彼女の場合
「婚約破棄ですか?ええ。喜んでお受けいたしますわ!」
小父様の嘘の婚約破棄のお芝居に乗って、心苦しいのに、彼が好きなのに、ちっとも嬉しくないのに、嬉しそうに婚約破棄話を受けた私。その後、何事もなく過ごしていた私の家に彼の義妹が馬車で先触れもなくやって来た。玄関先で執事に追い返されそうになった彼女が貴族にはあるまじき行為の、大声で叫んだのです。
「義兄が今にも死にそうなんです!話を!私の話を聞いて下さい!」
それを聞いた執事が父の所へ走って行きました。たまたま執事と彼女がやり取りしていた現場を見ていた私の足が、床に縫い付けられたように動けなくなって焦るだけの私。動けなくなった私を見つけて、階段をおりて抱えて歩いていた父様が、玄関先に用意した椅子に私を座らせてくれました。父様も椅子に座りました。執事の用意した椅子に、彼女にも座るように勧めて座ったのを見て、後から来た母様も、私を支える様に椅子に座ったのでした。彼女はそれを待っていたのかの様に、彼の話をし始めたのです。
「最初は義父に叱られて部屋から出てこないと思われていた彼が、もう10日も飲まず食わずで出てこない。最初は、皆の寝静まった夜中にでも何か食べているだろうと、皆も楽観的だったけど、7日過ぎても食料庫の在庫も減っていないし、部屋から出て来た形跡も全くないので、執事が様子を窺っていたそうです。でも、今日は義兄の部屋からの物音も一切しなくなったので、執事が慌てて部屋の鍵を壊して入ったら、ベッドの上で目を瞑って動かない義兄がいたのです。」と言う。「呼んでも反応が無く、義父や執事が義兄に触れて確認をしたのだけれど、息をしていたが浅くて弱かったし、体温も低くなっていたので、急いで医師を呼んで、彼の診察と処置をしたのです。」それを聞いた私は、震えが止まらなくなってしまって母に抱きしめられたのでした。
「その医師に「こんなになるまで放っておいて!それでもあなた達は家族なんですか!」と怒鳴られました。これで大丈夫かと思った家族や屋敷の者達に、医師から「この状態では、いつ何があってもおかしくありません。回復するかどうかは五分五分です。会わせたい人がいるなら、会わせた方がいいかもしれません。それだけ今は危険です。私も隣の部屋で待機しますので、何かありましたら、すぐ呼んで下さい。」と言い残して、執事の案内で、彼の寝室の隣の部屋へ下がってしまったのです。」と話す彼の義妹。
「義父は膝からガックリと倒れこんで、無言で泣いていたし、義母は泣きながら倒れそうになって、メイドに支えられて部屋へ戻って行ったようでした。私も唖然として暫く動けなくなっていましたが、半年前に両親を亡くした私を助けてくれた義兄をどうしても回復させたくて、義兄に義兄の元婚約者に会わせてもいいかどうかを義父に尋ねてから、了承の返事をもらってすぐ、私は家の馬車でこの家まで向かって来たのです。」と続けて話した彼女は、私に向かって頭を下げたのでした。
「最初は、義兄の優しさにつけこんで、両親を亡くした寂しさを義兄に甘えて紛らわしていました。でも、最近は、自分の恋人にやきもちを妬かせたくて、ワザと恋人の前で義兄に甘えていたのです。だから、噂が消えずに広がってしまいました。自分の事だけしか考えず、周りを巻き込んでしまい、申し訳ありません。」そう謝罪をした彼女は、「義兄が死んだら嫌なのです!せっかく兄が出来たのにもう失くしたくないのです。どうか兄が大好きなあなたに会わせて、生きる気力を取り戻して欲しい、こちら側に戻って欲しいのです。お願いします。どうか義兄に会ってやって下さい。」言った途端に、彼の義妹は泣き崩れて動けなくなってしまいました。母様に彼女を任せて、父様と私は生活するのに必要な物を後から馬車で送るように、執事に指示をしてから、急いで彼の元へ馬車で向かったのでした。
父様と私は彼の部屋に急いで入りました。小父様から、彼が引きこもる前に小父様と話した内容を聞いたのだけど、酷すぎると思った。父様も黙っていられない程、酷かった。
「もう婚約者は戻ってこないと言われた上に、自分が必要でないと宣言されたのだ。彼は人生に絶望したのだろう。義妹に親切にした事も、今までの努力も何もかも全部を否定されたので、生きる気力まで失くしたのだろうな。義娘がいれば、彼がいなくなったって跡継ぎがいるのだからと、君は息子をそこまで追い詰めて、一体何がしたかったんだい。私は最初からこの婚約破棄の話を聞いた後、君に隠れて、時期を見て彼には話そうと思っていたんだよ。それで様子を見ていたが、こんな事になってしまった。何故こんなに息子へ厳しくし過ぎるのかは、息子のいない私には理解出来ないのだが。君は息子を褒めた事があるのか聞いてみたくなったよ。」
小父様の表情を見ていると、褒めた事も認めた事もなかったようで苦悶の表情を浮かべたままで。だから彼は、今まで生きて来た中で一生懸命努力するしか道がなかったし、余裕も無かったから、私に心を割く時間も気持ちの余裕もなかったんだと気付きました。私といる時だけが安らぎを感じる時間だと彼が話していたのが、彼なりの精一杯な私に対する告白だったのだと、私の心の中にストンと納まったのでした。
「小父様、私は今まで彼の口から、小父様の悪口や愚痴を聞いた事はございませんわ。彼は、父上は一度も褒めてくれないし、出来て当たり前の事が出来ないと厳しく怒られてしまうんだ、どうしたらいいか悩んでいると、私に一度だけ話をしてくれたのですわ。私も何て答えたらいいか分からなくて、彼に微笑んで話を聞いただけになってしまいましたが。きっと出来ない事に悔し涙を流して、歯を食いしばりながら、ずっと努力を続けてきたのですわ。でなければ、学園での上位の成績を入学以来ずっと維持出来る筈がありませんわ。」
とにかく、父様と私へ彼に会ってやってくれと小父様が必死に言ってくれたので、彼の顔を見た。こんなに窶れて顔色も良くない彼を見たのは初めてで、彼が今にも消えてしまいそうに感じて、泣きそうになった。父様が小声で、「ここまで酷い状態だとは思わなかった。悔いのない様に全力でやりなさい。」泣いている場合じゃない!私と父様の2人して真顔で「此処から動かない」と宣言をした。
「未来の息子が危ないのに、のこのこ帰れるか!」
「私も未来の夫が危険なのに、おちおちしていられませんわ!」
私の家から、「半年前に両親を亡くしたばかりの義娘が、息子の件を話した途端に気が抜けたように、ショックを受けて震えているし、動けなくなっているので、こちらで義娘を預かる」旨を記した母様からの書簡と共に、私達2人の着替えやその他に必要な物が馬車で届いたのでした。