彼女じゃない
二年生になって、春から夏に変わろうとしていた六月のこの時期。
「先輩!」
来週から衣替え期間かぁ。あれ?夏服どこに仕舞ったっけ?───なんてボケッとしていた私は、目の前に現れた女子生徒が、腰に手を当て仁王立ちしていることに気が付いた。
「ツカサ先輩、ですよね?」
「え?あ、はい・・・・」
なんだろう、この威圧感。思わず敬語になってしまったわ。
上靴の色から察するに、一年生なのに。
というか、確かに私は“束沙”だけど───貴女は一体・・・・?
“先輩”呼ばわりの割に、全く親しみも尊敬も感じられないし。
少なくとも、私を慕ってくれてる後輩ではないことは確かだ。
(なんか、果たし状でも突き付けられそうな勢いなんだけど。)
目の前のツインテールの黒髪少女が、睨み付けるように私をじっと見つめている。
「ズバリ聞きますけど先輩は真琴さまの“何”なんですか?」
(真琴、さま?)
もしかしてこの子、噂で聞いた真琴の親衛隊?
入学式に真琴を一目見てから、なぜか崇拝しちゃってる一年生の集団という、アノ。
「答えてくださいよ!」
「や、そう言われても・・・」
あぁ、本当に“ズバリ”聞いてくれましたね。
(痛いとこ、ついてくるなぁ・・・・)
私が真琴の何なのか、なんて。
そんなの、私が一番知りたいわ。
────思わず自嘲してしまう。
「彼女じゃないんですよね?真琴さまに確認済みです」
(あ。・・・そう、ですか。)
分かっていたことなのに、心は勝手に痛みを訴える。
そう。
分かっていたじゃないか、私は真琴と付き合っている訳じゃないってことは。
(だけどなんで、傷付いてるんだろう・・・・)
表情をうまく取り繕えなくて目を伏せたその時、背後から声がした。
「おい、そこの。」
あまりの殺気に、背筋がひやりとした。
ああ、この声は──────間違いない。
「ま、真琴さま…」
微かに、目の前の子がそう呟いたのが聴こえた。
その瞬間、私は後ろから真琴に抱き締められていた。
「ちょ、真琴っ」
「許可なく僕の束沙ちゃんに話し掛けるな」
焦る私の耳元で、そんな不機嫌極まりない声がした。
離してよ!これ、なかなか恥ずかしいんだけど!
と言いたくても、今は言わない方が良さそうだ。
真琴の殺気に、目の前の子はカタカタ震えだした。
(可哀想に、今にも泣きそうだよこの子・・・・。)
「どうして彼女でもないその人にそんな・・・・」
「五月蝿い。あんたには関係ない。早く視界から消えろ。」
喋ることもめんどくさそうに、真琴が言葉を吐き捨てた。
「そんなっ」
ついに泣き出して一年のその子は走り去っていった。
「真琴、今のは言い過ぎ」
それを見たら、流石にそう口を出さざるを得なくて。
・・・・彼女の気持ちを考えたら。
それを、自分に置き換えてみたら。
あまりに悲しい言葉だったから。
この腕の温もりも、私には優しい一面も────今はここにあるけど。
だけどいつまでここにあるのか、分からない。
真琴の気持ちが分からない。
「女の子にあんな風に言うのは、間違ってるから!」
「なんで、束沙が泣くの?」
私の顔を横から覗き込んで、目元を長く細い指で拭う。
「あんたのせいでしょ!?」
なんだか分からないけど、涙が止まらなくて。
いやもしかしたら本当はずっと、傷付いていたのかもしれない。
自分が、真琴にとって“何”なのか?
どうして“彼女”には、なれないのか?
─────からかわれてた、だけ?
「僕?束沙ちゃんに何かした?」
私の気持ちも知らずにきょとんとした顔で真琴がこちらを見つめてくる。
何かした?じゃないでしょ、しまくりでしょうが。
なのに、なんでそんなこと言えるんだコイツは。
「ま、いいや。」
(いいのかよ!気にしてよ!)
────だけどそう言いながら当然のように私の手を引いて教室へと向かう。
(・・・ほんと、分からないやつ。)
だけど、これだけで気持ちが軽くなる私はもっと分からない。
(これでいいのか、私?)
真琴をチラリと盗み見ると、最近また背が伸びたのか見上げるようになる。その横顔は相変わらず美しく、思わず見惚れてしまった。
すると真琴が溜め息を吐いた。
「最近あーいうの本当にウザい。」
「あーいうのって?」
「束沙ちゃんが“彼女”だとか、“彼女じゃない”とか」
ギュッと胸が締まった。
(それ!今一番避けたい話題だよ、真琴!)
だけど真琴は前を向いたまま、容赦なく話を続ける。
「そんなちっぽけな代名詞を束沙ちゃんに当て嵌めようとするなんて、失礼だと思わない?」
(・・・・ん?)
「あぁウザい。あ、そんなことより今日うちで晩御飯食べようよ」
(“そんなこと”・・・・って、ちょっと)
混乱してる私に、妖艶な微笑みを向けてくる真琴。
「帰ろ、束沙ちゃん」
なにがそんな嬉しいのか、機嫌は一気に直ってるし。
「あのさ、真琴。さっきのって────」
そう言いかけて、やめた。
真琴が向けてくる暖かな眼差し。
手の温もり。
それがなんか、伝わってきてしまったから。
「なぁに?」
「─────いや、なんでもないデス」
もう、分かったから。
ひとつだけ、確かなこと。
真琴は、この手を離すことだけは絶対ないってこと。