オリジナル
一つ、思い立って、僕は財布を手にした。キャッシュカードを確かめる。
貯金はけっこうあったはず。
退職金もある。
意味をなくしたから、会社はやめた。
母の懇願はもうなかった。
閉じこもって、六日目。
彼女の亡骸を胸に抱えて、僕は出かけた。
彼女のオリジナルに会うために。
その人はまだ生きていて、六十歳になっているという。
謝りたかったのかもしれないし、あのまま彼女が生き続けたらこんな風な顔になったはずという未来を夢見たかったのかもしれない。
でも、それよりもなんで自分を切り売りなんてしたのか知りたかった。
その人は住所を公表していたわけではないけれど、心ない詮索と野次馬があちこちで暴き立てた。検索は容易だった。
事前にメールをしてから訪ねていくと、嫌な目にもずいぶんあったろうに、上品な婦人は快く庭に案内してくれて、綺麗な庭を見渡せるサンルームに、窓からあがった。
白い丸テーブルと、簡素の木の椅子。
そして、オリジナルは紅茶と手作りのスナック菓子を出してくれた。
「夫が病気で、お金が必要だったの」
理由は、ただそれだけ。
車椅子に乗っている、旦那さんは具合が良さそうだった。笑っているけれど、それは僕の彼女の笑みに近かった。
……そうか。彼は、頭が……。
オリジナルは旦那さんに向かってほほえむ。
彼はほほえみかえす。子供みたいな笑顔。
ああ、よかった。
彼女の元になった人が、つまんない贅沢のために遺伝子データを売ったのではなくて。そんなせいで、僕の彼女がこんな悲惨な死に方をさせられたのではなくて。
僕は安心した。
必要最低限の金額を残して、お金はその人にあげた。
庭の手入れは行き届いているけれど、住まいはあちこち傷んでいた。
他人を玄関に通せないほど、たぶん家の方もがたがきているのだろうと思う。だから、僕はおろしてきたお金の大半を渡した。
あなた方が、彼女の分まで長生きして、笑っていてくれますように。
この小さな庭が守られますように。
残りの金額で、僕はマンスリーマンションを借りた。
それから、食料をしこたま買い込んだ。あの栄養剤も。
缶詰の開け方を延々とリピートするモニター画面。
しおれて小さくなった彼女を横に置いて、僕は小さく笑った。
不自然な彼女。まだ生きていた血を僕は飲んだ。その肉を少しとはいえ、体内におさめた。その生命力は人間の比ではなく。回復力も、侮ってはならない。
僕を浸食していく、彼女。
彼女はいつか僕を食い尽くして生まれてくるだろう。
ここを六ヶ月しか借りられなかったけれど、彼女は完璧な姿に生まれ変わるのだろうか?
そうであればいいのに。頭だけだったら、彼女一人では生きていけない。
ああ、腹痛がしてきた。
いつまで、僕は生きていられるだろう?
僕は彼女を、いや、彼女そのものではないだろう。彼女の子を生むんだよ、母さん。
それはとても、幸福な気分だった。
女が足早に歩いていく。
血肉を提供してくれた男とよく似た顔の、年老いた女とすれ違った。
その女も立ち止まる。
「失礼、どこかでお会いしましたか?」
「いいえ、人違いでは?」
流れるように自然に言葉を紡ぎ出す、女。
「そうですか」
「急ぐので、失礼致しますね」
女は急ぐ。
その懐に遺伝子データを抱いて。
彼を作り出して、笑っていてもらおう。
そんなことを考えている。
そして、彼女は幸せそうに笑う。
出会う前から、この髪の毛と肉片でしかない彼を、愛しているのだと思う。
たとえ、この感情が一方通行でしかなくても。
(終)




