、と言いながら母親があとに続く。
息子の後ろ姿を見ていると、ニックが春子の手を取った。
「帰ってくるときね」
振り返ると、ニックが春子を見ていた。
「マンションに灯りがともっていたんだ」
春子は頷きながら次の言葉を待つ。
「昔、デンキの光は偽者だと言った僕に、あなたはそんなことない、と言ったね」
――なにも生まないなんてことはないはずよ。
春子もつなぐ手に力をこめる。帰ってきたばかりのニックの手は冷たかったけど、こうして繋いでいれば、そのうち暖めることができる。そのことが嬉しかった。分け与えることができる、というのは幸せだ。
「そうね」
「僕にもね、その意味がわかったよ」
夜をまるごと入れたような黒い瞳が、あたたかな光をたたえて春子を見つめている。
「星よりきれいだ。部屋の明かりも、春子さんも」
春子は微笑んで、そっとニックに顔を近づけた。瞳をゆっくり閉じる。
「あー! ママとパパちゅーしてる!」
無邪気な天使の声が室内に響き渡った。




