第一話 鍵っ子の家に地響きがやってきた
【ズシン……!】
午後四時過ぎ。誰もいないリビングで、一人で留守番をしていた小鳥遊陸のマグカップがかすかに跳ねた。
【ズシン……!】
二度目の振動。地震だろうか。いや、周期がやけに規則正しい。
【ズシン……! ズシン……!】
次第に大きくなる地響き。窓ガラスが小さく震え、庭の植木鉢がカタカタと音を立てる。
陸は思わずソファから立ち上がり、カーテンをそっとめくって外を覗き込んだ。
道路の向こう、住宅街の角を曲がってきたのは——見上げるほどの巨大な『何か』だった。
「ひっ……!?」
思わず声が漏れる。
電柱よりもはるかに高い。近くの三階建てアパートの屋根を余裕で見下ろす視線。
青空をバックにそびえ立っていたのは、モデルも青ざめるような超絶美人のお姉さん──だった。
ただし、圧倒的に巨大……。
どう見ても、足の先から頭のてっぺんまで十メートルはある。
お姉さんは、まるでレーザー罠をくぐる怪盗みたいに身をかがめていた。
電線に頭や髪を引っかけないよう、両手を前で揃え、車道をそーっと、けれど慎重に踏みしめてくる。
【ズシン……!】
踏み出すたびに響く重低音。
けれどその顔は、とびきり眩しい笑顔だった。
そして、小鳥遊家のちっぽけな門扉の前で、ピタリと足が止まる。
「はじめまして! 小鳥遊陸くんですね!?」
【ドォン!】と空気が揺れた。
声がデカい。いや、声量そのものが落雷レベルだ。
お姉さんはそのまま、住宅街のど真ん中で深々と頭を下げた。
「本日より派遣されて参りました、家政婦のガリバラ・グランディスと申します! ガリバラとお呼びください!」
頭を下げた瞬間、彼女のエプロンのフリルの先が小鳥遊家の二階の屋根に微かに触れた。
瓦がハラハラと落ちる。
陸は呆然と見上げたまま、引きつった声で呟くしかなかった。
「いや……家政婦って……そもそも家に入れないじゃん……!!」
それが、陸とガリバラさんの、規格外すぎる日常の始まりだった──。
「あの……ガリバラさん? とりあえず敷地に入って……いや、入れるわけないか」
陸は玄関から庭へ出て、ビル見あげる姿勢で頭を仰ぎ見た。
「申し訳ありません陸くん! わたくしの体が少々大きいため、お家を壊してしまわないかヒヤヒヤしております……!」
ガリバラさんは申し訳なさそうに、車道の上で巨大な膝を折り、陸の目の前に視線を合わせて座り込んだ。
ドスンと地響きが鳴ったが、少しでも陸と同じ目線になろうとする姿勢に、陸の警戒心がほんの少し削れる。
「少々どころじゃないけどね……。でも、なんでガリバラさんがうちに来たの? 父さんから何も聞いてないんだけど」
「お父様から『息子が一人で留守番をする時間が増えるので、寂しくないように温かい食事とお世話をお願いしたい』と、派遣のご依頼をいただいたのです!」
「父さんが……」
陸は胸の奥が少しキュッとなった。
転勤族の父は仕事が忙しく、毎晩遅い。
母がいない陸はいつも誰もいない暗い部屋で、冷めたコンビニ弁当を食べるのが当たり前だった。
寂しくないと言えば嘘になる。だけど……、仕事で忙しい父に心配をかけたくなくて、ずっと我慢していたのだ。
「お腹が空いていらっしゃいませんか? わたくし、お料理には自信がありますのよ!」
「え、料理? でも台所にも入れないのに……」
「ふふん、お任せください!」
ガリバラさんは胸を張ると、腰につけた巨大なポーチから、特大のドラム缶のような金属容器と、薪のような太い木の枝を取り出した。
そして、小鳥遊家の庭の隅にセットすると、指先で器用にマッチ(といっても丸太サイズの薪)を擦り、あっという間に簡易的な野外コンロを作り上げた。
「これより、ガリバラ特製・野菜たっぷりお鍋を作ります!」
巨大な包丁(まるで大剣)で、人参や大根をトン、トン、トンと目にも留まらぬ速さで刻んでいく。
サイズは規格外だが、その手つきは驚くほど優しく、丁寧だった。
やがて、庭いっぱいに香ばしいお出汁と醤油の甘い香りが広がり始める。
「さあ、出来上がりました! 召し上がってください!」
ガリバラさんは、陸の器(家から持ってきた深皿)に、木ふねのオールのような特大お玉で、丁寧にお鍋を盛り付けてくれた。
一口食べた瞬間、陸の目が丸くなった。
「……うまい」
「本当ですか!? お口に合いましたか!?」
「うん……すごく温かくて、美味しい」
出汁がじんわりと身に染みる。
ずっと一人で食べていた夕食。だけど今、目の前には、自分の食べる姿を自分のことのように嬉しそうに見つめてくれる十メートルの家政婦さんがいる。
「よかった……! 陸くんに美味しい笑顔になっていただくことが、わたくしの第一の目標でしたから!」
ガリバラさんは心底安心したように、ほわぁ…と頬を緩めて破顔した。
その笑顔を見た瞬間、陸の心の中にあった「デカすぎるお姉さん」への恐怖や戸惑いは、完全に消え去っていた。
(この人、本当に僕のために来てくれたんだ……)
「ガリバラさん。瓦のことは目をつぶるから……これからよろしくね」
「はいっ! よろしくお願いいたします、陸くん!」
二人が庭で温かいお鍋を囲み、微笑み合ったその時だった。
小鳥遊家のブロック塀の影から、二人の様子をジッと覗き込む影があった。
『なんだアレ……。小鳥遊のやつ、気味の悪い化け物なんか飼い始めやがって……』
憎々しげなつぶやきを残し、その影は静かに去っていった。
しかし、陸とガリバラさんが、その視線に気づくことはなかった……。




