82. 意識の死角
――獲らぬ狸の皮算用。
不意に、そんな言葉が思い浮かんだ。
おそらくは、研究が滞ってしまっているところにイルスたちに赤毛狼操作用腕輪(要するにミリス中継装置)を作り、その惰性で考えを纏めるための精神集中として、ミリスの設計した兵器の部品を作ったりしていたためだろう。
これらはすべて、ダークエルフを打倒するという未来が確定しているとして行われていることだ。
赤毛狼の強化などであれば、ダークエルフへの対抗手段として用いることができるために、気にならなかったが、ミリスの言うところの『内政』の準備をするのはあまりにも遠くを見据えすぎている。
鬼が笑うだろう。最近吸血鬼はよく笑顔だが、それは関係ないと思いたい。
――順番が違うのではないか?
要はそんな疑問が、停滞しているこの状況によって喚起されたのだ。
ダークエルフを捕らえることで研究に進捗が得られるかもしれないわけで、研究が滞った今こそ捕らえに向かうべきではないか? と。
現状判明している情報からは、ダークエルフを倒すことは難しくない。最悪のケースがやりすぎてダークエルフを殺してしまうことだ。それは間違いない。
間違いがあるとすれば、『判明している情報』に不足がある、あるいは虚偽であった場合だ。言い換えるなら前提が間違っている場合だ。
万全な情報などまずありえない。不足や偽装、粉飾があるのは当然だ。それらを論理と直観と想像で潰し、穿って、埋めていくのが実際のところ、『戦略』というものである。相手がダークエルフという一体の怪物という点で決定的に戦争とは異なるが、規模が大きすぎて、どうしても戦略が必要になる。
そして自覚しているが、飛逆は戦略が苦手だ。だからこそ自分の想定に『間違いがある』ということを前提にこれまで事に臨んできたわけだが、内省するに、その心構えを失いつつあるように思えた。
研究では『失敗するとわかっていても実践してみなければ次の段階に進めない』ということもあると最近学習したが、命の懸かった戦闘では成功しなければ基本的に次はないのだ。
けれどこの考え方自体は戦略にも応用できる。失敗しても次の段階に進めるような状況を設定すればいいのだ。一度の合戦で決着するような状況を避ける。これは退路の確保が転移門によって可能なために実現できている。だがこれで可能なのは何度も繰り返すということだけで、これ以上の進展は見込めない。小神樹を見る限り、あちらも時間をおけば回復するようだと判断できるため、消耗戦にもなっていない。ただの膠着、停滞だ。
停滞は気の緩みを誘発する。それをたった今自覚したところだ。
だからといってすぐさま総力を以て倒しに行くというのも、先に述べたように早計だ。
よって戦略的に考えるなら、確実な情報送還手段を持つ斥候を出すなどして戦闘に段階を作ることが肝要になる。戦力の逐次投入という愚策を採りたくないならそうするしかない。
元々斥候となることを期待してモモコを送り出したが、彼女が持ち帰ってきた情報はいかにも信用ならないものだったわけだ。悪い情報ばかりではなく、裏を読めば大まかには把握できる内容だったことが救いだが、逆にダークエルフにもこちらの情報をある程度掴ませてしまっているという始末である。これが国同士の戦争であればモモコは売国奴として処刑されるところだ。モモコが『間違った認識』を基に情報を与えたのであろうが、ダークエルフがその裏を読んでこないとも限らないわけで、実質、プラマイゼロなのであった。
一歩だけ進んだとも言えなくはないが、一段は上がれていないというのが正味の観想である。
モモコがこちらに戻ってきてから、こちらが何も反応していないことで、その裏読みを確信に近づけたという可能性までありえる。こちらの一歩ではなく、あちらの一歩であるかもしれないということだ。
さておき、改めて検討する必要があるかもしれない。つまり斥候を新たに用意するかどうか。
どうにかして赤毛狼にモモコのようなステルス機能を付けられれば、斥候として出すのは悪くない考えに思える。
だがこれにはまたしても飛逆が囮にならなければならないし、二度目のこれが通じるかどうかは未知数だ。下手をしたらまだ察知されていないかもしれない赤毛狼という【能力】の情報を与えるだけの結果に終わってしまうだろう。
こうして一進一退を繰り返すことが戦略による攻防の進み方なのかもしれないが、やはりそういうのは飛逆は苦手だ。これは相手側の土俵であると感じてしまう。
どうせ相手も確実な情報を手に入れていないということで、やはり総力戦を仕掛けるか。
飛逆の性質的にはこちらのほうが合っている。
戦略だとか戦術だとか区別せず、ただの個と個の衝突に落とし込む。
迂遠ながら結局その結論になった。堂々巡りもいいところだ。
自分一人で考えるから堂々巡りになるのだろうということで、全員が起きている時間にこの結論を検討しようとミーティングの議題を挙げてみる。
〈あれ? でも~ヒサカさん、なんかヒントを思い付いたとか言ってませんでした~?〉
研究が滞っているという前提に対するミリスの疑問だった。
「それがまさに、【能力結晶】の仕組みを手に入れなければどうにも応用できないものだったってことに後で気付いた」
〈どゆこと~です~?〉
「根本的な疑問として、なんで【能力結晶】は効果時間に限界があるんだ?」
〈へ? そりゃぁ……あ、ホントだ~。よく考えたら変ですねぇ〉
「そう。俺みたいに自分の精気を操れるモノでさえ、長引かせることができない。それって変なんだ、よく考えると」
〈つまりエネルギーを使い果たしたからその【能力】が消えるわけではない~。エネルギーとは違うところで~、つまりはルナコードの部分が分解されているってことですよね~〉
「【能力結晶】自体は安定的だから、ルナコードを分解しているのはヒトの【能力】ってことなんだろうと予測していた。【魂】に刻まれている恒常性や免疫機能みたいなもんだろうって考えたんだ。だが逆に言えば、一定時間なら、ヒトのその拒絶反応みたいなのを誤魔化せているってことになるから」
〈あ、なるほど~。それなら確かに~、そのダミーコード、と言うと違うのになるので~……免疫抑制コード、にしますか。それがあるならそのコードを使って~、【神旭】でヒトの【魂】を強化できるかも~?〉
「いや、違う。【能力結晶】を【神旭】化して送ったらこの免疫抑制が消滅している」
〈……ホントだ。全然意味わかんないですね~。【能力】同士の拮抗障害っていうのが間違っているんですかね~〉
「それより、免疫を抑制しているんじゃなくて、ルナコード自体が発動から時間経過で消滅する機能が備わっているっていう可能性がある」
〈ん、んん~……。なんかごちゃごちゃしてきましたね~〉
「わかりやすく言うと、【能力結晶】を作った奴が、採集者、というより人間が強くなりすぎないように制限を付加しているってこと。一度でも【能力結晶】を使えば以後はエネルギーさえあれば誰でも永続的に使えるようになるのを恐れたっていう可能性だ」
〈それ、むちゃくちゃありえるんですけど~……感情的にはそれしかないってくらい~〉
「だが、これを別の切り口から見れば、この仕組みがあるからヒトがとっかえひっかえ【能力】を付加することができるって見方もできる。一つの【能力】を獲得してそれに永続性がある場合、他の【能力】をインジェクトしたら拮抗障害が起きるって状態になると思わないか? 自分で言うのもなんだが、複数の【能力】を自分のものとして扱えるのって俺くらいだろ」
〈あ、なんか違う気がしてくる不思議~。仮に怪物が【能力結晶】を作ったって場合~、いくらでもいる採集者のために~、そんな措置をわざわざ採らないって気がします~〉
「そんなことを考えてたら、そもそもなんで【能力結晶】はインジェクトできるんだ? ってまた根本的な疑問に行き当たった。原結晶はインジェクトできないんだぞ?」
〈ぁ〉
「色々と見落としてるんだよな……。要するに【能力結晶】にはただ単に【能力】を付加するっていうだけじゃなく、『【魂】の拒絶反応を騙す』と『ヒトやその影に溶け入る』、『時間経過で消滅する』の三つの仕組みがなければ成り立たないんだ。これら二つないし三つは【神旭】化するとなくなってしまうと考えれば現状の問題点が大体説明できる。拮抗障害は【神旭】そのものに対する拒絶反応だ。認証を破壊しただけじゃダメなんだ。あるいはこの【神旭】にかけた認証破壊毒がこれら三つの仕組みを壊してしまっている可能性もある」
〈原結晶と~、【能力結晶】の二つとも【神旭】化はできるっていうのが酷い落とし穴ですね~……そういえば最初期はその辺り疑問に思ったりしていたんですけど~〉
うっかり忘れてしまっていたのだ。当然飛逆も、【能力結晶】の仕組みに関して、この疑問は最初から抱いていた。これらを成り立たせている仕組みがわからずとも解呪法が完成しそうだと思ってしまったために、考慮の外に置いてしまっていた。
「ひさか、ひさか」
とこれまで黙って飛逆に引っ付いてきていたヒューリァが裾を引っ張る。
「それって、押し出すのを【神旭】でやって、一方は単にネリコンに繋いだらダメなの? 【神旭】は押し出すんでしょ?」
「理論上はそれで上手く行くんだが、問題は【神旭】がないと【魂】というより精気に触れることができないんだよな……実は軽く試したんだ。それだと【能力】になったのがネリコンに封入されるだけっていう状態だった。具体的にはネリコンに具現化前の麻痺毒が入ってた。例えば【紅く古きもの】でやれば炎がネリコンに入るだけだろうな」
〈というかわかっちゃいました~。無色の【神旭】って~、実は認証が破壊されているんじゃなくて~、『認証破壊毒』っていう色に染まっちゃってるんですよ~。そりゃぁ認証系のコードは破壊されますし~、それを入れられたヒト側も拒絶反応起こします~。自分の形を忘れるのは当たり前ですね~。【魂】の認証を破壊されてるんですから~〉
「あ、それだ。うっかりしてた」
毒として具現化しているから見落としてた。『認証破壊毒』は【能力】だ。【神旭】はそれを半実体エネルギーとしてしまうのだった。言い訳のしようのないポカである。
「拮抗障害じゃないってこと?」
ヒューリァが首を傾げる。
「いや、赤毛狼には毒は効かないから、赤毛狼化した元神樹の一体の例を鑑みるに、やっぱり拮抗障害はある。だが、二つの原因が重なり合っている状態だってこと。【能力】のそれを認証破壊毒は干渉しないからな。矛盾しない」
「ああ、だからほとんど同じ方法なのに、トップランカーの種は除去できたんだ」
毒の効かない赤毛狼を【神旭】化して送り込んだために無効化され、障害が起こらなかったのだ。
〈なんか~、ダークエルフを倒しにいくかどうか~って話だったのに~、随分進展があったような気がしますね~〉
確かに、根本的な誤りに気付けたということだ。このままだと何百回試行したところで成功は掴めなかっただろう。
「解決策は全く浮かばないんだがな」
これを進展と言っていいのか。振り出しに戻ったということでもあるので、飛逆は凹む。
赤毛狼はそこまで万能ではなかったらしい。正確には彼の作る毒が。
【神旭】の性質上、認証を破壊しなくては結局破裂するなどの結果になるわけで、これをどうにかしないことには解決できない。
〈まぁ研究なんてそんなもんです~。五年あれば丸ごと入れ替わってしまうような学会常識すらありますからね~。五年で入れ替われたのなんてまだ幸運とすら言えて~、五十年前の論文の実験結果と考察を鵜呑みにして組み立てた権威利権論文とかザラにありますし~。それがまた次の誤った常識を作っていって~、フトしたことでそれが突然瓦解するんですよね~。これが何人の研究者にその道を諦めさせたかわかりませんよ~。先入観って自覚できないから怖いんですよね~……〉
いい加減突っ込んでほしいのかな、と思えるような独白めいた語りを他所に、飛逆は深々と溜息を吐く。
「行き詰まりが決定的になったことだし、ダークエルフ捕まえてくるか」
投げやりな感じで今後の予定が決定した。
ヒューリァはどうでもいいことではないと思っているはずなのに、相変わらず飛逆にくっついてその背中に指文字などを書いて遊んでいた。
(ヒューリァ、君の母言語の筆記はさすがにまだ読み取れないんだ……)
多分励ましの言葉を書いているのだろうと思ったが、わからなかった。




