閑話 発熱 エーベル視点
「おはようございます」
「エーベル、おはよう」
いつもの何でもない日常の朝。
アーロン殿下は毎朝、俺より早く執務室に出勤している。
今朝も雑巾を片手に出迎えてくださったところを見ると、机や棚を拭いたりと掃除をされていたのだろう。
以前、「『殿下』なのだから、ゆっくり登城してください!」と何度かお願いをしたこともあったが、「住んでいるところがここだからな。24時間登城しているようなものだから難しいな」とアーロン殿下はふわぁと優しい笑顔で苦笑いされて、いつもそのまま上手く話を流されてしまうので、俺はいまはアーロン殿下よりも遅い登城でも気にしないことにしてる。
「エーベル、出勤してきてすぐで悪いがこれを見てくれないか?」
アーロン殿下が自分の手のひらに小さな石の欠片をのせて俺に見せた。
「これは?」
どこかで見たことあるようで、そうでない石。
アーロン殿下の手のひらの上の小さな石の欠片を自分の手に取って、指先で感触や大きさを確かめる。
まさか…
アーロン殿下を見ると、俺がすぐに答えにたどり着いたのが予想どおりだったのか、俺を見て悪戯っ子のようにニヤニヤした表情をして、頬を赤らめながらいまにも笑い出しそうになっている。
慌てて、アーロン殿下の執務室の入り口の扉の上の壁を見上げた。
そこにはいつの頃からか、壁に大きなひびが入っている。そのひびに小さな穴が開いていた。
やっぱりこれか…
「今朝、出勤したらここに落ちていたんだ。あそこの大きなひびにある小さな穴だよな」
アーロン殿下は赤紫の絨毯が敷かれた床を指し、欠片が落ちていた場所を示した。
古いだけが取り柄の王城。最初は要塞としての建築が始まりで、それが300年前のこと。それ以降、王城として増改築が繰り返されている。
冬は隙間風で極寒だし、夏はとんでもなく暑い。
居住したり仕事をするのには、劣悪な環境だ。
「アーロン殿下のお察しの通りだと思われます。また修繕係に来てもらわねばなりませんね」
「そうだな。これぐらい自分で修繕出来そうなものだが、ひびの状態も確認してもらった方が良いだろう」
ふたりで顔を見合わせると、大きなため息をついた。
「また、修繕費がかかりますね」
「——ああ、そうだな」
考え事をしていたのか、少し虚な表情でアーロン殿下は生返事をすると、急に真面目な顔をされた。
「物質は儚いとわかっている」
「う、うん?」
突然、どうしたんだ。
「いつか、この王城が崩れ落ちる未来もあるだろう」
(そんな未来を想像したくないけどな)
「いまは王城としての機能を維持するためにも、時代に見合った機能を持たせるためにも、少し費用が多くかかっても丁寧な修繕が必要だ」
「そうですね」
俺は珍しく朝から熱く語るアーロン殿下をまじまじと見つめた。
「そして、王城が崩壊する未来が少しでも遠い未来になるようにすることが必要だ。この先の未来では、この王城がこの国の観光資源になるかも知れないし、この大陸に住む人々の歴史的文化的遺産になり得る未来があるかも知れない。そう考えると未来に投資だと思ったら、修繕費用は安いのかも知れないな」
今日のアーロン殿下は朝から饒舌だ。
——この王城がいつか、
———歴史的文化遺産。
「では、修繕記録や初期からの設計図も歴史的文化遺産ということですね」
「遠い未来では重要な史料となるだろうね」
アーロン殿下は少し目を潤ませて、遠い未来に想いを馳せるように目を細めて微笑んだ。
「では、城下の屋敷や商店、家々も改築や建て替えをする時はある一定の決め事があった方が、街並みを維持出来るということですね」
「——そうだね。条例でもあるとなお良いね。俺は、もしかしたら歴史的文化遺産に住み、仕事をした貴重な人間になるかも知れない。だからね。掃除と修繕には手が抜けないんだ。ふふふ…はぁ…はぁ…」
んん??
ただ話しているだけなのに、アーロン殿下の息が上がる。
「こうね。掃除をしていたら…はぁ…はぁ…はぁ」
んんん???
「…アーロン殿下、手を失礼します」
俺はアーロン殿下の両手を手に取る。
——熱い
「額を失礼します」
大人しく俺にされるがままのアーロン殿下。
俺は自分の額をアーロン殿下の額と合わせる。
——やっぱり——
さっきまで外にいて冷えている自分の両手をアーロン殿下の頬を冷やすように頬を俺の手で包んだ。
「エーベル、冷んやりして気持ちいい」
俺の手をすりすりしてくるアーロン殿下が今日は幼い表情をする。
「でしょうね。今日は執務は取りやめです。高熱があるではないですか!」
だから、頬が少し赤かったり、目が虚で潤んでいたりしたのか!そして、やたらと饒舌だったり!
「でも、今日は決裁が溜まっているんだろう?俺はまだ大丈夫だよ?」
普段は殿下然としてキラッキラのオーラを纏っているくせに、今は上目遣いでいつもより幼い表情で俺を見てくる。
——可愛い過ぎるんだが。
幼い頃からこういうところは少しも変わらない。
幼い時も『殿下』の仮面を下ろしたら、こんな感じだったな。
俺しか知らない殿下の素の表情。
「今日はお部屋にお帰りください。誰か侍女をお呼びましょうか?」
「………ん——。いや、要らない」
熱で頭がぼんやりするのだろう。気の抜けた間延びした返事をしてくる。
「…では、子どもの頃のように手を繋いでお部屋までお連れしましょうか?」
俺はわざとアーロン殿下が『絶対要らない』という通常運転の言葉を引き出そうと試すように質問をした。
「うん。それが良いな」
満面の笑みを向けられ、想像と違う真逆の返事に俺の胸の奥を一瞬できゅっとアーロン殿下に掴まれる。
——駄目だ。アーロン殿下が可愛い過ぎる
「手を繋ぐのは無理ですがお部屋まで同行します」
俺は正面からアーロン殿下の顔を見れず、悶絶しながら少し目線を左下に向けた。
俺も発熱したかも知れない……




