80. mezame
ヒューリァが寝静まり、眠れない飛逆が情報収集を兼ねて赤毛狼を【吸血】していると、少々気になる情報が見つかった。
それぞれの階層の隠し部屋含むマッピング及び、どのクリーチャーがどんなドロップ品を落とすのかということのデータは、ミリスと協力してすでに仮想的フィギュア・テーブルデータとして纏めてある。こういう解析・分類処理はミリスがやるとすごく早い。つくづく有能である。問題があるとすればそれを参照できるのが彼女と飛逆しかいないということなのだが。
いい加減共通言語文字でも作るべきだろうか。あるいは出力できるのが彼女だけと言うことで、ミリスの母世界文字言語に統一するか。データ用言語だけなら覚える手間もそんなでもないし、基本的に頭のデキはいいのだ。飛逆もミリスもヒューリァも。
さておきそんなわけで赤毛狼が収集してくるデータにはもうほとんど価値はない。コンピュータファイルで言うとゴミ箱行きが大抵だ。そうすると精気を消費してリソースに還元するという作業が必要となる。デフラグだ。精気が溜まりすぎないように、この作業であえて消費させているので、無駄というわけではない。ただまあ、それくらいなら情報収集をやめておけばいいと思わないでもないが、忘れてはならない。塔は基本的に得体が知れないのであり、その管理者などが何かを始めたならそれをすぐに察知できるようにしておきたい。
そういうわけで割とこまめに参照しているのだが、引っかかったのはすぐ近くに配置していた赤毛狼だった。
初め、これの意味がよくわからなかった。
何が引っかかったのか、それがわからなかったのではない。どうしてこんなことをしているのか、ということが、わからなかった。
少し悩んだが、直接訊いてみることにした。
ヒューリァの頭をそっと膝から降ろす。
「ん……っ」
嫌がったヒューリァが、かすかに瞼を開けた。
「ごめんな。ちょっと所用だ」
「……わかった」
寝ぼけのせいか不機嫌な声音の彼女の頭を撫でると、またすぅ、と寝息になる。
どうやらヒューリァは飛逆が眠れない体質になったことの一因が自分であることをまだ気にしているらしい。躰を合わせようになって以来、ちょくちょくこういうことはあるのだが、一度も本気で不満を表したことはない。
そりゃ本当なら飛逆だって彼女と一緒に寝たいのだが、眠れないのだから仕方がない。そして六時間から八時間もの間何もせずにいるのはさすがに酷だ。別に退屈でも彼女といるだけで幸福感があるので別にいいのだが、その幸福感が損なわれるかもしれない状況は放置できない。
念のため耐電効果のある服をグローブまで着込んでそのすぐ近くへと向かう。
モモコのいるそこへ。
飛逆の作った屋敷は、アジア風なのは外観だけで、中は基本的に石造りのためひんやりしている。いぐさでも手に入れば手隙の時間に畳でも編みたいところだが、よく考えなくても面倒なだけで意味がない。そもそも畳の編み方なんざ知らないし。
けれどまあ、そんな固くて冷たいところに仲間――『元』を付けるべきか迷うが――を放置しているのはやっぱり外聞はよくないな、と。せめて低反発クッションくらいは作ってやればよかったかもしれない。
いくら怪物だとはいえ、食事も水も与えていない。毒を混ぜた栄養剤の点滴にしようにも針が固定できないのだから仕方ない。
「というのもまあ言い訳だな。実際のところ君と話をするような余裕がなかったんだ。余裕ができてからは、正直面倒になってた。――起きてるんだろ、モモコ」
赤毛狼が持ってきた情報では、モモコは牙を隠していた。
麻痺毒を喰らってからはその牙を隠すことができなくなっていたというのに。
「……」
答えはない。屍ではないのに。
「さすがにずっと同じ毒では耐性が作られるよな」
一応継続している毒の効果実験によると、たとえば神樹も、何百回という試行数を経ると効きづらくなるという結果が出ている。切れ端ですらそうなのだから、怪物大本であれば何十回という程度で完全な耐性を獲得しても不思議はない。
そうすると不思議なのは、何故彼女がこんな冷たい部屋の中から脱出を図ろうとしないどころか、牙を隠す以外のことを一切しなかったのか。
継続的に観察していた赤毛狼の視覚情報からは、縛られているからといってそれを外そうともがく様子も見られなかった。
と、気付く。
よく考えたら【言語基質体】が切れている。
ヒューリァとの意思疎通にはもうそれの助けが要らなくなっているので、最近は割とよく忘れる。ヒューリァの言語は割と【紅く古きもの】の知識情報にある語彙と似通っているため、結構簡単に修得できたのだ。
ただ、研究のときの話し合いにはやはり必要なので(飛逆というよりヒューリァの言語感覚が研究向きではないため)ミリスと話し合いをする以外でも余分に常備はしている。
自分に打ち込み、モモコにも入れる。
「さて、と……繰り返しになるが、起きてるんだろ?」
抵抗はなく、飛逆の不意を打とうともしなかったので、少し距離を空けてから改めて訊いた。
「にゃぁ」
片目を開けて、けれどすぐに瞑る。吐息するように脱力する気配があった。
「あれからどれくらい経っているかは認識しているか?」
いきなり耐性を獲得したわけでもないだろう。徐々に意識を取り戻しつつあったところが、結実したのがついさっきくらいのはずだ。
正確なところはわからないに違いが、麻痺毒によって時制の感覚がどれほど乱されるのかは少々興味があった。
「あんまし……にゃ。三日より多いってことは、わかるけどにゃ……」
「そか。よかった」
この調子ならゾッラたち神樹の連中も、精神を破壊されているようなことはないだろう。何もできない痛苦の時間を長く感じれば感じるほど、そのリスクは高くなっていく。だからなるたけ研究の完成を急いでいたのだが、多少は猶予を多めに見積もっても良さそうだ。
「相変わらずだにゃぁ……」
「何が?」
「なんていうかにゃ。ウチは敵って思われて、こんな風にされちゃったのじゃなかったのかにゃ……」
「ああ……」
別にモモコに対して『よかった』と言ったわけではないのだが。
仮にそうだったとしてもそれで『相変わらず』と言われる意味もよくわからないのだが。
「ぶっちゃけた話、君を毒漬けにしたのはミリスの独断だからな」
飛逆がその場に居合わせたなら、おそらくはその判断を下さなかった。モモコの誤解に調子を合わせるというのではなく、ただの事実である。
モモコが騙されていたのは、ゾッラたちが神樹と化したことからも確定的だ。しかし、だからといってモモコに悪意があったというわけではない。
ミリスの場合はそもそもモモコを陥れようと構えていたわけで、はっきり言えば飛逆にアピールするという目的があった。モモコはとばっちりを受けたようなものだ。
もちろん飛逆はミリスがそうするであろうことを予測していながら止めなかったのだが、あの時点ではモモコがミリスにどういう話をするかなど完全に予測することは不可能だ。安全策としてモモコを毒漬けにするのは仕方のない判断だと言える。
それでもあのときはまだ、モモコを解放して直接話を聞くということを予定していた。
そこにモモコが騙されているということが確定的となる事象が発生したのだ。ゾッラとノムが神樹と化した。
話を聞く必要性がなくなり、しかも解呪の術を編み出す研究に目処が立ったところだった。
後回しになるのは飛逆の中では必然的な判断である。
あるいはダークエルフの意図したのは、モモコを介して発芽させることで飛逆たちの間に疑心暗鬼を植えることだったのかもしれないが、残ったメンバー全員がそんなことで取り乱すような精神性の持ち主ではなかった。
ダークエルフもモモコから飛逆たちの話を聞いていただろうが、まあモモコ自身が飛逆たちの精神性を理解していないわけで、誤解するのも当然である。モモコの主観が当てにならないことは、飛逆たちの中では確定的なまでに明らかな共通認識だというのに。
閑話休題。
そしてモモコを気にするような余裕が無くなることが起こり、しかも解呪研究が予想以上に難航し、彼女を交えての開発は難しいという状況になった。
トーリのことをさておいても、モモコを解放する理由が皆無になったのだ。
自罰的傾向にある彼女なら、トーリを元に戻すためならと自らを実験台にすることを了承しただろうから、実はこの点は彼女を毒漬けにする大きな理由にはならない。トーリの自業自得だということは嘘ではないし、騙されやすいモモコだ。それを疑わなかっただろう。飛逆たちが(ミリスが)誘導したということを察しても、それに気付かないように自分に命じたことだろう。
モモコは、騙されたがっているタイプ、なのだから。
「なんにせよ……とことん間が悪かったってことなんだよなぁ」
しみじみと思う。このモモコのツキのなさは感心できるレベルだ。
「ウチは、なんていうか、嫌われるのにゃぁ……」
そういうのは慣れていると言わんばかりに、元々滲んでいた諦念が色濃くなった。
「嫌われているっていうのとは、ちょっと違う気がするけどな」
運命とかの形而上の何かに嫌われているというのであれば、否定しがたいが。
少なくとも飛逆はモモコを嫌っているということはない。その割には、飛逆が積極的に陥れているように見えるかもしれないが――ミリス辺りはそう思っていそうだが――そんなつもりはないのだ。
ただ、相性が悪いとは感じている。
モモコと何かをしようとしても決していい結果にはならないだろうということが、なんとなくわかる。
「別に気を遣ってくれなくてもいいにゃ」
こういうところが、まさに。
気遣っているわけではないと、言ってもいいがループするだけだろう。モモコにもそれが予見できたのか、飛逆が何か言う前に話を切り替える。
「それで、何の用かにゃ」
「虜囚の様子がおかしいから確認しに来ただけで、別に用はないんだけどな」
用といえばそれはすでに果たされた。
「だがせっかくだ。君のほうから何か質問はあるか?」
「にゃら……ウチがこうなってるってことは……トーリはどうなってるのかにゃぁ……」
「気にするところはそれか」
飛逆こそが彼女に『相変わらず』と言ってやりたい。ダークエルフと現在どうなっているのかなど、気にすべき事はいくらでもあると思うのだが。ミリスから伝聞した『飛逆がダークエルフと衝突しては、塔下街の神樹化人間たちが滅ぼされてしまうから、させてはならない』と決意したいう話は忘れてしまっているのだろうか。
「そりゃぁ、そうにゃ。ヒサカが、トーリをウチの付属物くらいにしか思ってないことくらいはウチでもわかるからにゃぁ」
飛逆の疑問にやや見当違いな理解を示す。
まああえて突っ込みたいわけでもない。
「殺されているとは、考えないのか?」
「ヒサカはそういうことはしないと思うにゃ」
「だが、死にかけたぞ、あいつ」
「……にゃぁ」
しないと思いつつ、可能性としてはありえると思っていたのだろう。諦観というより、失望に近い色がその目に浮かぶ。飛逆への失望というより、己へのそれだろう。どっちでもいいが。
「あいつが自分からな。俺の血を飲んだ」
「にゃ?」
「君がいない間に色々あったんだよ。それを話さないことには、どういうことかわからないと思う」
今もそこでお座り待機状態の赤毛狼について訊いてくれれば、話しやすかったのだが。
まあ順序よく話せば、さほど難しい話でもない。
モモコに聞かせないほうがいいことを伏せてしまえば、
飛逆が神樹に対抗する力を得るために、一人で剣鬼ことギィの倒した【全型魔生物】の死体を探している間にヒューリァが飛逆の血を飲み、眷属化し、それを知ったトーリは自らミリスから飛逆の血を掠め取って服用し、半端な眷属と化してしまった。現在は手に入れた人狼の能力によってそれが見た感じだけマシになっているが、相変わらず意思はない。
たったそれだけだ。
「おそらくだが、ヒトが怪物の身体の一部を一定量以上、服用するなどすれば眷属化するんだってことを付け加えれば、もう疑問点は多分ないと思うが」
「……ウチも、そういうのあるのかにゃ」
「さあ。というか、そこは気になるところなんだな」
うっかりというように、モモコはその猫型の目をしばたく。
「だからウチはダメなのにゃぁ……」
「そうかもな」
肯定する飛逆である。
「だがまあ、わからんでもない。もしも自分にそんなことができたなら、できていたならって。考えてしまったんだろ。手っ取り早く、ヒトに自分を認めてもらえる手段として――仲間を増やす手段として」
「考えたら、意味ないってわかるんだけどにゃ……」
「まあな」
ヒトに認められるためにヒトをヒトでないモノにしてしまうというのだから、本末転倒だ。
とはいえこれは怪物に限らず、ヒトの関係性に於いて普遍的に付きまとう業みたいな問題でもある。
誰かに認めてもらうために、その誰かの意思をねじ曲げる。自分の思うとおりに変える。そうしてしまうことが望みであるのに、それでは決して満足できない。認めて欲しかった誰かはその時にはもう失われているからだ。
普通は滅多に実現できないために、直視しなくても済むこの問題は、怪物の場合は自分の株分けをすることで可能になる。
「かもしれないってだけだけどな。たとえば【紅く古きもの】は、その実体である炎を精神感応性素材に封入することはできるが、おそらくヒトに宿したらそいつの身体を焼いてしまう。そしてその理屈で行くと、君のそれも似たようなことになるって予想ができる。常にどこかに電子を放出していないと抵抗電圧で焼け死ぬか弾け死ぬとかな」
理屈を言いながら、あれ? と首を傾げる。
何かヒントになりそうな気がした。
「正直、ウチにはそんな話はわからにゃいのだけど、大体どういうことになってるのかは、わかったと思うにゃ。それに、できても仕方にゃいって、そういう話だからにゃ」
「……ん、まあそうだな。だが君に無関係じゃないぞ。要は解呪法の話だ。予定としては、この研究に成功の目処が立てば、君に試してみようと思ってる。君に拒否権はないから、ただの通告だが」
「にゃ……」
「嬉しくないか、やっぱり」
「……外で捜している間、考えたにゃ、ヒサカに言われたこと。ウチは、きっと解呪されても変わらないにゃ……だからって、どうしたらいいのかはわからにゃい、まんまなんだけどにゃ」
どこに居ようとも、何に成ろうとも、その考えのままでいたら失敗する。
そんな予言めいたことを、そういえばモモコに言っていた。
言われるまでもなく、おそらくモモコはわかっていたと思うのだが。
きっと飛逆は彼女が薄々知っていたことを明文化したに過ぎない。
「言ったように、拒否権はない。だから成功するにせよ、失敗するにせよ、どちらも覚悟決めておいた方が良い」
「選べないのに、覚悟しろって、辛いにゃぁ……こんなことなら、眠っている間に何もかも終わってしまえばよかったのにゃ……」
ぽろ、ぽろ、と堪える気のない涙がモモコの目から零れる。
「君にも効くような睡眠薬みたいのを合成しようか?」
そんなものより彼女にとっての『答え』を与えたほうがいいと思いはするが、飛逆だってそんなもの知らないのだ。
「にゃぁ……」
受容とも拒否ともつかない調子で目を瞑り、ただ涙を流し続ける。
「適当な飯を持ってくる」
念のために、耐性を獲得したモモコにも効くような毒を、監視待機中の赤毛狼にセットしてから、一旦その場を離れる。
鶏ガラスープが余っていた。ちょうど良いので鶏卵っぽい卵らしきそれを落として親子スープを作ってモモコのところに戻る。
逃げているかも知れないと、少しは疑ったがそんなことはなかった。
「前言撤回すると、君のその、すぐに諦めきってしまうところは嫌いだな」
発破のつもりはない。ただの感想だった。
自分には何もできない――してはならないという思い込み。
その後ろ向きも極まった意気は見ていてあまり愉快ではない。
彼女の自白した性質――誰かのため、何かのために何かしようとすると必ず失敗する――を鑑みれば、そうなるのもわからないでもない。
誰かのために何かをしようとするその意志は尊ばれるべきものだろう。飛逆にもそれはわかる。たとえ結果が伴わなくても、あるいは正反対の結果を導いてしまっても、その意志までを非難されるべきではない。
ただしそれも、諦めなければの話だ。
諦めないことが即、意志の強さの証とはならないだろう。意地を張って止めるに止められなくなっていることと、意志が強いこととはまた別だからだ。
けれど、諦めないことでしか、意志の強さを示す術はない。
傍からは、どうしても彼女の言う『誰かのために』という意志は、弱く見える。
「諦めたほうが、ヒサカには都合がいいんじゃないのかにゃ……」
「都合だけを言うならそうだが、それと見ていて不愉快だっていうのとは話が別だろう」
赤毛狼に指示して、モモコの拘束(単に絶縁シートをロープで縛っているだけの簀巻きで、モモコならすぐにでも抜け出せるような程度)を溶かして解かせる。
なんと言っていいのかわからないというように顔を歪めるモモコは、これまで身動きしていなかったとは思えないような滑らかな動きで身体を起こして体育座りになる。
「とりあえず食っておけ」
卵スープを差し出す。
「にゃぁ」
首を横に振って拒否された。
「毒は入れてないぞ。もしくは入れた方が良いか?」
「ウチは、どうしたらいいかにゃぁ……」
会話にならない。
飛逆は思わず溜息を吐く。
「今がどうなっているのかを見ようともしない奴に、どうしたらいいのかなんてわかるはずがないだろ。仮に俺か、誰かがそうしたほうがいいって言っても、君はどうせ別のことをするんだろうし、誰も教えられるわけもない」
こんな説教臭いことを言いたくなかったのだが。
再び溜息が漏れた。
「……やっぱり怒ってるのにゃぁ」
「いい加減怒りたくなってきたのは確かだ」
目上の者に叱られて顔色を窺う子供みたいな目を向けられると、怒りたくもなる。その子供はなぜ怒られているのか理解していないのだから、苛立ちもする。
「とはいえ、これで君を責めると、イジメ問題で『イジメられる側にも問題がある』とかいうのと同じ事になるんだよな。それがまた苛立たしい」
どちらが正しいとか間違っているとかという話ではないだろうに、なんなのか、その論理のすり替えは。
これを飛逆が元の世界で初めて聞いたとき、本気で目が点になった。呆れてしまったのだ。
ただ単にルールを逸脱した側、つまりイジメた側が悪いに決まっている。そのルールの制定が間違っているという意見ならば一考に値するだろうが、考えたとしてもそれはイジメを実行した人間が言えば小規模なテロルと言って過言ではない。社会的反抗の生け贄(というより八つ当たり)にしたのだと自白しているも同然であり、それでイジメられた側にどんな問題があったとしてもその問題からは筋違いな理由で虐待されたということだ。それを言った人間は自分が悪くないと言っているつもりなのだろうが、頭が悪いにも程がある。自分の圧倒的な非を暴露してそれに気付いていないのだから滑稽でもある。こう言われれば、イジメではなくただの喧嘩であると主張するのだろうが、誰かの心身を傷付けることがそもそも犯罪であり、ただの喧嘩が成立するような対等な関係であればそもそも社会的な問題にまで発展しないのだ。やはり愚かすぎる。
それと同一視されることをするのは、何気に外聞を気にするところのある飛逆には酷だ。外様なんて今現在、殆ど存在しないのだが、それでも、自己イメージに齟齬が生じてしまう。自己規定をしなければ発散しがちな飛逆の思考はそれだけでダメージを受ける。脳の情報処理をある程度自在にできるようになったことの弊害の一つである。
そういうわけで、その情報処理で溜まった苛立ちを適当に散らす。
「飯は置いておく。食べないならそこの赤毛狼にでもやれ」
再びモモコを拘束するということもなく、飛逆は踵を返す。
どうせ逃げられないと高を括っているのではない。逃げようとしないという確信があるわけでもない。
仮にも身内だった彼女にどう対応したらいいのか、わからなかったというのが正直なところだった。
モモコはただ黙ってその背中を見送った。




