055:走る寒気
雨林副知事が、どうして裏切ったのか。
話は2日前に遡る。
2万5000の兵を引き連れ雨林は、2週間かけて富良野平野へと進軍した。
為臣陛下は完成した朝日砦で、日課の読書を黙々と1人で進めていたのである。
するとノック音が聞こえて来た。
誰なのかと問うと「戸谷です」と帰って来る。
戸谷宰相かと分かった陛下は「入れ」と入室の許可を出し、扉がギギギッと開いた。
「為臣さま、雨林が2万5000の兵を連れて来ました」
「おぉそうか、思ってたよりも早く来たな。健臣が急かすように、進軍させたんだな。雨林に同情するか」
「どうしますか? こちらで対応いたしますが?」
「いや、俺が出向こうじゃないか」
雨林副知事が大軍を引き連れて来たのに、そこまで驚く事なく冷静さを保っていた。
やって来た雨林軍の対応は自分がするかと戸谷宰相は、為臣陛下に確認を取る。
しかし陛下は自分で出向くと言って立ち上がった。
そして砦の門前まで行って、ギギギッと門が開いて陛下と護衛の丈二たちは砦の外に出る。
陛下の視界には大軍が広がっていた。
大軍の先頭には馬に乗っている雨林がいる。
陛下と雨林は数秒間、ジッと見つめ合う。
徐に雨林は馬から降りると、地面にスッと膝を着くと深々と頭を下げた。
後ろの兵士たちも同様に頭を下げる。
「為臣さま、参陣いたすのが遅れてしまい申し訳ございませんでした! ここにいる2万5000の兵は、陛下にお仕え申し上げます!」
「雨林、貴殿らが到着するのを楽しみにしていたぞ! 聞いていた話よりも多いみたいだが、相当がんばったみたいだな。さすがは雨林だ」
「いえ! これは陛下の徳のなす技でございます!」
雨林副知事と2万5000の兵たちは、帝国軍を倒す為に進軍したのでは無い。
帝国の軍門に降る為にやって来たのだ。
どうしていきなり軍門に降ろうとしたのか。
実は為臣陛下と雨林が会うのは、今日が初対面というわけでは無いのだ。
事の始まりは半年前に遡る。
大日皇和帝国が十勝県・天塩県・胆振県と、正式に共同戦線を結んだタイミング。
雨林副知事は健臣知事に命じられ、出兵を拒否していた夕張郡と雨竜郡の説得へと向かっていた。
命令通り夕張城に当人の郡長を呼んだ。
ここを無視したら面倒になると思った郡長たちは、素直に雨林との会談を了承する。
「雨林殿、我々は要請に応じるつもりはありません!」
「このまま領民が苦しんでいくのを見るのは、我々には耐えられないんですよ!」
「あぁお前たちは、健臣の要請に応える必要は無い」
雨林副知事に対して会った直後から、要請に応える必要は無いと断言した。
領民が苦しんでいる中で領地を任されている2人が、それを認めるわけには断じてできない。
処罰されるのを覚悟して2人は言ったのだ。
そんな2人に雨林は「要請に応えなくて良い」と比較的冷静な表情を浮かべながら指示をする。
どうして説得しに来たはずの雨林が、そんな事を言うのかと困惑して言葉を失う。
しかし理由を聞かないわけにはいかない。
「そ それはどういう事ですか? どうして説得に来たはずの雨林殿が、そんな事を……」
「俺はこれから大日皇和帝国に降る」
『えっ!?』
もうこの時点で雨林副知事は、大日皇和帝国の軍門に降る覚悟をしていたのである。
次から次へと驚きの言葉が繰り出されて2人は驚く。
「どうしてなんですか? 雨林殿が本気で兵を集めれば、帝国に勝つのは難しく無い。何より雨林殿は、健臣さまに取り立てられたから今の地位に就いたのでは?」
「あぁ確かに、ただの文官としてうだつの上がらない生活をしていた俺を、今の地位に上げてくれたのは健臣だ。しかし俺の人生を最悪な方向に変えたのも、あの男だ」
「人生を最悪にした? それはどういう……」
健臣知事に自分の人生を、めちゃくちゃにされたという雨林副知事の顔は怒りを物語っていた。
あまりにも殺気を全身から放っているので、2人の郡長は全身にゾッととした寒気が走る。
健臣への憎悪は本当に抱いていると感じさせた。
しかしどうして健臣が、雨林の人生を最悪なものにしてしまったのかという疑問が残る。
「雨林殿、何をされたんですか? 暴君に成り下がった健臣という男に」
「あれは健臣が島家の家督を継いだ……6年前か?」
雨林副知事の人生が変わったのは、今から6年前だ。
しかし話を分かりやすくする為には、副知事《秋野 雨林》の出自から話すのが良いだろう。
秋野というのは婿養子に入って変わった苗字。
つまり雨林には旧姓がある。
その旧姓は〈脇松〉。
脇松家というのは代々、副知事に就任していた家系だ。
健臣知事の前任知事《島 石狩守 伊興》にも雨林の父親が仕えていた。
次男である雨林は家督を継げないというものもあって、男を求めていた秋野家に婿養子に入った。
しかし6年前。
ある事件が起きる。
それは伊興知事が、何者かによって暗殺された。
この時に殺されたのは伊興だけではなく、伊興派と呼ばれた側近たちも同じように暗殺された。
その中には雨林の実の父と兄もいたのである。
「俺は死ぬ気になって犯人を探した。そんな最中に新しい知事として健臣が就任したんだ……」
「そ それって まさかあの暗殺事件の犯人は」
「あぁ健臣だよ、俺も数年前に健臣の口から聞いた。自慢げに、ここまで成り上がったってな」
伊興知事や側近たちの暗殺事件は、成り上がろうとした健臣知事の手によって行なわれた暗殺事件だ。
何も知らない健臣が苗字の変わった雨林を副知事の地位にまで登らせた。
その時までは雨林も健臣が犯人だと知らなかった。
だが雨林に気を許すようになってから、どうやって自分は成り上がったのかを自慢げに話し始める。
そこで犯人が健臣であると分かった。
途方にもない殺意を健臣に抱き、この時点で復讐をしようと決めたのである。
「そ それなら直ぐに天誅を下せば良かったのでは?」
「なに言ってるんだ? そんなタイミングで殺したところで、復讐にしては生温いだろ?」
知った瞬間に殺せば良かったのでは無いかと、郡長はそう意見を述べたのである。
しかし雨林副知事は生温いと語る。
雨林の目は、奥に漆黒があるんじゃないかと思うほどに黒く深く座っていた。
ここでまた全身がゾッと寒気が走る。
「俺は絶望の中に、希望を見つけた瞬間……そう! その瞬間に健臣に地獄を見せる」
「だから要請に応えるなと?」
「お前らだって、健臣に不満を持っているんだろ? もちろん不満なんていうのは生温いほどに、もう従えないというくらいの不満が」
「そ それは確かにそうですけど……」
「まだ皇帝に即位してから日は浅いが、為臣さまは素晴らしい主君だと俺は思っている。お前たちも為臣さまの下に着いて損は無いと思うぞ?」
希望から絶望に突き落とされた瞬間、それを見たいが為に今まで仕えて来たと不敵な笑みを浮かべながら語る。
そして為臣陛下に仕えるべきであると、雨林は2人の郡長に諭し続けた。
ここで断りを入れたら……。
これは断れないと郡長の2人は、雨林副知事の作戦に乗るしか無かったのである。




