81. 復習
一応ミリスに、モモコが赤毛狼デフォルト毒の耐性を獲得し、目覚めたことを報告する。
彼女は研究が滞ってからというもの、ヒューリァとの就寝時間をわざとズラしている。まあ聞けば、睡眠はそれほど密に取らなくても良いらしく、脳の一部(異能使用領域)毎に分割し、それぞれを順繰りに休ませることで大分消耗が抑えられるらしい。
まるで鯨である。回遊しつづける彼ら鯨は、脳の半球を交互に休ませることで睡眠を取る。
ミリスの場合は鯨と違い、それで睡眠の用を十全に為せるわけではない。覚醒時間を長引かせることができるだけだ。特に総力を挙げて解析処理などをしているときは、その分割休息を取る余裕すらないとのことで、その時は普通に睡魔が襲ってくるのだとか。それでも無理をすれば三日くらいの貫徹は余裕とか言っていたが、どこまで信用できるかはわからない。無理をしているのに余裕とか言う時点で矛盾しているし、前の時はちっとも余裕には見えなかった。
要するに研究するために起きている時間を長くしているわけではないと、暗に言っていた。滞りがちな研究を進めるためなら、総力を挙げて取りかかったほうが能率がいいに決まっているのだから。
もっと要すると、ヒューリァが眠っている間は、眠れぬ夜のお供に自分をアピールである。
モモコとは真逆とまで言える諦めの悪さだが、それ自体はむしろ好感度高い。ただしそれは飛逆にとって、イルスが率直に意見や感想を告げたときに上昇するそれと同じベクトルである。基本的に飛逆は、目的のために講じるべき手段の模索を放棄しないタイプが、恋愛とは違うところで好ましく感じるのである。つまりミリスは相変わらず間違っているのだが、言わぬが花だろう。
ちなみに念のため、彼女が就寝時間をズラしてから、訪ねたのは今回が初めてだ。ヒューリァを独り寝はなるべくさせないようにしている。
報告を受けたミリスは、若干溜息混じりの雰囲気で言う。
〈ど~せヒサカさんのことですから~、拘束解いて食事与えてそのまま放置~って判断保留したんでしょ~〉
「なぜだろう。ほとんど当たってるのにお前に言われるとすごく苛々する」
『わかってるんだから。仕方ないなぁ』的なセリフを、例えばヒューリァに言われたらむしろ嬉しくなりそう(順調にバカップル思考化進行中)なのだが、ミリスに言われると何か腹立たしい。いやまあ、ヒューリァがそういう言い方はしそうにないので、引き合いに出すのは違う気もするが。なんていうかキャラが違う。言っても拗ねた感じが強いに違いない。最近は怪しいが。
〈ちょっとした意趣返しですよぅ。ワタシがモモコさん捕まえてきたとき~、ヒサカさん、ワタシの活躍した話を省略したじゃないですか~〉
「ああ、そういえばそんなことあったな」
あの時は、ミリスの独断専行に理があるかどうかを早く確かめたかったために聞かなかったのだ。
とはいえモモコをほぼ放置したのは事実であり、この判断に理があるかというと特にないわけで――なるほど図星を指されたから苛ついたのか、と自分の感情の出所に納得する。
〈で、まぁ~。ワタシのほうでもアカゲロウちゃんで一応警戒しておきますが~、どうしたものですかね~〉
「てっきりとっとと強化版麻痺毒でも喰らわせようとか言うかと思ったが」
〈すでに判断保留っていう判断をしたヒサカさんに言っても無駄~、ってことはいい加減ワタシだって学習しますからね~〉
「お前にとっては万が一でもあったら困るんじゃないか?」
〈そりゃそうですけど~。ヒサカさんが大丈夫だって思ったならそれでいいです~。それとももしかして~、ワタシに判断を仰ぎにきたんですか~?〉
「判断を仰ぐっていうと言い過ぎだが、決定権をお前に預けようとは思った。都合を言えばお前が一番モモコの処遇に今後が影響されるからな」
〈なるほど~。まあ、そうですね~。ですが~、自分でやっといてなんですが~、モモコさんも不憫ですからねぇ。たぶんヒサカさん気付いていない、というか忘れているんだと思いますが~、あのヒトがあんなに勘違いしまくって迷走しまくったのって~、ヒューリァさんがワタシと同じようにヒサカさんのハーレム形成計画を持ちかけていたってことが遠因というか、きっかけというか~〉
「……」
愕然とした。
そういえば、そうだった。
ミリスに持ちかけて、モモコを除外するというのも、不整合だ。あの二人は相性が悪いので、あまりそういう話をしているところを想像できなかったのが敗因だった。
実際、その話は決裂したからこその、モモコのヒューリァ暗殺未遂だったわけだ。
〈そりゃぁ、ヒューリァさんがヒサカさんをダメにする女~って認識になりますよぅ。ヒューリァさんを殺害してでも排除しようって~、ある意味すごくまっとうな判断なんですねぇ。その先入観に囚われすぎていた感はありますし~、判断が早計すぎるのは確かなんですが~、同情するに余りあります~〉
「なんていうか、……すっげぇあの時分の二人の言動が腑に落ちた。そういうことだったわけな。俺の知らんところでなんか色々あったわけだ」
例えば研究しているときや、飛逆だけが狩りに出かけているときなどに。
〈まぁワタシも全部は把握してませんが~。ヒューリァさん、無闇なまでにアクティブでしたから~〉
「ヒューリァが原因ってことか……。いや、冷静に思い返すとホント色々やらかしてるな、ヒューリァ。しかも聞いた感じ、俺にバレないようにあえて暗躍してたみたいだし」
大体の問題は彼女に起因するくらいの勢いだ。
〈今にして思えばきっと~、ヒューリァさんもパニックかヒステリーに近いまでに常に不安状態だったんでしょうね~。今のヒューリァさんのヘブン状態はこれまでの揺り戻しなんだとワタシは見てます~〉
ヘブン状態て。
そのツッコミはさておいても、パニックやヒステリーというのは伝染する。そういった意味でもモモコたちの言動から漂う危うさがどうしてだったのか、得心行った。モモコは本人から発生したそれでなかったから、自覚症状がないばかりか指摘されても納得できなかったのだ。もちろん飛逆の指摘が的の正鵠からは外れていたというのもあっただろう。
「俺としては、ヒューリァを擁護したいが……」
〈ヒューリァさんのやったことって思い通りの成果として結実していない割に~、ヒューリァさんにとって『いい結果』になってるんですよね~。ご都合主義というか~。ワタシが『ヒューリァさんが主人公』って言うの、どうしてかわかったと思います~〉
ミリスは自分へ提案されたそれは『考えておく』くらいの返事をして保留の体でいたらしい。言うなれば様子見、結論は出ているがヒューリァのその提案を怪しんでいた。
その上で俯瞰的にヒューリァたちの様子を観察していたミリスがそう思うのも無理からぬ話である。
「でもまあ……元々そのことでモモコを陥れるような形にしたわけじゃないしな」
全く気にしていなかったわけではないが、そのことが無くても飛逆は結局、彼女を神樹の主の捜索に向かわせただろう。失敗の見込みは大きくとも、それで彼女が死ぬ可能性は小さかったからだ。あの時はとにかく情報が必要だった。
「やっぱり処遇の判断はお前に任せる」
〈まぁ、だから監禁放置ですね~。逃げようとしたら~、遠慮無くガブリと行かせてもらいますが~〉
結論は出た。なんだか余計な話をして長引いてしまったが、蟠っていたものが少しは溶けたのでそれはいい。
「と、処遇と言えばついでに、トップランカーの序列に関してここで決めておくか」
せっかくなので。
イルスたちトップランカーの話をヒューリァがいないところで済ませておきたい。そんな遠慮もあった。
〈アドレイド、ボニー、ベレン、ディルのことですね~〉
なんだか濁点の多い字面だな、と思うこのラインナップは種を取り除くことを志願したトップランカーどもの名前である。
「四人もでてきたのも予想外なら、女全員が名乗り上げたのも予想外だったんだよな……」
ちょっと困ってしまったので、とりあえず神樹の種を取り除いてから、具体的な組織構成は宿題にして持ち帰ってきていた。
〈女全員が名乗り上げたのは必然として~、四人というのはちょっと困りますよね~〉
「必然なのか?」
〈そりゃそうですよぉ〉
なぜそこが疑問なのかが疑問だと言わんばかりである。
〈むしろなんでディルは女全員が結託しているところに割り込めたのかっていうことが不思議です~〉
「……」
わからないはずなのに、なぜかディルなる男が男連中の中で唯一平然を装えていた奴であることが関係している気がした。
「まあ、とにかく、ピラミッド型を想定してたからな。上位のほうが多いっていうのはなんていうか、歪な感じがする。下位を纏めるのが難しいっていうより、上位であることの特別感がないっていうか」
せいぜい一人か二人だろうと飛逆は想定していた。ただ、それは彼らがすでにあやふやながらも関係性を内部で構築しているという前提を忘れた想定だった。一人が名乗り上げればそれに追従する者も出るという、ある意味当たり前のことをうっかり忘れていたのだ。そういう観点なら、なるほど、女三人が名乗り上げるのは必然である。
〈ヒサカさんが彼らを使い潰さないのは組織運営のモデルケースにするためですよね~? だったらテストケースらしく割と適当でもいい気がします~〉
「つまりこの四人の意見が奴らの総意として優先されるってことだが……」
〈そもそも人数が少ないですからね~。上下を考えずに~、派閥として考えたらどうでしょうか~〉
「それってイルスが楽になるか?」
〈意見を二つに絞り込めるっていうのは~、イルスにとっても前よりはやりやすくなると思いますよ~。女三人がまとまっていることで~、風紀は自動的に締まりますし~。だからディルが邪魔なんですよね~。ハーレムか~っていう〉
「いや、うん。それに関しては、多分、大丈夫じゃないかな」
〈よくわかりませんが~、まあそれならとりあえずはこれでそのままやればいいんじゃないですかね~。イルスが重きを置くのはこの四人側ってことにして~、ある意味男と女の対立構造になるよりはディルがいたほうがいいのかもしれません~。正直やってみないとわかりませんけどね~〉
やってみないとわからない。だからなるべく基本は押さえておきたい。後々に問題点を洗い出しやすくするために。
「今の時点だと戦闘力とかの優劣はあんまりないから、説得力って意味では微妙なんだよな。やっぱり序列云々を明かすのは後にするか」
〈それだとイルスが男連中のヘイト買いますよ~。不当に女の言うことばっかり採用してるって言って~〉
「なら……そうだな。あの四人で一つの赤毛狼化してる連中、あれを使おう」
〈とは~? どういう~?〉
「あれの操作権をイルス含めた五人に渡す。『治療』を受けたからそれができるようになったっていう体で」
〈ああ、なるほど~〉
彼らにとって羨ましくなく、けれど特権を意識させるというのにちょうどいい塩梅だ。
「問題があるとしたら、現状だと君の髪を介して実質的には君が操作しなきゃならないってことだが」
〈さほどリソースを圧迫しませんし~、仮に負荷が嵩んでも直接操作しているアカゲロウちゃんの数を減らせば~いいだけなので~、問題ないですね~〉
いずれは本当に、意思顕在の眷属化したヒトが赤毛狼を操作できるようになるなど、色々と考えてはいるが、その仕組みが完成するのは遠い話だ。なんらかのツールを作製し、それを介してミリスが操作するしかない。
〈それに行動プログラムは~、ヒト型アカゲロウちゃんに組み込んだのを流用すれば~、ワタシの負担は激減しますからね~。っていうか考えてみたら~、あの四人一体のアカゲロウちゃんはワタシが将来目指す巨人兵軍団の操作ルーチンのモデルケースとして使えますし~、ワタシにとっても損のない話です~〉
解析して判明したことなのだが、四人に三体分の赤毛狼しか憑かせなかったために、彼らは一体の赤毛狼が四人全体に同時に憑いているという、変な状態になっていた。三体分の赤毛狼リソースを有している一体だ。三体が融合して一体になってしまっている。見かけ上四人だが、一体でしかない。こんなへんてこな状態なために、その行動プログラムは極めて複雑になっている。赤毛狼デバッガーが無理矢理に辻褄を合わせてくれているようだが、無茶しているせいでやたらと消費が激しいし、先述したようにその存在を維持するコードとサブルーチンの組み合わせは矢鱈滅多に入り組んで煩雑である。
これをスマートに組み直すことがミリスの目下の目標らしい。
盗用を防ぐためにわざと煩雑なソースコードを書いて重くしているプログラムをいくつも見たことがあり、実際に簡略化する作業をやったことがあるというミリスである。やりがいを感じているそうだ。知恵の輪を解くのは嫌いじゃないとのこと。解呪法の研究はどうしたと言いたくなるが、全くの無関係というわけではないので強く言えない。
それどころか、構想しているミリスの巨人兵軍団は中々に魅力的だ。
赤毛狼は優秀であるが、威圧感が足りない。というより重量感か。
その意味、巨人兵は、ミリスがデザインしたそれはなんだかスタイリッシュだったわけだが、それでも中々の迫力があった。ヒト型というのもいい。生態系の頂点に立った(と自称している)人類にとって、最大の敵は自らの同類であり、それがそのままの形で大きく重量感溢れていれば、それだけで益々の畏怖を覚えるものなのだ。
将来的に外交などをするとき、巨人兵軍団をチラ見させればそれだけで有利に交渉を運べる可能性が高くなるというわけだ。
ハッタリというのは重要なのである。実力も伴えば余計な面倒を減らすことにも繋がる。
〈それにしても~、まさか本気でNAISEIを考えることになるとは~、思ってませんでした~〉
巨人兵の話題だけではない。イルスたちを使った組織構築の試行錯誤からの話だ。
「最初からお前はそっち側ばっかりやってた気がするけどな」
〈目指していたのは~、内政というより隠棲ですからね~。ほどほどに資金が貯まれば~、塔下街の政情なんてものに関わる気は最初っからなかったんです~〉
「そうだな」
思えば平和な考えだった。
「だが、もしもを言うなら、【能力結晶】の仕組みが手に入らないとあの時点では解呪法開発の端緒すら掴めない状態だったし、研究所を攻めればおそらくダークエルフが出てきただろう。あの時点でダークエルフとやりあったら、間違いなくやられていた」
〈ヒューリァさんのおかげで~、免れた~っと。つくづくヒューリァさんのご都合主義ですよねぇ……〉
「そもそも資金が貯まらないからって研究所を攻めるって話になったわけで、よく思い返せばその辺り、ダークエルフの存在を知らなければどうやったって貯まるわけがないんだ。おそらくミリスのこともとっくに察知していて、圧力をかけていた可能性が高い。実際、お前はゾッラのところに誘導させられていたわけで、お前を餌に俺たちが誘き寄せられて、奇襲されたらやっぱり全滅している。
結果的には奇跡的なまでにダークエルフが事前に張り巡らしていただろう罠を無自覚にかいくぐってこられたわけだが、俺たちが全滅していないのってほとんどヒューリァのおかげじゃないか?」
〈否定できる要素がない、です~〉
「まああらかたを吹っ飛ばしたのは俺だが……そもそもヒューリァを【吸血】してなければ【紅く古きもの】を宿してなかったわけで、アレの掌握のきっかけもヒューリァの受けた致命傷だしなぁ……」
正直、その可能性――自らが炎の竜人となること自体はインソムニアとなった時点から思い付いていたのだ。
けれど【紅く古きもの】を掌握するということに多大なリスクを伴うことも予見していて、あんな状況に陥らない限り飛逆はその可能性を無視し続けていただろう。
〈な、なんか怖くなってくるレベルですね~〉
「思い通りに事が運ばないからこそ都合のいい結果になるって、本人にとってはそれはそれで残酷な気もするけどな」
痛ましく思いながら、呟くように言う。
それでは決して達成感といった満足感には届かない。自分は神に愛されているとか錯誤して狂喜するようなタイプならば、あるいは満足できるだろうが、ヒューリァはそういうタイプとは程遠い。
〈それは、言えるかもしれません~。というかだから『なんとなく怖い』のかも~。ある意味呪いですからね~〉
久々にその呪いを聞いた気がした。




