第十七話 夢
「……誰ですか?」
「僕だ! 内海颯太、お前の…………」
「……さん?」
「今度は私が助けなきゃ」
「俺もやれることは尽くす」
「助けてほしいんじゃない! ただ戻ってきてほしいだけなんだ!」
「颯太君は欲張りですね」
「……さん、困ってる事があった相談してね!」
波音が聞こえる。周りを見渡せば颯太はいつも通り、砂浜の上にいた。太陽の光を浴びて透き通る海。
まるで、本当にいるかのような感覚に襲われるのは何度目だろうか。これは夢である事を何度も体験したが、何故か未だに慣れない。
「優衣さん、以前言ってましたよね」
砂浜に座る颯太の横には、綺麗な黒髪が潮風に吹かれるのを抑えている、颯太より年上の女性、香月優衣だ。
「こうやって、僕たちが会話しているのは、『恋煩い』だって」
「そんな事も言いましたね。その通りです」
「本当に『恋煩い』なんて存在するんですか?」
颯太には信じる反面、嘘なのではないだろうかという疑念が生まれていた。
「存在していなければ、私と颯太君がこうやって会話する事は出来ないはずですよ」
「全部、僕の想像だったりしません?」
「もしそうだったら、もっと楽しい夢を見る事だって可能なはずです」
確かに、と頷いてしまう颯太。優衣が言っていることは辻褄があっている。
毎回と言っていいほど、同じ夢を見ることなどできるのだろうか。普通、違う夢を見るはずだろう。その点で、ありえないことが起きているのは確かだ。
「じゃあ、僕の予知夢も同じなんでしょうか?」
「それは……」
優衣は少し間を開けて、
「分かりません」
と、続けた。
「それ、嘘でしょ」
颯太はさっきの言動を怪しみ、優衣にそう言った。
「バレちゃったか」
「知っている事があるんだったら、話してくださいよ」
「それはいやですね」
「なんでですか?」
「私は気分屋なんです」
優衣は微笑みを浮かべながらそう言った。颯太はこの人らしい言い訳だと思えた。
それは、長く夢の中いる優衣と会話を重ねたからだろう。悩みも思い出も、色んなことを話しているから分かることだった。
「大丈夫ですよ。いつか、全てが解決する時は来ます」
優衣の視線は遥か遠くの水平線を見据えているようだった。何がどうであれ、この問題が解決するのは颯太にとっても良い事だ。
「そうだといいんですけどね。ずっと、こうやって会話してるのもいいんですけど、たまには他の夢が見たいです」
颯太は冗談っぽくそう呟いてみた。そうすると優衣は、
「颯太君はひどいなぁ。こんなに綺麗なお姉さんと話せる機会なんてないのに」
と少し頬を膨らませ、そっぽを向いてしまった。その仕草からはとても幼い印象を受けた。
「自分で綺麗っていうのはどうかと思いますよ。確かに綺麗だけどさ」
「颯太君は、しれっと恥ずかしいことを言いますよね」
「これが僕なんです」
そう、これこそが内海颯太なのだ。
「で、彼女さんとのお付き合いはどうなんですか?」
唐突な話題転換に、ツッコミを入れたいと思う颯太だが、それはできなかった。
嘘の恋人である綾菜の話題を挙げられると、どうしてもあの泣き顔を思い出してしまって、胸が苦しくなる。
「どうもこうも、何もないですよ」
「わかりやすい嘘ですね」
優衣はにっこりと笑顔を浮かべる。
「私に嘘が通用すると思ってるんですか? 心外だなぁ」
「なんで、分かったんですか?」
「もちろん、颯太君の態度を見ていれば一目瞭然ですよ」
優衣は誇らしげに胸を張っている。
「急に颯太君の声が低くなりました。あと、答えるまでに少し時間がかかってました」
「すごいな、優衣さんは」
改めて香月優衣という女性を見て、颯太は白旗を上げた。
「何か、あったんですか?」
「実は……」
そのあと、颯太は自分が見て聞いた話を洗いざらい優衣に話した。言いたい事を全てぶつけた。
デートで、和菓子屋さんに行ったこと。ショッピングモールでウィンドウショッピングを楽しんだこと。
バスの中で本当の恋人になったような雰囲気に包まれたこと。おうちデートをしたこと。
そこで聞いた、嘘の彼女である綾菜が抱えている問題。それが『恋煩い』ではないかということ。
そして──
「もう、僕は古賀のあんな泣き顔を見たくない」
それが、颯太の願いだった。綾菜の苦しみを知った時から、ずっと。
あの悲しそうで苦しそうな顔を思い出すたびに、颯太の心は強くしめつけられていた。
友達として過ごした時間は長い。嘘の恋人としても過ごす仲だ。しかし、あんな悲しそうで苦しそうな顔を見たことはなかった。
まるで、それは以前の妹を見ているようで。
「もう、決まってるじゃないですか」
微笑む優衣の顔はどこか寂しいような、拗ねているように思えた。
世界が白い光に包まれ、打ち寄せる波の音がどんどんと大きくなっていく。やがて、波の音が小さく、遠くなっていく。
世界から音が消えようとしていた時──
「頑張ってください、颯太さん」
そんな声が聞こえた気がした。
「あー、だるい」
意識が覚醒した颯太は時計を確認した。今日は七月十九日、日曜日。時刻は七時半を回ったところだ。
相変わらずだるさは、鎧のように体に纏っていた。まぶたが重くなっている。
自然とまぶたが閉じて、二度目の夢の世界へ向かおうとする。しかし、それは叶わなかった。
「お兄ちゃん、朝ごはんできたよ」
颯太の部屋の扉を開け、入ってきたのは妹の明里だ。颯太の体を揺らし起こそうとする。
「すまん、寝てるから起きれない」
颯太が冗談で明里にそんな事を言ってみると、
「嘘つける余裕があるなら、早くベッドから離れてよ。じゃないと、お兄ちゃんだけご飯抜きだよ?」
と、不機嫌そうな顔をされながら、そう言われてしまった。ご飯を自分の分だけ作ってもらえないのは困るので、
「はいはい、分かった分かった」
と素直に従うことにした。
ベッドを整えて、部屋を出る。リビングに向かうと、机の上には美味しそうな朝食が置いてある。
今日はトーストにサラダ、目玉焼きという定番のメニューだった。
「いただきます」
颯太は、先に席に座って朝食を食べ始める明里の横を通り、洗面所へ向かう。目的は眠い顔を起こす事だ。
顔を洗うと自然と重くなっていたまぶたが、軽く感じるようになった。タオルでしっかり水気を拭き取ったあと、リビングに戻った。
明里と同じように席に座り、颯太も朝食を食べ始めた。そうすると、自然と会話が始まる。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「昨日の話だけどさ」
昨日の話と言われると、颯太は明里にあの光景を見られたせいで、当分はいじられるだろうと覚悟していた事を思い出す。
「お兄ちゃん、彼女とイチャイチャして楽しかった?」
「まぁ、楽しかったと思うぞ?」
「なんで、疑問形なの?」
「妹に見られたおかげで、なんか疲れたからな」
「いるなら言ってくれればよかったのに」
「そんな間も無く入ってきただろ」
「あ、そうだっけ?」
軽く笑いながら明里はそう言った。事前に颯太がいると伝えていたはずだが。
「まぁ、明里も彼氏作るの頑張れよ」
「その前に、私受験あるんだよー? そんな暇ないよー」
明里は今年中学三年生だ。三学期には入学試験が待っている。そんな暇はなくて当然だろう。
「あと、私はお兄ちゃんと一緒にいるだけで十分だし」
その言葉に驚いた颯太は、
「明里はブラコンだったか?」
と、返した。そうすると、明里は慌てた様子で、
「ち、ちがうよ! お兄ちゃんがいるだけで十分なだけで……」
と、否定した後も、小さな声でぶつぶつと何か呟いている。若干顔が赤くなっている。少し怒らせてしまったのだろうか。
これ以上、踏み込むのは危険そうなので、
「で、勉強の方はどうなんだ?」
と会話の流れを変えた。
「うん、いい感じかな」
「じゃあ、それを継続していけば受かるな」
「そんな簡単じゃないよー」
そんな朝のひと時を過ごした颯太であった。




