クローニング
生首と水槽。一方通行の愛着の行方。
仕事を終えて、まっすぐに家へと向かう。
帰宅して、僕は家族におざなりに声をかけて、すぐに鍵を開けて自分の部屋に入る。
ちっぽけな四畳半。荷物はほとんどない。
ベッドのそばに置かれた水槽。
中にいる彼女がまどろみながら僕へとほほえむ。
小さな喜び。胸を暖かくする幸福感。
僕は安堵して、声をかける。
「ただいま」
青い、栄養の混ざった溶液には麻薬が混じっていて、不自然な彼女の苦痛を和らげている。
四十五パーセントまでならば、人として認められない。だから、発展した、クローニングによる、生体移植という医療分野。そして、その法の抜け道を利用して、慰みに売られるクローン。一応、クローニングはそのオリジナルの許可がなければならないという規定は設けられている。
正規の店で手に入れた彼女のオリジナルは、金銭によって無数の自分が流布されることに同意した、らしい。
だから、彼女が僕のところにいる。
四十五パーセントとは体重と体積から換算される。クローン体重÷オリジナル体重。クローン体積÷オリジナル体積。それらを足して二で割る。それが0.45以下でなければならない。
この設定はなかなかよかったようだ。
少なくても、普通の感性であれば、そういう用途には用いにくいだろう。それでも、腰のくびれから下だけ、もしくは胴のみの、玩具用のそれらは風俗店を飾っている。
僕の死んだ友人は、二本のきれいな足だけを水槽に入れていた。有名なバレリーナの、十七歳だった頃の足だという。給料が出るたびに、綺麗な靴や、靴下、アンクレット、ネイルを飾るための高価なマニキュアなどを購入して、その足を慈しんでいた。
僕の彼女は首から下はない。
頭だけ。首は半分ぐらいついている。断面になるはずの部位は綺麗に皮膚に覆われている。
大きくなればなるほど、維持費に金がかかるし、そこまで育成するのに時間もかかった。
許可された四十五パーセントぎりぎりまで作成する者は少ない。
僕はただ、たった一人の人に、ほほえみかられていたい。
ただそれだけを望んで、彼女を手に入れた。
僕を見て、彼女は最近、笑ってくれる。
それは、栄養剤を僕が直接彼女の皮膚に垂らしてあげるから、それで条件反射で喜んでいるのだけれど。僕にはそんな本当の理由なんかどうでもよかった。
その笑みは僕の疲れも憂鬱もみんな消し去ってくれるのだから。
水は四日に一度、半分ほど、取り替える。
そうしないと、水が腐ってしまう。皮膚から水溶液の栄養分を吸い、そして排泄らしいものはできないかわりに、やはり肌から老廃物として有害なものがでているらしい。
事故で唐突に死んだ友人が持っていた、足の話をしよう。
彼が死んで、誰もその足の世話をしなかった。
親はそれを気味悪がったから。
僕が駆けつけたときには、もう一週間以上放置されていて。
本来ならば、エメラルドグリーンかアクアブルーの溶液は、ヘドロ色に変わっていた。
中にあった足はすでに死に、半分、骨がむき出しになっていて悪臭を放っていた。
以来、時折、悪夢を見る。
彼女がそうなってしまう夢を。
愛らしい顔が崩れ、目は濁り落ちくぼみ、頬がそげて骨が露出し、白く腐った肉がぐずぐずと水の中を漂う悪夢。
そのたびに飛び起きて、水槽越しに彼女をなでる。
まだ一緒に暮らし始めて、一年目。生まれて一年と三ヶ月程度の彼女は、オリジナルが二十歳になったときの顔をしているはずだ。若干幼く見えるのは、生まれたての肌と、無垢な表情のせい。
このままでいるならば、知能の発達は望めないけれど、会話をしたいと僕は思わない。
僕は、何も望んでない。
ただゆったりと、水槽の中から笑ってて。
僕を否定しないで。
僕を受け入れて。
そして、彼女自身も幸せという風に、笑って。
そんなことだけを望む。
彼女の多幸感は、痛み止めからの偽りなのだけれど。
僕は手を洗い、入念に消毒し、水槽の中に手を入れる。
彼女に負担をかけないための、体温に近い水温。胎水に近い塩分濃度。
彼女は僕の手をうっとりと待っている。
水槽から引き上げると、いつも彼女は泣きそうな顔をする。
ごめんね。
空気、痛いよね? 痛み止めがない世界は、つらいよね。額と唇に一度ずつキスをして、栄養剤をスポイトで顎の下に垂らす。
彼女は痛みを忘れてうっとりした顔で、それを取り込んでいく。呼吸するために鼻や口はない。
食事するためにも使われない口。
視力はあるし、聴力もあるようだけれど。
彼女は魚程度の認識力しかないだろう。
そのかわりに、玩具として生かされるために非常に強い生命力を与えられている。栄養源さえあれば、深く傷つけられても回復する。こんな不自然な形でも、けなげにひたすらに生きていく。
「ごめんね。でも、僕がずっと守ってあげるからね」
この蜜月に終わりはこないだろうと、僕は信じていた。
物言わぬ綺麗な顔を。
非力な彼女を。
僕は愛していた。
一方通行の恋愛。
『普通の連中』は認めないだろうけれど。
本当に本当に僕は彼女を愛していたのだ。
彼女を得る前の僕は、目的のない人生をただぼうっと生きる、木偶みたいなものだった。
彼女を得てから、僕の世界は急に、厚みをまして、色を得た。それまではまるで、水の中のように息苦しくて、子供の描いた水墨画のようなでたらめな世界だった。
人には厚みがなくて、紙人形のように表情ないもので。
僕は学生時代、何度も、短期間だけれど、ひきこもりになったものだった。
今は外に出られる。
仕事はそれなりにやりがいがあった。
お金はいる。
彼女はちょっぴり、お金がかかる。栄養剤と疑似羊水の維持に。
いつものように、仕事をして。
いつものように帰宅した。
帰宅したら、まずやらなくてはならないのは、彼女の食事であるから、まっすぐ部屋に戻る。
鍵が開いていた。
僕は不吉な予感に僕は心臓をばくばく言わせた。
鍵をかけ忘れた?
ドアを開けると、強烈な鉄さびの匂いがした。
「う……」
うめいた記憶はあるけれど、悲鳴をあげたか、さだかではない。
絨毯が深紅に染まって、彼女の頭は、床に転がっていた。
頭をまっぷたつにかち割られて。
さすがにここまで壊されては、彼女はもう笑えない。
「……い、いつまでも、そんな気色悪いもんに、かまけているから悪いのよ」
母が廊下から部屋をのぞいて、そう詰った。
この前、僕が母さんの用意した見合いを断った腹いせ?
母さんと先方に大恥をかかせて、と憎々しげにののしった母さんを思い出す。
僕はドアを乱暴に閉めると、無惨な彼女を抱きしめて、号泣した。
ああ、そうして、傷に唇を寄せ、その血を肉を噛んだ。鉄っぽい味。ひくひくと少し動いている。
生きてる。
あわてて、水槽に戻してあげた。
栄養剤を肌に直接塗ってあげる。
まっぷたつの頭をした彼女の、無事な唇は、ちょっとだけ、愉悦めいた動きをしたのだけれど。
飛び出た目がこぼれ落ちて。
舌がだらりとたれた。
あぁ。
青い水溶液が、すでに真っ赤で、脳の残滓が浮かんでる。
僕は翌日、食事も取らず、仕事にもいかず。
翌々日は泣く気力もなく、ベッドに寝転がり、もう血も出なくなった彼女の二つにされた頭を水槽から引き上げて、僕の真横に置いて、子守歌とか歌いながら、つむじがあったあたりにキスしたり、胸にかき抱いたりして一日を過ごした。
三日目はただぼんやりと、彼女を抱えて過ごした。
「ごめんね、守ってあげられなくて。守ってあげたかったのに」
ドアをどんどんと叩く音がした。
「いい加減にしなさい」
と昨日は叫んでいた気がしたが。
今日のは懇願だった。
「お願い、出てきて。母さんが悪かったわ。同じのを買ってきてあげるから、機嫌なおして。会社からもう何度も電話がきてるのよ。風邪ひいて、動けないって言ってあるわ」
同じ物なんて、どこにもないよ。
会社にいく理由なんて、もう見あたらない。
彼女がいないのに、お金になんの意味があるというんだ?
「じゃあ、母さんも。僕をぶっ壊して、新しい僕を買ってくれば?」
僕がいなくなれば、きっとそうするだろう。
人にそうしろと気軽にいえるのだ、できるだろう。
僕は彼女用の栄養剤を自分の肌にかけた。それは、かなり効く栄養剤。
彼女をそっと新しいワイシャツに包み、抱く。もう血が流れきってしまったから、驚くほど、軽い。
その軽さに、また涙が出てきた。
「ごめんね。母さんが僕のために君を殺したんだ。……僕が君を殺しちゃったんだね。ごめんね」




